第1話 始まりの扉
大学を卒業して社会人としての一歩を歩み出したはいいが、現実はかくも非情でした………
まあ、お気楽に読んでください
「嘘だろ…?」
不動産屋から紹介された格安物件、確かに「ちょっと築年数はたってますが…」とは言われたが…。
最寄り駅から30分のバス停で降り、山道を歩いて約1時間。途中からはほぼ獣道のようになっていき、ハイキング気分なんてお気楽なものでは無くなって脚が限界を超えかけた頃、眼前に建っていたのはいい感じにうらぶれた如何にもいわく付きです…な洋館だった。
事の起こりはというと、入社が決まっていた会社の寮に引っ越す為にそれまで住んでいたマンションを引き払ったのだが、入社日3日前に関連企業の不渡りをくらって会社が倒産。めでたく住所不定無職となってしまった。
暫くは駅前のネットカフェに寝泊まりするとして、まずは家を借りねばなるまい。幸いにして子供の頃に貰ったお年玉や小遣い、高校・大学在学中のバイト代、そして戻ってきたマンションの供託金がある為、それなりの預金はある。なので掘り出し物を探す為に裏通りで見付けた年期の入った小さな不動産屋を訪ねてみた。
「………らっしゃい」
個人経営なんだろう、店と同じく店主も年期の入った愛想の無い爺さんが競馬新聞片手に煙管を怠そうに揺らしている。
今時ノートPCすら無く、差し出されたファイルの中から良さ気な賃貸物件を物色していると、ある一軒の一戸建ての資料が目に留まる。
「すみません、コレは?」
提示した資料を見て、店主が明らかに困惑しているのが判った。さっきから「……何故コレが」とか「……いや、そういう事もあるか」と呟きながら自問自答している。
話を聞くと、どうやら古い知人から託された訳あり販売物件らしい。
もっとも土地付きの一戸建て住居で二世帯が裕に暮らせる大きさだが、最寄り駅から遠く、山の中腹に建てられているという立地条件の悪さに加え、電気・ガス・水道も通っておらず、近くにアンテナも無いので携帯も繋がるか怪しいらしい。
土地そのものも山なので資産価値は低い。唯一の利点は少し離れた場所から湧き出ている源泉から引かれている天然温泉だが、これも清掃の手間を考えればどうだろう。
建てられた当初ならいざしらず、窮めて不便さしか無い環境に住人は一週間と経たずに逃げ出してしまうらしい。いわば建物が住人を選ぶ物件であり、ファイルもここ何十年かは棚の奥で眠っていたらしい。
余程困っていたのだろう。「住んでくれるならタダでいい」と疲れ果てた表情で契約書を差し出す店主。このまま市街地に住んでも家賃の他に税金や光熱費、食費やその他諸々で預金など一年ほどで無くなってしまうだろう。何より運命的な何かを感じた僕は迷う事無く書類にサインしたのだった。
―――そして今に至る、
そういえば地図と鍵を受け取って店を出た瞬間、突然雨が降り出す、靴紐は切れる、結び直す目前を黒猫が通り過ぎ、頭上でカラスが鳴いていた…。
「こんな…こんなベタな展開があるなんて!」
渡されたキーホルダーには幾つかの鍵が束ねられていて、最初に使う事になったのは門扉を縛り付けていた鎖に架けられた南京錠の物だった。
ガ…ガ…ガチャリ…
中々回らない鍵穴はもうかなりの間、誰も出入りしていない事を告げていた。
準備万端とばかりに手袋を嵌めた手で錆び付いた門を開いた。まるで開けてはならぬと禁じられたパンドラの箱を開封するかの様な背徳感と昂揚感。僕はこの廃墟と化した館に何一つ躊躇う事無く踏み入った…。
「お帰りなさいませぇ〜ご主人様ぁ!」
ドタッ!
鬱蒼とした全く手入れがされてない庭を抜け、重い扉を開けた瞬間に飛び込んできた気の抜ける甘い声…。雰囲気に浸っていた俺は床に倒れ込んだまま何も言えなかった。
「どうなさいましたぁ、ご主人様ぁ?床…お好きなのぉ?」
リアクションの薄い僕を心配そうに覗き込む。そのまましゃがみ込んだので下着が丸見えだった…。
「な…何だ、貴女はっ!?」
「ハイ、私はこの[闇夢館]のメイドの沙美ですぅ、ご主人様ぁ」
あ…妖しい、絶対妖かしい。もう何十年も人の出入りが無さそうな館の中に人が居る訳が無い。この娘、間違いなく人間じゃない!
「沙美…さんだっけ?君はもしかして…」
「ハイ、ご想像の通りぃ、妖かしの類ですぅ」
認めた、アッサリ認めちゃったよこの娘。耳や尻尾も堂々と出してるから、コスプレか?と勘違いする間も与えずに…。