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其ノ六 ~鬼~

「ん……っ……」


 雨粒が窓や屋根を叩く耳障りな音が、辺りを満たしていた。

 気が付いた時。一月は仰向けの状態で寝そべっていた。

 うっすらと目を開き、ぼやけた視界に一番最初に映し出されたのは、天井だった。毎朝、布団の上で眠りから覚める際に否応なく視界に入る天井。

 いつも見慣れた、一月の自室の天井だった。


 体を起こし、辺りを見渡す。畳張りの床、布団を収納する押入れの襖、椅子、机。

 一月は理解した。間違いなく、ここは自分の家の、自分の部屋だった。


(どうして僕は、ここに……)


 自分が今、自室にいる。この状況に対して、真っ先に疑問が浮かんだ。

 何故なら、一月はつい先ほどまで、琴音が生前祖母と二人で暮らしていた家にいた筈だったからだ。

 はっきりと頭に残っている。人の営みがあったとは思えない程に荒廃した廃屋、ページ一面に『殺してやる』と書かれていた琴音の日記帳、仏間の二人の女生徒の死体、鼻を曲げられそうだった腐臭に、アンモニア臭。


(……そうだ!! 警察に……!!)


 一月はポケットから携帯電話を取出し、『110』を押す。そして片耳に携帯をあてる。

 二人の女生徒が殺されていたのだ、兎にも角にも、警察に通報しなければならない。


『はい、こちら110番です』


 携帯から、女性の声が応答した。


「あの、実は……!!」


 その時。一月の脳裏に、ある事柄が引っ掛かった。

 確証は無い物の、状況的にあの二人の女生徒は、恐らく廃屋に足を踏み入れたために殺された。

 一月自身も、あの廃屋に入った所為で殺されそうになった(結果的には、あの白い着物の少女に助けられたお蔭で、死なずに済んだのだが)。

 だとするならば、警察に通報したりすれば、どうなる?

 自分の通報を受けて、もしも警察の人間が、あの廃屋に足を踏み入れたりすれば――。


「っ……」


 答えはただ一つ。間違いなく、琴音の霊に殺される。

 あの無残に腹部を裂かれた死体が、さらに増えることになる。


『もしもし? どうしました? もしもし?』


 携帯を耳から離して、一月は電話を切った。

 駄目だ。こんなことをすれば、新たな犠牲者を増やすだけだ。

 息を吸った後、一月は大きくため息を吐いた。


(もう、何がどうなってるのか……)


