SIDE 新田健(LAST)
誰か――。
いや、語り掛けてきた声は確かに女性の声だった。
僕は反応しようと頑張るが、もう自分の体が自分のものではなくなっていた。
口を動かそうにも動かず、手を伸ばそうにも不可能だったのだ。
(……誰なの?)
心の中でそう語り掛けた。
もちろん返答が返ってくるなんて思ってもみなかった。
「ふふっ、久しぶりね。私は……そうね…………シロアよ」
僕は心の中で驚いていた。
でも命が尽きる前にと思い、すぐに心の中で再び呟いてみた。
(そっか、シロアさんか。僕に何か用があってきたのかな? 残念だけど、僕はもう長くないよ。今にも意識が消えそうなんだ)
「大丈夫よ。あなたの命は私が肩代わりしてあげたわ。すぐに意識も戻るはずよ、頑張りなさい」
(……肩代わり? 僕はシロアさんのことをよく知らないけど、そんなことできるの?)
「ええ、私ならば大丈夫よ。命はたくさん持っているから。でもこれはあなたがこの『世界門』開いてくれたおかげよ。私は今までほとんど力を失っていたの、アマダ兄さんに封印させられていたからね。でもこの門を開いてくれたおかげで私は力を取り戻せた。命の一つくらい安い物よ」
(よくわからないけど、シロアさんも死なずに僕もまだ死ななくていいってこと?)
「そういうことよ。さあ、早く戻ってきなさい。もう体は再生しているわ、あとはあなた次第よ。自力で這い上がってきなさい」
(そんなこと言われても何もわからないよ)
「私は今、あなたの精神世界に語り掛けているわ。私の声を、存在を頼りに進みなさい。出口が必ず見つかるから」
(わかった、やってみるよ)
僕はシロアさんに言われた通りに、真っ暗な水の中を進む。
目印も、上下左右感覚も、光も、何もない場所。
だけど何となく、あっちから人の温もりが感じる気がしたのだ。
必死に僕は進み続けた。
そして――。
「……ん…………あ」
気が付いた時には、全身の感覚が戻ってきていた。
口が開き、声が漏れたのだ。
肌感覚的にだが、どうやら僕は海の上をぷかぷかと漂っているようだ。
口を開いて空気を吸ってみると、新鮮な空気が全身に掛け巡っていくのがわかる。
ああ、僕は本当に生きていたんだ。
何とも言えない嬉しさがこみ上げてくる中、ゆっくりと瞼を開いていく。
「――うっ、眩しい」
急に光という情報を得ようとしたからなのか、死の淵を彷徨ったからなのか。
瞼を開けたが、僕はすぐに閉じてしまった。
今度は少しづつ瞼を開けていき、光を体へと徐々に取り込んでいく。
そこには僕を見下ろす四つの影があった。
その内、ある人物の顔を見て僕は思わず声を上げていた。
「あっ、カルナダ姉さん」
「よう、お前が一番弟子の健か! 記憶通りの弱っちい男だな!」
そう、カルナダ姉さんがいたのだ。
驚きを隠せずに大きく目を見開いていると、カルナダ姉さんが手を差し出してくれた。
「すまんかったな、健に嫌な思いをさせてしまって。ほら、立てるか?」
「ああ、うん。ありがとう」
なんだか姉さんに謝られるという不思議な光景に呆気を取られながらも、姉さんの手を借り僕は海面へと立ち上がった。
「おい。感動の再会もいいが、それぐらいにしておけ」
僕が立ち上がってカルナダ姉さんを見ていると、隣で胡坐をかきながら宙を浮いていた髭面のエルフが割って入ってきたのだ。
改めてそのエルフを見る。
見た目は二十代後半くらいだが、口周りに髭を生やしており仙人というよりもどことなくおじさん感が漂っていた。
全身には茶色のよれよれな衣服を身に纏い、さぞ不機嫌そうに胡坐をかいているのだ。
胡坐をかいている膝に肘を置き、頬杖をついている。
そして、やはり耳が尖っていた。
「えっと……」
「いいじゃないか、アマダ兄様。健は私たちのために命を全うしようとしたんだ、少しくらい……」
「そうだよ、そうだよ。アマダ兄さんはぶっきらぼうでただでさえ怖いんだから、初対面の人には優しくしておいた方がいいよ。だから昔から友達が……」
カルナダ姉さんがアマダを宥め、続いてもう一人のエルフが追加口撃を加えた。
さすがに長男であるアマダも二人に言われてヒヨったのか、「仕方がない」と言うのであった。
「健、混乱するのもわかるが一旦落ち着け」
僕がどこを見てどこから突っ込めばいいのかわからずに目を右往左往させていると、カルナダ姉さんが頭を小突いてきた。
「あっ、この感じカルナダ姉さんだ」
「少しは落ち着いたか。一先ず順番に説明したいんだが……アマダ兄様、時間は大丈夫か?」
「おう、心配するな。五分ぐらいなら好きにしていい、ジャビーガもお前のおかげで足止めできているしな」
アマダはそう言うと、とある一点を指さした。
僕はその方向にいたジャビーガを見て、「あっ」と声を漏らした。
