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おいでませ落語研究部へ  作者: 椿
「仮入部」の話
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演目『高校生』

 待ちに待った高校生活の幕開けは、波乱に満ちたものだった。

 と同時に、私にとって、悪意と敵意が渦巻いていた中学では無かったような賑やかな日常の始まりでもあった。



 四月某日の、火曜日。

 午後三時頃のことだ。

 東京都某区。JR某線のA駅から古今高校まで続く、ほぼ一本道となっている通学路にて。

 波乱の合格発表から、約一ヵ月半が過ぎた。時が流れるのは早いもので、今の季節は春。まるで今にも幕を開けようとする新生活を祝福するかのように、各所各所で満開の桜が咲き乱れている。

「――寒っ!」

 身体に染みわたってくる針のような寒さに、思わず身震いをする。長い間ずっと待ち侘びていた春なのに、冬の名残なのか寒気だけは頑固に残っているようで、身体的にはまだまだ冬の気分だ。

 しかも今日は、桜の季節にはやや似合わないような、薄っすらと雲が掛かった空(世間では、このような天気を「花曇り」というようだ)が目立っている。それに加えて、冷やかさを含む風が時々吹き込んでくるので、高校生活の記念すべき一日目だというのに、どんどん足取りがゆっくりになっていく。

「あ~あ、今日で実質春休み終わりかぁ~。本当は明日までなのに。ったく、部長め」

 寒さに震えている隣で、ブツブツと恨み言を呟きながら歩いているのは、古今高校の紺一色の制服を身に纏った菜花。私も同じように制服を着ているが、今日はあの野暮ったい鼠色のものじゃない。

「杏ちゃん、やっぱり古今の制服似合っている! 可愛い!」

「え、えぇ、そうかなぁ……何か、着られている感じはするけど……」

「まあ、ちょっとサイズが大きかったのかもね」

「うん……あと、足の親指が痛い……」

「革靴なんて、そんなもんだよ! 私だって、未だに足の指痛いもん」

 菜花と会話をしながら、自分の着ている制服をジッと眺める。鏡が無いから、自分自身が他人から見てどう映っているのか分からないが、少なくとも古今高校の生徒には見られているだろう。

 初めて袖を通した、上下紺一色の、皴一つ無い真新しい制服。中学の頃からずっと憧れだった、おろしたての黒のハイソックスと茶色の革靴。そして、新しく買ってもらった、ワンポイント付きの黒い革のスクール鞄……自分が身に着けているどれもこれもが初めてのものばかりで、ウサギがピョンと跳ねるように、胸が波打つように弾む。今までずっと感じていた、あの鬱々とした気分なんて何処にも無い。

「あ、杏ちゃん。リボンが曲がっている。ちょっと止まってて」

 菜花は、私の白いシャツの襟元についている紅いリボンを手に持ったかと思うと、正しい位置に直してくれた。

 古今高校の女子の制服には、指定の紅いリボンがある。自分で結ぶ方式ではなく、最初から結ばれた形のリボンに紐がついているだけだが、慣れないうちはよく曲がってしまうものらしい。

「えっ? あ、ありがとう」

「リボンきつくない?」

「うん、大丈夫だよ」

 頬を緩ませながらそう言うと、菜花は、安心したようにニッコリ笑った。どうやら、今度は上手く笑えたようだ。

「良かった! 杏ちゃんが学校嫌がらなくて!」

「当たり前でしょ。幼稚園の頃の私じゃあるまいし。今度こそ友達作って、小学校の頃みたいに楽しく過ごすんだ」

「うん、頑張ってね」

 やや強がりが入っている私の決意表明に対し、菜花はお日様のようにキラキラと輝く笑顔を保ったまま、大きく頷いてくれた。拙い言葉なのにこうやって受け入れてくれて、とても嬉しい。

 自分の言った言葉をきっかけに、ふと、幼稚園時代の思い出が蘇ってくる。幼稚園に入園したばかりの頃は、お母さんと別れるのがとても嫌で毎日のように泣いていた気がする。そして、ひどい時は、一つ上のクラスにいた菜花にしがみついて離れなかったような。

 しかし、今はもうそんな面影は無い……はず。

「それにしても、周りにコンビニとかドラッグストアとか、色んなお店があるね。駅の近くに商店街もあったし。何か、ちょっと寄り道したくなるなぁ……」

「えっ? 高校入ったら、寄り道解禁だよ?」

 私の何気ない呟きに対し、菜花が目をパチクリさせながら、不思議そうに返してきた。そこで、漸く自分の立場に気づく。

「あっ……そうだったね。小中学校の頃はうるさく言われていたから、つい。でも、もう高校生だなんて、まだ信じられないなぁ……」

 高校生。

 それは、今まで雲の上のもののように感じていた単語だった。改めて口にしてみると、嬉しさと一緒に照れ臭さのようなものも込み上がってきて、まるで身体全体をくすぐられるようにムズムズする。あまりにもくすぐったいので、つい二つ結びの髪をギュッと握りしめた。中学の頃より大分伸びて、今や腰辺りまでだ。

