悪役令嬢鈴子
越前守の屋敷の縁側に二人の女がいた。「鈴子お嬢様あれなるが忠家めにございます」従者は指差す。
鈴子は鋭い視線を注ぐ。(兄上を差し置いてあの下郎を大将にするとは父上は狐にでも憑かれたか)勿論彼女はこの裏にある政治的な取り引きを知らない。
鈴子からすれば、無位無官の忠家が、(一応正七位を賜っている)兄にまさる栄誉を受けることがすこぶる面白くない。かといって彼女は兄の出馬を望んかといえばそういう訳ではではない。むしろ敬愛する兄が戦場で命を落とすことを恐れ、彼を止めるであろう。
(憎い憎い忠家ごときが。殺してくれる)彼女はヒステリックにそう思った。
「ところでお春、賊は懐柔できましたか」鈴子はかたはらの従者に尋ねる。彼女は一隊が通ることとなっている琵琶湖の賊に、忠家を殺させようと考えていた。
「はいそちらの方は抜かりなく」
「していくら掛かりましたか」鈴子は扇子を開く。
「えっと二十貫ほど」
お春がそう答えた瞬間、鈴子は力一杯扇子を降り下ろした。「このうつけめ、賊風情に二十貫もかけるでない。」
(賊とはいえ命懸けのことなのだ。二十貫なら安いものではないか。)お春はそう思ったが決して口には出さない。反駁すれば今度は扇子ではすまないであろう。
(後は朝倉殿を調略すれば)鈴子はこれには自信があった。忠家が死ねば自動的に副将の朝倉が、大将になるのだ。元来虚栄心が強く、忠家の下風に立たされ、自尊心を酷く傷つけられていた朝倉は喜んで誘いに乗るであろう。
結局は彼女の兄より家格の劣るものが、指揮官となるわけだが、一応朝倉は八位の位にあり、そして数々の武功を上げた人物だからさりとて怒りもわかないらしい。
(今に見ておれ忠家め)鈴子は深くそう思った。
この鈴子の企みを忠家はつゆ知らない。彼はぼんやりと柱を眺めていた。
「立派な柱でございますね早川様」
早川は少し困った顔をした。「いい加減その早川様というのを止めてたもれ」
「貴女様は織田神社の神の使いにおわしましょう」こう思うのも無理はない。夜、彼の寝床に現れ誰よりも早く織田神社の神託を(あくまで彼がそう思っている)伝えたのだから。
「そのような大層なものではないと何度も申しておろう」
「しかし…」
「しかしもなにもないともかく止めよ」
「分かりました早川殿」彼は一応承服した。
ふと忠家は庭の池を見た。池には鮮やかな模様の鯉が泳いでいた。
「これがかの有名な錦鯉か。なんとも美しい。」彼は初めて見る錦鯉にまるで子供のようにはしゃぎ出す。
(そういうところは小わっぱの頃から変わらぬな)早川はくすりと笑った。彼女はまるで我が子を見るような目で忠家を見つめいていた。
「これこれあまりそう身を乗り出しては危ないぞよ」彼女がそう言い終わるか否や、ざっぶーんと小さな水柱が上がった。
(こういうどんくさいところも変わらぬな)早川は呆れ顔で、手を差しのべた。