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其ノ終 ~さようなら~

 「ん……」


 一月は目を開く、始めに彼の視界に映ったのは見慣れた天井。

 この状況はこれで何度めなのか、一月は自室の床に仰向けに横たわっていた。

 しかし、これまでとは違う点が一つ。


(……雨、上がったのか)


 そう、耳障りだった雨音が一切止んでいた事。

 窓を見つめると、灰色の曇天だった空が嘘のように澄み渡り、鮮やかな青色になっていた。

 快晴の空から照りつける太陽の光が、窓を通じて一月の体に降り注ぐ。


「ん……」


 その場で体を起こす、太陽の光が眩しく感じた一月は、目を細めた。

 と、彼の後方から――。


「おはよう、いつき」


 少年の聞き慣れた、幼い少女の声。

 一月が後ろに振り返ると、白和服姿の幼い女の子が、正座して座っていた。

 新雪のような着物の袂や、艶を持つ黒い髪がまるで流れを作るように、床に広がっていた。


「……」


 一月は彼女――千芹と視線を合わせて、小さく頷いた。

 そして彼は、壁に掛けられた視線に目を向ける。

 時計の針は、午前十時を指し示していた。


「鬼をたおして、あの廃屋から帰ってきて……いつき、そのままねちゃったんだよ」


 ふと、一月は左足と右腕に手を当てた。

 鬼と成った琴音に、刀で傷を付けられた箇所である。

 しかし、痛みも出血も無かった。


「傷……わたしが手当てしといたから、もうだいじょうぶ」


「……そっか、ありがとう」


 返事を返すと、一月は携帯を取出し、日時を確認した。


(土曜日か……)


 学校は、休みの日だった。

 それを確認すると、一月は携帯を仕舞い、立ち上がる。

 高校の制服姿のまま、彼は部屋から出て行こうとする。


「どこ行くの?」


 千芹が、彼の背中に問いかける。

 一月は足を止めて白和服少女を振り返り、答えた。


「学校も休みだし、行っておきたい場所があるんだ」


「?」


 怪訝に思いつつ、千芹は一月の後ろに続いた。



  ◎  ◎  ◎



 一月が足を運んだ先は、鵲村の墓地だった。

 数多の墓石が整列するように並び、鵲村で亡くなった人々が安置されている場所。

 村が運営し、宗教などは特に関係なく墳墓を提供する仕組みの墓地だ。

 墓石が並ぶ場所から離れた所には草木が青々と茂っており、開いた花には揚羽蝶が舞っていた。

 昨日までの雨で草木に残された水滴が太陽の光を受け、真珠のような煌めきを帯びている。

 

「……」


 一月はある一つの墓石の前で片膝を折り、両手を合わせていた。

 灰色の墓石には、黒い字でこう刻み付けられている。


 ――秋崎家先祖代々之墓


 秋崎とは、琴音の名字である。

 二年前に殺された琴音も、この場所に安置されているのだ。

 どれほどの間、彼女に祈りを捧げたのだろうか。

 一月は閉じていた目を開き、立ち上がった。


「いつきの来たいばしょって……ここだったんだね」


 一月の後ろに立つ千芹が言った。

 すると、大きな揚羽蝶が一頭、白和服少女に向かってひらひらと舞ってきた。


「あ……」


 彼女は蛇口から出る水を掬ぶように、両手の平を上に向けて合わせる。

 すると揚羽蝶はまるで、誘われるように彼女の手に舞い降りた。


「……ふふ」


 自身の手の上で羽を広げて止まる揚羽蝶、小さな命を見つめつつ、少女は可愛らしく微笑んだ。

 

「さ……おいき」


 千芹は、小さな透き通った声で呟く。

 すると彼女の手のひらの上で羽を休めていた蝶が、晴天の空に向かって舞って行った。

 まるで、少女の言葉を理解したかのように。


 天に向かって舞い行く蝶を見届けた後、千芹は一月の後ろ姿に視線を移した。

 少年は何も言わず、目の前の墓石を見つめている。


(琴音……)


 墓石に彫られた苗字を見つめつつ、一月は心中でその名前を呼ぶ。

 もう二度と逢う事は出来ない、彼の想い人の少女の名前を。


 ――僕はこれから、どうやって生きて行けばいいのか?

 ――彼女が殺される原因を作り、剰えのうのうと生きる事など……赦されるのか? 

