第2話
そんな青春を謳歌している怪異と歩くことおおよそ二十分。
ようやく家の近くまでたどり着き、僕は早く濡れた服を変えて、しんなりと重みを帯びた髪の毛を乾かしたいと切実に思っていた。
「……あっちゃ~。そうなってた訳ね」
だが、家の前までたどり着くと、そこには傘を差した一人の女性が佇んでいた。
それを先に見つけたのは杏で、その女性を見るなり何故か面倒くさいとばかりに大きなため息を吐いた。
「あれ? 誰かいるね?」
差したピンクの傘から見え隠れするその表情は、どこか楽しそうにうずうずとしていて、まるで、何か楽しい出来事かある前日の子供のようである。
「誰かって、あんた、あの顔に見覚え無いの? 有り得ない」
言って、僕をジト目で杏が見上げて、スマホを女性に向けてパシャリと写真を撮る。
だが、どうやら光量が足りないらしく、撮った写真を見て顔をしかめる。
「有り得ないとか言われてもなぁ~」
傘から見え隠れする女性は、パッと見では僕たちと同い年か一つ、二つ上下する位であろう。傘の柄を握るその手は白く、時折、防ぎきれなかった水滴がその肌を伝う。
髪の毛は肩に掛かるかどうかの長さで、杏より明るく無く、分かりづらいが栗色をしている。
くりくりと大きな瞳は表情と相まってか、どこか幼さを女性から感じさせてくれる。僕たちと同じ学校の制服を着ていなかったらもっと年下と僕は思っただろう。
だが、その幼さとは反対に制服の上からでも分かる位に発達した胸。
以上の事を鑑みて僕なりに脳内で人物特定をしてみたのだが、結果は変わらず、心当たりが無いである。
「あの~この家に何か御用ですか?」
心当たりの無い僕はじっと僕の家を見つめる女性にそう声を掛ける。
「――えっ?」
女性は急に声を掛けられて驚いたのだろう。ただでさえ大きな瞳を更に大きく丸くすると、勢い良くこちらを振り向く。
横顔だけでなく、正面からしっかりと女性の顔を見てみるが、やはり僕には誰だが、見当も付かない。僕の隣では杏がそんな女性を再びパシャリと今度はフラッシュを焚いたのか、杏のスマホが光を放つ。
「あっ、その、私、怪しい者じゃなくて、この家の――って、神城君っ?」
猫のように瞳を大きく丸くした女性は声を掛けたのが僕だと分かると、ほっと胸を撫で下ろした。やはり、杏の言うように顔見知りのようだけれど……一体、誰だろう?
「良かった~近所の人か、お巡りさんだと思っちゃったよ。もぉ~驚かせないでよ」
言って、頬を膨らませて僕に怒って見せる女性。
「あ、ああ。ごめん、ごめん」
そんな女性に対して、僕は苦笑いを浮かべつつ答えて、どうやらこの女性が誰だか知っている杏に向かって目だけで問いかけてみる。
だが、杏は先ほど撮った写真の出来栄えにご満悦なのか、しきりに写真が映し出されたスマホを眺めて、うんうんと頷きながら「やっぱ、あ~しって、天才。カメラマンでも目指そっかな」と呟いている。
「久しぶり。元気してた? って言っても、そこまでは経ってないんだけど」
「あ、うん。久しぶり」
どうやらこの女性と僕は暫く会っていなかったらしい。もっとも、僕からすれば初めましてと言われたほうがしっくりくるのだが。
「杏ちゃんも久しぶり」
言って、にっこりと杏に微笑む女性。
「その呼び方、最悪。杏ちゃん、とか、杏さん、とかあ~しは男かっての。杏って呼び捨てで良いって。はい、やり直し」
声を掛けられた杏は呼ばれ方が気に食わないのか、大きくため息を吐き、顔をしかめながら文句を垂れる。
「え~、杏ちゃんって呼び方、可愛いと思うけどなぁ」
その文句に対して、女性は口を窄めて抗議する。
「あ~しの名前が『あんず』とかなら、あ~しも『ちゃん付け』は可愛いと思うけどさ、あ~しの名前は残念ながら、『あん』なの。あんには『ちゃん』も『さん』も似合わないの、これ常識」
だが、杏もどうやら引く気が無いらしく、持論を述べて反撃をする。
「そ~かなぁ?」
だが、女性は杏の持論で納得出来ないようで、首を傾げる。
「そ~なの」
そんな女性に対して杏は強めの口調で言い切る。どうしても持論を曲げる気が無いらしい。
「そっか」
杏に狂犬のように、がるると今にも噛みつきそうな睨まれて怖くなったのか、女性が納得したように言って、小さくため息を吐く。
「ようやく理解した? だったら、呼んでみ?」
女性が持論に納得してくれたのが、嬉しいのか、誇らし気に呼びなおしを要求する杏。
「うん――杏ちゃん」
言って、にっこりと微笑む女性。
「――ちっが~う!!」
そんな女性の言葉を聞いて、違う、違うと喚いて子供のように地団駄を踏む杏。地団駄を踏む杏の足が時折僕の足を踏みつけるのは偶然か、はたまた八つ当たりでわざとなのかは微妙な所である。
「あはは、ごめんね。でも、やっぱり杏ちゃんのほうが可愛いよ?」
「無い! 絶対に無い! 有り得ない!! も~知らないっ!」
地団駄を踏む杏を宥めるように女性が優しい口調で言って、微笑むかけるが、杏はそれが気に食わないらしく、女性に向かって、不満も露わにあっかんべ~をすると、そのままの勢いで走り出し、家の中まで入ってしまう。
乱暴に閉じられたドアから放たれたドンっという音が少し離れた僕の耳にも届いた。
「……怒らせちゃったかな?」
それを見て、女性が苦笑いを浮かべて僕に問いかけてくる。
「さ~? でも、きっと明日には、けろっと忘れてると思うよ?」
そんな女性に対して僕は率直な意見を述べる。杏という人物は僕がこれまで見てきた限り、刹那的というか、その場のノリで生きている印象が強い。
「……神城君は優しいね」
「ん? 何か言った?」
女性が小さな声で何事かを呟いていたのか分かったけれど、その内容までは聞き取れず、僕は聞き返す。
「ううん。何でもない」
「そう」
小さく首を振ってそう答える女性に僕は頷いて見せた。本人がそう言っているのだから、きっと大した事では無かったのだろう。
「それで? 僕の家に何か用? 何かあるなら、この雨の中、これ以上立ち話も何だし、上がってく?」
「ううん。大丈夫。今日は顔を見に来ただけだから」
僕の提案を女性は笑って辞退する。
「それじゃ」
それから、くるりと回れ右をして、ゆっくりと歩き出す。
「――あっ、明日はちゃんと学校行けるから」
が、少し歩き出してから、何やら急に慌てて僕のほうに振り向くと、大きな声でそう僕に告げた。
「ああ。それじゃ、また明日」
そんな女性に対して、僕は軽く右手を上げて答える。明日は? どうやらこの女性は暫く学校を休んでいたらしい。そして、僕と杏の知り合いらしい……ん?
「うん、また明日」
そして、にっこりと微笑むと、再び歩き出す女性。
「ははは……まさか……ね」
そんな女性を見送りながら、僕はこの女性とは似ても似つかない一人のクラスメイトの事を思い出していた。