SIDE 新田健(FIRST)
「うっ!?」
僕、新田健は魔王メインダの猛攻を受けていた。
しかし魔王の拳の威力はとてつもなく強力で、どう頑張っても短剣で威力を少し軽減させることしかできなかった。
結果、僕は七ヶ浜より遥か遠くの沖へと吹き飛ばされてしまう。
拳の衝撃でろくに受け身を取ることすらできずに海面の上を水切り石のように何度も転がり、跳ねあがり、ようやくドボンッと海の中に落ちた。
着水の衝撃が全身に伝い、肺の空気が押し出されていく。
何度も海の上を転がったからだろうか。
海に入った途端に上と下がまるでわからなくなってしまった。
それでも何とか思考を冷静に保ち、僅かに感じる浮力を頼りに水面へと這い上がった。
「ぷはぁっ、今のはやばかったなぁ。これ……どこまで飛ばされたんだろう」
そう呟きながら、僕は海面の上に立ち上がった。
これはカルナダ式MP操作術、応用技術の一つだ。
足裏へとMPの上昇気流が当たるように調節し、逆に足裏からもMPを放出していくことで二つの力が反発し合い、どんな場所でも立つことができる技術だ。
さすがに姉さんのように、戦闘中いつでもどんな場所でも使えるというほど上手くはないけど、立つことくらいなら僕でも大丈夫だ。
今、僕は何度も転がったことで自分の現在地すら見失っている。方向感覚が完全に崩壊していたのだ。
そのため一度目を瞑り、『守りの流水』を最大範囲で展開していく。
(あっちが七ヶ浜か。……ん? 逆側にお城かな? なんだか強い反応が一つあるね)
そんな風に考えていた時であった。
七ヶ浜の方にいるメインダの雰囲気が一段と濃く増したのを察知した。
七ヶ浜の海岸で何かが起こり始めている。
そうと分かり、僕はすぐに行動していた。
一度見つけた城は無視して、七ヶ浜に向けて海面を全力で走り始める。
一分ほど走ると視界にようやく七ヶ浜の姿が見えてきた。
しかし、僕は間に合わなかったようだ。
その事実に気が付き、自然と唇を噛みしめぷつんと血が滴る。
ときすでにNumber7とNumber10の姿は見えなく、海岸で倒れ伏せている戦闘員が何人もいた。
そして――。
「賢人くん!?」
賢人くんがメインダと対峙していたのだ。
僕はほたるんに頼まれたのに……何もできなかった。ただ時間を稼ぐだけのはずだったのに、不甲斐なくメインダの腕力に力負けし、ほたるんの親友である賢人くんを守ることさえできなかった。
賢人くんの胸に大きな穴が開いていた。
僕は自分の無力さに絶望し、思わずその場で立ち尽くしてしまった。
(……間に合わなかった?)
なんでだよ。
こういう時のために、僕はダンジョン冒険者になったんじゃないのか?
守りたい人がいるから、守るための力が欲しかった。
なのに、なのに――。
打ちひしがれていた、その時であった。
「その汚い手を放せ」
賢人くんを助けるようにほたるんが現れたのだ。
僕はその光景を見て心の底から安堵し、救われた気がしていた。
本当はしてはならないのに、僕は安堵してしまったのだ。
ほたるんがいるならば僕はもう、そこに行く必要はない。
自分の不甲斐なさと弱さと強者が来て安堵してしまったことに対し、憤りを覚えていた。
まだ僕は何もできていない。
何かしなくては、僕がほたるんと共にいる意味がない。
何もなかった僕を、ほたるんたちは拾ってくれた。カルナダ姉さんが僕を一番弟子だと言い、優しく、時に厳しく指導してくれた。
環境にこれほど恵まれている人間は一体どれくらいいるのだろうか。
環境が恵まれていたからこそ今の自分に満足せずに、結果を出さなければならない。
そう、僕には誰もが認めてくれるような結果が必要なのだ。
だから、僕は――。
「先走るようでごめんね。でも、僕は結果を出さないと」
ほたるんたちが認めてくれるような結果を出すには、一人であの城に乗り込めばいい。
七ヶ浜とは逆の沖にあったあの反応の大きさからも、空飛ぶ城にいるのは魔王の一人で間違いないはずだ。
それほど強者特有のMPの渦があそこには渦巻いているのだ。
正直、僕が勝てるかはわからない。
だけど、もし勝てたならば……その時はほたるんに認めてほしい。
認めてもらって、隣に立っていれる資格が欲しかった。
「わがままでごめん」
この呟きを誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
それでも僕は七ヶ浜とは反対方向の海上へと一人で走り始めた。
海を七ヶ浜と真逆の方向に走り続けること、数分。
例の城の全貌が視界に映ったのであった。
逆三角形にくり抜かれたような広大な空飛ぶ土地の上に、禍々しい黒系建材で統一された古城。一目見ただけでその異質さが容易に想像できる。