 ――あんな酷い事を言ったまま、彼女に謝る事も出来ずに……。


「……!!」


 一月は固く目を閉じる。

 まるで自責の念に駆られるような気持ちが、彼を支配していた。


(……本当に、これで良かったのか? あのまま鬼に成った琴音に殺されていた方が、相応だったんじゃ……)


 決して考えてはいけない事だと言うのは、一月自身が良く分かっていた。

 けれど、頭で分かっていても――彼は考えてしまう。

 廃屋で鬼となった琴音と戦った時、彼は生前の琴音の声が聞こえた。

 しかし、その声で琴音は一月に助けを求めはしたものの、彼に『生きて欲しい』とは言わなかった。

 彼女が一月に、本当は何を望んでいるのか――その答えは永久に出ないままだ。 


(僕は……)


 一月が心中で呟いた、数秒の後。 


「ねえ、いつき?」


 後ろからの、自身を呼ぶ声。

 一月は完全に後ろを振り返らず、横目で声の主を見つめた。

 白和服少女、千芹の視線が一月と合わさる。


「何?」


 鵲村の墓地に風が吹いた。

 草木の匂いを纏った風が、千芹の腰まで伸びた黒髪を優雅に靡かせる。    

 そして少女は、少年に問いかけた。


「いつきは今でも……ことねの事がすき?」


「……!!」


 それは、一月にとって思いもしない質問だった。

 彼は返す言葉を探すように、視線を千芹から外し、彼女に背を向ける。

 そして再び、墓石を見つめた。

 琴音の名字が彫り込まれた、墓石を。


(……)


 何も言わずに、一月はアルバムをめくり返すように、頭の中で琴音との思い出を辿る。

 小学校の頃、剣道場で初めて彼女と会った事。

 知り合ってから、共に剣道の稽古に励んだ事。

 放課後に、公園や家で一緒に遊んだ事。

 琴音と数人の友達と共に、神社での祭りに行った事。

 彼女手作りの、今も制服のポケットの中に入っているクマのマスコットを貰った事――。


 琴音の笑顔や、優しさや、彼女が時に見せた厳しさや脆さ――まるで砕かれたガラスの欠片をばら撒くように、一月の頭の中に浮かんで来た。

 暖かくて、甘酸っぱくて、一月にとってこの上無く幸福な思い出――。

 

 自身にとっての一番大切な物を思い返した時、一月は千芹への答えを見つけることが出来た。

 再び千芹と視線を合わせ、一月は答える。


「勿論、大好きだよ」


 どれだけの歳月が経っても、彼女がこの世から居なくなってしまっていても。

 それでも彼の、一月の琴音に対する気持ちは全く変わらなかったのだ。


「それなのに……僕は……」


 だからこそ、自分が彼女に言った事を思い出すと、一月は胸が締め付けられるような気持ちになる。

 耐え難いほどに、心が苦しくなる。


「僕は琴音に……あんな酷い事言って……!!」


 少年の声が、涙で震えはじめる。

 

「あんな事言ったまま……謝る事も出来ないで……!!」


 溢れ出した涙が、一月の頬を伝い、地面に落ちる。

 少年はもう、言葉を重ねようとはしなかった。

 白和服少女に背を向けたまま、彼は小さな嗚咽の声と共に、静かに泣き始める。


「……」


 千芹は何も言わず、その後ろ姿を見つめていた。

 彼女の耳にも、一月が漏らす嗚咽の声が届いて来る。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 意を決したような表情を浮かべた後、千芹は一月の後ろ姿に向かって、言った。


「……ありがとね」


 と。

 彼女の感謝の言葉の意味が、一月には理解出来なかった。


「……え?」


 嗚咽の声を止め、一月は先ほどと同じく、横目で千芹を見る。

 涙で潤んだ視界に、千芹が映った。

 そして、幼い少女は風に黒髪や白和服を靡かせながら――満面の笑顔を浮かべた。

 穢れなく無垢な、可愛らしい笑顔を。

 そして――。






「いっちぃ」






 紛れも無く、彼女は一月をそう呼んだ。

 風は止まずに、墓地に立つ二人を包み込んでいる


「……『いっちぃ』って……そんな琴音みたいな……」


 一度、千芹から視線を外した一月。


「……!!」


 彼は直ぐに気付いた。

 その表情が、みるみる驚愕の色に染まって行く。

 もう一度彼は、千芹を見つめた。

 千芹は何も驚く様子も無く、ただ微笑みを浮かべたまま、一月を見つめていた。


「……琴音……!?」


 自身を『いっちぃ』という名で呼んでいたのは、一月は一人しか知らない。

 そう、琴音である。

 しかし今――目の前に居る白和服少女もまた、自身を『いっちぃ』と呼んだ。

 思い返せば、千芹もまた鬼と同じく、人智を超えた存在だった。

 

