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京都にての歴史物語

供華

作者: 不動 啓人

 まだ陽も昇らぬ明け方、灯火で薄暗く照らし出された堂内で、池坊専務いけのぼうせんむは自ら切った枝付きの紅き椿を数本花入れに差し込み、全体のつりあいを整えていた。すると、背後の扉を叩く者がいる。専務は椿から手を離して衣擦れの音を立てつつ立ち上がり、観音開きの片方を引いて扉を開いた。そこには右手に松明を捧げた若者が一人と、その若者に支えられながら杖を突いた老人の姿があった。

「専務殿、早いお勤めで」

「河勝殿、いかがなされました」

 訪問者が秦河勝はたのかわかつであると知った専務は、自ら河勝の腕を取り堂内へ招き入れた。河勝が堂内に入る際、従者の若者は外で待つよう命じられて狭き堂内には専務と河勝の二人だけとなった。冬の底冷えが板床に厳しく、座った二人の老人の臀部や太腿に否応なく寒さが伝わった。

 専務は己よりも十数歳年長である河勝の体を心配し、

「火を焚きましょうか?」

 と尋ねるが、河勝は首を横に振って先程まで専務が手掛けていた椿に目を向けた。

「椿ですか」

 はい、と専務は答えて、活けた椿の均整を再確認するように眺めた。

 二人は椿を眺めたまま、しばし無言の時を過ごした。河勝が静かに視線を専務に戻す。

「先程、斑鳩いかるがより使いの者が戻りまして、山背大兄王やましろのおおえのおう蘇我入鹿そがのいるかの手の者に襲撃され、一族ことごとくご自害なされました」

 皇極二年(六四三)のことである。

 河勝の口調はとても静かであったが、その目には強い悲しみが見て取れた。専務は――予期していたことだけに動転するような衝撃は受けなかったが、やはり深い悲しみが心に満ちた。

「やはり、私が護って差し上げるべきだったのだ」

 専務に報告したことにより感情の堰が破れたか、河勝は後悔を全身の震えに表して悔し涙を流した。その姿に専務は大きく溜息を漏らして、片膝を立てて河勝に近寄り、その震える肩に手を置いた。

「あなたは皇子のご意思に従ったのですから、そうご自分を責めないで下さい」

 すべては厩戸うまやど皇子の意思――


 今から二十四年前、厩戸皇子が存命で四十八歳の時、畿内を巡検された皇子が最後に河勝の本拠である蜂岡はちおかを訪れた際、それまで股肱の臣として仕えてきた河勝に職を辞するように告げたのだ。皇子曰く、己の死期が近い故にと。だが河勝は例え皇子が遷化せんげされようとも、皇子の子である山背大兄王に仕える意思がある旨伝えるが、皇子は首を縦に振らなかった。皇子曰く、

「私はそなたの力を借りて成すことを成そうと努めたが、志半ばで倒れることになる。私が倒れた時、そなたが中央に残っていると、そなたの持つ富や権力を恐れ、必ず疎ましく思い除こうとする者が出てくる。残念だが山背にはそなたら一族を庇ってやれる力はない。私は今までのそなたの協力に強く感謝している。故に、私は私の血縁の為にそなたや、そなたの一族に害が及ぶようなことにはしたくないのだ」

 皇子の決意は固く、以後河勝は斑鳩より一族を引き上げさせたのだった。


 山背大兄王は父である厩戸皇子より秦一族を政争に巻き込まぬよう遺言されていたのか、襲撃され一度山中に逃げ延びた際、従者の者より深草に退き兵を整えるようにとの進言を受けたが、民を争いに巻き込みたくないとの意思からこれを拒否し、後に自害していた。


 しばし涙してから専務の慰めに心を鎮めた河勝は、袖で涙を拭うと視線を二人が今いるお堂の本尊である如意輪観音にょいりんかんのん像に向けた。この像は元々厩戸皇子の持仏であり、皇子がこの地に訪れた際、皇子の意向によって河勝がお堂を建てて安置したものだった。

「しかし、口惜しくてなりませぬなぁ……皇子も、さぞやご無念で御座いましょうに」

 専務も如意輪観音像に視線を向け、そこに皇子の面影を見、

「あの方ほど悩み多く、そして悩み深き方はおらぬでしょうなぁ」

 瞑目して嘆息した。

――和をもって尊しとなす。

 そう理想を掲げた厩戸皇子の人生は、その理想に翻弄される一生でもあった。

 皇子の悩ましげな姿を思い出したのか、河勝は居た堪れなく如意輪観音像から目を背けるようにして専務に向かい問うた。

「私はここを建て直そうと思うのですが、いかがでしょうか?」

「結構な事とは思いますが、なぜ?」

「ご存知の通り、蜂岡寺では皇子のご威徳をお祀りしておりますが……私はここで皇子のご無念をお慰めしたいのです」

 蜂岡寺も皇子の意向により河勝によって建立された寺だった。だが、秦一族の公の寺としての性格が強く、寺の権威を高めるためにもそこで祀られる皇子は威徳ある存在でなければならなかった。故に、仏の化身である皇子が人間の如き悩みや怨みを抱いてはならないのである。それに比べ、二人のいるお堂は河勝個人のものとしての性格が強く、権威に縛られて作り上げられた存在としての皇子を祀る必要はなかった。

 河勝や専務が愛したのは、悩み多き、人間としての厩戸皇子だった。

 専務は河勝の想いを即座に理解した。そして噛み締めるように二度頷いてから、

「ならば私も、せめてものお慰めに勤めさせていただきましょう」

 と、同意の意を表した。

 二人は改めて専務の活けた椿の先に如意輪観音像を見詰め、厩戸皇子、山背大兄王をはじめとする一族の冥福を祈った。

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