SIDE 新田健(SECOND)
「嘘っ!?」
「信じられないのもわかるが、真実だ。さて、お前に一つ聞く。貴様は誰の味方だ? 回答によっては戦うまでもないからな」
魔王ジャビーガは静かな声でそう問いかけてきた。
――誰の味方だ?
僕はこの問の真意を掴めないでいた。
誰が味方で、誰が敵なのか、そんなこと考えたこともなかった。
この世界にダンジョンが生まれ、魔獣が地上を蔓延るようになってから人類の敵は魔獣ただ一種だけだと思っていたのだから。
だけど目の前にいる魔王ジャビーガの問いかけはそういう表層の部分を聞いているようには思えなかった。
もっとこの世界にダンジョンという異物が混ざり込んだ、深層の問いかけのように聞こえたのだ。
「誰っていうのが僕にはわからないよ。僕……というかこの世界に住んでる人間たちは少なからず多くの知り合いを、友達を、家族を殺されてきた。もちろん魔獣に」
「なるほどな。お前はカルナダの直弟子でありながら、詳しくは知らぬか。では、改めて問おう。貴様は私の味方になるか? それともアマダの味方になるか? それかシロアの味方にでもなるか?」
「残念だけど僕はアマダというエルフも、シロアというエルフとも会ったことがないからわからないし、彼らが何を考えているのかも知らないよ。だから三人の誰の味方かと聞かれても、答えられない」
「そんなわけはない」
「えっ?」
「貴様はすでにアマダとも、シロアとも会っているはずだ。やつらの匂いが貴様から濃く感じるからな、私が間違えるはずもない」
魔王のその言葉に、僕の時が止まった。
僕のことは僕自身がよく知っているはずだ。
それなのに魔王ジャビーガはさも当然のように、僕がアマダとシロアと面識があると言ったのだ。
もちろん僕にそんな記憶はない。
アマダという名前も、シロアという名前も知ってはいる。
カルナダ姉さんからダンジョンの中で聞いたことがあったから。アマダはカルナダ姉さんのお兄さんで、エルフ四兄弟の一番上のエルフだ。カルナダ姉さんも度々、通信しているようなことを言っていたのでわかってはいた。
シロアも知っている。
エルフ四兄弟の末っ子で、可愛い妹だと言っていた。
カルナダ姉さんは身内であるシロアの暴挙を止めようと、僕たちに『カルナダ式MP操作術』を伝授したのだと聞いている。
そう話だけは知っているが、実物は全く知らないのだ。
さて、ここで嘘を付いたとしてもこの魔王にはすぐに見破られそうな気がする。
そろそろ戦いが始まると思っていいだろう。
僕は情報の断片から導き出した、自分のいる立ち位置をはっきりと口にすることにした。
「あくまで予想だけど……僕はアマダというエルフの陣営だよ」
あくまで僕はカルナダ姉さんの味方という立ち位置だ。
実際に色々と教えてもらい、本当のお姉さんのように今でも思っている。
そして姉さんはアマダというエルフの指示で行動していた。
それから導き出されたのは、僕はアマダというエルフの陣営に所属しているということだ。
実際にアマダというエルフが何を考え、何をしようとしているのかはわからない。カルナダ姉さんが知らないのだから、僕には知る由もないのだ。
「そうか……」
魔王ジャビーガの瞳から興味の色が消え失せた。
完全に僕という存在を否定し、どうでもいいと思ったのだろう。
そしてゆっくりと立ち上がり、指をパチンッと鳴らした。
「では、戦うとしよう。貴様がアマダの味方であるというならば、私と完全に敵対していると言える。さあ、立て。雑談も終わりだ。準備運動を始めようではないか」
魔王の玉座が霧のように掻き消え、僕が立つと同時に木材の椅子も掻き消えた。
「……わかったよ」
僕もすぐに臨戦態勢をとる。
腰に携えていた短剣を手に取り、手の平でくるりと回して順手で構える。同時に逆の手で糸に手を伸ばしておく。
対して魔王は、首をゴキゴキと鳴らすだけで碌に構えている様子はない。
それだというのに隙が一切見当たらなかった。
そんな魔王がどこから取り出したのか、一枚の金色のコインを見せてきた。
「このコインが落ちたと同時に始めよう。存分に力を発揮するといい。そうしないと準備運動にもならぬ」
「わかってるよ」
ゴクリと息を飲み込んだ。
魔王がコインを親指で弾くと、宙をくるくると回っていく。
