其ノ拾 ~道標~
「しょう……りょう?」
聞き慣れない言葉、一月は千芹の背中に向かって問い返した。
すると、少女が返事を返す前に、保健室内にチャイムが鳴り響く。
壁の時計は、十二時四十五分を指していた。
(もう昼休み……そんなに長い間寝てたのか……)
登校して間もなく、保健室に行った一月。少なくとも、三時間は眠り続けていたようだ。
廊下に面した扉から、生徒達の声や足音が一月にも聞こえてきた。
昼休みならば、生徒達は教室を出て購買に行ったり、体育館や校庭にスポーツをしに行く。
しかし、今日は雨天。外に出ようとする者は、恐らくいないだろう。
(……そうだ)
一月は靴を履き、パイプベッドから立ち上がった。そして、手近に制服の乱れを整える。
千芹は再び一月に向き直し、問いかけた。
「どこかいくの?」
「図書室に。琴音が殺された事件の事を調べてみる」
一月は、雨音が鳴り続ける保健室を後にした。
◎ ◎ ◎
一月と千芹が図書室に足を運んだ時、図書室に他の生徒の姿は無かった。
室内は電気も付けられておらず、校庭に面してはめ込まれた窓には、無数の雨粒がぶつかっている。
保健室と同じように、雨粒がぶつかる音だけが支配する、無機質な空間だった。
(誰も居ないのか……)
電気のスイッチをオンにしつつ、二人は図書室に足を踏み入れた。
太陽が雨雲に覆われている為、昼時の時刻にも関わらず電気を付けなければならなかったのだ。
入り口付近のコンピュータを立ち上げ、一月は『蔵書検索』のパネルをクリックした。
キーワードの欄に『女子中学生変死事件』と入力する。
(……)
一月は、直ぐに『検索開始』のパネルをクリックしようとはしなかった。
画面を見つめたまま、まるで何かに躊躇するかのように、黙り込んでいる。
「どうしたの? いつき」
傍らで見守っていた千芹が、声を掛けた。
因みに、学校に来る際に彼女が言っていた事は、全て真実だったようだ。
一月と千芹が図書室へ移動する間、数人の生徒や教員とすれ違ったにも関わらず、誰一人として千芹の姿に反応しなかった。
否、反応しなかった所か、まるで彼女など居ないかのような様子だったのだ。
やはり、一月以外の人間には千芹の姿を見ることは出来ないし、声も聞こえないらしい。
(……やっぱり、良い気分じゃ無いな)
マウスを握る一月の手を止めたのは、躊躇の気持ちだった。
自らの想い人であった少女が殺された事件に深入りする事に抵抗を感じた事もある。
加えて、事件に深入りすれば、知らない方が幸せだった事実を知ってしまうことに繋がるかもしれないから。
開けば不幸な結果を招くやもしれない、パンドラの箱を開こうとしている――今の一月の心情を表現するなら、それ以上に適切な語は無かった。
「ううん、何でもないよ」
千芹にそう返し、一月は画面に向き直る。
数秒の後、彼は意を決して『検索開始』のパネルをクリックした。
画面が切り替わり、『検索中』という三文字が現れる。
(……)
一月と千芹は、無言で画面を見つめていた。
検索結果が現れる。女子中学生変死事件で検索した結果、ヒット数は一件だった。
「!!」
一月はすぐさま、画面に表示された書のタイトルに視線を向ける。
その本――否、正確には本では無く、新聞の切り抜き等の資料を纏め、作者の考察を記した著書らしい。
タイトルは、『女子中学生変死事件に関する考察』とあった。
(四番の棚……!!)