「まさか……琴音なの!?」


 突然現れ、自身を何度も危機から救ってくれ、自分が折れそうになった時は決しに励ましてくれた彼女。

 しかも、琴音しか知り得ない自身の愛称を知っていた千芹。

 一月の中で、その仮説は容易に立てられた。

 

 彼は上手く言葉では言い表せなかったが、千芹は琴音と何らかの繋がりがある存在――。

 例えば、死に際に彼女の善良だった部分が、形を成した存在だという事。


「……」


 千芹は何も、答えなかった。

 けれど、その瞳にはなみなみと涙が溜まっていて、頬を伝って流れ落ちた一雫が、陽の光を反射した。


「お母さんや先生に……心配かけたらダメだよ」


「え……」


 千芹の話し方が、変わった。

 

「私の為にいつまでもしょげてるなんて……そんないっちぃ、絶対許さないから」 


 まるで、別人格になったような口調。

 けれどもその声はこれまでと変わらず可憐で、透き通るような心地よい響きがあった。


「琴音……僕は……!!」


「言わなくてもいいよ、分かってる」


 すると、千芹の体が急に指先から光の粒と成り、まるでシャボン玉のように天に昇って行く。

 光の粒は、まるで夜闇の街頭に照らされた雪の粒のように、淡い光を帯びていた。

 

「ごめん。私は役目を終えたから、もう……行かなくちゃ」


「……お別れなの?」


 涙声で、一月は少女に問いかける。

 彼女は何も言わずに、首を横に振った。


「大丈夫、またきっと……会えるよ」


 光の粒となっていく自らの手の平を見つめ、少女は応じた。

 焦る様子も無く、まるでその事を受け入れるように――落ち着いていた。


「本当に……!?」

 

 一月が問いかけると彼女は今度は首を縦に振った。


「鬼が居る所には、いつだって私達が居るから……」


 もう一度、千芹は満面の笑顔を浮かべた。


「もうちょっとだけ一緒に居たかったけど……また会える時まで、じゃあね……」


 再び、墓地に風が吹いた。

 今度はかなり大きな風で、木々をざわつかせ、小さな砂埃を舞わせるほどだった。


「うっ!!」


 一月は、両腕で顔を覆った。

 風が止んだのは、数秒後。

 視界を取り戻した一月は、数秒前まで居た筈の少女が、目の前から消えている事に気付いた。


「……!!」


 白和服姿の少女は、どこにも居なかった。

 一月は、思わずその場から駆け出した。

 そして墓地の周辺を見回すが、やはり彼女はもう何処にも居ない。


「あ……!!」


 白和服少女の姿は見えなかった。

 けれど一月は、晴天の空に昇って行くそれを見つけた。

 無数の、淡い白色の光の粒だ。


「……」


 何も言わずに、彼はそれを見つめていた。

 光の粒がもう見えなくなっても、彼はその場所に佇むように立っていた。 

 恐らく、琴音の為に流すのは最後になるであろう涙を――その頬に伝えつつ。 



  ◎  ◎  ◎



 それから、二か月余り――。

 十一月を迎えた鵲村。

 その日の天気は晴れていたが、冬に入り始めているだけあり、気温は着実に低くなっていた。

 場所は、鵲村修剣道場――少年は剣道着に身を包み、稽古に励んでいた。

 

「おおおっ!!」


 覇気に満ちた掛け声と共に、彼は対戦相手の面を打ち取る。


「一本、勝負あり!!」


 剣道着に身を包んだ二人の少年の試合を見ていた男性が、告げた。

 数秒前まで試合をしていた二人の剣道少年は、向かい合う位置に移動し、互いに一礼する。

 

