この時代に知る人は多くない
不機嫌さを隠そうともしないジュリオ・チスターナ。
足と腕を堂々と組みながらだが、意外にも素直に作戦に向けた会議の話し合いに耳を傾けてくれていた。
「日本のダンジョンを管理する機関の局長を務めさせていただいております、長瀬次郎と申します。改めまして、ローガン・グレイ様、ジュリオ・チスターナ様、この度は当作戦に同意、参加していただきありがとうございます。では、早速ですが――」
用意された部屋の円卓に座るのは、合計で八人。
アメリカの大統領、グレイ、ロザンヌさん。
イタリアの大統領、ジュリオ、他一人。
日本の卜部首相に、俺、小太郎。
アメリカの場合は、Number2のアリア・キャンベルが参加する予定のオーストラリアとの会議も控えているため、長瀬局長が足早に会議を進めていた。
そんな彼らの視線を一気に集めているのが、スクリーンの前で手を大きく使いながら説明を続けている長瀬さんだった。Number12のアメリアさんが提供してくれた作戦計画書の一部を使用して、サクサクと要領よく内容を纏めていく。
「――と、アメリア・ホワイト様より頂いた作戦計画書には記されておりますので、お二方にはこの地図で示されている『宮城県宮城郡七ヶ浜町小豆浜』にて、集中配置させていただきたいと考えております。ご意見などあれば、お聞かせください」
長瀬局長が聞くと、グレイが徐に手を上げた。
「そこにお寿司はあるかい? ジャパニーズで本場のお寿司を食べてみたいと思っていてね、どこで食べたらいいのかよく分からないんだ」
「ありますが、仙台という土地の名物は牛タンです。もちろんグレイ様がお望みであれば、この後にでもお寿司の方もご用意させていただきます」
「それは本当かい!?」
「もちろんでございます。他にご所望のものがあれば、随時ご用意させていただきます」
「うんうん、いいね~。これがジャパニーズおもてなしというやつかい?」
「はい、そう心得ております。ただし、作戦実行までの期間を考えると、あまり遠出は避けていただきたいとは考えておりますので、ご理解ください」
「大丈夫さ! 僕は他のみんなみたいに心の赴くままに生きてはいないからね」
きゅぴーん、と今にも目の端から星が飛び出て来そうな満面の笑みを浮かべるグレイ。
その後ろでぼそっと「ジョークはよしてください」なんて小言をねちねちと言っているロザンヌさん。
なんでだろうか……。
この二人を見ていると、心に少しばかりのゆとりが生まれるのは。
存外この二人の関係はおかしいのだけれど、ツッコミどころも多いのだけれど、他のシングル冒険者と比べると心がホッコリとしてくる。
「おい、いいか?」
落ち着いた声で、ゆっくりと挙手をしてきたのはジュリオだった。
今の表情は、初期の思っていた印象と少しばかり違った印象を受けていた。不機嫌……というよりかは、真剣に話を聞き、作戦の理解に努めていた感じだ。
もしかしたらジュリオは、元から顔が厳ついだけなのかもしれない、と俺は考えていた。
長瀬局長が先を促すように、手を差し向ける。
「Number1について聞きたい。強いのか?」
ジュリオの表情は真剣そのものであったが、ほんの僅かに子供のような無邪気さが垣間見えていた。
確か、前の会議の時も「日本の1位と会えると思って楽しみにしていた」とベニアミーナさんは言っていた。本当に、心の底から未知の存在であり、世界で一番のNumber1が気になっていたんだろう。
「私よりも、秋川くんが答える方が適任でしょう。私たちにも知らされていないことは多い」
ニッコリと笑顔を向けてくる長瀬さんに、俺は唾を飲み「俺を巻き込まないでください」という視線を送るが、笑顔の防壁に虚しく散ってしまった。
一気に全員の視線が、興味と未知への好奇心と変わり俺へと突き刺さってくる。
俺はバクバクと煩くなった心臓の鼓動に静まるように語り続け、ようやく落ち着いてきたところで、意を決して口を開いた。
この場にいる二人のシングル冒険者の顔を見て、言った。
「正直に言っていいんですか?」
「――ああ、もちろんだ。素直にありのままを伝えろ。じゃないと作戦に支障をきたす」
真摯なジュリオの言葉が胸に突き刺さってきた。
先ほどまでのチンピラのようなジュリオとはまるで違う。これが本当のNumber10、ジュリオ・チスターナだと言っているような表情であった。
