第五話:盤上を覆す、たった二つの質問
「スカーレット・ヴァン・ロックフォード公爵令嬢!」
アルフレッド殿下のヒステリックな声が、夜会の華やかな音楽を無粋に引き裂いた。エララは彼の腕の中で、今にも壊れそうなガラス細工のように、か弱く震えている。いつもの台詞、いつもの陳腐な演技。
貴族たちが、待ってましたとばかりに私に注目する。好奇と侮蔑に満ちた視線のシャワーを浴びながら、私は静かに微笑んだ。
「貴様が、このエララにした数々の非道な振る舞い! その証拠も、証人も揃っている! もはや、言い逃れはできんぞ!」
アルフレッドは勝ち誇ったようにそう宣言した。しかし、彼が期待したであろう、私の狼狽や、涙や、悲鳴は、どこにもない。
「まあ、殿下。大変ですわね」
私は、心から同情するように、少しだけ眉を下げてみせた。
「ですが、その大変興味深いお芝居を続けられる前に、わたくしから、二つほど、簡単な質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
私のあまりにも落ち着き払った態度に、アルフレッドは虚を突かれたように言葉を失う。私が、いじめの嫌疑そのものに一切触れなかったことが、彼の想定を完全に超えていたのだろう。
私は、彼が何か言う前に、最初の質問を会場に響かせた。
「まず一つ目。先ごろ、南部の干ばつ救済のために拠出された公金、五万ゴールドについてですわ。殿下が決済なされた台帳には、確かにそう記されておりました。ですが、救済を担当した現地責任者……確か、エララ様のご実家と懇意にされている子爵様でしたわね。彼から国王陛下への正式な報告書では、受領額は二万ゴールドとなっておりました。差額の三万ゴールドは、一体どこへ消えてしまったのでしょう?」
その言葉は、爆弾だった。
会場は、先ほどとは全く違う意味で、しんと静まり返る。アルフレッドの顔から、さっと血の気が引いた。そして、エララの背後にいた貴族たち……私の知る「腐敗派閥」の面々の顔が、明らかに強張る。子爵に至っては、ハンカチで必死に額の汗を拭っていた。
「な、何を……! 何を言い出すかと思えば……!」
「あら、国家の財政について、心を痛めるのは、公爵令嬢として当然の務めですわ」
私は、動揺する彼らに追い打ちをかけるように、今度は涙目のエララへと、優雅に向き直った。
「そして、二つ目の質問は、エララ様に。わたくしが貴女に送ったという、その『脅迫状』についてですわ」
私は、侍女に合図を送り、一枚の羊皮紙を受け取った。それは、我が家の執事が用意した、ロックフォード家の購入品の記録だ。
「その脅迫状に使われているインクは、『ブラックウッド商会』の特製品ですわね。大変美しい黒色ですけれど、あいにく、わたくしはここ五年ほど、王家御用達の『王立筆記具店』のインクしか購入しておりませんの。これは、我が家の台所事情……いえ、購入台帳ですわ。ここに、その記録が」
私は、証拠の羊皮紙をひらりと掲げてみせる。もちろん、この事実は、過去のループで、私を断罪するために用意された証拠品を、隅々まで調べ上げたからこそ知っていた情報だ。
会場の空気が、完全に変わった。
もはや、誰も私を悪役令嬢として見ていない。貴族たちの視線は、困惑と疑念を持って、アルフレッドとエララの間を行き来している。
「スカーレット……貴様、一体何を……」
「何を、ではございませんわ、殿下」
私は、アルフレッドを真っ直ぐに見据え、静かに、しかし、誰にでも聞こえるように言い放った。
「これは、もはや痴話喧嘩や、令嬢の嫉妬などという、低俗な話ではございません。国家予算の横領、そして、王太子妃となるべき公爵令嬢を、偽りの証拠で陥れようとした、国家への反逆行為。その疑いについて、申し上げているのです」
反逆。
その一言が、とどめだった。
エララは、ついに完璧な演技を続けることができなくなったのか、白目をむいて、ぐったりとアルフレッドの腕の中に崩れ落ちた。アルフレッドは、その場で立ち尽くし、幽霊でも見たかのように口をパクパクさせている。
断罪の舞台は、今や、腐敗貴族への断罪の舞台へと、その姿を変えていた。
私が静かに周囲を見渡すと、壁際に立つセオドア殿下と、視線が合った。彼は、その美しい顔に、心からの喝采を込めた、挑戦的な笑みを浮かべていた。
そして、彼は静かに私の方へ歩み寄ると、囁いた。
「見事な盤上返しでした、スカーレレット嬢。いえ……我が愛しの軍師殿」
その甘い響きに、私は背筋がぞくぞくするのを感じる。
「さて。舞台の主役を失った役者たちは、どう動くのでしょうね」
「ゲームは、まだ始まったばかりですわ、殿下」
私は、彼にだけ見えるように、悪戯っぽく微笑んでみせた。
百回目の人生。完璧なハッピーエンドへの道は、今、確かに私の足元に拓かれたのだ。




