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おいでませ落語研究部へ  作者: 椿
「仲間」の話
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「――ハッ!」

 一気に目が覚めた。先程まで吸い込まれそうな闇に覆われていたのに、気づけば自分の部屋のベッドの上。悪魔の囁きのような恐ろしい声は聞こえず、その代わり窓の外で小鳥がチュンチュンと可愛らしく鳴いている。

 とても悪い夢を見た。頬を触ると涙でビッショリと濡れている。夢を見ながら泣いた日は久しぶりだからか、頭がぼーっとする。

 薄桃色のカーテン越しに空が明るくなっていることが分かる。目覚まし時計を見れば、朝の五時半過ぎ。毎朝六時丁度に起きる予定だから、三十分早い目覚めだ。酷い悪夢を見た以上、二度寝する気力は尽きているのでそのまま起きることにする。

 ベッドからゆっくり上半身を起こし、サイドテーブルで充電している携帯を取ってスイッチを入れ、画面を確認する。そこには、部長から一通のメッセージが届いている知らせが表示されていた。

『杏姫、起きてるか!? 頼む、小学校の頃に使っていたソプラノリコーダー持ってきてくれ!』

「はぁっ?」

 意味不明な要望に、思ったまま声を上げてしまった。今日は一斉勧誘の日だけれども、リコーダーで何かするという話は今まで全く聞いたことがない。恐らく部長の思い付きだろう。

 メッセージの受信時間を見ると、夜中の二時三十三分。勿論、この時間は悪夢にうなされながらも寝ていた。普段、必要時以外、携帯はサイレントマナーモードにしているので、気づくはずもない。

(リコーダーなら、確か物置部屋にあったはず……)

 小中学校の頃に使っていたものは、二階の物置部屋に大事にしまってある。やや重い足取りで部屋を出て、二階のトイレに寄った後に物置部屋の扉をそっと開いた。

 物置部屋には、過去に菜花と私が使っていたものや両親が昔読んでいた本などが収納されている。自分達が小中学校の頃に使っていた備品は、また使う機会があるかもしれないと思って容易に見つけやすい位置にしまってある。そのため、目的のリコーダーは少し探しただけですぐに見つかった。

 名札入りの焦げ茶色の革のケース。ファスナーを開けると、真っ黒に近い色の光沢が出ている艶やかなリコーダー本体が出てくる。小学校の頃は押さえるのに苦戦していた大き目の穴も、今や簡単に押さえられる。リコーダーがそこまで得意じゃなかった私は、音楽の授業のたびに家に持ち帰っては菜花と練習していた記憶がある。菜花はリコーダーが得意で、熱心に教えてくれた。

 ケースごと手に取って物置部屋から出ようとした時、自分の後ろのほうからバサァッと何か紙類が落ちる音がした。何事かと思って後ろを振り返ると、本棚の上に積み上げられていた書類が何枚か床に落ちていた。こんなところに書類があったという事実は今まで知らなかったことだ。

「あっ」

 落ちた書類の正体は、スケッチブックから丁寧に切り離された紙の数々だった。色鉛筆や水彩絵の具で塗られたそれは、中学の美術部の活動にて何気なしに描いたもの。ポスターや絵画コンクールのために描いたイメージ図ではない。

 家族写真を自分流に描き換えた絵、大好きだったウサギのぬいぐるみを色鉛筆で描いた絵、そしてコッソリ描いた英語の先生の似顔絵など。一枚一枚見ていくうちに、絵を描くことに情熱を注いでいたあの頃の光景が鮮明に蘇ってくる。

 アクリルやら油絵やらの絵の具の匂いがこもっている、やや狭い美術室。固くなった白い糊の跡とアクリル絵の具の跡がこびりついた五人用の木製机。長年使い込まれた太い絵筆。そして、毎日持ち歩いていた愛用のスケッチブック。――次々と過去の懐かしい光景が蘇っては、消えてゆく。

 絵を描くのが好きだという気持ちは一ミリグラムも変わっていない。だから、絵を見ていると胸が苦しくなる。美術部で描いた絵は全て破り捨てたはずなのに、まだ残っていたとは思ってなかった。きっと、母が敢えて分かりにくいところに隠しておいたのだろう。

 そして、数枚の絵に紛れて、艶やかな光沢紙の小冊子が挟まれているのに気づく。

「これ……!」

 明らかに見覚えのある、県北部限定の広報誌。日付を見ると、二年前の七月号。

 一ページ開くと、煌びやかな蝶の絵と、豪華な額縁に入れたそれを抱えて微笑んでいる中学の制服を着た私の写真が大きく飾られていた。写真だけでなく、中学名と名前と学年、そして短い感想が載っていた。感想には、「これからも大好きな絵を描き続けたいです。今度はもっと素敵なものを作り出したいと思います」とだけ。

 それは県内の夏季絵画コンクールで、一番良いとされている最優秀賞を受賞した時のものだ。あの時は新聞社から取材が学校や家に来て、周囲がちょっとした騒ぎになった記憶がある。その時貰った賞状や額縁は、家中を探せば何処かにあるはずだ。確か、賞状までは破いていない。