位置エネルギーがゼロになったところで、コインが一転、下へと真っ逆さまに落ち始めた。
ポチャン、と。
コインが小さな水しぶきを上げた、その瞬間。
僕は『不可視の双糸』スキルを発動し、無色の強靭な二本の糸を意のままに操り、魔王ジャビーガの体をぐるぐる巻き締め付けた。
僕は間を開けることなく『リーフシャドウナイフ』を五本同時に投擲し、魔王の四肢と頭を攻撃した。
「ほぅ、これはいい」
魔王は自然体の表情で言った。
そしてカキンッと音が鳴り、投擲したナイフがすべて魔王の五メートル手前で何かに遮られたのであった。
この音、この感触……僕には覚えがあった。
ほたるんと同じスキル『ハニカムシールド』だ。
だから驚かない。
僕はすぐに次の手を使うべく、魔王の体を締め付けていた『不可視の双糸』をグイッと引きさらに魔王の体を束縛した。
本来であれば、MPを緻密に織り交ぜたこの糸で体を締め付ければバラバラに斬り裂くことも可能な強靭さを持っているのだが、魔王の体に傷一つ付くことはなかった。
それどころか、服にさえ切り込みが入らないほどだ。
それでも僕は次のスキルを行使するために、左手に持っていた糸を口にくわえ直した。
「『属性付与・炎』ッ」
僕はカチッと歯を力強く噛みしめた。
すると加えていた糸から炎が着火し、目にも止まらぬ速さで糸を伝っていく。
そして、魔王の体をボゥと激しく燃やし始めた。
「ほぅ、これも中々に熱い」
それでもなお、魔王はその場から一歩も動かずにいた。
もちろん僕もこの程度の攻撃で終わったなんて思っていない。
魔王を拘束する糸を歯でギリギリと引き寄せながら、背中に背負っていた『宝石和弓』を手に取り、六番の宝石をセットした。
魔王に照準を合わせる。
「ふっ!!」
力いっぱい引ききった弓矢にMPで形作られた薄青い矢が装填され、すぐに解放した。
発射と同時に矢が無数に分裂し、横殴りの雨と見間違えるほどの矢が魔王へと向かっていく。
……それでも魔王は、一歩も動くことはなかった。
「面白い物を持っているな、興味深い」
ただ静かにそう呟いただけでだった
しかし、僕の目的はあくまで魔王の視界を何かで一色に染めることであった。
今、魔王は自分の力を過信していたあまりに、自分の視界に薄青い矢の雨しか映っていないことに気が付いていない。
僕は六番の矢を放ってすぐに、別の宝石を弓矢にセットした。
これは僕がいつかほたるんに認めてもらうために隠していた、秘密兵器だ。
色は無色透明なのだが、宝石の中にはいくつもの星が光り輝いているようにも見える。僕はこれを『ゼロ番』と呼んでいる。
威力、隠密性、一点突破、どれをとっても僕の中での最強だった。
魔王に気が付かれぬように、ゼロ番の矢を静かに空に向かって放っておく
シュンッと矢が空へと飛び立ち、やがて雲の中へと隠れていった。
それを見届けた僕は魔王に悟られぬように、すぐに猛攻を開始した。
「まだまだ行くよ!」
すぐに別の宝石をセットし直し、魔王へと矢を放った。
今度は爆発する矢だ。
と、その時であった。
「そろそろ直弟子らしい戦いをしたらどうだ?」
魔王が矢の雨の中で、パチンッと指を鳴らした。
その瞬間に、僕の放った矢も糸もナイフも全てが白い霧となって掻き消えたのだ。
「私もMP操作術は得意なのだ。稽古の時間といこうじゃないか」
そして魔王が動き出した。
何気ない一歩。
そう見えたが、気が付けば魔王は僕の目と鼻の先で足を振り上げていたのだ。
(横腹を狙った蹴りっ)
僕はすぐに『守りの流水』で行動を感知し、自分の足裏でMPを暴発させアクロバティックに飛び跳ねて回避する。
そのままバク宙の要領でつま先に仕込んであったナイフを使い、魔王の顔へと振り抜いた。
「見事だ」
しかし、ナイフは魔王へと当たることはなかった。
魔王も僕の行動を予測して、蹴りを即座に中断し、後ろに一歩足を引いていたのだ。
「『グラスホッパー』ッ」
そんな魔王を視界の端で捉え、連撃を食らわないためにも空中にスキルを発動した。
このスキルは空中に透明な壁を作り、踏み込むと逆の方向にはじき返す効果の持つ足場である。
僕はそれを力強く蹴り返し、魔王から距離を離した。
「甘い、甘い」
と、思ったがすぐ耳元で魔王の声が聞こえてきた。
