表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/13

第七話:盤上の外にいた、真の敵

 あの運命の夜会から数日。ロックフォード公爵邸の一室は、私のための臨時の執務室となっていた。婚約破棄された令嬢が、本来であれば社交界から姿を消し、静かに暮らすべきところだろう。しかし、私は今、南部の経済改革という、国の未来を左右する巨大なプロジェクトの責任者となっていた。


「スカーレット……お前、一体いつの間に、このような才覚を……」


 私の父であるロックフォード公爵は、山積みの資料を的確に捌き、指示を飛ばす私の姿を見て、戸惑いを隠せないようだった。無理もない。これまでの私は、ただ王太子妃教育を受けるだけの人形だったのだから。


 しかし、新たな力を手にした私の前には、早速、分厚い壁が立ちはだかっていた。


 王家から引き渡されたはずの資料は、肝心な部分が「紛失」しており、南部の役人たちに問い合わせても、「前任者が……」「慣例で……」と、暖簾に腕押しの返答が返ってくるばかり。


(……なるほど。頭を失っても、蛇の体はまだ動いているというわけね)


 腐敗の根は、私が思っている以上に、深く、広く、この国に張り巡らされている。行き詰まりを感じていた、まさにその時。セオドア殿下から、秘密の会談を求める、一通の短い手紙が届いた。


 場所は、王都の高級馬具店の、奥にある談話室。人目を忍ぶには、最適な場所だった。


 紅茶の香りが漂う部屋で、セオドア殿下は、一枚の羊皮紙をテーブルの上に滑らせた。そこには、数人の貴族の名前と、金の流れを示す図が、彼の国の諜報員によって緻密に記されていた。


「あなたの予測通り、南部の役人たちは、あの腐敗派閥の残党と繋がっている。ですが、スカーレット嬢。あなたも、私も、一つ、大きな見誤りをしていたようだ」


 彼の言葉に、私は眉をひそめる。


「見誤り、ですって?」

「ええ。アルフレッドも、エララも、そして断罪された貴族たちも……彼らは、この物語の黒幕ではなかった。ただの、操り人形に過ぎなかったのです」


 セオドア殿下は、静かに、しかし、重い響きを持つ一つの名前を口にした。


「――侍従長、ヘムロック伯爵」


 その名前に、私は思考の海へと深く沈んだ。


 侍従長ヘムロック伯爵。国王の側近中の側近であり、白髪と、常に穏やかな笑みをたたえた、忠義の塊のような老人。ループの中で、彼を疑ったことなど、一度たりともなかった。彼は常に、背景の一部だった。


「彼は、二十年以上に渡り、この国の影の支配者として君臨している。王の信頼を盾に、意のままになる人間を要職につけ、国を少しずつ、内側から腐らせてきた。全ては、アルフレッドのような愚かな王子を傀儡の王とし、自分が影から国を支配するため。エララもまた、アルフレッドを操るために、彼が選び、教育した駒に過ぎません」


 セオドア殿下の言葉が、パズルの最後のピースだった。


 途端に、これまでの九十九回のループで感じた、数々の些細な違和感が、一本の線で繋がっていく。


 アルフレッドの、私に対する不自然なまでの敵意。それは、王家と強固な繋がりを持つロックフォード家を、ヘムロック伯爵が疎ましく思っていたからだ。エララの、あまりにも完璧な「聖女」の演技も、彼が演出したものなら納得がいく。国王が下す、時折不可解だった判断。その裏には、常に彼の穏やかな進言があった……。


(今まで、私はずっと、人形と踊っていたというの……?)


 背筋に、冷たい汗が流れた。敵は、私が思っていたよりも、遥かに狡猾で、巨大で、そして、すぐそばにいたのだ。


「……直接、彼を告発することは不可能ですわね。陛下は、決して信じないでしょう」

「その通り。下手をすれば、我々の方が、王への讒言を企んだとして、断罪される」


 状況は、振り出しに戻ったように思えた。だが、私の心は、不思議と燃えていた。本当の敵の姿が見えた今、やるべきことは、一つしかない。


「戦略を変えましょう、殿下」


 私は、テーブルの上に広げられた地図を指さした。


「侍従長を、直接討つことはできません。ならば、彼の力を支える、経済基盤を、根こそぎ断ち切るのです。南部の経済改革は、そのための最高の隠れ蓑になりますわ。私たちが、南部を豊かにし、新たな流通ルートを確立すれば、それは侍従長の資金源を断つと同時に、我々の新たな力となります」


 それは、短期的な政治闘争ではない。数年がかりの、壮大な経済戦争の始まりだった。


 私の提案を聞いたセオドア殿下は、しばらく黙り込んだ後、心底楽しそうに、そして、どこか熱っぽく、微笑んだ。


「……あなたは、本当に恐ろしい。そして、最高に魅力的だ、スカーレット嬢」


 彼の瞳に、単なる共犯者に対するものを超えた、深い色が宿る。


「ええ、その計画、乗りましょう。あなたという最高の軍師がいるのなら、どんな戦いも退屈せずに済みそうだ」


 私たちの同盟は、今、真の意味で結ばれた。


 見えない敵、ヘムロック伯爵を打倒し、この腐敗した国を救うために。


 ループからの脱出というゴールはまだ遠い。


 けれど、信頼できる「共犯者」が隣にいる今、この百回目の人生が、特別なものになることだけは、確信できた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