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おいでませ落語研究部へ  作者: 椿
睦月〈晩冬〉 ~古典芸能部一年 南雲千草~
5/52

「ちょっと杏ちゃん、どういう事っ!?」

 その日の午後三時頃。

 菜花は学校から帰って来るなり、すぐさま私の部屋に乗り込み、のんびりと椅子に座っていた私の両肩を揺さぶりながらこう問い詰めてきた。いきなり肩を掴まれたことで、危うく椅子から転げ落ちそうになったが、どうにか堪えて菜花の顔を見る。

 今の菜花は、なまはげのごとく、怖い表情をしている。

「部長にメアドとか教えたの!?」

「そこっ!?」

 予想に反した質問に、椅子から転げ落ちそうになる。

「杏ちゃん、大事なことだよ! 二回しか会ったことのない男の人に、簡単に個人情報教えちゃ駄目でしょ! 今回は相手が部長だったから良かったものの、もしその人が悪い人だったら、狙われて、一生付きまとわれるかもしれないんだよ!?」

「……はい。ごめんなさい」

 菜花にとって一番の怒りのポイントは、そこのようだった。確かに、二回しか会ったことのない部長に個人情報を教えたのは、少し軽率過ぎた気がする。完全に、自分の単純思考が仇となっている。

「あと、何で杏ちゃんが落研のグループにいるのよ! まさか、部長に無理矢理――」

「ううん、違う。それは、私が決めたの……ごめん」

 そのことに関して、私は事実を伝えることと、謝ることしか出来なかった。

 菜花が怒るのも無理は無いだろう。何故なら、今日の合格発表日、落研の部長である少年に言われるまま、何も相談せずに落研に入部してしまったのだから。

『まずは、グループリストに登録するぞ! それで仮入部だ!』

 それが、部長の第一声だった。

 今の時代、世界中で有名となっている某メッセージアプリで、やり取りするのがもはや常識となりつつある。アプリ内の「グループリスト」を使えば、そのメンバーのみ共有出来るメッセージを簡単に送ることが出来る。また、そのアプリ内では、堅苦しさが残るキャリア形式のEメールと違って、気軽な吹き出し型で表示される為、メッセージの返信もEメールよりも遥かに楽になり、文章に迷ったらアプリ専用のスタンプ一つで返すことも可能だ。勿論、グループリスト専用のアプリではないので、どちらかというと一対一の個人的なやり取りで使われることが多いのだが。

『ほい! これで、今日から君は落研部員だ! 他の部員の奴らには俺が話をしとくから安心しろ!』

 部長は私の携帯を取り上げたかと思うと、真っ先に自分の連絡先を電話帳アプリに登録した。続いて、メッセージアプリに入って操作を始め、漸く返された時には、いつの間にか部長が友達登録されており、その上、落研のグループリストにまで入れられていたのだ。

 その時の部長の顔は、まるで水を得た魚のごとく生き生きとしていたのを覚えている。『あっ、前も言ったかもだが、俺は落研部長の黄蘗晴人! 来年は二年だから、杏とは一つ違うな! まあ、俺のことは、気軽に部長って呼んでくれ!』

 グループリストの登録を終えて、意気揚々と自己紹介していた部長であるが、やがて古今高校の先生らしき男の人にポンポンと肩を叩かれ、そのまま連れて行かれたのだった。

 その人は眼鏡を掛けたお爺ちゃん先生であるが、漫画に出てきそうな、かなり怖い先生であることは、この後派手に飛んできた説教の声を聞く前に想像ついた。何故なら、それまで頬を紅くしていた部長であるが、みるみるうちに血の気が失せて真っ青な顔になっていったのを見たのだから。

 部長が拉致されてから暫くの間は、醒めない夢の中を彷徨っているかのようなおかしな感覚だったが、入学手続きの書類を貰ったり、中学校に戻って先生に報告を入れたりしているうちに冷静になっていき、家に帰ってこれからどうしようか考えているうちに菜花が現れ、今に至るというわけだ。

「あいつ、一時間目の授業いなかったから、いつものようにお腹壊してトイレに籠っているのかと思いきや、杏ちゃんを勧誘していたなんて、信じらんない……今日の昼休み、いつの間にか杏ちゃんが落研のグループリストに入っているのを見つけて、蓋の開いたお弁当箱落としちゃったからね」

