其ノ八 ~雨雲ノ下~
更新速度は遅いですが、こちらも書いて行きます。
感想や評価、お待ちしています。
鵲村の天気は大雨、肌寒さを感じさせる気温。
灰色の雲に覆われた空から降り注ぐ水滴が一月の差している傘を叩き、耳障りな音を発していた。
地面の水溜りには、水滴が落ちた場所を中心にして無数の波紋が広がっている。
(そういえば……)
ふと一月は足を止めると、後ろを振り返る。
彼の視線の先には、白い和服姿の謎多き黒髪少女、千芹。
「寒くないの? そんな和服一枚だけで、傘も差さないで」
自らの後ろについて歩く女の子に、一月は問いかけた。
千芹の着衣は白い和服のみ、それだけで寒さを凌げるとは到底思えない。しかも彼女は傘を差していないのだ、雨水をまともに浴びている筈である。
いつだっただろうか、一月はどこかで聞いたことがあった。女の子が体を冷やすのは良くないと。
「それに君……」
一月は、千芹の足元に視線を向けた。
着物の裾から覗く彼女の足は何にも覆われておらず、裸足である。
肌寒い雨道を裸足で歩くのは、足を冷やす所の問題では無い。下手をすれば凍傷を起こしてしまうだろう。
「だいじょうぶ、わたしは『さむさ』なんて感じないから」
一月の心配を、千芹はきっぱりと断ち切った。
(……!?)
千芹の顔を見て、一月はふと気付いた。
(顔や髪に水滴が付いてない? この雨の中なのに……)
そう。雨の中を傘も差さずに歩いてきたにも関わらず、彼女の顔や髪には水滴が全く付いていなかった。さらに、彼女が纏う白い和服にも染み一つ見当たらない。
雨でぬかるんだ道も通った筈だった、しかし千芹の和服には微かな汚れも付いておらず、積もりたての新雪のような純白である。
一月はふと、彼女の言葉を思い出した。
『なにかにたとえれば、わたしも鬼みたいなものだよ』という言葉を。
推測の域を出ない事だが、もしかしたら彼女は廃屋で遭遇した琴音のような存在で、雨水や寒さなどの『人間の常識的な現象』を受け付ける存在ではないのかも知れなかった。
(この子は、一体……)
改めて疑問に思いつつ、一月は学校へ向かう足を進め始めた。
◎ ◎ ◎
右側の門柱に『鵲村第一高校』と刻印された校門をくぐり、一月は自らの通う高校の敷地内へと足を踏み入れた。
玄関で上履きに履き替え、階段を上がり、廊下を歩き、自身の教室『一年三組』へと向かっていく。
教室へと続く廊下の窓の奥には、雨の降る鵲村の風景が見えた。
「……あれ?」
ふと後方を振り返って、一月は気付いた。
自分の後ろを歩いていたと思っていた千芹の姿が、いつの間にか見えなくなっていたのである。
(どこに……!?)
一月は廊下を見渡した。
目に付くのは、一月の同級生の少年少女達や、壁に掛かった掲示板。それに、雨水で濡れた窓。
白い和服姿の黒髪少女は、見当たらない。
彼女は、自分の姿は一月以外の人間には見えないと言っていた。
が、やはり心配になる。万が一何かの拍子で誰かが千芹の姿を見てしまったら、騒ぎになる事は目に見えているからだ。
探しに行こうかと思った矢先、朝のホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
彼女を探しに行く猶予は、どうやら一月に残されていないらしい。
「仕方ないか……時間無いし」
耳障りな雨音が鳴り響く廊下で、一月は一人呟く。
彼は踵を返し、一年三組の教室へと入室した。
時刻は八時半頃だというのに教室内は暗い。空が灰色の雲に覆われている所為で、太陽の光が遮られているのだ。
教室内にもやはり、雨粒が窓を叩く耳障りな音が拡がっていた。
「金雀枝、遅刻寸前だぞ」
男性のやや低めの声が飛んできたのは、一月が席に着くのとほぼ同時の事。
声の主は、一年三組の担当教師の男性である。
一年三組の生徒達が、一斉に一月へと視線を向けた。一月は教科書や筆記用具類を机の上に乗せつつ、自らの担任に応じた。
「……すいません、寝坊で」
男性は出席簿を教壇に置きつつ、視線を一月から生徒達に移した。
「朝のホームルームを始める前に、今ここにいる全員に聞きたいことがある」
雨粒が窓を叩く音が響く教室の中、男性は自らの生徒達へと言葉を紡ぐ。
その面持ちは真剣だった。生徒達は皆、自身の担任の言葉へと耳を傾けている。
勿論、一月も例外ではない。
「もう知っている人もいるかも知れないが、天恒と佐天が昨日から家に帰っていないそうなんだ。親にも何の連絡も無いそうで……誰か、何か知らないか?」
静かだった生徒達が、一斉にざわめき始める。
「え、もしかして失踪事件……!?」
「文美と千早が……!?」
生徒達がそれぞれの推測や憶測を吐露する中、一月はふと思い出していた。
二人の女生徒の行方、彼には思い当たる節があったのだ。
(まさか……!?)
「ねえねえ、そういえばあの二人さ、昨日『秋崎の廃屋』に行くとか言ってた気がするんだけど」
突然、一月の隣の席の女生徒が言った。
すると、女生徒の言葉を受けた数人の女生徒が答える。
「まさかそれって、『女子中学生変死事件』で殺された女の子が住んでたっていうあの?」
「悪霊が巣食ってるって噂のある、あの家?」
「じゃあ何? まさかあの二人、悪霊に呪い殺されたとか?」
最後に言った女生徒は、恐らく冗談半分のつもりで言ったに違いない。
その時だった。
雨降りの景色を映す窓の外で、雷鳴が轟いたのだ。
教室全体が眩しく照らされ、振動が伝わる。相当大きな雷が落ちたことは、誰しも容易に想像がついた。
「――!!」
途端、一月の脳裏に廃屋で見た凄惨極まる光景が蘇った。
蘇ったというよりも、『映し出された』と言う方が正しいかもしれない。
目の前にあったものの暗い所為で見えなかった光景が、雷鳴の光と衝撃によって強引に映し出されたかのような感覚だった。
廃屋の仏間にゴミのように放置されていた、二人の女生徒の惨殺死体。
制服ごと大きく裂かれた腹部からはみ出していた胃や腸や肝臓や腎臓、見開かれた充血した両目。
命を持って動いていたとは思えない、血塗れの肉塊と化した二人の女生徒の姿。
さらに、臓物が放つ生臭い臭気までもが、フラッシュバックのように一月の脳裏へと蘇ってきた。
「うッ!!」
呻くような声と共に、一月は机に身を倒した。
その衝撃で、彼の机の上に乗せられていた教科書やノートや筆記用具が、地面へと落下した。
「……!? 金雀枝、どうした!?」
一月の異変に気付いた教師の男性が、彼に駆け寄った。
周りの生徒達も彼の異変に気付いたのか、話すのを止めていた。
「気分が悪いのか?」
「ううッ……!!」
背中をさすりつつ、男性は一月の背中をさする。
一月から返事は返って来なかった。彼は右手を口に当て、左手で腹部を抱え込むようにしていた。
誰がどう見ても、正常な状態では無い。
「保健室に連れて行ってくる」
教師の男性は周囲の生徒達に告げると、一月をゆっくり立たせ、教室の外へと連れ出した。
鵲村を覆う灰色の雨雲は、一向に晴れる気配が無い。
雨脚は収まる所か次第に強くなり、再び巨大な雷鳴が轟いた。