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第二話:百回目の駆け引きの幕開け

 百回目の人生の目標は、明確だ。


 「断罪の回避」ではない。「ループからの脱出」だ。そのためには、物語の根幹、つまりこの国を蝕む歪みを正さなければならない。


 最初のターゲットは、隣国の王子、セオドア殿下。


 彼を協力者として引き入れることが、この不可能に近いゲームを攻略する、唯一の鍵だと私は確信していた。


 幸い、彼との接触はそう難しくない。これまでのループで、彼の行動パターンはほぼ把握している。彼はパーティーまでの七日間、必ず三回、王宮の書庫を訪れる。特に、午後のお茶会の時間は、書庫が最も静かになるため、彼のお気に入りの時間らしかった。


 私は、侍女に「少し調べたいことがあるから」とだけ告げ、王宮の書庫へと向かった。埃と古い紙の匂いが満ちる、静寂の空間。高い天井まで届く書架には、膨大な知識が眠っている。


 案の定、彼はそこにいた。


 窓から差し込む光の中で、分厚い歴史書をめくる、銀色の髪。その姿は、一枚の絵画のように美しく、そして人を寄せ付けない冷たさを放っていた。


 これまでの九十九回、私は彼に話しかけたことなど一度もなかった。私にとって、彼はただの「背景」だったからだ。しかし、今回は違う。


 私は、わざとらしくない程度に、彼のいる書架の近くをうろつき、一冊の本を手に取った。それは、古代魔法語で書かれた、難解な論文集。もちろん、中身などさっぱり分からない。これは、あくまで小道具だ。


 パラパラとページをめくるふりをしていると、ふいに、頭上から声が降ってきた。


「……その本は、ただの飾りですよ、スカーレット嬢」


 声の主はもちろん、セオドア殿下だった。彼はいつの間にか私の隣に立ち、私と同じ本棚を見上げていた。


「装飾に使われている古代魔法語は、意図的に間違った文法で書かれている。解読しようとするだけ、無駄な努力というわけだ」

「まあ、ご存じでしたの、セオドア殿下」


 私は、初対面のような驚きを完璧に演じてみせる。


「わたくし、古代魔法に興味がありまして、少しでも読めたらと……お恥ずかしい限りですわ」

「興味、ですか」


 彼の、アクアマリンの瞳が、私をじっと見据える。まるで、私の心の奥底まで見透かそうとしているかのような、鋭い視線。


「失礼ですが、あなたが興味をお持ちなのは、古代魔法そのものではなく、それを利用して行われたという『王家の財産隠匿』の歴史の方では?」


 彼の言葉に、私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。


 王家の財産隠匿。それは、私が九十回以上のループの果てに、ようやく断片的な情報からたどり着いた、この国の闇の核心部分だ。エララを担ぎ上げている貴族派閥は、王家の財産を狙っており、私とアルフレッドの婚約は、その邪魔でしかなかった。


 なぜ、彼がそれを知っている?


「……何のことでしょう。わたくしには、何のお話しか」


 動揺を完璧に隠し、私は小首を傾げてみせた。ここでボロを出せば、全てが終わる。


 セオドア殿下は、私の反応を見て、ふっと口元に微かな笑みを浮かべた。


「おや、違いましたか。だとしたら、今のは聞かなかったことに。ですが、一つだけ忠告を」


 彼は、私に一歩近づき、耳元で囁いた。


「舞台の上で、ただ一人だけ筋書きを知っている役者は、他の役者から疎まれるものです。……下手をすれば、舞台から引きずり下ろされますよ」


 その言葉は、明確な警告だった。


 彼は知っているのだ。私が、何かを「知っている」ことを。そして、私が「演じている」ことすらも、お見通しなのだ。


 彼はそれだけ言うと、私に背を向け、静かに書庫から去っていった。


 一人残された私は、しばらくその場から動けなかった。背中に、冷たい汗が流れる。


 セオドア殿下は、私が想像していた以上に、遥かに深い場所まで、この国の闇を理解している。そして、彼は傍観者などではなかった。彼もまた、この舞台の上で、何かを画策している、もう一人の「プレイヤー」だったのだ。


(面白いじゃない……)


 恐怖よりも先に、私の心に湧き上がってきたのは、歓喜にも似た興奮だった。


 孤独な戦いだと思っていた。けれど、そうではなかった。私と同じように、この茶番劇を終わらせようとしている(あるいは、利用しようとしている)人間が、もう一人いたのだ。


 彼の警告は、私への牽制であると同時に、彼からの「招待状」でもある。


 『俺の領域に踏み込んでくるな』という脅しと、『お前の覚悟が本物なら、手を組む余地くらいは考えてやる』という、無言のメッセージ。


 百回目の駆け引きは、静かに、しかし確実に幕を開けた。


 私は手にしていた本を書架に戻すと、背筋を伸ばし、毅然とした足取りで書庫を後にした。


 次の接触までに、私は新たなカードを用意しなければならない。セオドア殿下を、交渉のテーブルにつかせるための、彼ですら無視できない「切り札」を。


 幸い、私には九十九回分の「過去の記憶」という、誰にも真似できない最強のアドバンテージがあるのだから。

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