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其ノ拾参 ~空白~

 玄関の引き戸を開けると、一月は玄関脇の傘立てに傘を立てる。

 千芹も後に続いたのを確認して、彼は雨音を引き込む玄関の戸を閉めた。

 そして靴を脱ぎ、一段高い床へと踏み込む。


(今日は、人が居ないのかな?)


 土間には、一月の物以外の靴は見当たらなかった。

 だとしたら、黛先生には会えないか――と、一月は一瞬思ったものの、教員用の玄関がある事を思い出す。

 そう、道場に通う生徒と彼らに剣道を教える教員は、別々の玄関から出入りする事になっているのだ。

 黛が居る可能性は、十分にある。


「行こう」

 

 一月は後ろを振り返り、白和服の黒髪少女に告げる。

 千芹は一月の顔を見上げつつ、こくりと頷いた。


 ◎ ◎ ◎


「……懐かしいな」


 玄関と修練場を仕切る引き戸を開けた一月は、二年振りの修練場を見つめつつ呟いた。

 足裏から伝わる床板の感触に、修練場独特の匂い。壁に掛けられた、横文字の『心技体』の書筆――何もかもが、二年前までのままである。


「誰も……居ないね」


 一月の後ろで、千芹が呟いた。

 電気は点灯しているものの、他に人は誰も居なかった。

 竹刀や木刀を振るう風切り音も、足さばきの足音も、稽古に励む少年少女達の勇ましい掛け声も無い。

 一月の鼓膜を揺らすのは、雨粒が剣道場の天井や窓を叩く音のみ。


「……」


 高校の体育館程の広さもある修練場の隅に、『教官室』と札の掛けられた扉があった。

 誘われるかのように一月は歩み寄り、その扉のドアノブを掴む。


(黛先生……)


 一呼吸置いて、一月はドアノブを回し、ドアを押し開けた。

 教官室へ足を踏み入れると同時に、一月は大きめの声で挨拶する。


「失礼します」


 挨拶は大きな声で、というのが道場の教訓の一つだった事からだろうか。

 もうここで剣道を学んでいる身では無いにも関わらず、一月は張った声を出していた。

 一月が剣道を学んでいた頃、彼はこの教官室には数度入ったことがある。

 竹刀や木刀を折ったり、怪我をした者が居る時には教官室にいる大人に申告する事になっているからだ。

 他にも掃除用具を取りに行ったり、教官との(一月の場合は黛である)個人面談や指導など、この剣道場の生徒には何かと出入りする機会のある部屋である。


「ん? ……あれ?」


 並列された事務用机、学校の職員室を思わせる雰囲気を持つ教官室では、一人の若い女性が椅子に腰かけ、書類にボールペンで書きこんでいた。

 セミロングの髪型をした、活発な雰囲気を持つ女性。


「あ……」


 一月は一文字を漏らす。

 女性は一月の顔を見ると書き込む手を止め、その場に立ち上がった。

 そして、彼女は教官室の入り口付近に立つ一月に歩み寄りつつ、


「え……金雀枝君……!?」


 驚きに表情を染め、女性は一月の名を呼んだ。

 一月の後ろに立つ白和服姿の少女には、一切の反応を示さない。

 彼女には、千芹が見えていないのだ。


「さ、漣先生……」


 活発な印象を持つ女性の名は、漣朋花さざなみともか

 この鵲村修剣道場で少年少女達に剣道を教える教員の一人である。

 一月にとっては、黛の次に接する機会の多かった先生だった。


「二年振りじゃない……!! どうしたの?」


 二年前に琴音が亡くなってから一月は剣道を辞めた。

 それを期にこの剣道場に来ることも無くなった為、漣と一月が顔を合わせるのは、二年振りである。

 当時中学生だった一月は二年の時を経て高校生となったが、漣には直ぐに分かった。

 彼がかつて、この剣道場で稽古に励んでいた少年、金雀枝一月であると。


「金雀枝君、琴音ちゃんが亡くなってから突然この道場辞めちゃったから……」


「……」


 漣は、琴音の事を知っていた。

 剣道を教えたりなど直接関わった機会は無かったものの、一月と仲が良かった女の子だと認識している。

 芯の強い彼女も、『女子中学生変死事件』で琴音が殺された事を知った時はショックと動揺を隠せなかった。

 そして、親友が亡くなってから突然道場を去った一月の事を案じてもいた。


「今日はどうしたの? もしかして……また剣道やりたくなった?」


 もしも一月が首を縦に振ったのなら、漣は喜んで迎え入れようと思っていた。

 しかし――少年は無言のまま、首を横に振った。


(こんなに……口数の少ない子だったかしら……)


