カレン、元気だったか?
俺はほんの少しだけ気持ちがブルーになっていた。
久しぶりに強敵と出会えたかと思いきや、ハニカムシールド三枚程度で止められるような攻撃力しかない敵だったからである。
『破壊の王』なんて大層な異名を持っているからには結構楽しみにしていたんだ。
だけど、どうやら今のところ望みは薄そうだ。
憤怒のタルタロスと同列の存在。
ディールが復讐に燃えるほどの『原始の十二王』と一括りに考え、期待していた俺が間違いだった。
確かにそうだよな。
原始の十二王やら、魔王やら様々な呼び方はありそうだが、十二人もいれば強さや性格は十二通りだ。
それに……俺だってあの時よりも強くなってしまったのだから、期待する方が苦ということか。
「あ゛あ゛!? 貴様! 雑魚とかほざいたのか?」
俺の独り言が聞こえてしまったのか、目の前の魔王が大層お怒りの様子だ。
「ねぇ、それが本気なの?」
「貴様ッ! ……いいだろう、安い挑発だが乗ってやろう。精々その間抜けな顔が崩れないといいがなッ!」
その瞬間、魔王ゴートラスの威圧感が数段大きくなる。
元々隆起していた筋肉がさらに隆起し、血管が遠目でも浮き出て見えるほどになっていた。
肌の藍色は一層と深い藍色へと変わり、額に生えていた二本の歪な角は一回り小さくなっていく。
その姿は、まるで北海道で出会った憤怒のタルタロスの最終形態を連想させた。
「それが本気?」
「がはははッ、恐れ慄いたか!」
「へぇ、タルタロスと違ってその状態でも理性があるんだ」
「アロスと一緒にするな、餓鬼がッ! アロスは大罪に捕われた半端者だからなッ! 俺様と一緒にするな、小僧め。それよりも久しぶりの本気だ……失望させてくれるなよ? 俺様は久しぶりに昂っているんだッ」
魔王ゴートラスのふくらはぎが膨れ上がり、海面を力強く蹴った。
その強力な脚力の影響で、蹴られた海面が大きな水しぶきを上げ、数舜の間、視界が塞がれた。
魔王が俺に切迫してくるのは、『守りの流水』でわかっていた。
「食らいやがれぇぇぇぇぇぇ! 『砂化』ッ」
鬼のような形相をした魔王が俺の顔面目掛けて拳を振りかぶった。
俺の直感が「この拳には触れてはならない」と囁いてくる。
「『超級魔法・稲荷の神』ッ」
俺は即座に精霊を解放し、超級魔法を発動する。
不意に体へとミタマ様の姿が重なり、俺の姿も魔法の副次的効果で変化していく。
白い頭髪に、ミタマ様のような和の服装。
そしてケモ耳、尻尾。
さらなる超級魔法の副次的効果により、俺の周囲の空間だけが遅くなる。
幻影回避。
さらにスキルを発動して、俺はスローモーションで流れゆく視界の中、魔王の攻撃を難なくサイドステップで回避する。
「うおッ!? なんだこれ!?」
魔王は拳が当たったと思ったのだろう。
しかし意気揚々と叩きつけた拳は、ブンッと空気を切り裂くような空振り音を空しく響かせた。
それと同時に俺は、魔王ゴートラスの顔面を手のひらで握った。
「モーションでかすぎ。鈍くさい中ボスかよ」
そのまま勢いつけて、魔王の後頭部を海面へと叩きつけた。
海面と言えど、速度と威力を持って打ち付ければそこら辺の岩肌に叩きつけるのと同じだ。
「ぐはッ!?」
後頭部だけが海面へと叩きつけられ、魔王は衝突の影響をもろに後頭部一点で食らう。
魔王の後頭部から血がびしゃりと飛び散り、血反吐が宙を舞った。
「『アイスチェーン・クリスタル』ッ」
俺はさらに魔法を発動する。
握っていた魔王の顔面に氷の鎖を突き刺し、そのまま上へと遠心力を利用して投げ飛ばした。
魔王ゴートラスの体が虚しく宙を舞う。
「さて、この攻撃はどうだ?」
俺はそう呟き、腰に携えていた刀に手を添えた。
カチャリと鞘から抜かれた音が小さく鳴り、俺は赤と橙色で美しい波紋を描かれたカルナダ姉さんの形見を構えた。
「『舞乱れろ・妖刀、枯れ葉』ッ」
下から上へ、空気を裂くように刀を斬り上げた。
その瞬間、刀身からあらゆるものを切り裂く枯れ葉の濁流斬撃が生まれ、魔王へと迫っていく。
きらりと魔王の目が光った。
「『反転』ッ」
空中でなんとか姿勢を取り戻し、魔王は斬撃に対抗するべく淡い光を纏った拳を振りぬいた。
魔王の拳と枯れ葉の斬撃が衝突する。
そして――。