蔵書の位置を確認して、一月は椅子から立ち上がる。
コンピュータで検索した本が納められている棚――四番の棚は、図書室の最奥の場所に位置していた。
(……? こっちだけ、何だか暗いな……)
一月は違和感を感じた。
電気を付けた筈なのに、四番の棚に近づいて行くごとに暗くなっていく。
先程まで明るい場所に居たのに、不意に周囲が暗くなると言いようの無い不気味さを感じた。
喧しく鳴る雨粒の音や、窓の奥に広がる大雨に見舞われた景色も相乗し、不気味さに拍車をかけていた。
一月は電灯が付いている事を確かめようと、天井を見上げた。
(付いてない? 切れてるのかな……)
四番の棚付近の天井にはめ込まれた蛍光灯は、光を灯していなかった。
一月が思った通り、切れているのかも知れない。
四番棚に歩み寄った一月は早速例の本を探し始めたが、早々に断念した。
明かりが無い所為で、手元が覚束なかったのだ。
(しょうがないな)
ポケットを探り、一月はキーホルダーライトを取り出した。廃屋での探索にも用いた物だ。
ライトを書棚に並ぶ本の背表紙へと照らして、一月は目的の本を探し始める。
(『神戸児童連続殺傷事件の真相に迫る』……『女子高生コンクリート詰め殺人事件・狂宴の殺人劇』……)
一月は心中で、順番に本のタイトルを読み上げて行く。
どうやら、この『四番の棚』は過去に日本で起こった凶悪な犯罪に関する書籍を集めた棚のようだった。
他にも、事件名を聞くだけでも凄惨な光景を呼び起こすような本が並んでいた。
(まさか、だからここを『四』番の棚に……?)
忌み数と言われる『四』という数字、人の『死』に関する本を陳列させた棚。
意図せずしてそうなったのか、或いは学校側が計らってそうしたのか。
一月には、分からない。
「いつき、あそこ」
暫く黙っていた千芹が、一月の後ろで言った。
一月が彼女を振り返ると、白い和服姿の少女は四番の棚の上部を指差している。
「!! あった……」
千芹が指差す先を目線で追った一月は、目的の本を見つける事が出来た。
コンピュータの検索結果通り、タイトルは『女子中学生変死事件に関する考察』である。
上部の棚に置いてあった目的の本を、一月は手を伸ばしてその手に取る。
さほど厚くはなく、ページ数は多くないようだった。
(この本が……)
表紙を少し見つめた後、一月は本を片手に図書机に向かい、ページをめくり始めた。
千芹は一月の隣の席に腰かけ、両手を膝の上に置いていた。
「…………」
本のページをめくり続ける一月。彼の横顔を、千芹はじっと見上げていた。
一月と千芹では身長の差が大きい為、自然と見上げる形になるのである。
「……ねえ、いつき」
千芹が呼ぶと、一月は少女を振り向く。
天井の蛍光灯からの光を受け、千芹の黒髪が煌めいていた。
黒い瞳に一月の顔を映し、小さな白和服の少女は問いかける。
「いつきは今も……けんどう、やってるの?」
「……?」
思いもしない問いかけに、一月は返事を濁す。
(『いつきは今も』……?)
聞き違いでないのなら、千芹はそう言った。
一月は困惑する。言葉の意味を考えれば、彼女は一月がかつて剣道を学んでいたのを知っていた事になるからだ。
突然現れた彼女が、何故一月自身や、周りの人間にしか知り得ない事を知っているのだろうか。
「どうして知ってるの? 僕が剣道やってた事……!!」
本のページをめくっていた手を一時止め、一月は返した。
彼は出来うる限り、驚きの感情を表に出していないつもりだった。
「……いつきの部屋でみたから。いつきとことねがけんどうの服着て、一緒に映ってる写真」
(そうか、この子……あの写真を見たのか……)
筋の通る理由を提示され、一月は一応の安堵を覚える。
一月は視線を本へと戻した。
「剣道はもうやってないよ。中学二年の頃に、引退したんだ」
けど、どうしてそんな事を? 一月は気になったが、今は事件について調べるのを最優先にすることにした。
彼は再び、ページをめくり始める。
「…………」
一月が視線を本へ戻した後も、千芹は隣の席で一月の横顔を見つめていた。
まるで食い入るかのような、そしてどこか、物悲しさを感じさせるような眼差しである。
それからどれ程の時間が過ぎたのだろうか。
一月は、ページを捲っていた手を止め、呟いた。
「これって……!? まさか、こんな事が……!!」