ふわりとシャンプーの香りが匂った。
「ぐふッ!?」
魔王の蹴りが背中に当たった。
攻撃の衝撃が体の内部へと侵食し、気が付けば僕は血反吐を宙へとばら撒いていた。
痛みのあまり宙でくの字になり、無防備な姿をさらしてしまう。
「遅い遅い、本当に直弟子か?」
いつの間にか魔王ジャビーガが僕の真上にいた。
天高く足を振りかぶり、踵を腹目掛けて振り抜いてきたのだ。
僕は咄嗟に体を捻り、直撃だけはなんとか回避することに成功した。
しかし、攻撃が掠った部分の肉が裂け大量の血を流してしまう。
(……これはちょっとやばいかも)
そう思い怪我を負った部分を片手で強く抑えながら、海面へとなんとか着地する。
魔王は悠々と海面に着地し、こちらを見つめていた。
(すぐに応急処置をしたいところだけど……そんな余裕はなさそうだな)
「貴様、さてはカルナダの神髄を得ず、奥義もない半端者か。弱すぎて困るぞ」
「神髄?」
「カルナダのMP操作技術は、カルナダの技術があくまで本家だ。そして分家が存在し、分家の者はカルナダ式を最後まで体得せずに、己の奥義を確立する。なぜかわかるか?」
今、魔王が攻勢に出れば僕はジリ貧だというのに、ゆっくりと話を始めたのだ。
僕は不思議にも思いながら、回復するタイミングを得るために会話へと乗る。
「本家に分家、初耳だね」
「そうか、貴様はまだまだひよっ子だ。では、いい機会だ。死者への手向けとして教えてやろう」
「そりゃいいね」
「カルナダの扱うMP操作技術はもはや亜神の領域まで踏み込んでいる。故に、カルナダの技術はどれをとってもすべてが奥義なのだ。もちろん弟子にこれを教えられればいいのだろうが、今までにカルナダのすべてを体得した弟子はいなかった。私でさえ、分家に留まるほどだ」
「弟子って結構いるの?」
「ああ、形は違えど、いた過去はある。……なぜカルナダがすべてを教えられなかったのか。それはカルナダが才能を認め、最後まで教えてもらった者は全員が一年も命がもたなかったからである。カルナダが扱う技術は、誰もが覚えられないのだ」
「それは聞いたことがある。何億人に一人の割合でしか体得できない技術だって」
「それは少し違う。カルナダの言っていたその言葉の意味は、あくまで分家としてカルナダの技術を体得できる割合のことだ」
「分家ってなんなの?」
「カルナダの技術を覚えられなかった者たち、つまり私たちのようなカルナダMP操作技術の表層を扱える者たちのことである。だから私たちはカルナダの奥義を扱えぬ。しかし自ら編み出した奥義であるならば話は別だ」
「どういうこと?」
「分家にもいくつかの流派があり、私が扱うのは『ディエント式MP操作技術』だ。その奥義をもって、貴様を殺してやろう。その身に分家の神髄を味わうがいい」
その瞬間、魔王ジャビーガの存在感が格段と上がった。
これが奥義なのだろう。
そう直感でわかってしまうほどには、体中を目まぐるしくMPが渦巻いていた。それは目で見えないはずのMPの渦が、自然と目で見えてしまほどの膨大な力であった。
青紫色のMPが魔王ジャビーガの体中を螺旋するように駆け巡り、体が活性化しているのか至る所から湯気のようなものが湧き出ていた。
その様子を見て、僕の心臓がドクドクと音を立てていた。
僕はほたるんという最強の人間を目標にして、参考にしていた。だから防御系のスキルは全く取得していなかったのだ。
回避すれば防御はいらない、このほたるんのスタイルを真似していたのだ。
しかし、この時ばかりはその選択を後悔していた。
もはや逃げ場はない。
どう対抗すればいいのかもわからない。
目の前の魔王が今にも繰り出しそうなMP操作技術の奥義に対抗する手段が一切思いつかずに、時間が過ぎてゆく。
「自分の死地を理解したか。では、手向けを受け取れッ!」
そして、魔王が動き出した。
……まるで見えなかった。
言葉と同時にふと姿が消え、気が付いた時に僕は雲を見ていた。
真上には魔王ジャビーガの影が映った。
肉体を限界まで活性化させていたのだろう。
全身の血流が見えるほどに皮膚が赤くなっており、右手にはまるでドリルのように可視化され凝縮されたMPの塊が螺旋渦が巻いていた。
最後くらいあがいてやろう。
そう思って体に力を入れようとした。
(……あれ?)
