狭火妬(さびと)‐平凡な秘密
俺の父は、俺たち家族にとってごく普通の父親だった。朝は仕事へ行き、夜は疲れて帰ってくる。どこにでもいる、ごく一般的な家庭の父だ。
だが、俺は知っていた。父が家族に隠している、一つの秘密を。そして、その秘密こそが、俺の退屈な日常を打ち破る、非日常への扉だと、無意識に予感していた。
「ちっ。今日も母さんの手伝いかよー」
心の中で舌打ちしながら、俺は台所に立つ。
母は聞く耳を持たない。「約束でしょ、兄弟4人、毎日かわりばんこで母さんの手伝いをする」
「兄弟が4人は少ねえよ、30人兄弟にしてくれよ母さん。一人毎月一回ですむんだぜ?」
「30人兄弟って!家計が終わるわよ!!とにかくさっさと文句言ってないでしなさい。今日は少ないから」
母の言葉に、俺の顔が一気に明るくなる。
「本当に⁉」
「本当よ」
どうせやるなら早く終わらせて自由になりたい。そう思い、俺はすぐに手伝いを終わらせた。
「ほんとすぐ片付いたわね。最初からこれくらい頑張ってくれたら良かったのに」
「まあまあ。じゃあ俺ゆっくりするね」
「ありがとね、はーい」
自室へ戻り、ベッドに倒れ込んだ俺は、ふと家族の行動を想像した。
「そういや、俺が手伝ってるときってあいつら(兄弟)も父さんもどうしてるんだろ」
兄弟たちは遊んでいるだろう。問題は父さんだ。
「父さんは何してんだろ。仕事してんのかなー。そういや前、なんか誰かと話してたな」
俺は父が以前、自室でこっそり誰かと話していた内容を思い出した。
「たしか、『盛岡屋っていう包丁屋が、このあたりの雇われ殺し屋の元締めだとかなんとか』って……。でも父さんの仕事って野菜売るはずなんだよな。自室で話すってなんか自室に**あんのか?**行ってみよ」
好奇心は、俺の頭の中のルールをいとも簡単に打ち破る。
俺は音を立てないように父の自室に入った。
「見た感じ……なんも無さそうだな」
戸棚、机の下、本棚の奥。いくつかの場所を探したとき、机の引き出しの奥で、異質な冷たさを感じた。
「なんだ……これ……。まさか……拳銃……?しかも……こんなに……」
引き出しの底には、黒い塊が雑に重ねられていた。数丁どころではない。ざっと見て30丁はあるだろう。
「……さすがにおもちゃだろ。こんなところに拳銃があるわけがねえ。でも、やけにリアルっぽい……」
おもちゃだと信じたかったが、その重厚感と光沢が、俺の常識を否定する。
「触ってみよ……。一つくらい触ったってばれねえだろ」
俺はその中から一つ取り出した。
「……!」
ずっしりとした重みが、手のひらにのし掛かる。これは、おもちゃの比ではない。
「一つくらい貰ってもばれねえか」
拳銃という「非日常」の象徴に、俺は一気に興奮した。これを手に入れるチャンスを逃す手はない。俺はそれを自室へ持ち帰ることを決めた。
その時、部屋を出ようとした俺は、床の隅に落ちていた一枚の紙を見つけた。
「ん?なんだこれ?」
拾い上げて、紙に書かれた文字を見る。
「処分……丁。仕入れ……丁。売り……丁」
『処分』『仕入れ』『売り』『丁』という文字は読めたが、数字の部分は何度も書き直したのか、判読できなかった。
「数字の部分は読めねえけど、処分、仕入れ、売り、丁って要するにこの拳銃の事だよな。裏社会の仕事って家系でするもんじゃねえのか?でも爺ちゃんがそんな仕事してるって聞いたこと無えしな」
祖父が裏社会と繋がっている可能性は、常識的に考えてありえない。だとしたら――。
「だとしたら父さんが自分で?裏社会ってそんな簡単に入れんのか」
俺は、父が**不良品の拳銃の「処分」**を請け負う代わりに、**売れる拳銃を「仕入れ」**させてもらい、それを売ることで利益を出す商売をしているのだと推測した。
「へえー、そんなことしてたのか。まあいいや。帰ろ」
父の仕事の裏側よりも、目の前の拳銃という非日常のアイテムに、俺の頭は占領されていた。
自室に戻った俺は、持ってきた拳銃を机の上に置いた。
「本当にかっけえな!!」
この冷たい鉄の塊に触れた瞬間、俺の中に眠っていた非日常への強烈な好奇心と才能の片鱗が目を覚ます。創作に出てくるような、クールな殺し屋への憧れだ。
「俺も……殺し屋なれんのかな……」
自分もこの拳銃を使いこなし、誰にも邪魔されない強大な力を手にしてみたい。そんな願望が、心臓を強く叩いた。
「そうだ、盛岡屋だっけ?あそこに行けばいいんだよな……。さすがに殺し屋なんて無えと思うけど、拳銃があったから絶対ないとは思えないんだよな」
俺の頭の中で、殺し屋に必要なものは**「とどめを刺すもの」**、つまり包丁か拳銃のどちらかだけというシンプルな結論が出た。そして、俺は拳銃を手に入れた。
俺は、自分の人生を大きく変える最初の行動を決めた。
創作に出てくるクールな殺し屋を想像し、俺は、運命の歯車が回り始めたとも知らずに、盛岡屋へと向かった。