ごくりと唾を飲み込んだ。
最初はこの場を濁してやり過ごそうとも考えていたが、その真剣な表情に心を動かされ、俺はありのままの事実を素直に伝えることにした。
目の前にある水を一口だけ飲み、口の渇きを解いておく。そして俺も真剣な眼差しで答える。
「俺はあいつの友達で、親友で、命の恩人です。なので今から言うことは多少の身内贔屓が入ってるかもしれません。ですが、その事実を差し引いて考えたとしても……」
ゴクリ、と誰かの唾を飲み込む音が聞こえてきた。色々な感情がこの会議室には渦巻いているのが、俺には肌身で感じるように分かった。
俺も少しだけ間を置き、言葉を続けた。
「あいつが力の矛先を変えてしまえば、国一つあっという間に滅ぶと思います。もしかしたら俺が思っている以上に強いかもしれないし、今まさにダンジョンで成長しているかもしれない。羨ましいほどに圧倒的で……すげぇやつなんです」
素直に思っていること、あいつへの感情を、俺は初めて外へと吐き出したかもしれない。
羨ましい、こう思うことは間違っているだろうか?
強くて、カッコ良くて、圧倒的で、人を救うことのできる力を持っている親友を羨ましいと思うことは間違っているだろうか?
ただ、それと同時に「俺には無理だ」という感情が押し寄せてくる。
例え俺があの力を手に入れたとしても、蛍のように真っ当に使うことができただろうか。人を救う選択を取ることができただろうか。自惚れなかっただろうか。自分を見失うことがなかっただろうか。
もちろん仮定の結果なんて見ることができない。
だけど、ごくたまにそう考えることがある。
蛍にこの力が渡って良かった、と。
「曖昧すぎるな……もっと具体的に言い表せないのか? 俺たちを引き合いに出したって良い。俺の場合は、動画サイトにも大量に戦闘動画がアップされているから、比較しやすいだろう」
「ニンジャボーイアキカワ、僕も引き合いに出していいから、もっと具体的に戦闘力を教えて欲しいんだ」
不機嫌そうなジュリオの言葉に続いて、グレイも真剣な顔で再度尋ねてきた。
確かにあいまいにはぐらかした言い方をした。
だが――、
「本当にいいんですか? あとで攻めないでよ、グレイ」
「ああ、もちろんだよ。僕は全てを公開しているから――」
このことは言うべきなのかどうか、正直迷っていた。蛍にとっても言ってほしくない事柄であり、おそらくグレイにとっても公開されたくない情報なのだ。
でも、グレイとジュリオの問いに対し、ごく簡単に応えられる方法が一つだけある。
いや、考え過ぎかな。
二人が聞きたがっているんだ、あとで蛍には謝ればいいし、この中で情報を制限すればいいだけだ。
ここで隠す必要もないか。
一つ息を吐き、気持ちを整える。
そして俺は自分の耳たぶを触る仕草をし、グレイへと視線を向けた。
ビクリと体を震わせ、目を大きく見開き驚いたグレイの姿がそこにはあった。同様に、グレイの後ろにいるロザンヌさんの顔が初めて引きつったのを確認した。
俺は意味を含ませて、再度自分の耳たぶを触った。
「もう一度、聞きます。本当にいいんですか?」
俺の言葉に、ほんの一瞬の静寂が訪れた。
しかし、グレイがすぐにコクりと首を振った。同時にきらりと輝く、臙脂色の豪華な不死鳥がモチーフのピアスがそこにはあった。
そう、俺はグレイに初めて会ったとときから気が付いていた。
Number7のグレイが身に付けているそのピアスがなんなのかを。これは実際に触れ合い、近くにいたからこそ俺は認識できたのだ。
グレイと蛍の肌を纏うようなオーラが非常に似通っていることに。
「俺の親友は精霊三体と契約し、その全ての能力を解放できます」
突然、ドンッと大きな何かが脈打つような、強制的な圧迫感が部屋全体に圧し掛かかってきた。
出所はすぐに分かった。アメリカのNumber7、グレイ・ローガンだ。
目の前には椅子に座ったまま純粋に驚きで目を見開きながらも、堂々たるグレイの姿があった。
ただ、その驚きも表面上の物ではなく、心の底から驚きを隠せずに威圧として表面に浮き出てしまったような感じだろう。背後にいるロザンヌさんが驚いていることから、そう推測した。
ゆっくりとグレイの口が開かれてゆく。
「……いつから?」
――いつから気が付いていた?