「さて、確かあいつ部室で待っているんだったっけなぁ……」

 漸く、目的地である校門の前に着いたところで、菜花はスカートのポケットから携帯を取り出し、目がくらむような滑らかな動きで操作し出す。

 ここは、都立古今高等学校。

 東京都某区に位置するその高校は、T大といった高偏差値の大学の進学率が高い学校ではなく、かと言って、カトリック系や仏教を信教している学校でもない。何処にでもあるような、普通の男女共学高らしい。菜花によると、地域にとても愛されている学校らしく、そのお陰か多方面で活躍しているという。

 そして、古今高校の校門の側にあるのは、薄紅色をした桜の花が綺麗に咲き渡った木々。花で覆われた枝は容赦無く風に揺さぶられ、その度に幾つかの花弁を地面に落としていく。まるで、これから仲間入りする新入生を迎えているかのように。

『盗作犯のくせに』

 去年だか一昨年だかに、クラスメートから言われた言葉が不意に蘇り、胸がキュッと締め付けられるように痛くなる。しかし、それも三月の卒業式でお終いだ。あとは、空白の日々を取り戻すように、ここで楽しい学校生活を送るだけである。

 もう絶対、中学みたいな怖い思いをしたくない――。

「部室だって。行こっ!」

 やがて、確認を終えた菜花が肩を叩いてくれたことによって我に返った。そして、目の前を生き生きと歩き出す菜花の背中を追って、再び歩き出した。

 学校説明会や入試関係以外で来る古今高校は、春休み中なのに関わらず、勇ましい掛け声や吹奏楽の音、発声練習の声など、賑やかな音の数々が各所各所で聞こえてくる。また、目の前を運動部らしき集団が通り過ぎて行ったり、金管楽器を手に持って慌ただしく駆け回る生徒がいたりと、誰もが熱心に部活に取り組んでいる様子だった。

 歩いているうちに、だんだんと、白とクリーム色を基調とした校舎が見えてくる。ついこの間、この校舎の中で入学試験を受けたばかりである。校舎が見えてきたところで、二手の分かれ道へ行き着く。私達が向かっている間も、何人かの生徒とすれ違ったが、まるで吸い込まれるように校舎のほうへ向かっていった。

「あの、落研の部室って、校舎の中にあるの?」

「ううん。古今高校にはね、部室専用の建物があるんだよ。普通の校舎と離れているから、ちょっと行くの面倒臭いけどね」

「えっ」

 菜花は、普通の校舎に向かう生徒達に惑わされることなく、もう片方の道へ進んでいく。

 私達の歩いている道には、プールや小体育館等の小規模な建物が散らばっている。そこですれ違う生徒は大抵が小体育館に向かっているが、その奥へ行こうとする生徒は見かけない。やがて小体育館の目の前を過ぎてしまえば、いつの間にか人気が無くなっていった。こんな寂れた場所に、本当に部室専用の校舎が建っているというのだろうか。

「ほら、ここが部室棟だよ。随分奥のほうの、目立たないところにあるから、分かんない人多いんだよねぇ」

 菜花が「ここ」と指をさした方向には、三階建ての古びた校舎がポツンとあった。

 私達がよく知っている普通校舎は、何年か前に新調されたばかりらしく、外観も設備も、比較的新しいものとなっている。だが、通称「部室棟」と呼ばれているこの建物は、一昔前に建てられたのか、灰色混じりのくすんだ色合いが目立っている。そして、何よりも、人気を全く感じない。校舎から離れた位置に立っているというのもあるが、それにしても静まり返っていて、少々不気味さまでも覚える。まるで廃校舎のようだ。

「古い……」

 言い表すならば、その一言に尽きる。

「でしょ? 何でも、旧校舎を無理矢理建て替えたとか。そのお陰で、幽霊が出るとかの噂も尽きないんだよね」

「ゆ、幽霊!?」

「大丈夫! ただの噂だよ、そんなの。まあ、でも、一人で夜遅くまで残るのには、結構勇気がいるんだけどね……あっ、あそこが入り口だよ!」

 そう言いながら、菜花は、弾んだ足取りでどんどん前に進んでいく。そんな菜花とは対照的に、私は影のようにオドオドとついていくだけだ。

「……お~い」

 微かであるが、何処からか、誰かを呼ぶ声が聞こえる。

「えっ?」

 振り返っても、誰もいない。だが、声はエンドレスで聞こえてくる。不思議に思って、すぐに辺りを見渡してみたところ、その声の主はすぐに判明した。

 部室棟の三階部分の窓から、身を乗り出して、大きく手を振っている少年が見える。彼は、落語研究部の黄蘗部長。合格発表の日、私を落研に勧誘した張本人である。

「やだぁ、どうしよう。噂の通り、幽霊が現れちゃったみたい……」

 意気揚々と先頭を歩いていた菜花だが、いつの間にか後ろのほうに下がっていて、ガタガタと震える両手で私の両肩を掴んでくる。

「杏ちゃん、聞こえたでしょ? さっきの、変な声ぇ……」

「え……ええっ……」

 菜花は、何処からか聞こえてくる謎の声に怯えている……のではなく、わざと怯えている演技をしている。その証拠に、怖がっている表情をしている菜花の瞳に、薄っすらと笑みが浮かんでいる。明らかに、冗談を言うようなふざけた笑みだった。

