其ノ拾四 ~霊刀~
千芹が真剣と共に見つけた便箋には、ボールペンで書かれた文字が並んでいた。
一月には、筆跡で黛の文字だと分かる。
その内容は――。
『初めに断りを入れておく。もしもこの手紙を読んでいる貴方が、この内容を馬鹿馬鹿しいと思っても、決して判読不能になるような状態にはしないで欲しい。
否、してはならない。
ここに書かれている事は、何人もの人間の生命に関わる重大な事項である』
その出だしから始まっていた。
続きの内容は、
『調査の結果、やはり私は女子中学生変死事件、並びに一連の失踪は、鵲村の言い伝えに出てくる鬼と呼ばれる存在によって齎された物と判断した。
そして、鬼を止める為の手段も見つけ出した。
だが、私には、この鵲村に現れたあの恐ろしい鬼を止めることが出来ない。
独自調査によってここまで辿り着いたのだが、あと一押しが出来そうに無い。
日に日に、私の体調は悪化の一途を辿っているからだ。
時期に私は、村外の病院へ入院せざるを得なくなるだろう』
一月は、唾を飲んだ。
漣から既に聞いていた事なのだが、自分のかつての師だった男性が病に蝕まれていた等とは思いもしなかった。
『ここから先は、是非とも心して読んでほしい。
もしも、この手紙を読んでいる貴方が、この内容を真実と受け止めてくれるのなら。
貴方の手で、鬼を退治して欲しい。
貴方の手で、この悲劇の連鎖を断ち切って欲しい。
そして、かつて私の剣道の教え子だった彼女――秋崎琴音さんを、救い出して欲しい。
琴音さんは鬼に取り殺され、彼女は今、鬼の一部と化している。
彼女の死の真相を知るべく、私はルポライターとして駆けずり回ったが、鬼に取り込まれた彼女を目前にして、体調を崩すという不甲斐ない結果に終わってしまった』
(……やっぱりそうだったんだ、黛先生も、琴音の死の真相を……)
黛も、一月と同じだった。
彼もまた、琴音の死の真相を探していたのだ。
そして、その先には――黛が見つけ出した、『鬼を止める方法』が記されていた。
『鬼は人間の抗いが通じる相手ではないが、霊的な力ならば相対する事も可能である。
この便箋の側に、霊的な力を秘めたある品を置いておいた。それを見て欲しい』
霊的な力を秘めた品が何なのか、一月には簡単に想像できた。
彼は、千芹が見つけた真剣に視線を向ける。
真剣は、千芹が持っていた。
白和服姿の少女は、指で鞘の表面に刻印された謎の文字をなぞりつつ、呟く。
「おん・あぼきゃ・べいろしゃのうまかぼだら・まにはんどまじんばら・はらばりたや・うん……」
どうやら、千芹は鞘の漢字の羅列を読む事が出来るようだった。
千芹は視線を真剣の鞘から、一月へと移す。
「この鞘にほられてるの、真言だよ。このけん、まよけの霊力がこめられてるみたい……」
一月は、便箋を読み進める。
『“霊刀・天庭”。
鵲村の名のある僧侶が自身の手で作り出し、自ら魔除けの力を込めた真剣である。
願わくば、私に出来なかった事を、この便箋を手に取った貴方に託したい。
――黛 玄生。』
真剣には、『天庭』という名前があるらしい。
便箋を最後まで読むと、一月は無言のまま、大きく息を吹いた。
彼は便箋を元のように四つ折りにする。
「いつき、その手紙わたしにも見せて」
千芹が一月に向かって小さな手を伸ばす。彼女の白い和服の袂が、優雅に広がった。
一月は何も言わずに、千芹へと便箋を手渡す。
白和服の少女は便箋を受け取ると、その内容を読み始めた。
(……)
一月は視線を外した。
彼は教官室の壁にもたれかかり、天井を見上げる。
まるで疲弊したかのように、再び息を吹く。
「……どうするの? いつき」
便箋に書かれた黛の言葉を読み終えると、千芹は一月に問いかける。
彼女の『どうするの?』という言葉の意味は、便箋に書かれた内容についてだろう。
黛は、自らが成せなかった事を誰かに代わって成し遂げて欲しかった。
誰かに鬼を――琴音を殺し、彼女を取り込み、今も廃屋に巣食っている鬼を止めて欲しいのだ。