そう問いたかったのだろう。
しかし、グレイとロザンヌさん以外は、誰も分かっていない様子である。
世界10位であるジュリオでさえ知らない、極秘中の極秘情報。精霊とは、そういう扱いなのだ。
ああ、改めてすげぇよ。蛍……そしてグレイも。
一体どれだけの苦境を乗り越えて手にした力かは俺には理解できないが、そこらへんに転がっているような能力でないことは蛍からよく聞いている。
俺はあえて笑って答えることにした。
だって、グレイとはまだ話したいことがたくさんあるから、こんなところで関係に傷をつけるような対応をしたくはなかったのだ。
「初めて会った時からわかってた。グレイは俺の親友と同じく、精霊と契約を交わした人間だと。どことなく……神聖な存在感が似ているんだよ」
「そうだったのか。ありがとうニンジャボーイアキカワ。ますます僕は……彼と会わなければならなくなったよ。この精霊をもっと知りたい、もっと、もっと……」
「そうだね。恐らくグレイはまだまだ強くなれる、精霊にはそれほどまでに潜在能力が秘められていると親友からは聞いてるからさ」
「そうなのか! それはよかった!!」
「あいつ自身も『まだまだ俺にも引き出せてない力があると思うんだ』って言ってたんだ。先は長くなりそうだね、グレイ」
「ああ、今日は良いことを聞けた。な、ロザンヌ!! 僕はもっともっと知りたいよ! 精霊には未知の部分が多すぎるとは思っていたんだ、だから公開していなかった。それに危険すぎる力だから……でも、もう隠す必要はないのかもしれない。先駆者がいたんだ、僕ごときが悩むことじゃないのかもしれないね! そうだろ?? ロザンヌ!」
子供のように無邪気に言葉を吐き出し続けるグレイを、母親のようにほほえましく見守り「そうですね」と相槌をうつロザンヌ。
端から見れば、その関係は親子のようにも見えていた。
グレイが精霊の情報を公開していなかった理由を初めて知ることができた。
強すぎるから。
確かにそうだ、精霊と契約しているだけでも使える魔法が強力なのだ。
俺もサバイバル時は、蛍の魔法しか知らなかったからあれが基準だと思っていた。
しかし、東京で安全な暮らしができるようになり、蓋を開けてみればどうだろうか。
動画を漁り、ニュースを見て、知り合いから情報を貰って……。
初めて知った、蛍が異常なんだと。精霊が異常なんだと。
この世にある魔法ってそんなに万能な物じゃない。
扱いづらいし、乱発できないし、レベルも全然上がらないし、威力も格段強いわけでもない代物だ。
その点、蛍の使える精霊の魔法ってのは異常だった。
砕けない氷、全てを飲み込む氷、全てを粉砕する氷。
目にも止まらぬ電撃、ビル丸ごと消滅させてしまうほどの高威力な雷、ほぼ瞬間移動。
草木を消しさる風、立つことさえままならない暴風、自動で襲ってくる風鳥。
それゆえに、危険視される。
だから、グレイは今まで精霊に関する情報を公開してこなかったのだろう。
自分でもうまく扱いきれていないのに、未知な情報を流すわけにはいかないと。
「おい、俺にも分かりやすく説明しろ」
ここで完全に置いてけぼりだった、ジュリオが俺に向かって聞いてきた。
俺は慌ててジュリオへと体を向き直し、真剣に答えた。
「そうですね、精霊と契約するということは最上級の魔法を使えるということです。ちなみにジュリオさんと同じく雷系統の最上級魔法を俺の親友は扱います」
その瞬間、ジュリオの顔が無邪気さと獰猛さを兼ね備えたような表情へと変わっていった。
同系統の魔法を使える強者がいる。
その真実だけでジュリオには十分伝わった様子だった。
「秋川くん? 私たちにも分かりやすく説明できるかな?」
すると、長瀬局長が不思議そうにこちらに聞いてきた。
それでもさすがにこれ以上の情報開示はまずいと考え、端的に説明することにした。
