story 3 愚者の願い
「ちょっ、どうすんだよ、舞衣が帰ってきたぞ!」
「舞衣さん?妹さんですか?」
「ああ、そうだよ、こんな大穴見られたらただじゃすまねぇ。」
相宮舞衣。相宮功の妹で今年から高校一年生。その外見からは想像もつかない運動能力を持ち、特技は空手、合気道、柔道、剣道、そしてアイロンがけである。
「功にい、お母さんとお父さん11時くらいになるって。なんか、重要な会議がどうとか。夕飯まだでしょ?私作るから。」
父親と母親はともに同じ会社に勤めている。会社のことはよく知らない。
階段をのぼる音が聞こえる。まずい。ドアを開けられたらおしまいだ。
できた妹だとは思うが、怒らせた時の妹はこの家庭のヒエラルキーを一瞬にしてひっくり返し、たちまち暴君のごとく独裁政治を開始する。こんな大穴を見られた暁には俺は彼女のサンドバックとなること間違いないだろう。
「そ、そうか。」
「そういや、功にい。」
「な、なんだよ?」
「今、女の人の声が聞こえたんだけど?誰?」
しまった、つい穴のほうばかりに目がいってて、こいつのこと考えてなかった。
「あ、えっと……」
どう言い訳する?「気のせいじゃない?」なんて言えばあいつのことだ。確実にドアを開けて終了。
なら、いっそ俺たちのほうから部屋を出るというのは?こいつがばれるより、あの大穴がばれることのほうが何百倍も危険だ。適当にこの子は俺の彼女で――みたいに言っておけば何とかなるのでは……?
いや、しかしリスクは最小限に抑えたいところ……ここは。
「ああ、今のはたぶん、ギャルゲーの声だよ。ちょっと音量でかすぎたかな?」
「ギャルゲー?兄ちゃんさぁ、そういうのやってるから、いつまでたっても彼女出来ないんだよ。」
大きなお世話である。そういうお前こそ、こそこそと何か良からぬゲームをやっているではないか。
「じゃ、私は下で晩御飯作ってくるから。」
「お、おう、よろしく。」
階段を降りる音を確認し、俺は生きた心地というものを実感した。
「あの、相宮さん?」
「なに?」
「これからどうするんですか?この穴をかなり気にしているようですけど、ここでDNCSを試すというのは?」
「え?」
そう言うと彼女はパソコンの電源を入れ、DNCSのソフトを見つけて起動した。
「使う前にまず、このソフトにはルールがあります。それを知っていただく必要があります。」
「はぁ。」
それから俺は彼女にDNCSのルールとやらを長々と聞かされた。
彼女から聞かされた事をまとめると、そのルールとやらは以下のようなものだった。
1 このソフトに書かれたことは可能な限り現実に反映される。
2 犯罪行為、確定された事象を変更する行為、確定された運命を変更する行為、およびその他ソフトの能力では対応できないような行為を書き込んでも、現実には反映されない。
3 2において、所有者の文才が高い場合は、これを可能とする場合がある。
「最後のルールはどういう意味だ?」
「つまり、DNCSに上手い文章を書き込めば……って意味です。」
「情景描写とか心理描写とか伏線みたいな、そういうことか。」
「大雑把にいえば。相宮さんは小説書くの上手いんですか?」
「全然。小論文テストで、学年で下から数えて10番くらいの文才だよ。」
「そうですか。相宮さんてあほなんですね!」
何か言い返したいが、否定できない。
「それはつまり俺みたいに文才のないやつは、ある程度制限されるってことか。」
「制限というより、それが通常です。高い文才を持っていれば、普通不可能なことも、再現可能ということになります。でもそんなのは本当にプロレベルの人で、実際そんな人はいないと考えていいでしょう。」
「なるほどねえ。」
「何はともあれ相宮さん、これからどうします?」
そう言うとその少女はくすくすと笑う。何かおかしなことでも言っただろうか。それともこれから始まるであろう俺の楽しい学園生活を祝福でもしてくれているのだろうか。