便箋に書かれた内容ならば、共に見つけた真剣でそれが可能な筈だ。
恐らく黛は、誰かがこの役目を負ってくれるという微かな望みを込めて、この手紙を綴ったのだろう。
だが、まさか自身のかつての教え子だった一月が手紙を見つけるとは、思っていなかったかも知れない。
「……」
まるで考え込むように一月は無言を貫いていた。
そして、沈黙の後――彼は目を瞑り、首を横に振った。
「僕には、無理だよ」
まるで絞り出すかのように、一月は続ける。
「たとえあんな姿でも、あれは琴音なんだ」
廃屋で遭遇した、鬼と化した琴音。
最早生前の彼女の面影は、何処にも無かった。
彼女からは笑顔も優しさも、ぬくもりも消え去り――彼女に残っていたのは、凄まじい怒りと、殺意だった。
しかし、例えどんな姿でも、一月にとっては自身の想い人。
小学校の頃から現在まで、彼女が命を亡くしてもなお、思い続けてきた少女だ。
「僕の手で傷付ける事なんて、出来ない……」
もしも、鬼が琴音の姿をしていなかったのなら、答えは違ったかもしれない。
しかし――鬼は琴音の姿をしている。
殺意に満ちた瞳以外は、何処も生前の彼女と変わらぬ姿なのだ。
鬼と成った想い人を救いたいという気持ちは、勿論一月にはあった。
けれど、彼女に真剣の刃を向け、しかも倒す事など……一月には考えられなかった。
「でもいつき、あれはもうことねじゃ……」
「それに」
千芹の言葉を遮り、一月は言葉を続けた。
「もう僕は剣道もやってないんだ。そんな真剣、とても扱えないよ」
彼は、千芹が持っている真剣を指差した。
鞘に謎の文字が刻印された真剣。
竹刀や木刀とは、扱いの勝手もまるで違うだろう。
長らく剣道から離れている上に、真剣など触れたことも無い自分が使いこなせるとは、一月には思えなかった。
「だけど、いいの?」
天庭と名付けられた真剣を両手に抱え、千芹は問いかけた。
一月は彼女を振り向く。白和服少女の黒い瞳に、一月の顔が映った。
「まゆずみせんせい、だれかが鬼を……ことねを止めてくれることを願っていたんじゃないの?」
「……」
一月は、何も答えなかった。
答えずに、彼は教官室から修練場へと続くドアに歩み寄る。
「……他に方法があるかも知れない。雨脚も強くなってるみたいだし、今日は帰ろう」
内心では、一月にはもう一つ、黛の提示した方法を取りたくない理由があった。
鬼に相対できる真剣があっても、敵う保証は何処にもないという事。
相手は人智を越えた存在なのだ、廃屋の時のような事になれば、今度こそ殺されてしまうだろう。
琴音を取り込み、彼女の姿をとっている鬼。
もしも殺されれば、一月も琴音と同じ道を辿る事になるかも知れない。
(そんなのは、絶対に嫌だ……!!)
自身も鬼の一部となる事など、一月は考えたくも無かった。
琴音のように負の感情に取り込まれ、人の命を見境なく奪い続けるだけの存在になるなど――考えただけで、気が狂いそうだった。
どんな事があろうとも、絶対に避けたい事である。
「その真剣と便箋、元の場所に戻しておいて」
千芹に言い残し、一月は教官室を後にする。
残された白和服の少女は、手に持った真剣をまるで観察するように見つめていた。
(霊力は弱まっているみたいだけど、わたしの力があれば、まだ……)
真言が刻印された鞘を、千芹は指でなぞった。
そして彼女は、先程一月が出て行った教官室の扉を見つめ、心中で続けた。
(これからもっともっと、あなたには悲しい事がまっているのかもしれないけど……それでもわたしは信じてる)
千芹は真剣を僅かだけ鞘から抜き、刃を覗かせた。
鞘は古びていたが、刃は白銀で、鋭さを残していた。
まるで鏡のように、刃に千芹の顔が映る。
長い黒髪に加え、幼い少女に見合わない程に凛とした、決意に満ち溢れた瞳が映っていた。
(あなたが前をむけるようにする事も……わたしのしごとだから)
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