「ふう……」


 相手の面を打ち取り、勝利した少年は面を外す。

 彼は、金雀枝一月だった。

 二年間背負って来た物と決着を付けた彼は、再び剣道場へ入門し、剣道を始めた。

 加えて、高校の剣道部に入部し、再び剣道の道を進み始めたのだ。

 千芹が(一月にとっては琴音が)言った、『私の為にいつまでもしょげてるなんて……そんないっちぃ、絶対許さないから』という言葉が、よほど彼に影響を与えたらしい。


「凄いですね一月君、二年間のブランクなんて、もうあっという間に埋めてしまいましたよ」


 道場の傍らで、二人の女性が一月の試合を見ていた。

 一人は、この剣道場の教員である女性、漣朋花。

 もう一人は、一月の母である。


「何だか何時からかあの子、急に昔みたいに元気な性格になって……また剣道初めて、高校でもクラスメイトの子達と打ち解けるようになったんです」


 応じたのは一月の母である。

 一月が変わったのは、突然の出来事だった。

 琴音が亡くなって以来、まるで火が消えたようだった一月が急に元気を取戻し、元の明るい少年に戻ったのは。

 

「何か、彼に心の変化があったんでしょうか?」

 

 朋花が、一月の母に問う。


「私には分かりません。でも、もしかしたら……」


 一月の母は、修練場の床に置かれたバッグに視線を向ける。

 バッグは一月の物で、普段は高校の授業道具を入れる為に使うが、剣道場に行く際はタオルなどを入れる為に使用する物。

 チャックの部分に、銀色のチェーンでマスコットが吊り下げられていた。

 クマのマスコットである。


 一月がこれを誰から貰ったのか、一月の母は知っていた。


「もしかしたら、琴音ちゃんがあの子を……一月を助けてくれたのかも」


 稽古の休憩時間。

 試合を終えた一月は、面だけを取り外した剣道着姿で、ペットボトル飲料を口に当てていた。

 彼の渇いた喉を、冷たい茶が潤していく。


「……!!」


 ふと、彼は剣道場の壁に据え付けられた窓に視線を向けた。

 窓越しに、雲一つ浮かばない快晴の空が見えた。

 

「……気のせいか」


 金雀枝一月は再び面を被り、剣道の稽古へと励む。



  ◎  ◎  ◎



 鵲村の空の下に、一人の幼い少女が居た。

 まるで見えない床に立つように、天に浮かぶ彼女。

 純白の和服を着ていて、腰まで伸ばされた艶やかな黒髪が、印象深かった。


 ふと、彼女は空中で止まり、自身の下に広がる鵲村を見つめた。

 彼女の視線は、鵲村の修剣道場に向いていた。

 

「……」


 何も言わず、彼女は剣道場を見つめる。

 空中に吹く風で、その黒髪や和服が天を泳ぐように靡く。

 そして彼女は、優しく微笑んだ。 


「さようなら……ううん、またね……」


 剣道場を見つめ、白和服少女は誰にともなく呟いた。

 そして彼女は再び、空中で踵を返すように天を振り返り――空へと昇って行った。


 やがて、白い和服姿の少女の姿は、天から射す日の光に溶け入るように――誰にも、見えなくなった。


















 



 人が死を迎ふる時、その肉体は土へと帰るが、生前にその者が抱きたりし想ひは現世に残る。


 怒りや恨み、憎しみ、嫉み。現世に残されし死人達の負の想ひは連なり、寄り添い、やがて『鬼』となりて形を成す。

 

 鬼となりし負の感情の塊は、行き場のなき想ひを鎮める生贄を求めて生者を襲い、死の世界へと誘ふ。

 

 死の世界へと誘はれし生者の魂は鬼の負の思念に取り込まれ、思ひ出も記憶も、理性も全て失ひ、鬼の一部となる。
















 また、死人が遺した正の想ひ。


 他者への慈愛や慈しみの心や優しさもまた現世に残され、幼き子供の姿を形作り――鬼と相成す存在、『精霊』となる。


 精霊は死人が生前に想いし者の前に姿を現し、その者を助ける為、鬼から救ふ為に善行を成す。





 ――鵲村の古い言い伝え。















 金雀枝一月



 秋崎琴音/千芹/鬼



 黛玄生



 一月の母



 漣朋花



 佐天文美


 

 天恒千早

                   





              









          鬼哭啾啾 ~置き忘れた一つの思い出~


























                    終



























『鬼哭啾啾』は、これで完結です。

完結してからも、感想や評価は受け付けていますので、是非ともお願いいたします。





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