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森の儀式  作者: 五月乃月
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守るべき教え

 サキは誕生日が待ちきれませんでした。

 家の手伝いを、自分からするようになりました。もし叱られて、ウサギのぬいぐるみをもらえなくなったらたいへんと思ったのです。でも、サキには一つ、心に引っかかることがありました。

『最近あれで遊んでないな』

 お父さんの言葉です。去年の誕生日にもらった、クマのぬいぐるみのことです。後ろめたさが浮かんできますが、首を左右に振って、忘れてしまえと思いました。


 金曜日、サキは朝から変でした。お父さんのお弁当を忘れてしまったり、先生の話が耳に入らなかったり。休み時間にお友達から誕生日プレゼントをもらっても、上の空でお礼を言うだけでした。

 サキはお弁当をお父さんに届けるとすぐに学校へ戻り、教室で食べました。今日だけは、お父さんとの話題が見つからないと思ったからです。

「お父さん、早く帰ってきてね」

 学校の帰り、サキは村役場の前でつぶやいて、一本道を歩き出しました。

 この道の先に森があります。

 森は木々の葉に遮られて太陽の光が届かず、昼間でも薄暗いのだそうです。確かに、朝でも昼でも、夏でも冬でも、遠くに見える森の輪郭は真っ黒です。

奥に行けば行くほど暗くなり、暗闇の中には鬼がいて、迷った子供をつかまえて食べてしまううのだと、お母さんから聞きました。

 最初に聞いた時、サキはこわくて震え上がりました。でも今は、鬼なんかいるわけないと思っています。友達の多くも、同じように思っています。それでも、暗い森の中で迷子になったり、叱られるのは嫌なので、みんな近づかないことにしています。

 家の扉を開く前に、サキはもう一度森を見ました。

「鬼なんかいるわけない」

 心の中で言ってから扉に手をかけると、何やら音が聞こえてきました。

 お母さんが料理を作る時の包丁の音ではありません。お父さんはまだ村にいるはず、薪を割る音でもありません。

 ドン、ドン、ドン。

 太鼓の音のようでした。

 家の中からではありません。弟のミクはまだ赤ちゃんで、太鼓のおもちゃでは遊べません。

 村のほうでもありません。お祭りはとっくに終わりました。

 耳をすましてよく聞くと、太鼓の音は森から聞こえてきます。

 ドン、ドン、ドン。

 チラ、チラ、チラ。

 音だけではありません。真っ暗な森の中に、星のように光るものも見えました。

 サキはお母さんにこのことを伝えようとしましたが、体が思うように動きません。扉を開けたくても、手が届きません。それだけでなく、サキの足は森のほうへ、勝手に歩き出してしまいました。

 森へ近づいていきます。木の柵も看板も、通り過ぎてしましました。

 森の入口が見えてきました。それでもサキは、歩みを止められません。鬼の口に飲み込まれるように、サキは森へ入ってしまいました。

 ドン、ドン、ドン。ドドン、ドン。

 太鼓の音が、すぐそばで聞こえます。

 ヒョロロ、ヒョロロ。ピーヒョロロ。

 シャンシャンシャン。シャシャンシャン。

 笛の音、鈴の音、それに合わせて、歌う声も聞こえてきました。

 チラ、チラ。チラ、チラ。

 明かりもだんだん強くなりました。

 サキは覚悟を決めました。あとでこってりと叱られるだろうけど、ウサギのぬいぐるみをもらえないかもしれないけれど、音と明かりの正体を確かめようと決めました。

 すると、サキの体は自由に動くようになりました。

 音楽と明かりに近づくにつれて、草木が少なくなっていきました。強い明かりのせいで、周りの景色も見えるようになりました。

 明かりの正体は炎でした。

 サキはずいぶん前に、遠くの国についての本を、図書館で見たことがありました。スカートのように布を巻いた、上半身裸の人たちの絵がたくさん載っていました。黒い肌と顔に、白や赤や黄色の絵の具のようなもので模様を描いた、槍を持つ人たちでした。まるで鬼のようでした。その夜、サキはこわくて一晩中眠れませんでした。

 その絵の中の鬼たちが、サキの目の前で音楽に合わせ、炎を囲んで踊っているのです。

 鬼たちはそれぞれの手に、おもちゃや人形を持っていました。その中の一人が右手につかんでいるのは、サキがもらったクマのぬいぐるみでした。

 片耳が取れてしまったので、サキはぬいぐるみをたんすの奥に押し込んでいます。暗闇の中で、つぶされているはずです。なのに、鬼の一人が持っていました。

 急に音楽が小さくなりました。歌と踊りをやめた鬼たちは、今度は大きな声で唱え始めました。


 我らが崇拝する鬼神様よ、

 いけにえを受け取りたもう。

 願いを叶えたもう。

 このものたちの憎しみを、

 代わって人間どもに知らしめたもう。

 けが、病気、死を。

 このものたちの憎しみに見合う不幸を、

 人間どもに与えたもう。

 壊れたものは化け物に変われ。

 人間どもよ、恐れるがいい。


 サキはおどろきました。ころんでひざをすりむくのも、風邪を引いて熱を出すのも、全部おもちゃを大事にしないから、人形たちと話をしないからとわかったからです。

 サキは来た道を走って戻りました。後ろから、耳の取れたクマが襲ってきそうでした。心の中で「ごめんなさい」を繰り返しながら走りました。

出口が見えてきました。もう少しで森の外に出られます。ところが、石につまずいて倒れてしまいました。

 遠のく意識の中で、サキは「ごめんなさい」と叫びました。


「サキ、何が『ごめんなさい』なんだ?」

 お父さんの声です。

 目を開けると、サキは家の扉に寄りかかって座っていました。お父さんの首にしがみつき、サキは泣きながら言いました。

「お父さん、ごめんなさい。あたしウサギのぬいぐるみいらない。ミクにあげる。クマのぬいぐるみ大事にするから」

 お父さんは何も言わずにサキを立たせ、扉を開けました。

 サキは一目散に自分の部屋へ行き、たんすの中からクマのぬいぐるみを取り出しました。左の耳がぶら下がっています。サキはもう一度言いました。

「ごめんなさい」



 月日は流れ、サキは十七歳になりました。

 村の子供たちは十七歳の誕生日に、森の言い伝えの本当の意味を教えられます。サキも誕生日の夜、お父さんとお母さんから聞きました。

 森にはたくさんの恵みがあります。木の実や薬草、澄んだ泉、一番奥には綿花の畑があります。誕生日ケーキに飾られる野いちごも、お医者さんがくれる風邪薬も、おいしいお水も、ぬいぐるみに詰まった綿も、みんな森からいただいたものです。森をいたずらに荒らされないよう、森を守るために、鬼につかまると言って、子供たちを遠ざけているのだと。

 サキは思いました。

「違う。鬼はいるよ。ものを大事にすることをわたしに教えてくれた。きっとあの鬼たちも、一緒に森を守っているのよ」と。

 あの日、お父さんが用意したサキへのプレゼントは、石盤とチョークでした。サキはそれでたくさん勉強しました。クマの耳は、お母さんに直してもらいました。

 サキは村で一番、ものを大事にする、立派な女性になりました。

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