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夜襲

 俄に風や雨が強くなり始めた。どうやら暴風圏に入ったらしい。忠家たちは急いで船屋形へと駆け出した。

 

 数日たったが、天候は一向に回復しない。グラーングラーンと船は大いに揺れた。

 

 船員以外は皆少なからず船に酔っていたがなかでも一番酷かったのは早川であった。彼女は食事も喉に通らない風情で、顔を真っ青にして臥せていた。体力が落ちるとますます酔いが酷くなるので、忠家は何度も無理に食べさせようとしたが、その度に戻してしまっていた。

 

 「早川殿自然薯をすりましたぞ」と忠家は今度は胃腸に優しいとろろを食べさせた。

 

 早川はゆっくりとお椀を傾ける。「鮎のだしがきいていて美味しい」彼女は消え入るような弱った声で言った。

 

 「それは良かった」どうやら彼女は悪循環を脱したらしく、忠家は大いに安堵した。

 

 波も幾ばくか落ち着いたせいか、やっと早川もまともに口がきけるようになった。

 

 「港には後何日ぐらいで着くのかの?」

 

 「船頭の話では四日程らしい」

 

 「まだそんなにかかるのか」

 

 船酔いも良くなったとはいえ、まだ完治した訳ではない。早川はため息をついた。


 忠家はおもむろに立ち上がり、「もう風も弱くなったし、一度外に出ないか」と提案した。


 「新鮮な空気を吸えば酔いも治まるさ」

 

 それに早川は小さく頷く。

 

 忠家はゆっくりと障子を開け、二人は外に出た。

 

 夜風が心地よい。満天の星や十六夜がきらびやかに輝いていた。


 「昔こうしてよく二人で星や月を見たなぁ」早川はとても感傷深そうに言った。

 

 「忠家、思い出せんか」彼女は尋ねる。

 

 彼は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

 「そうかぁ」早川は項垂れる。

 

 「いつか必ずわらわとのこと、思い出してくりゃれ」

 

 「ええきっと」忠家は大層力強く答えた。

 

 

 しばらくして早川は屋形の方に戻った。忠家はもう少し夜景を眺めたいとその場に残る。

 

 もう日の変わるような時間帯だから、船上には誰一人いない。彼はぼんやりと船首に座っていた。

 

 何やら後ろの方で音がした。忠家は振り返る。何やら黒い影が屋形の方で蠢いていた。彼はやおら腰の太刀を抜いた。そしてゆっくりと忍び寄る。

 

 影の一つが、こちらを向いた。どうやら気づかれたらしい。彼らは忠家の方へと駆け寄った。

 

 忠家は狼狽えながらも「身は武内忠家である。貴様等は何者じゃ」と大音声で呼ばわった。

 

 「貴様が忠家か。船に火をつけて皆殺しにしようと思っていたが、丁度良い無益な殺生をせんですんだわ。」賊の棟梁は不敵に笑った。賊は二十人程いたであろうか、明らかに一人では分が悪い。


 「残念だが屋形の入り口を塞いだからお仲間を呼んでも直ぐにはこれまい」賊の棟梁はニヤニヤと忠家を見た。

 

 「者共討ち果たせ」そう棟梁が言った刹那である。忠家は疾駆し、賊の一人の腹を薙いだ。


 鮮血が飛び散る。忠家の桔梗色のひたたれには血が花びらのごとく染み付いた。彼はこの時始めて人を斬った。動揺しない訳がない。だが、忠家はその強靭な精神力でそれを封殺していた。

 

 「えっ」賊たちはひるんだ。この青年にここまでの勇気があるとは思いもよらなかったのだ。

 

 その間隙を忠家は決して見逃さない。たちまち二、三の賊の首が宙を舞った。

 

 「者共落ち着けぇ敵は一人だけだ。取り囲んでぶち殺せぇ」棟梁は下知した。

 

 四方に散った賊どもはジリジリと距離を詰めてきた。(まずい囲まれる)忠家は焦燥した。彼はゆっくりと敵を見回す。丁度、船首の方角に、囲いに穴があった。忠家は走った。

 

 彼は走りながら賊に斬りかかる。局所的には一対一ないしは一対三の、戦いに持ち込もうとしたのだ。なるほど数の不利を覆す上では良い策と言えよう

 

 これはかの剣豪宮本武蔵もとった戦術だ。彼が吉岡道場二百人斬りを成し遂げられたのも多分にこの策による。

 

 だが、忠家にとって不幸だったのは戦場が狭い船上であったことである。結局は狭められた包囲に閉じ込められ、手も足も出なくなった。

 

 後ろは琵琶湖だ。(飛び込もうか)と考えないこともない。だが、(一軍の将が賊風情に背中を見せたとあっては天下の笑いものだ)とこの青年はより強く思うのだ。

 

 「死ねぇい」と賊が一斉に斬りかかかってきた。(もはやこれまでか)と達観したその時、屋形の方から稲妻がほとばしった。それは賊どもの体を焼く。彼らは倒れた。ピクピクと痙攣していたが、直ぐに動かなくなった。

 

 「下郎めがわらわの忠家には指一本触れさせぬぞ」屋形の方から声がした。忠家は視線を向ける。どうやら放ったのは早川であったらしい。

 

 「ばっばけものだこいつは勝てねぇずらかるぞ」賊たちは大いに狼狽え、乗ってきた笹舟に飛び乗り、去っていた。

 

 「忠家、大丈夫か」早川は大変心配そうに尋ねる。

 

 「ええなんとか」彼は呆然としている。

 

 もとより忠家は早川が秘めている不思議な何かに気がついており、だからこそ彼は人から「忠家殿、物見遊山に行くのではないのですぞ」などと苦言を呈されても、童女の彼女をこの遠征に連れてきていたのだが、目の前に起こった超常的な出来事に驚きを隠せない。

 

 「さぁ中に戻ろう」早川は優しく語りかけた。

 

 「はい」忠家はゆっくりと頷いた。

 

  



 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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