 話を全て聞いた菜花が、途端に呆れ顔になって、大きな溜息をつく。

 恐らく、お弁当箱を落としたことで、教室の掃除に加え、昼食を新たに買い足さなければいけない任務までも生まれてしまったのだろう。菜花には、かなり申し訳ない事をしてしまった。

「ごめんね。勝手にこんなことされて、迷惑だったよね。何も相談しないで、いきなり決めてごめん。そうだよね、落語のこと知らない私が入るなって話だよね……」

 きっと菜花は、私が勝手なことをしたことに怒っている……そう思った私は、椅子から立ち上がり、頭を下げて謝る。しかし、次に飛んできた言葉は驚くべきものだった。

「いや、私が言いたいのは、そんなことじゃないの。杏ちゃんの気持ちを知りたいよ」

「えっ?」

 予想と違う言葉に戸惑う私を置いて、菜花は、珍しく畏まった表情で話を続ける。

「そりゃ私だって、杏ちゃんが落研に入ってくれたらすごく嬉しいし、いつか姉妹二人で部活出来たらなんてこっそり思ってたの。でも、杏ちゃんはどうなの? 自分が決めたことなのか、部長が無理矢理誘い込んだからなのか……そこを教えて欲しい」

何だ、そういうことか。

 固く強張っていた心が、まるで絡まった糸が解けるようにはらはらと緩んでいく。

 菜花は、心配しているのだ。無実の罪で美術部を辞めさせられてから、多くの人に蔑ま、責め立てられている自分のことを。

 今まで部活に入ることを必死に拒み続けていた私が、いきなり落研に入ったことに対し、どうしてなのか気になっているのだろう。その気持ちは、菜花の真剣な瞳から物凄く伝わってくる。

「あのね……最初のほうは、部活に入るのすごく怖くて、無理だって思ったけど……えっと、上手く言えないけど、あの人とだったら、一緒にやってもいいかなって……」

 心の中で充満している感情をこねて一つの形にするように、今思っていることをそのまま言葉にする。

 普段から吃りまくりの私だけれど、家族相手には殆ど吃ることなく、大分スラスラ喋ることが出来る。しかし、今回はなかなか言葉が見つからず、いつものように上手く話せない。

「マジか……杏ちゃんったら、よりにもよって、あの部長に惚れちゃったってわけ? 恋愛に興味無かったんじゃなかったっけ?」

「ち、違うよ! 惚れたとか、そんなんじゃない! 真面目に聞いて!」

 今度はニヤニヤ笑って揶揄ってくる菜花にムッとし、つい声を荒げてしまった。家族以外の人に対して怒ることは地球がひっくり返っても有り得ない代わりに、家族(特に菜花)には遠慮なく怒っている。そうでもしないと、ただでさえ生きづらいこの人生やっていけない。

 菜花は知っているはずだ。私が恋愛に興味無いってことは。人が頑張って話そうとしている時に、それをネタにして揶揄うのはやめて欲しい。

「えっと、部長は……あの美術部の人達やクラスの子とは違うってことは分かったから……」

 これが、私の一番言いたいことだ。

「だから……えっと、つまり簡単に言うと……部長のこと、信じてもいいかなって……」

 部長のような凛とした強い瞳は、今まで見たことがない。今の私に思い浮かぶのは、悪意と嘲りに満ちたドス黒い色の瞳と、自分可愛さで保身に回る怯えた瞳の数々だ。学校という名の閉鎖的な空間の中で、部長みたいな強い瞳を持っている者などいなかった。いや、本当は正義感強い人も中にはいたけれど、皆、瞬く間に広がる悪意の海に飲まれて、いなくなってしまった。

 そんな環境下で生きてきたのだから、誰にも惑わされないような強い意志を持つ瞳を間近で見るのは本当に久しぶりで、思わず見入ってしまった。部長は、菜花の反対を押し切り、大事な授業を放棄してまで必死に勧誘してきたのだ。

 簡潔に言うならば、部長の熱意に負けた、というところだ。

「うん、それは、私も分かるよ。部長は裏表が無くて、底抜けに明るい奴だから、杏ちゃんが魅入るのも無理ないね……」

「だから、惚れてないってば!」

「まあ、あれから、ずっと辛い目に遭ってばっかだったもんね……あいつは、この前みたいに人の手をグイッて引っ張って爆走するけど根はすごく優しいから、信じてもいいんじゃない? 私も落研にいるわけだし、何かあったらすぐ守れる位置にいるから安心して!」