 勿論家族内でも大騒ぎになって、受賞を知った日の食卓には私の好きなものが沢山並べられていたのを今でも覚えている。やや早い夏バテでほんの少し食欲が落ちていた時期でもあったが、この時はお腹がパンパンに膨れるまで食べたんだっけ。

 今はもう、あの時先生や新聞社の取材の方に語った夢だけでなく、お腹一杯食べた時の幸福感でさえ忘れていた。それだけではない。受賞を知った時の信じられないという気持ちも、天に昇りそうな位の嬉しさも、黒板消しで消されたかのごとく記憶から綺麗サッパリ消えてしまった。

『一度で良いから、杏姫が中学の時に描いた絵、マジで見たいぞ!』

 無邪気に笑う部長の顔と言葉が、頭の中に蘇ってくる。そういえば、夢の中でも部長は必死に懇願していたような気がする。これらを持って行けば、部長の願いは叶う。

『前から逢坂さんの絵、嫌いだったんだよね~』

 床に散らばった絵に手を伸ばした途端、かつて聞いた声とともに怖い顔をした部員達の顔が脳内で再生される。それはドラマの映像のごとく鮮明だった。

『うわっ、何この絵! ださっ! 春菜ちゃんのほうが断然いいって!』

『あんな蝶の絵ごときで最優秀賞とか、審査員の目が腐っているんじゃないの? 絶対、春菜ちゃんのほうがいいに決まってる』

『人の絵を余裕でパクる奴に、絵を描く資格なんてないでしょ~』

『盗作犯のくせに』

 その中には、嫌がらせの中心人物である佐伯さんの声も混ざっている。悪魔達の声が重なって一つの音となり、それが頭の中でガンガンと響いてくる。耳をきつく塞いでも、その僅かな隙間から声は入り込んできて叫びたい気持ちだ。

 盗作犯だと決めつけられてからは、あっという間に孤立し、地獄の日々が始まった。全く関係のない人からも罵詈雑言を浴びせられ、先生の信頼も失った。「仲間を地獄へ陥れた者」とレッテルを貼られて学校中から白い目で見られ、嫌がらせまでもされた。たとえ私が体調を崩して不登校気味になっても、手を差し伸べてくれた者なんて一人もいなかった。

 今まで感じてきた楽しかった感覚も殆ど忘れただけでなく、人と関わるのがとても怖くなって、一人で外に出ることも出来なくなった時もあった。そんな時に助けてくれたのは家族だったから、家族がいれば生きていけるなんて思うようにもなっていた。

『頼む! 落研を救ってくれ!』

 不意に、部長の必死な声が、悪魔の声と重なって蘇ってくる。

 もしも、部長が落研に勧誘してこなかったら、今も一人だった気がする。幼馴染の菫君と仲直りさえも出来ず、人を一生信じられないままだったと思う。

 部長は、私が美術部に入っていたことを「凄い」と褒め、私の作品をしきりに見たがってくる。それだけでなく、美術部の体験入部にまで誘ってくれた。美術部に入っていた当時も、そんなふうに言ってくれる人は家族以外で誰もいなかった。

 どうして、そこまで――。

 その答えは、分かっている。自分が目を背けているだけで、純粋で裏表の無い部長が、既に言葉にしていた。

『杏姫に出会えて、本当によかった!』

 部長は私のことを信頼している。だからこそ、逃したくないと本気で思っているのだろう。その理由は、私が落研の存続のために必要な駒だからこそかもしれない。けれど、部長と一緒にいる時間が増えるにつれ、それとは違う意思を感じるようになった。

 部長の中で、私は大切な仲間として認定されているだろう。それは、今までの行動を思い返してみても明らかだ。

『杏姫、大丈夫か!?』

『杏さん。身体のほうは、いかがでしょうか』

 学校を休んでしまった一昨日、部長や他の部員がお見舞いに来てくれた時は、とても嬉しかった。こんなふうに誰かが自分のことを心配してくれたのは、何年ぶりだっただろう。全て忘れてしまった今はもう思い出せないけれど。

『大丈夫。あの子達は、何があっても杏のこと裏切ったりしないわよ』

 母の優しい言葉が蘇ってきた瞬間、床に散らばった絵と広報誌を手にしていた。何を思ったのか、自分でも分からない。ただ、過去に聞いた悪魔のような声はもう聞こえてこない。

――この絵を、部長に見せたい。

 心の声と重なるように、六時を知らせる目覚まし時計のベルがけたたましく鳴り響いた。そして、リコーダーとともに何枚もの絵を握りしめながら物置部屋を後にしたのだった。



 今日は、土曜日。

 とうとう、落研で初めて迎える一大行事の一斉勧誘の日が来てしまった。浴衣を着て菜花と一緒にビラを配る担当であるが、不安しかない。

 だけど、仲間が側にいるなら……大丈夫な気がする。


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