 廃屋に巣食うように潜んでいた琴音の霊に遭遇した事。

 そして。眼前に突然現れた、白い着物に長い黒髪の幼い女の子。


 だが。一月の脳裏に一番大きく、鮮明に焼き付いていた出来事は、琴音の悪霊に恐ろしいほどの憎しみと殺意に溢れた目を向けられ、彼女に殺されそうになったことだった。


 非現実的なことばかりが起こって、心身が疲弊しているのかも知れなかった。

 立ち上がった途端。全身から力が抜け、一月は壁に寄り掛かった。

 すると、机の上の写真立てに収められた、生前の琴音と二人で撮った写真が視界に入った。

 中学二年の頃の、剣道大会の時の写真。


「……」


 一月は写真を見つめる。ぎこちない笑みを浮かべる一月。その隣で、満面の笑顔を浮かべる琴音。

 廃屋で遭遇した琴音には、最早この写真に映っている、彼女の面影など無かった。

 彼女からは笑顔も優しさも消え去り、まるで憎しみや殺意や怒り。

 人間の持つおおよその負の感情が連なり、形を成したような雰囲気だった。


「どうしてだ、どうしてなんだよ……!!」


 思い出すたびに、心臓が凍りつきそうな想いになる。

 一月は困惑していた。意味が分からなかった。

 琴音に殺されそうになったこと以上に、どうして彼女があんな姿で現世にいるのか。

 ふと、廃屋の琴音の部屋で見た日記が気になった。

 彼女が殺される前日のページだ。汚れと傷みが酷くて、断片的にしか読み取れなかったページ。

 琴音が殺された日の前日に、一体何があったのだろうか。


「きがついた? いつき」


 と、その時。幼い少女の可憐な声が一月を呼んだ。

 声の方を振り向く。


「!?」


 机の上に、一人の幼い女の子が座っていた。

白地に何かの花があしらわれた着物に、長い黒髪。可愛らしい外見に反し、凛とした瞳。

 間違いない。廃屋でいきなり現れた、あの女の子だ。

 さっき部屋を見渡した時は確かに居なかった。一体、いつどこから現れたのだろうか。


「どうかした?」


 机に腰かけたまま、少女はきょとんとした表情で言った。


「……君、一体どこの誰? 何であの廃屋に……!?」


「それはこっちのせりふだよ。いつき、なんであの廃屋にはいったの?」


 一月の言葉を、少女は鏡で反射するかのように、そのまま返した。

 思わず唖然とする。突然の出来事に戸惑い、返す言葉を見つけられなかった。


 少女は、ぴょん、と机から小さく跳ねて下り、一月へと歩み寄る。

 そして彼女はその凛とした瞳で、真っ直ぐに一月を見上げた。

 幼い外見に似合わず、真剣な眼差しだった。


「はいったらだめだって教えてあげたでしょ? なんではいったの?」


 戸惑う一月に、少女はさらに言葉を重ねる。

 まるで、立場が逆転したような感じだった。

 見るからに年下の女の子にここまで詰問された事など、未だかつてない。


「え? どういう……」


 最初はその言葉の意味が理解できなかった。

 しかし数秒後、一月はある出来事を思い出した。

 そう。あれは、あの廃屋に足を踏み入れようとしていた正にその時。

 後ろから幼い少女の声で、『廃屋に入るな』と警告された。あの時、咄嗟に後ろを振り返ったが、声の主は分からなかった。


「まさか……!!」


 容易に察しがついた。

 そう。あの声は、今目の前にいる、この少女が発した声だったのだ。


「わかった? わたしが助けなかったら、いつきはあの鬼にころされてたんだよ?」


 ぞっとするような事を、少女は包み隠そうともせずにはっきりと告げた。

 琴音に首を締められた時の事を思い出し、気分が悪くなった。


「……?」


 ふと。一月の頭に、少女の言葉の一部が引っ掛かった。

 いつきはあの鬼にころされてたんだよ、彼女は間違いなくそう言った。

 そういえば、廃屋の時も彼女は、琴音の事を『鬼』と言っていた。


「鬼って何? あれは、琴音の霊じゃ……」


「れい? あれはそんな生易しいものじゃない。あれは鬼なんだよ?」


 一月は理解できず、困惑する。

 鬼と言われて真っ先に浮かぶのは、桃太郎に出てくるような、体が大きくて、角が生えていて、棘のついた金棒を持っている姿。

 廃屋で遭遇した琴音は、そのどれにも該当しない。


 少女は一月の目をじっと見つめ、返事を待っていた。

 しかし、一月は困惑した表情を浮かべるだけで、その口からは一向に返事が返って来なかった。

 部屋の中には、耳障りな雨音だけが響き続けている。


「……わからないんだね。だったらおしえてあげる」


 言葉に発せずとも、少女には一月の意思が伝わったらしい。

 彼女は一瞬だけ目を瞑り、息を吸う。そして再び一月の顔を見上げ、口を開いた。


「……『人が死を迎ふる時、その肉体は土へと帰るが、生前にその者が抱きたりし想ひは現世に残る』」


 そして突然、少女は意味不明な言葉を並べ始めた。


「え、え……!?」


 一月に構わず、少女は続ける。


「『怒りや恨み、憎しみ、嫉み。現世に残されし死人達の負の想ひは連なり、寄り添い、やがて“鬼”となりて形を成す』」


「…………!!」


 始めは意味不明だったが、彼女の言葉を聞いていて、一月の頭に何かが浮かびそうになった。

 この言葉の羅列、いつかどこかで聞いたことが……


「『“鬼”となりし負の感情の塊は、行き場のなき想ひを鎮める生贄を求めて生者を襲い、死の世界へと誘ふ』」


 どこだ? 一体どこで聞いた?

 穴を掘り返すように、一月は記憶を辿り続ける。


「『死の世界へと誘はれし生者の魂は“鬼”の負の思念に取り込まれ、思ひ出も記憶も、理性も全て失ひ、“鬼”の一部となる』」


 深く、もっと深く記憶を辿り――ようやく一月は思い出した。


「鵲村の、古い言い伝え……」


「……おもい出したんだね。そのとおりだよ」


 そして、少女はこう続けた。


「あれは鬼。なんにんもの亡者の、負のかんじょうの塊」






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