「誰でもわかるように要約すると、Number1はグレイとジュリオさんの完全上位互換の能力を手足のように自在に扱えるという、話を二人にはしていました。こんなんでいいですか?」
「あ……ああ、そうか、そうだったのか」
ブツブツと何かを考えるそぶりを見せる長瀬局長。
こうして、俺たち日本の会議は順調に終えたのだった。
結果として、グレイとジュリオはどちらも好意的にこの作戦に参加してくれることになり、半ば大統領の説得を無視する形で日本に留まることになったのである。
それもこれも、Number1への興味という面が大きかったと思う。
それからすぐにこの会議は解散となった。シングル冒険者たちはすぐに各持ち場の国へと飛行機で飛んでいき、戦闘に向けて備えるのだという。
かくして俺たちも先乗りで宮城県へと向かうことになった。
会議から二日後、全世界同時に、同じ内容の政府放送が流れることとなった。
『移動型ダンジョンの組織的移動により、世界的に大規模で同時多発的な戦闘が起こる』
『世界の主要各国はすでに入念な準備を済ませており、一般市民は国家の指示に従い、避難してください』
『安全な場所は、戦闘が想定されていない国……又はダンジョンの半径三キロ以内である』
『日本では、すでに地域ごとにより避難方法は決定しており、自衛隊や警察の指示に従えば期間内に必ず避難することが可能であるため、慌てずに避難すること』
『シングル冒険者のNumber7が日本に配置されており、さらにはシングル冒険者に最も近いNumber10ジュリオ・チスターナもこの日本に配置されている』
日本では数か所で混乱や暴動が見られたものの、すぐに鎮静化され、国民の約九割五分以上が避難を完了したと報告が上がった。
中には頑なに家や島から離れようとしない一般人もいたとか。
そういった人に割く人員は、正直言ってない。ただでさえ、不足している状況であり、避難している一般人にさえもボランティアをしてもらっている始末だ。
政府はそうそうに見切りをつけ、最も肝心な『D侵略防衛戦争』へと注力することとなった。
俺もできる限りの仕事をこなしつつ、迫りくる脅威への準備を着々と進めていったのだった。自衛隊の手伝いをしたり、一緒に戦うチームと連携を図ったり、能力をお互いに理解した。そうして日々を忙しく過ごしていくうちに、時間はあっという間に過ぎていた。
日本にダンジョンと魔獣の大軍が訪れる、当日となった。
「グレイ、綾人さん、頑張りましょう」
「はッはッはッ、頑張ろう! ニンジャボーイアキカワ!!」
「うん、お互い死なないように頑張ろうか」
――2022年7月18日05時12分、日本、宮城県宮城郡七ヶ浜町小豆浜。
ここ『A級指定戦域』は、世界の中でも最も危険と断定された戦域の一つである。
ここに集められたのは、日本の中でも選りすぐりの精鋭たち。
飯尾綾人を筆頭とする日本の高ランカーたちが集まる一級ダンジョン事務所、新選事務所の面々。淡谷小太郎、神達也、龍園事務所の面々。ダンジョン対策機関の精鋭部隊。
そしてNumber7、ローガン・グレイとNumber10、ジュリオ・チスターナ。
何の因果なのか……俺、秋川賢人。
開戦は日の出と同時。
時間になると、水平線から魔獣の群れが押し寄せてくるとアメリアの書類には書いてあった。
残り一時間もないこの場は、この時代では誰も知らない戦の緊張感に包み込まれていた。
そしてもう一つ。
誰もが待ちに待っていた世界最強の男、雨川蛍。
彼は時間になっても、この場に現れることはなかった。
それでも魔獣が待ってくれるはずがない。今ある戦力で対抗するほかないのである。
「閃光弾、放てっ!!」
海岸沿いに設置された砲台から、再び砲弾が海に向かって放たれた。
まだ日が出ておらず海上の様子を確認するために定期的に放たれていた砲弾は……。
これが最後となった。




