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音誼話.

作者: 羽柴 慎

猫が鳴いた

にゃーと鳴いた

僕はビクッとする

ショルダーバッグをギュッと握りしめて早足でコンクリートを”ツカツカ”鳴らす。


ツカツカ…サクサク…ジャリジャリ


色んな道を通ったが、僕の家までの道のりでこんな音はしない。


迷ったかなと耳を澄ませる。

「おや珍しい。お客さんかい?」

何年も喉を使用し続けた結果、掠れてしまった老婆の声。不意に放たれたその声に、僕はまたビクッとする。

「いえ、道に迷ってしまいまして。」

まだそこまで使用していないいだく為透き通った、でも低い青年の声。僕の声。


カラリン


ドアに取り付けられたベルの音。中の氷がグラスにぶつかった時のような、でもそれより重厚感のある音。


「外は寒いだろう、暖かい飲み物でも飲んでいきなさいな。」

シャッ

老婆が僕の背中に、スーツに触れた音。背中を押される。


「何、暇を弄んだばばあが暇潰しに出してる店だ、お金は要らないよ。」


ジャリッジャッジャリ

ツカツカ カランコロリン


僕と老婆が店に入った音。


「お前さん、どうしてこんな寂れたとこに来たんだい。夜更けに来るような所じゃないだろう。」


コトン、ギシッ、ゴトン、ギシッ

二人分の足音。重みのある音。この店は床が木で出来ている。


ギシリ

椅子に座った音。僕一人分の。


「恥ずかしながら、猫の鳴き声に吃驚して慌ててしまって、気付いたら此処に。」


”にゃー”

そう、あの猫。不意打ちは嫌いだ。だから、あの猫も嫌いだ。


「なんだい、見かけと同じだね。その時のお前さんを簡単に想像できるよ。」

コト、ギシッ、ゴトン、ギシッ

老婆の声が遠くなる。


ガリガリガリリ

なんの音だろう。何かを削るような音。


コトン

木の箱のような物の音。


シューッ ボコボコ

これは確実に分かる。湯を沸かしてる音だ。


シャッサラサラ

何かが紙のようなものを撫でた音。


カチリ

火を消した音。


トポトポ…タッタッ ツー

これは、湯を注いでいる音だろうか。


それでも、音では分からなくても鼻では分かる。香ばしいいい香り。


カチャリカチャリ

コトン、ギシッ ゴッ ギシッ

老婆がこっちへ飲み物を運んで来る音。音がたくさんあって賑やかだ。


コトッ

陶器とテーブルがぶつかり合う音。

「暖かいものは珈琲しか無くてね。砂糖とミルクは言ってくれれば入れるから。」


「すみません、有難うございます。」


ズズッ

コクリ


暖かい。喉に伝わる暖かさ。身体に染み込んでいく。

「この珈琲はね、私の大好きな人が大好きだった珈琲なんだよ。どの珈琲も飲めなかったくせに、この珈琲を飲んだ時、大声で吃驚したように美味しいって言ったんだ。あとなんか言ってたね、ポカポカする…だったかね。それから私は毎日珈琲を作らされて、お陰でこの店にも、私にも珈琲の香りが染み込んじまったよ。」


ふーっ

溜息。切ない、けれど嬉しそうな溜息。


なんで、この人は僕に親切にしてくれるのだろう。こんな僕に、どうして。


「なんで親切にしてくれるのかって顔してるねえ。それはね、お前さん、あの人に似てるんだよ。顔もだけど何より、声や仕草がね。そっくりすぎて化けて出てきたのかと腰抜かしちまいそうだったよ。」


カッカッカッと渇いた大きな笑い声。

フフッ つられて出た控えめな僕の笑い声。


それから、時間を忘れるくらいに老婆の話をたくさん聞いた。どれも”あの人”が出てくる、素敵な話だった。


此処へ来て珈琲の暖かさだけじゃない、老婆の優しさとか、お店の雰囲気、香り、いろいろが僕の中に染み込んでポカポカになった。もうあそこへは二度と行くことが出来ないだろう。けれど、帰り際あの老婆に貰った小さなオルゴールを聴く度思い出せる。その度、僕は何度でもポカポカするのだろう。

顔も分からない、名前も分からない。分かるのは音で分かった仕草や、声だけ。それだけでも充分なくらい、老婆は暖かい人だった。今日偶然辿り着いたこの店で、僕はこんなにも幸せでいっぱいになれた。


さっきは嫌いと言ったけれど、やっぱり好きだ。

僕は帰り道、静かな夜の街にお礼を込めて「にゃー」と鳴いた。



音誼話-otogibanasi-

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