其ノ拾九 ~一月ノ決意~
「それ、元の場所に戻したんだと……てか、どうやってここまで持って来たの!?」
千芹が『霊刀・天庭』を一月に差し出した時、一月は驚愕した。
見付けた元の場所に戻しておけと命じた筈だったが、白和服少女は言う通りにはしていなかったらしい。
だが、千芹の他の持ち物――小刀や竹筒と違って、古びた真剣はそれなりに大きさがある。
袂に仕舞っておくことは、出来ない筈だった。
「ずっともってたよ? あのけんどうじょうで見つけた時から」
「そんな訳……!!」
一月が言い終える前に、千芹が言葉を挟んだ。
「わたしはね、もってるものを人に見せないようにすることも出来るの」
途端、千芹が両手に持っていた真剣が消え去る。しかし、彼女の両手は剣を持つ体制のままだった。
一月は手を伸ばし、千芹の手の平に触れようとする。
が、カツンという音と共に、見えない物に阻まれた。
やはり千芹の言う通り、一月には見えていないだけで、真剣は千芹の両手の上に乗っているのだ。
「ほらね? ほんとうでしょ?」
千芹の両手の上に、再び古びた真剣が現れた。
真剣は千芹の意思で一月には見えていなかっただけで、ずっと彼女の手の上にあった。
故に、『現れた』という表現は適切ではないかも知れない。
「っ……」
この小さな女の子は、こんな事も出来たのか。
自身を見上げる千芹と視線を合わせつつ、一月は心の中で感嘆する。
「お願いいつき。ことねを止めることは、いつきにしか出来ないの」
小さな少女は、自らを見下ろす少年に懇願する。
が、一月は首を縦に振ろうとはしなかった。
「どうして、僕にしか……!?」
千芹が口にした、『いつきにしか出来ないの』という言葉が気になったのだ。
真剣で琴音を止めるのならば、剣を扱えれば誰でも良い筈だったから。
別に、一月に限定する必要性は感じられなかった。
千芹は剣の鞘に刻印された文字を指でなぞりつつ、応じる。
「この刀、霊力がよわまってるの。このままじゃ、鬼になったことねに相対できない……」
「なら、それはもう役に立たないんじゃ……!!」
どのような刀なのかは分からない。
しかし、何にせよ――琴音に相対する力を有していないのならば、一月には無用な長物であるように感じた。
「ううん、そんなことないよ?」
首を振りつつ、千芹は返した。
「わたしがこの刀に宿れば、霊力を補えるから」
「え?」
一月は一瞬、千芹が言った言葉の意味を理解出来なかった。
白和服少女は、「くちで言うより、やってみたほうが早いかな」と小さく呟いて、手に持った真剣を一月へ差し出した。
差し出すと言うよりも、一月の胸へ押し当てるという感じである。
「わ、と……!?」
驚きつつ、一月は真剣――天庭を受け取る。
握った鞘は冷たく、これまで感じた事の無い、不思議な感触を一月に感じさせた。
一瞬、鞘の表面に刻印された文字に気を取られたが、一月は直ぐに、千芹へと視線を戻す。
千芹は目を閉じ――小さな手を組み、経のような言葉を呟いていた。
(……? 何を……)
一月が心中で呟いた、次の瞬間。
それは、起こった。
「!?」
眼前の出来事に、一月はただ驚嘆一色。
経のような言葉を唱え終えると同時に、千芹は口を閉じ、組んでいた両手を左右に小さく広げる。
途端、千芹の体が青い光を纏った。
鬼を追い払う際に千芹が小刀に纏らせたのと、同じ光である。
すると今度は、千芹の小さな体が宙に浮かんだ。
風も無いにも関わらず、彼女の白和服が靡くように揺れる。
腰まで伸ばされた艶やかな黒髪が、左右に広がっていた。
「っ……」
一月は無言で、眼前の千芹の姿に見とれるのみ。
青色の光を纏い、宙に浮き、白和服や黒髪を靡かせる彼女はまるで御仏のように神々しく、幻想的で――そして言葉では表せない程に、美しかった。