 反対されて叱られるかと思ったけれど、そんな事態は起こらず、むしろいつものようにカラカラ笑いながら、背中を押してくれた。無意識のうちに身構えていた分、まるで風船が萎むかのごとく全身の力が抜けて、身体が軽くなるのを感じる。一瞬、涙まで溢れそうになったが、ここで泣くのはかなり恥ずかしいからどうにか堪えた。

「あ、ありがとう」

「家族なんだから、心配するのも役目だよ!」

 家族なんだから。――それは、小さい頃からの菜花の口癖であり、私にとって魔法の言葉だ。

「それにしても、私、本当に心配したんだからね。もう、お弁当どうしてくれるのよ~」

「あ、それはごめん……」

 菜花は、残念そうに口を尖らせて文句を言っているが、その顔は笑っていた。

「そうそう。部長から、杏ちゃんに」

 そう言うなり、手に持っていた紙を私に渡してきた。

「あっ」

 再生紙を使ったものとは全く別物である、滑らかで上質な紙のそれは、何と受験報告書だった。しかも、土足で踏まれたせいで泥汚れがひどかったはずなのに、それが嘘のように消えていて、まるで配られたばかりのように綺麗なものになっていた。一体、どのような魔法を使えば、こうなるのだろう。

 今度会った時、ちゃんとお礼言わなければ。

「そうそう、惚れている杏ちゃんには申し訳無いけど、授業サボって勧誘したあいつにはお仕置き加えといたから! これからは、派手な暴走はしないっしょ」

「……いや、惚れてないから」

 満面の笑顔で宣言する菜花。お仕置きの内容は、詳しく聞くまでもなく、大体のところ予想はついている。学校内でハリセンを振り回すとは、この姉は一体どのような学校生活を送っているのだろうか。知りたいような、知らないでおきたいような、複雑な気持ちである。

「そうだ、肝心なこと忘れるところだった。お母さんがさっき言ってたけど、今日の夕飯、何処行きたい?」

「えっ? 夕飯?」

 唐突に出てきた夕飯の話に、何のことか分からずに戸惑った。

「今帰ってきた時に言われたけど、高校の合格祝いで何処か食べに行こうだって! 杏ちゃんの好きなところで良いみたいだよ! やったねぇっ!」

「本当!? じゃあ、安定の『ポンゼ』かなぁ。久しぶりにトマトパスタ食べたい」

「あそこ、生パスタが美味しいからねぇ。というか、杏ちゃん、完全に行きつけのお店じゃん!」

「だって、『ポンゼ』好きなんだもん。菜花だって、何かあったらすぐ鯨屋の回転寿司をリクエストするくせに」

「そりゃあ、お祝い事はパーッとお寿司食べたいもん。そういえば、杏ちゃん、もしかして食欲戻った?」

「あれ……そういえば、お腹ペッコペコだ」

 そう言いながら、何だか笑いが込み上がってきて、思わず吹き出す。

「良かったぁ~! やっと杏ちゃんを食べ歩きに誘える!」

 子どものようにはしゃぎながらも、安堵の溜息をつく菜花。美術部を退部してから食欲がガタンと落ちてしまい、そのせいで外食のリクエストをしなくなったから、家族に大分心配させてしまった。

「あっ、そうだ、まだ言い忘れていたことあった!」

「は、はいっ!?」

 それまで、ラッパのようにケラケラ笑っていた菜花だが、途端に真顔になる。いきなり表情が変わっていたので、また何か怒られるのかと思い、いつでも攻撃されても大丈夫なように身構えた。

「やだ、そんな緊張しなくても大丈夫だよ。もう怒ることなんて無いし」

 私の心中を察したのか、慌てていつもの笑顔に戻す菜花。そして、私の目をジッと見つめるや否や、母似の大きな笑顔を向けながら、こう言ってくれたのだ。

「杏ちゃん、合格おめでとう。今までよく頑張ったね!」



 正直に言うと、まさか、菜花に入部を賛成されるとは思っていなかった。

 だけど、賛成された一番の理由は、「菜花自身が落研に所属していた」から。部活内で何かあってもすぐに守れる位置にいるから、菜花は落研の入部を許したのだろう。

 菜花を頼りにしている私にとて、それは嬉しいことだけれども。

 もしもあの時、私単独だったら間違いなく反対されていたということを知ったのは、実際に落研に身を置くようになった後のことだった。


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