そこにいたのは僕が途中で放っていた『ゼロ番』の矢が片腕に突き刺さった、ジャビーガの姿だった。
しかし、様子がおかしい。
まるで時が止まっているかのように固まっていたのだ。
すぐにカルナダ姉さんが説明してくれた。
「ジャビーガの野郎はお前の攻撃を食らって心底驚いていた。その隙を狙ってゲートから出てきた愚弟が時間拘束をしたから当分は現実に戻ってこられないだろう。安心しろ」
「……えっと? 全然状況が飲み込めないんだけど?」
さすがに状況が掴めなさすぎて困っていた。
というか頭の整理が追い付かなくて、考えがぐちゃぐちゃになっていた。
「逆にどこまでわかった?」
「えっと……カルナダ姉さんがいて、そこに浮いている人がアマダ兄様で、そこのカッコいいエルフがサリエスさんでしょ? それで……」
そこまで言い、僕はもう一人いた人物を見た。
ここまでの状況を整理するならば、彼女はシロアで間違いないのだろう。
だけど変なのだ、耳が尖っていない。まるで普通の人間みたい。
とまあ、そこまでいい。
一番の疑問なのは彼女が……。
「あら? 私よ、私」
シロアはにこにこと笑顔でそう言ってきた。
「えっと……赤坂雪葉さんだよね? ほたるんが『先輩』って呼んでるメカニックの人」
「そうそう、それで合ってるわ。覚えているじゃない」
「いや、でも……。えっ? 先輩がシロア?」
「そういうことよ。理解が早い人は好きだわ」
赤坂さん……いや、この場合シロアと呼ぶべきなのだろうか。
シロアはにっこりと笑顔を浮かべ、眠たそうな瞳で僕を見つめながら頭を撫でてきた。
そこでアマダ兄様が割って入る。
「おい、シロア。お前ぇ自分がやったこと理解しているのか? お前ぇが実際にやってないことは知っているが、お仲間さんがわいわい騒いでこうなっているんだぞ? 俺はクソ神どもにオモチャのようにこき使われてだな……」
さぞお怒りの様子で、アマダがシロアへと突っかかっていく。
「だからこうして表に出てきたんでしょ。それにアマダ兄さんこそ、勝手に神に自分を売って、色々とバカしたじゃない。こっちこそ、巻き込まれて今まで力を封印されていたのよ?」
シロアとアマダの間に、火花が飛び散る。
それを見かねたイケメンなサリエスが二人の間に割った入り、にっこりと笑った。
「まぁまぁ、それくらいにしてよ。私たちがこの時間に来た意味、忘れないでよね」
「来た意味って?」
僕は率直な疑問を声に出していた。
この場で俺だけが付いていけない状況を理解してくれたのか、サリエスがゆっくりと口を開いた。
「まずは何から説明をすればいいかな……そうだねぇ。まぁ、端的に目的を言うと『魔獣を生み出す世界システム』の崩壊、かな?」
魔獣を生み出す世界システムの破壊?
僕にはまるで理解ができなかった。
「おい、べらべら喋るのもそこまでだサリエス。あとで全員にまとめて話す、それで十分だろう。この時代の人間もバカじゃない。……そろそろ始めるぞ」
そのアマダの言葉に全員が頷き、無言になった。
どうやら僕の疑問はここまでしか聞いてもらえないようだ。
だけど、あとでは教えてもらえるらしいので僕も黙っておくことにした。
「知っての通り、俺はすでに神と契約し亜神になった。あくまで俺が手を出せる範疇で動くから、あとは任せるぞ。サリエスはロシアにいる【色欲の王】マリノを討ってこい。ついでだ周辺の魔獣もろとも滅ぼせ。カルナダは東南アジア……あぁ、なんて名前の国だったか忘れた」
「アマダ兄さん、今はベトナムって国名だったはずだよ」
「おぉ、そうだそうだ。さすがはサリエス、博識だな。カルナダはベトナムにいる【暴食の王】バッグドラスと【強欲の王】爺やを討ってこい。ついでに周辺の魔獣も殺しておけ、あとが楽になる」
「分かったよ、アマダ兄様」
そうして、二人のエルフの行動が決まった。
サリエスは優雅に体を一伸びさせ、思い出深そうに空を見つめた。
カルナダ姉さんは軽くストレッチを始め、いつでも動けるように準備を始める。
「あぁ、シロア。お前ぇは……」
アマダが考えるように言った。
しかし、シロアはあえて言葉を被せるように話し始めた。
「私はまだやることがあるからパスよ。ほたるんと……そこで固まってるジャビーガ、あと【騎士王】ディエント。彼らの最終戦となる舞台を整えておかなくちゃね」
「そうか好きにしてろ。お前ぇは勝手に転生しやがったからな、勝手に動き回ってるみてぇだからな。俺はとやかく言わねぇよ」
「さっすが、アマダ兄さん」
このとき、世界の歯車が動き出した音が聞こえた気がした。
一体、何が起こるのか。
それを知っているのは、地球でたった四人しかいない。
その四人は全員がエルフであり、兄弟である。
長男のアマダ。
長女のカルナダ。
次男のサリエス。
末っ子のシロア。
彼らが地球でようやく動き出したのだ。