「おいっ、ナッパ! てめえの血は何色だ!」

 続いて降ってきたのは、先程の陽気な声とは正反対の、雷が落ちたかのような怒鳴り声。そして、三十秒位沈黙が流れたかと思うと、今度は声の主が怖い顔をしながら私達の前へスタスタと現れた。

「あら、誰かと思えば」

 菜花は、わざと驚いた表情を作りながら、ヘラヘラッと言う。

「嘘つけ! 『誰かと思えば』じゃねえよ! お前、ぜってえ知ってただろ!」

「え~、何のこと~?」

「うっわ、そのぶりっ子みてえな言い草、超ムカつく! そんなんだからお前モテねえんだよ!」

「はあぁ!? ぶりっ子って、どういうことよ!」

 お互いに怖い顔となり、喧嘩寸前となる……だが。

「おぉっ! そこにいるのは、杏姫かぁぁっ!」

 部長は、菜花との喧嘩を放棄したと思うと、表情を変えて私のほうへ近づいてきた。

「ひ……ひめ……?」

 唐突に部長が意味不明な単語を言い出したことへの驚きの余り、挨拶をするのも忘れて、聞こえてきた言葉を、そっくりそのまま反復した。人間というものは、理解不能なものに遭遇すると、自然と思考がフリーズするように出来ているのだろう。

 姫。英語で言うと、「プリンセス」。それは、童話やファンタジー、時代劇に出てくるようなヒロインを示している単語である。私の知っている話の中で出てくる姫は、大抵、華奢で可愛くて、美人で、性格がとてもお淑やかな女の子(女性)ばかり。むしろ、姫というポジションはそういう要素を兼ね備えた人がなるものであって――。

「ああ! 見た目も性格も姫っぽいから、今日から君は杏姫!」

「えぇぇ……」

 頭の中で繰り広げられている解説が終わる前に、部長によって、私のニックネームが決まってしまった。

 まず、私の何処が姫っぽいのか、皆目見当もつかない。姫と認められるような要素の欠片も無い私が、姫と呼ばれるポジションに立つなんて、有り得ない話ではないか。可愛い女の子なんて、探せばいくらでもいるのに……そんな言葉の数々が頭の中に浮かんでいるものの、それを言葉にするのはかなりの勇気が要る。

「どうした、杏姫! もしかして、部室棟の入り口か!? なら、こっちだぞ!」

 戸惑いの気持ちに気づいていないだろう部長は、意気揚々と部室棟の入り口まで案内する。

「いつものことなのよ。部長が、部員一人ひとりにあだ名つけるの」

 歩いている最中、菜花が耳元でコソッと囁いてくる。

「そうなの……?」

「私なんて、初めて会った瞬間にいきなり『ナッパ』って呼ばれたからね」

「あぁ……そういえば……」

 確かに、部長は菜花のことを『ナッパ』と呼んでいる。『杏姫』もそんな感じだろうけど、どうして「姫」なんてつけられたのか、腑に落ちない。

 少し歩いたところにあるやや錆びついた庇の下に、それはあった。古びた灰色のコンクリートの階段を三段上がったところに、セロハンテープの跡が目立つ横開き式の窓サッシ付きの扉。それは、小中学校の頃の体育館や校舎にあった非常口を思い出させる位に、小さい出入り口だった。

「あっ、非常口……」

 扉の上のほうに、国際的にも有名な緑の標識がしっかり取り付けられていた。改めてよく見ると、所々に旧校舎の名残が残っていると思う。

「あっ、そうそう。ここね、土足厳禁なの」

「えっ、そうなの?」

 扉をガラリと開けながら、足拭き用のマットの上で革靴を器用に脱ぎ出す菜花。脱いだ革靴はというと、ご丁寧に置かれている木製の下駄箱に仕舞われた。私も、目の前にいる菜花に倣って、真新しい革靴を下駄箱の中に入れる。こうして部室棟校舎に足を踏み入れた瞬間、木の甘ったるい香りが、鼻孔をくすぐった。

「うぇ……ここ歯医者の匂いがして気持ちわりいんだよなぁ……」

 部長は、その木の香りに対し、眉をひそめている。

 初めて入った部室棟校舎。そこは、まるで一昔前にタイムスリップしたのかと錯覚する位に、昭和っぽさを感じさせるような古臭い雰囲気が漂っていた。日があまり当たらないせいか、昼間なのに廊下の先がぼんやりと薄暗い。まるで、異世界の空間に迷い込んだようだった。


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