「くっそぉぉぉぉ、化け物がッ!!」
魔王の体が真っ二つに斬り裂かれた。
しかし、すぐに魔王の体の中からドス黒い細い筋肉の繊維が現れ、体を再生しようとニョロニョロ動き出す。
(やはりディールと小太郎の言っていた通りだったか)
人に聞くより自分の目で見たかったのだ、魔王ゴートラスの『再生』能力を。
俺の経験と、サリエス師匠から受け継いだ記憶。
この二つの知識から何かヒントを得られないかと思っていた。
今、思い当たるのは二つのスキルだ。
『錬金再生』、無から有を生み出すように、損傷した部位もMP量次第で何度でも再生できるスキルだ。
そしてもう一つが『吸魂』というスキル、他者から魂を吸い出し自分の命へと変えるスキルである。
どちらもユニークレベルの能力であり、ある意味で非常に危険な能力である。
サリエス師匠が言っていたのだ、「人を辞めるスキルは絶対に習得してはいけない」と。
これはゴートラスが人ではないからできる芸当なのだろう。
それに魔王ゴートラスが、なぜ魔王と呼ばれる存在なのかはっきりと理解できた。
やつのMP量はバカみたいに豊富なのだ。それにあの怪力は少し歪だ。
これらの要素が、やつを魔王足らしめている。
「さて、ネタもわかったことだし、もうお前は用済み……」
そこまで言いかけたときであった。
突然、魔王の背後に黒い影が現れ、再生途中の頭部を両手で覆ったのだ。
「『黒焔魔法・クリメーション』ッ……よくもあんな遠くまで殴ってくれたな?」
両掌からぶわりと黒い炎が溢れ出し、魔王の体を内部からずたずたに燃やしていく。
黒い影、ディールは攻撃後、すぐに魔王と距離を取った。そして憎たらしいほどの笑みで、やり返してやったぞと小さく呟いた。
ディールもディールで、魔王の不意打ちに相当腹が立っていたのだろう。
確かに不可視の攻撃なんて初見殺しにもほどがあるな。
口調や見た目的には単調、直情的な戦いをしそうなのに、意外にも考えを巡らせている魔王って……案外、不憫だな。
「ゴミ虫がッ!」
再生中の魔王ゴートラスがブンッと無造作に腕を振るい、不可視の攻撃がディールへと切迫していく。
しかしディールは先ほどまでとは違い、不可視の攻撃を難なく回避した。
「ふん、二度も通用すると思ったか。気配くらい消すんだな、魔王最弱のゴートラス」
「ざっけんなッ! お前と言い、あの化け物と言い、何だっていうんだよ! クソッ、外れくじだ!」
なぜか魔王ゴートラスは突如として投げやりな攻撃を繰り返すようになった。
いや、力の差を見せつけられ自暴自棄になったというニュアンスの方が似合う気がする。
ブン、ブンと不可視の攻撃が空気を裂く音だけが、寂しく響いた。
「がはぁ、がはぁ……」
魔王ゴートラスが肩で息をしていた。
あれからディールの一方的な展開が続いていたのだ。
不可視の攻撃を回避し、稀に来る遠距離の拳の衝撃波も難なく回避する。そして隙あらば魔王の体に黒い炎をお見舞いし、そのたびに魔王は死んでいた。
そして体が再生する。
その攻防を俺はずっと傍から見つめていた。
俺は原始の十二王とか別に興味はないから、ディールにパスだ。
それにこの戦いはもっとずっと長引きそうな気がするのだ。七ヶ浜へと向かった健が苦戦していなさそうなので、今はこのままMPの温存をさせてもらおう。
まあ、いい感じの言い訳をするならば、俺がここにいるだけで魔王の注意が俺とディールの二人に分散されるから、ディールも戦いやすいだろう。
俺はたまーに「動くよ」的な小さなモーションを起こせばいいだけなのだから。
「やはり『原始の十二王』最弱という噂は真実だったか」
ディールが少し寂しそうに呟いた。
「最弱、最弱うっせんだよ! 大人しく食らいやがれッ!」
再びブンと虚しく空気が鳴る。
「最弱なのは事実だろう。俺が戦ったアロスはもっと強かった、もっと熱かった、もっと死を怖がってはいなかった。対してお前のその姿は何だ。お前は大罪魔王になり損ねた不良品なんだよ」
珍しくディールが饒舌に話した。
「……うるせぇ」
「ふん、言い返す体力も残っていないか。あとお前は何度死を体験するのだろうな。俺の炎は痛いだろう、苦しいだろう。知っているぞ。俺の炎は威力だけではない、敵の痛覚を敏感にさせる効果も持ち合わせているからな」