体に一切力が入らなかった。
「終わりだ……『ディエント式奥義・螺旋屑』ッッッ」
魔王ジャビーガの右腕が僕に向かって振り下ろされた。
その攻撃を僕は抵抗する力もなく、食らった。
「ゴホッ……」
痛みはなかった。
気が付いたらジャビーガの腕が僕の腹を貫いていたのだ。
(ああ、もうダメっぽい)
もうすでに全身の感覚はなかった。
自分でも気づかぬ間に全身から血が抜けていくのが想像できる。
僕は重力のまま頭から海へと落ち、瞼を開くとそこには水しかなかった。
水面に揺れる陽が、小さな空気が上っていく光景が、ダンジョンで切り忘れた長い髪の毛が、赤く染まる水が……僕の最後の光景なんだと知った。
ジャビーガはどこにいったのだろうか。
もう僕に興味もなくなりどこかに去っていったのだろうか。
かろうじて『守りの流水』だけが僕の感覚として残っていた。
あれだけ姉さんと修行して手に入れた思い入れ深い力だったからだろうか。
最後のMpを使って周囲を確認しても、近くにジャビーガの姿はもうないように思えた。
(……ああ、やばい。意識が…………)
視界が掠れていき、意識が遠のいていく。
体は自分の意志通りに動くことはなく、自然界の法則通りに海の底へとゆっくり落ちていく。
(……そうだ、姉さんとの約束)
不意に思い出した。
カルナダ姉さんとの最後の約束を。
ほたるんが神の試練に向かった後、僕はカルナダ姉さんにある物を渡されていた。
召喚術式が描かれている一枚の紙。
カルナダ姉さんには、ある三つの状況のどれかに陥った時に、必ず使ってほしいと言われていたものだ。
一つ、蛍が危機に陥ったとき。
二つ、シロアが生き延び2位から9位が死んだとき
そして三つ――僕が死ぬとき。
(ごめん、姉さん。案外早く、これを使うときが来ちゃったみたい)
掠れゆく視界と意識の中で、何とか踏ん張って頭の中にカルナダ姉さんより貰ったあの紙の巻物の記憶を描いていく。
そうして間もなく、僕の呼びかけに反応して異次元ポシェットの中から望みのものがひとりでに現れた。
僕は全身の感覚がすでにない。
だけどまだ体内のMPだけは辛うじて動かせた。
残りのMPを必死に搔き集め、周囲の海水になじませていった。
そうして周囲の海水を自分の管理下に置き、間接的に海水を操作することで自分の腕を紙の巻物へと近づけていく。
紙の巻物を開くと、そこには見たことのない文字と記号がびっしりと描かれた魔法陣が刻まれていた。
その魔法陣を見た瞬間、どんな言葉を詠唱すればいいのか勝手に流れ込んできた。
これを起動した後、何が起こるか僕は知らない。
命を賭して、一体何が起こるのか。
だけど姉さんから託してもらった最後のお願いで、姉さんが命懸けで僕に託した物だ。
何かきっと……みんなの役に立つんだ。
僕は口の中に海水が流れ込んでくることを怖がらずに、ゆっくりと口を開いた。
開けると同時に海水が勢いよく流れ込み、苦しさが増す。
声は出ない。
それでも口を動かして、疑似的に詠唱することくらいはできる。
「……『世界門』」
召喚術式の中心に指先を触れ、僕は沈みゆく海の中でそう唱えた。
声には出ていない。それでも口を気力だけで動かし、魔法陣が起動を始めたのだった。
体の中から圧縮された僕のMPがどんどんと魔法陣に吸い上げられていく。
(ああ、これが僕にしかできない原因か。……確かにこのMPの吸収量は、カルナダ式を扱えなきゃ補えない放出量だ)
そして、魔法陣が眩しく光り輝いた。
掠れゆく世界の中で、かろうじて目の前の海の中に大きな黄金に輝く扉が現れたのが見えた。
(これが何なのか……こんなにも綺麗なものがなんだったのか、知りたかったなぁ。ごめんねほたるん、あとは妹のことを頼むよ)
そうして僕は目を閉じた。
色々な思い出が脳裏を通り過ぎてゆく。
家族との思いで、何気ない日々。
悲しかったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、泣いた日のこと。
ダンジョンに向かう前にほたるんが妹の症状を緩和させてくれて、妹の笑顔が久しぶりに見れたこと。
……人生楽しかったな。
でも、もう少しだけ頑張れた気もするなぁ。
「そうだね、君を失くすには少し惜しい才能かな」
最後を自覚していた。
その時であった。
女性の声が頭の中に流れ込んできたのだ。