 剣道をやっていた頃の一月を、漣は今でも記憶している。

 これ程に口数の少ない少年では無かった筈だった。


「今日は……黛先生に用があって」


「え、黛先生に……?」


 漣は、教官室の奥に設置された机に視線を移した。

 一月は記憶している。あの机は、黛が使っていた机。

 どうやら、教官室に設置された机の配置は変わっていないようだった。


「……」


 漣も一月も、言葉を発しなかった。

 だが、一月には漣の表情が悲しげな雰囲気を帯びていくように見えた。

 二人の人間は沈黙し、雨音だけが支配する。


「そっか、金雀枝君……知らなかったんだね」


「……え?」


 漣が不意に発した言葉に、一月は一文字で訊き返した。

 そして――事実を告げる言葉が、漣の口から発せられる。


「黛先生はね、体調を崩して村外の病院に入院しているの」


「!?」


 一月は僅かに、引きつるような声を漏らした。

 彼の後ろで、千芹は漣の顔を見上げている。


「だから今、黛先生はこの道場には居ない……」


 一月にとって、絶望的な事だった。

 漣が知っているのは、黛は村外の病院に入院しているということ止まりであるとの事。

 何処の病院に入院しているのか、何時頃退院するのか、そういった事は分からないらしい。

 唯一つの手掛かりが、失われてしまった。


「でも金雀枝君、黛先生に何の用?」


「……別に。大した用でもありません」


 一月は出来うる限り、平静を取り繕って答えた。

 漣は怪訝な表情を浮かべつつ、、 


「ごめん、ちょっと……お手洗い行ってくるね」


 そう言い残し、教官室から出て行ってしまった。


「手詰まりだね……」


 漣の足音が聞こえなくなったのを確認し、一月は千芹に言う。

 人前では、一月は千芹と話すことは出来ない。

 他の人には千芹が見えていないため、一月が独り言を言っているように見えるのだ。


「……」


 千芹は、一月に返事を返さなかった。

 彼女の瞳は、先程漣が視線を向けた机――黛の机に向けられている。

 食い入るような瞳で、少女はじっと見つめていた。


「? どうし――」


 一月が言い終える間も無く。

 千芹は黛の机に向かって、一目散に駆け出した。

 教官室の床が千芹の裸足に踏まれ、パタパタとどこか可愛らしい足音を立てる。


「え、ちょ……!?」


 一月は少女の後を追う形で、黛の机に駆け寄る。

 困惑しつつも追いついた時。千芹は黛の机の下に身を入れ、探っていた。

 千芹の白和服の背中部分に垂れた黒髪が左右に分かれるように流れているのが、一月に視認できる。

 腰まで伸びた黒髪に隠され、これまでは見えなかった彼女の背中の帯が見えた。

 純白の和服を止める紫色の帯は蝶結びにされ、まるで背中に花が咲き開いているようだった。

 率直な所、一月にはとても可愛らしく思える。


(……同じだ、琴音と)


 ふと、一月は思い出した。

 小学校六年生の夏休み、琴音がまだ存命だった頃のある思い出。

 一月は琴音を含む数人の同学年の少年少女達と共に、神社の祭りへと行った。

 発案者は一月と同じクラスの少年で、『小学校最後の夏の思い出作り』と言っていた。

 

 神社の祭りへ赴いた数人の中に、女子は琴音を含めて三人。

 三人共、綺麗な浴衣を着ていた。

 まだショートの髪型だった琴音は桃色の浴衣を着こなし、帯を蝶結びにしていた。

 今、一月の前で机の下を探っている千芹のように。


(そういえば、これを貰ったのもあの時だったっけ……)


 一月は、ポケットからクマのマスコットを取り出した。

 長らく失くしてしまっていた物だったが、廃屋に行った日に突然出てきた物。

 琴音がくれた、彼女の手作りの品。


 そう。彼女がこのマスコットを一月に贈ったのは、あの神社の祭りに行った日の事だった。

 祭りからの帰り道、当時小学生だった一月と琴音は二人で一緒に帰路についていた。

 二人の家は同じ方向だったのだ。

 一月は自転車で来ていたが、徒歩で来た琴音と共に、自転車を押して帰った。

 陽が完全に堕ち始めた鵲村を、少年と少女は二人で歩いていた。


“いっちぃ、これあげる”


 浴衣に身を包んだ琴音がクマのマスコットを差し出したのは、別れ際だった。

 そして彼女もまた、一月に渡した物と同じマスコットをもう一つ持っていたのだ。

 

“このくまさん、私が作ったの。いっちぃも持ってたら私とお揃いになるでしょ?”


 彼女はそう言っていた。

 以来、一月はこのクマのマスコットを、琴音からの初めての贈り物を――大切に持ち続けていたのだ。


「あった……!!」


 ふと、黛の机の下を探り続けていた千芹が、出てきた。

 彼女が右手に握っていた物をみた一月は、仰天する。


「ちょ、それ……!!」


 千芹が握っていたのは、鞘に納められた一本の真剣。

 竹刀や木刀のような物とは違い、一振りで人間の命も奪えるような凶器だ。


「ここに入る前にわたし、感じたの。れい的な力……これがその大元みたい」


 自らの手に余る程の大きさの真剣を見つめ、千芹は呟いた。

 すると彼女は、剣の鞘を一月に見えるように、突き出す。

 そして、鞘を指差した。


「みて、いつき」


 一月は視線を凝らす――すると、鞘の表面に、何かの文字が刻まれているのが分かる。

 が、一月には判読不能だった。

 その刻印された文字とは、


『唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽』


 見たことも無い漢字ばかりが多用された、意味不明な言葉の羅列。

 しかし、一月はそこから何か只ならぬ物を感じた。

 まるで、この漢字の羅列の一文字一文字が何かの力を持つような――表現しようの無い、何かを。


「あと……近くにこれ、おちてた」


 千芹は、四つ折りにされた一枚の便箋を一月に手渡した。

 便箋を受け取ると、一月は広げる。

 途端、彼は表情を驚きに染めた。


「これ、黛先生の字……!!」


 便箋には、一月のかつての剣道の師匠、黛玄生の字が並んでいた。

 雨音が鳴り続ける教官室の中で、一月はその内容を読み始める。






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