「……だらだらくっちゃべってんじゃねぇ!」
ゴートラスが必死の形相で海面を蹴り、空中にいるディールへと襲い掛かった。
するとディールがぼそりと呟いた。
「そろそろ終わりにしよう」
「俺様はまだまだ死なねぇ!」
その瞬間、ディールが初めて魔王の攻撃に向かっていった。
二人の距離がぐんぐんと近づいていく。
「『星天流』ッ……プラス『オーバー・ドーピング』ッ」
目にも止まらない速さで空へと駆けあがっていくゴートラスの拳が白く輝き、体中が陽炎のように赤く燃え上がった。
「『超級黒焔魔法・ビッグバン』ッ」
空から急降下して加速していくディールが両手で球を持つように構え、両手の間がバチバチと小さな黒き爆発を起こしていた。
そしてその爆発が徐々に大きくなっていき、あるとき、ディールの両手がカッと黒く輝いた。
その光はまるですべての光を吸収するブラックホールを連想させた。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」
「爆ぜろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
魔王ゴートラスの白い拳とディールの黒い爆発が衝突した。
ドンッと衝撃波が俺のところまで伝わるほどの攻防だった。
周囲にいた人々は、直感で目を覆ってしまうほどの光量を放った衝突だった。
しかし、決着はもうすでに着いていた。
「ぐはッ!? ……くそ野郎め」
ディールの腕が、ゴートラスの胸を貫いていたのだった。
魔王は口から血を吹き出し、目を虚ろにしていた。
「俺の超級魔法は永遠に消えない炎だ。その種火をお前の魂に植え付けた。あとはお前の『命の数』が消えるまで、延々と死ぬことになるだろう」
ディールは魔王ゴートラスの目を見つめながら、そう囁いた。
そしてゆっくりと胸から腕を抜くと、魔王ゴートラスの胸の中にブラックホールのような黒い炎が燦燦と燃え盛っていた。その炎はゆっくりとだが、確実にゴートラスの体を内部から喰らいつくしていた。
「はんっ、ふざけた魔法だ」
ゴートラスは自分の体が徐々に黒い炎に蝕まれていることを悟ったのか、面白そうに笑った。そして再び「ごほっ」と血反吐を吐く。
「……案外、素直に受け入れるのだな」
「俺様を何だと思っていやがる、クソ虫が。俺様は俺様を負かしたやつを認めねぇわけがねぇ。……認めてやるよ、お前は俺様よりも強い」
「ほう、魔王にも人の心があったのか」
「何を当たり前な。……お前が望むのならば、この【破壊の王】の称号を譲ろう」
「そんな魔王の象徴などいらん、豚にでもくれてやれ」
「ぐははははッ、最後まで食えんやつだ」
そう笑うと、ゴートラスは今までで最大の血反吐を吐いた。
一段と瞳が虚ろになっていき、焦点が合わなくなっていく。
死期が近いのだろう。
こんな短い会話の間だけでも、俺が『守りの流水』で見ている限り三百は死んでいる。
「…………最後に……名前を……聞いても……」
その瞬間、ゴートラスの体が前のめりに倒れた。
ディールは鼻息を「ふんっ」と鳴らし、片手でゴートラスが倒れるのを支えた。
そして耳元で小さく呟いた。
「クロープス族の長、ディールである。【破壊の王】ゴートラス、その名を体に刻むことを許せ」
「……ああ…………光栄だなぁ」
その言葉を最後に、ゴートラスの瞳から生気が消滅したのだった。
【破壊の王】ゴートラス。
妹であったカレンを妹の夫であった元騎士に殺され、その復讐に燃えていた。
しかし復讐を終えた先で待っていたのは人成らざる道であったのだ。
そんな悲しき王がここに幕を下ろした。
人を、人ではなくするスキルを手にしてしまい、彼は人ではなくなった。
彼にも蛍のような師がいれば、違う結果を招いていたのかもしれない。
スキルに心を支配され、破壊の衝動に苦しむこと約五千年。
ようやく彼の前に現れたのが、彼を死へと解放させてくれる蛍とディールであった。
ゴートラス。
いや、元はただの村人であったクザンは心の底から嬉しく思っていた。
『ああ、カレン。お兄ちゃんはようやくそっちに行けるようだ。…………また一緒に甘いお芋を食べよう』