「そうだ。」
「はい?」
「お前の名前、まだ決めてなかったな。」
「はい。」
俺は視線をそらし、恥ずかしそうに言う。
「パレット……ってどうだ?」
なに、簡単なことだ。パンフレットから二文字抜いて、パレット。それだけである。こんな適当に名前を付けるのはどうかと思うが、今日中に名前を付けてあげたいと思っていた。
「パレット……ですか。いい名前ですね!」
そうだろうか。と、名付け親が思っているのは秘密。ともかく、名前の件はどうやら満足してくれたみたいだ。
「さて、名前もつけたし、はじめるとするか。」
パソコンの前に座り、俺は明日の出来事を書き始める。日時や場所指定も可能だと聞いたので、この時間にこの人と出会う、みたいなことを最初は書いていた。しかし……
「どうですか?できましたか?」
突然パレットが俺のパソコン画面をのぞいてくる。
「ん?ああ、ちょっと消そうかなって。」
「え?」
「だって、こんな具体的にいろいろと俺の願望を書いたら、逆につまらなくなりそうでさ。もっと抽象的に。ただ一言。『俺は学校でハーレムを築いていた。』だけでもいいかなあと。」
「なるほど、確かにそれもそうですね。」
そこで俺は必要最低限なことをそこに書くことにした。
部活とかも立ち上げたいな。それも……。まあ、でも今日はこのソフトがどこまで俺の人生に影響を及ぼすか、それの試験も兼ねているから今日はこのくらいにしておこう。あとは――
「母さんと父さん、それと舞衣だな。」
さすがに俺が3人の前でいきなり、「この子、パレットって言います!一緒に暮らすことになりましたっ!」と高らかに宣言したところで、誰か俺に賛同してくれるとは思えない。さて、こうなれば方法は一つだろう。選択の余地はない。すこしベタではあるが、今回においては最善の策だ。
――午後11時過ぎ。
俺と舞衣は下のリビングに両親に呼び出されていた。
「功、舞衣。大事な話がある。」
「何、お父さん?」
何も知らない舞衣。許してくれ、舞衣。そして、父さん、母さん。
「俺たち二人はな、どうしても海外へ引っ越さなくてはならなくなってしまったんだ。」
「え?」
舞衣が硬直する。嘘でしょ?という顔だ。無理もない。突然なのだから。
「私も、私もいけるよね?」
「お前は、ここに功と残るんだ。二人なら大丈夫。もう、高校生だろ?お前たちならやっていけるさ。」
「そんな……そんな……。」
泣きだす舞衣。俺もさすがに心に刺さるものがあった。いくら自分が考え出した案とは言え、目の前でこういう光景を見るのはやはりつらい。
「功。」
「なに、父さん?」
「舞衣を、頼んだぞ。」
俺は、確かこのあと「うん、当たり前だ。」というセリフを書きこんでいた。でも、そんなセリフが簡単に言えるわけがなかった。
俺は「ああ。」と小さな声で言う。
最初は軽い気持ちで書いたシナリオだったのに、いざ演じてみるとそれはパソコンの前に座って考えた時より何倍も重いシナリオだったのだ。
次の日の朝、シナリオは狂うことなく、俺が目覚めたときには両親はもういなかった。
DNCSはやはり本物だ。
期待と恐怖が俺の心の中でぐるぐると混ざり合うのを感じた。
シナリオでは両親が帰ってくるのは1年後と設定した。舞衣を残したのはたぶん、俺の臆病の現れ。ただ単に孤独が怖かっただけだ。それに、俺は料理ができない。あと、アニメやゲームでは主人公は妹と二人暮らしというのもあるからな。
嘆いても仕方ない。俺は頬を強くたたき、気合を入れた。そう、これもすべて俺の学園生活のためなのだ。今まで幸運というものに恵まれなかった俺にとって、DNCSは神からくれたプレゼントみたいなものだ。
俺は支度を済ませ、重い扉を開いた。
行こうか、俺の素晴らしき学園生活へ。
読んでいただきありがとうございました。