もう考えたくない。思考を放棄します。
「――と、これらがこの世界にダンジョンが生まれた理由で、私が知っている話の数々よ。わかってもらえたかしら?」
先輩が短い白杖を胸元に仕舞いこみながら聞いてくると、俺の見ている景色が宇宙から海のものへと変わっていく。
スキルを解除して、視界を現実に戻してくれたようだ。
俺はうーんと唸りながら、今聞いた過去の話を頭の中で整理していく。
地球は元々ガルティアという惑星の次に生まれた星であること。
そのガルティアではダンジョンや魔法なんかが当たり前のようにあった世界だったこと。
アマダというエルフが魔獣という存在自体を失くすために、一時的に神の住む世界にダンジョンや魔法なんかを封印して、この世界に解き放ったこと。
《ラストダンジョン》をクリアすれば、その願いが叶うこと。
アマダは魔獣を滅ぼしたくて、ジャビーガは人間を滅ぼしたい。特にアマダと同じ意志を持つ人間たちを殺したい。
そして先輩は、ただ世界の最後に何があるのかを知りたい。
と、まあざっくりだとこんな感じだろうか。
「ん~、おおよそ分かったと思う。ちょっと複雑すぎて、話のスケールがデカすぎて完全に理解したとは言い難いけど。それで気になったんだけど……」
「何かしら?」
「先輩は結局誰の味方なの?」
「そうねぇ……私は別に誰の味方というわけでもないわ。あくまで目的は世界の終点になにがあるのか、それを知りたいだけ。まぁ、《ラストダンジョン》をクリアするにはアマダ兄様と一緒にいるのが現実的よね」
「そっか。でもさ、先輩の原動力は何なの? なんで転生までして、ラストダンジョンを攻略したいと思ったの? 俺にはその答えが分からない」
「私……というよりもシロアの根幹にある欲求は『知りたい』という好奇心だけよ。知らないものを知りたい、未知のものを解明したい。そんな純粋な疑問だけが、彼女の原動力ね」
「なんだか今の先輩とあんまり変わらないね」
「そうかしら?」
「そうだよ。昔からずっと好奇心だけは頭一つ抜けてたからね。中学生の頃なんて、俺のゲームデータを消去しようとしたことあったよね? ゲーマーの喪失感を知りたいとか何とか言ってさ」
「そんなこともあったわね、懐かしいわ」
先輩は口元を上品に抑えながらクスクスと笑った。
あの日のことを本当に懐かしく思っているのだろう。そういう俺もこんなに注目されるようになった世界より、部屋でひっそりとゲームしている世界の方が良かったと思うときが稀にある。
なんだか目の前にいる先輩は、いつもの先輩とあまり変わらないような気がしていた。
シロアの記憶があるといっても、ただ記憶があるだけなのかもしれない。実際に赤坂雪葉の体を動かしている意志を持つのは、先輩自身なのだろうか。そこまでは分からないけど、ざわざわと渦巻いていた気持ちがほんの少し和らいだ気がした。
「それで……これも気になってたんだけど、先輩はここで何をしていた?」
こんな何もない海のど真ん中で一体何をしていたのか、そこはまだ俺には分かっていなかった。
本来であれば一般人はどこかで避難しているはずなのだろうが、先輩は戦場の真っただ中、それもこんな場所にいたのだ。
というかそもそも先輩がシロアだっていう実感が少ないから、海に立っているという事態が上手く飲み込めないでいた。
「本来のシロアの力を取り戻すため。後はとある準備をしていたのよ」
「準備?」
「最後の舞台となる戦いよ。【騎士王】ディエントの元で、【魔知将】ジャビーガとほたるんの三者が集って戦うための舞台よ」
「は? なんのために俺が戦わなきゃならないのさ」
突然、先輩が言い出したことを理解できなかった。
なぜ俺が戦わなきゃならないのか、なぜ先輩は俺を戦わせようとするのか。
「ほたるんがこの世界でのリーダーであると示すためよ」
「いや、意味がわからないから。俺にメリットがないし、リーダーになったつもりもない」
「そうかもね。でも、ほたるんがこの戦いの黒幕であるジャビーガを倒せば、名実ともにリーダーとして認識されるようになるわ。そうすれば、ほたるんの名の元に《ラストダンジョン》に挑む人たちを容易に集めることができる」
先輩はさも当たり前のように言い放ったが、俺には到底理解できなかった。
というか、そもそもという話だ。
「まず前提としてなんだけど、俺は《ラストダンジョン》にも興味はないし、魔獣がいてもいなくても今となってはどうでもいいことなんだよ。だから、先輩の言う理由ならば俺が戦う理由がない」