まるでアニメなんかでよく耳にする「魔王城」のような様相に似ていた。
魔王城の周囲には、辺りを黒く塗りつぶしてしまうほど数え切れない魔獣の軍勢がゆっくりと海を行進をしている。
無線で飛び交っていた情報から予測するに、おそらく第五波の軍勢だろう。
要するにここがこの戦いにおける最終ライン。
絶対に何かがいる。いないわけがないのだ。
確信した、その時であった。
「思っていたよりも、良いハエが迷い込んできたな。準備運動程度にはなりそうだ」
空飛ぶ城の庭先から、強大な反応を持った魔人がひょっこりと姿を現したのであった。
まだ遠くてはっきりとは見えないが、魔人の持つMPの渦の歪さが魔王であると物語っていた。
魔王が何かを呟くと、ふわりと浮かび上がった。
そしてゆっくりとだが、確実に僕のいる方向へと向かって進み始めたのだ。
そこでようやく魔王の姿がはっきりと見えた。
見た目はほとんど人間と変わらないが、かなり際どい服装をしていた。
ワインレッドの長ズボンに、スポーツブラのような恰好。その上から申し訳程度に羽織る上着、それでもその格好はおしゃれでというわけではなく、れっきとして装備であるとわかる。
露出したお腹からは白人に近い綺麗な肌が見え、程よく薄っすら見える腹筋から全体的に引き締まった体であることが推測できる。
目は釣り目気味で、初見ではキツイ印象を受ける。
声は男女どちらとも取れるような、非常に中性的な声質だった。
そして、一番の特徴は僅かに尖った耳であった。
カルナダ姉さんほどではないが、確かに目の前の魔王の耳は少しだけ尖っていたのだ。
それが表す事実は――。
「……エルフか、エルフのハーフってところかな?」
その人物は俺の呟きが聞こえたのか「ほぅ」と感心したような声を漏らし、ゆっくりと空を歩きながらこちらに向かってきた。
魔王は二十メートルほど手前の海面で停止して、僕の全身を舐め回すようにじろりと観察し始めた。
そして興味深そうに僕の瞳を見つめる。
「ふむ、エルフを知っているということは……もしやカルナダかサリエスの知り合い……いやアマダの可能性もあるか。それとも…‥‥シロアにでも会ったことがあるのか?」
「なぜそんなことを聞くの?」
「それはもっともな質問だ。良いだろう、時間もまだあることだし答えようか」
そう言うや否や、魔王は指をパチンッと鳴らした。するとどこからともなく骸骨で形作られた禍々しい魔王の玉座が海面に現れたのであった。
それが本当に魔王の玉座という名前なのかはわからないけど、僕は一見してそう思ってしまったのだ。
魔王は徐に玉座へと腰を深くかけ、ひじ掛けに片ひじを突き頬杖をつく。
「お前も少し腰を落ち着かせろ、今は私から何かをすることはない。そもそも上から私を見下ろすな」
魔王は少し不機嫌そうに海面を指さし、座るように指図してきた。
ほたるんならば問答無用で攻撃をしてしまうかもしれない。
だけど、僕は違う。
この魔王と対面して、その強さに身の毛がよだつ思いをしていたのだ。
それに……姉さんたちを知っているような口ぶりだった。
話をしたい、そんな思いが僕の中で勝り始めていたのだ。
言われた通りに座ろうとすると、魔王がもう一度指をパチンッと鳴らした。気が付けば僕の背後に椅子が置いてあった。
その椅子は魔王と同じ骸骨製のものではなく、いたって普通の木製椅子だった。
「人間共は私のこの椅子を大層嫌そうに見るからな。私からの計らいだ、遠慮なく座るがいい。なに、罠などは仕掛けておらん、安心せい」
魔王が嘘をついているとは思えなかった。
その緑色の瞳が真剣にそう語っているように見えたのだ。
「ありがとう」
僕は素直にそう答え、椅子へと腰を下ろした。
とはいっても完全に信用したわけではないので、腰を深くは預けずにいつでも動ける程度には腰を上げていた。
そうしてすぐに魔王が頬杖をしながら徐に口を開いた。
「私の名は【魔知将】ジャビーガ、魔王を統制する管理者だ。お前の名はなんだ?」
「僕は新田健、ダンジョン冒険者だよ」
「ふむ、健という名か。それで……結局、お前は誰と知り合いなのだ? 私は興味がある」
魔王の緑色の瞳が一層ギラリと輝いた。
ここで答えを間違えれば、問答無用ですぐに戦闘が始まってしまう気がする。
正直に答えるべきか、嘘を付くべきか。
……どうせ答えはわからないんだ、正直に答えよう。
「僕はカルナダ姉さんの弟子だよ」
「ほぅ、カルナダの弟子か。それは面白い、となるとお前もあの凶悪なMP操作術を扱う人間か。これは貴重な逸材だな」
「カルナダ姉さんを知っているの?」
「ああ、知っているとも。私も……MP操作技術の後継者だからな」