数秒の後、一瞬大きな光を放った途端。
千芹は青い光の玉へと姿を変え、吸い込まれるように一月の持つ天庭へと向かう。
「!!」
驚く一月を余所に、元々千芹だった青い光の玉は、彼が持つ天庭へと重なり――吸収される。
すると、天庭が青い光を纏い始めた。
青い光が纏った瞬間、氷のように冷たかった鞘が、一月には温かく感じる。
《こういうことだよ、いつき》
青い光を纏う天庭から、千芹の声が聞こえた。
耳が聞いたような声では無く、一月の頭の中に直接届くような感覚の声である。
《今、わたしはこの刀にやどってるの。わたしの霊力もいっしょに》
半信半疑になりつつも、一月は天庭を見つめる。
《この刀だけだったら無理だけど……これなら、ことねの力にも立ちむかえる》
青い光が天庭から離れ、再び青い光の玉と成り、宙に浮く。
光の玉が一瞬強い光を放ったと思った瞬間、千芹の姿が現れた。
とん、と彼女は病院の床に着地する。
「……」
一月は、その両手に持った真剣――天庭を見つめていた。
琴音を止める手立てはある。しかし彼は、決断できずにいるのだ。
「……いつき、ことねを止めてあげられるのは、あなただけなの」
「……!?」
一月は、視線を天庭から千芹へ移した。
「わたしは、いつきにしか力を貸せないから……」
千芹の姿は、一月以外の人間には認知できない。
よって、彼女が力を貸すことも、一月以外の人間には出来ないのだ。
「だからお願い、ほかの人じゃだめなの……」
哀願するような眼差しで一月を見上げ、千芹は懇願する。
一月が琴音を止めなければ、これからも犠牲になる者が現れる。
廃屋に足を踏み入れてしまった二人の女子高生のように、無残に殺される者が――。
千芹は何としても、一月に琴音を止めて欲しかった。
彼に、悲劇の連鎖を断ち切って欲しかったのだ。
「だけど、僕には彼女を斬るなんて……!!」
しかし、一月は千芹の望む返事を返さない。
そう。鬼に成ったとしても、あれが琴音であることに変わりは無いと、一月は思っていた。
自身の想い人であった少女に刃を向ける事など、一月には出来ない。
「いつきの知ってることねは、あんな恐ろしい事をする人だった?」
「……!!」
間髪入れずに返ってきた千芹の返事に、一月は口をつぐんでしまう。
彼は思い出す。
廃屋で見た、二人の女子高生の無残な惨殺死体。
黛の著書で見た、行方不明となっている数々の人々。
黒霧に吊り上げられ、殺されそうになった母の事。
全て、琴音が撒き散らした呪い――鬼と成った彼女がもたらした惨劇だ。
「いつきにだって分かってるでしょ……? もうあれは、ことねじゃないの」
一月は、本当は分かっていたのかも知れない。
自身の想い人であった少女は、もうこの世の何処にもいない事を。
優しかった秋崎琴音は負念に飲み込まれ、人に災いを成す鬼と化した。
一月は大きく息を吐く。
(いつき……!!)
千芹は、天庭を持つ一月の手に自身の手を重ねる。
白和服少女の手は温かく、柔らかいぬくもりが感じられた。
少女は、少年の瞳を見上げつつ、
「悲しい事をぜんぶ、終わらせにいこう?」
「……」
一月は何も言葉を返さなかった。
けれども、千芹には分かる。
少年が、どんな気持ちを心の中に押し留めているのかを。
「だいじょうぶ、わたしもいつきと一緒にいくから……」
まるで鈴の鳴るような優しげな声で、千芹は一月に語りかける。
すると、押し黙っていた一月が、口を開いた。
「……分かった。……止めに行こう、鬼を」
一月は、『琴音を』と言わずに『鬼を』と言った。
彼の言葉は、琴音に対しての葛藤を切り捨てたように、千芹には感じられた。
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