「じゃあ、これならどうかしら?」
先輩は当たり前のようにそう言うと、間を置くように一呼吸した。
そして、両手を広げ、綺麗で真剣な眼差しを向けてきた。
「この世界に現れたダンジョンという異物をなかったことにしてしまう、という『願望』を神々に願うのよ」
「ダンジョンのなかった世界?」
「そうよ、『願望』はかなり上位の神が作ったと言われているわ。だから世界線を選択できる可能性も大いにある。そうすれば死んだ人が死なない世界線を選ぶこともできるわ。ほたるんにとっては良い案だとは思わない?」
「なぜそれが俺にとっていいと言えるんだ?」
「世界1位という称号もなかったことにできるし、ニートにも戻れるし、お母さんのご飯をまた普通に食べられるようになるのよ。何もなかった普通の生活が戻ってくる」
母さんのご飯が食べられる。
その言葉が俺にとっては魅惑の響きに聞こえてしまった。
すぐに反論できない自分がそこにはいて、俺は言葉を口から出せないでいた。
その時であった。
「うわっ!?」
突然、俺と先輩のステータス画面がひとりでに開きだしたのだ。
現れたそれはいつものステータス画面と同じなのだが、表示されている内容は少し違った。
名前や称号の欄はまるで見えなく、そこに映っていたのは耳の尖ったおじさん臭い一人のエルフであった。ステータス画面内で僅かに動いていることから、これが映像なのだと判断できた。
消去法で、彼がアマダというエルフなのだということもわかった。
(意外と……おっさん臭いエルフだなぁ)
そんな感想を抱きながらも、さも当たり前のように振舞っている先輩へと視線を向けた。
「先輩。これがアマダ?」
「そうよ。そろそろ始まるようね、ほたるんも気を引き締めて臨みなさい」
「は?」
意味が分からないと溜息を洩らすと、ステータス画面に映ったアマダが話を始めた。
『えっと……これで全員見えてんのか? よぉ、地球に住まう諸君。聞こえているか?』
アマダは面倒くさそうに頭をぽりぽりと掻きながら、カメラでも覗き込んでいるのかジッとこちらを見つめてきた。
『おう、大丈夫そうだな。俺はこの世界の一部を管理する亜神であるアマダだ。この映像は全世界の人間がステータス画面を通して見られるようにしてある。耳の穴をかっぽじって聞きやがれ、俺は何度も同じ話をするのが嫌いだ』
アマダはそこまで言い切ると画面外から一本の酒瓶を取り出し、口を潤すかのようにぐびぐびと飲み始めたのであった。
ぷはぁ、とさぞ嬉しそうな息を漏らした後に再びこちらを見る。
『まずは直接話をしたいやつをこの場に招待する。自分の前に扉が現れた者は、俺が自ら選んだ人間だ。扉を通って、こっちにこい。……あ~、それとだ。扉は選ばれた者しか通れん、下手な真似すると死ぬからやめておけ』
アマダは両手をパンッと叩き、映像越しに乾いた音を響かせた。
映像の音はステータス画面から直接空気を伝って響いてきているようだ。
「――おっ」
それとほぼ同じタイミングだった。
俺と先輩の目の前に、たった今アマダが言っていたであろう金色に輝く五人ほどが通れそうな大きめの両扉が現れたのであった。
その扉が音もなく、ただ神々しく輝きながらひとりでに開き始める。
そこで先輩が一歩前に歩き出し、長い黒髪が後を引く。そんな光景につい見惚れてしまった俺であったが、先輩は俺が動揺していることに気が付いたのか不意にこちらへと振り返り、片手を伸ばしてきた。
「さぁ、行きましょう。これからアマダ兄様より、世界に向けて真実が語られるわ」
「……まあ、もうどうにでもなれって感じだわ」
突然告げられた真実の量が多すぎて、俺は完全に思考を放棄していた。いや、したくなったという方が正しいか。
と、その前にだ。約束はちゃんと守らないと。
俺は先輩に「ちょっと待って」と言い、海岸のある方向へと視線を向けた。
すでにタツとヒメも戦闘を終えたようで、ここから肉眼で見えるほどの距離まで駆けつけていた。
その様子を確認すると、俺はアイテムボックスからキャラメルを数個取り出し、二人の方向へと優しく投げた。
「ヒメ、タツ、ありがとう。またいつか頼むよ。ほら、これがキャラメルだ」
「わーい!」
「やったぁ!」
ヒメとタツは難なくキャラメルをキャッチすると、嬉しそうな笑みを浮かべながら体を枯れ葉へと変え、自分たちの世界へと帰っていくのであった。
微笑ましい光景を見届けた俺は、先輩の手を取り扉を潜っていくことにした。
(さて、扉の先には何が待っているのやら)




