第十二話:最後の舌戦、そして王の天秤
王室会議室。それは、大理石の床と、重厚なタペストリーに囲まれた、冷たく、巨大な空間。この国の運命が、幾度となくこの場所で決められてきた。そして今日、私の百回目の人生の運命もまた、この場所で決まる。
円卓の上座には国王陛下。その両脇には、中立派と、そして、侍従長ヘムロック伯爵に連なる貴族たちが、ずらりと顔を揃えている。私と父の席は、明らかに末席だった。まるで、被告人の席のように。部屋の隅には、護衛に変装したセオドア殿下が、壁の彫像のように静かに佇んでいる。
会議の口火を切ったのは、もちろん、侍従長ヘムロックだった。その声は、いつものように穏やかで、心からの忠誠を装っていた。
「陛下。本日は、国家の未来を揺るがしかねない、由々しき事態について、ご報告申し上げます。他ならぬ、スカーレット・ロックフォード嬢の、目に余る越権行為についてでございます」
彼は、さも悲しげに首を振りながら、言葉を続けた。
「彼女は、陛下の御心を違え、南部の統治権を私物化。あろうことか、隣国シルヴァランドと密約を交わし、我が国の富を、不当に外国へと流出させております。これは、もはや売国行為と言っても、過言ではございません!」
ヘムロックの合図で、彼の息のかかった貴族たちが、次々と「証拠」とされる書類を提出し、「証人」として雇われた商人たちが、涙ながらに私の「悪行」を訴え始めた。全てが、完璧に仕組まれた、見事な劇場型裁判だった。
会場の空気は、完全に私を断罪する方向へと傾いていく。国王陛下もまた、眉間に深い皺を寄せ、厳しい視線を私に向けていた。
全ての告発が終わった時、ヘムロックは、確信に満ちた笑みを隠しながら、私に言った。
「スカーレット嬢。何か、申し開きはございますかな?」
その瞬間を、私は待っていた。
私は、ゆっくりと立ち上がると、まずは、深々と国王陛下にお辞儀をした。そして、静かに、しかし、部屋の隅々まで響き渡る声で、話し始めた。
「お言葉ですが、侍従長閣下。あなたの仰る『売国行為』が、もし、飢饉に瀕した民を救い、腐敗した役人たちの不正を正し、そして、死にかけていた土地に、再び実りをもたらすことを指すのであれば、ええ、わたくしは、その罪を、喜んでお受けいたしますわ」
私の切り返しに、議場は一瞬、静まり返る。
「第一に、わたくしが交わしたのは『密約』ではございません。ここに、シルヴァランド王国と、我がロックフォード家が、陛下の名代として正式に交わした、経済協定の契約書がございます。全ての取引は、公正な価格で行われ、その利益は、南部の復興資金として、一ゴールドたりとも違わず、正しく計上されておりますわ」
私は、父が持参した、分厚い帳簿と契約書の写しを、テーブルに叩きつけるように置いた。それは、ヘムロックが提示した偽の書類とは、比べ物にならないほどの、緻密さと正確さに満ちていた。
「第二に、わたくしを訴えている、そこの商人の方々。お顔は覚えておりますわ。あなた方は、ラトクリフの町で、不当な価格で小麦を買い叩き、民を苦しめていた商人ギルドの残党ですわね。そして、その背後で糸を引いていたのは……あら、奇遇ですわね。今、あなた方の隣に座っておられる子爵様ではございませんでしたこと?」
私の指摘に、「証人」たちの顔が真っ青になる。
「そして、最後に、侍従長閣下。あなたは、わたくしが南部の秩序を乱したと仰いました。ええ、確かに、その通りかもしれません。わたくしは、あなたが長年かけて築き上げてこられた、『腐敗と搾取』という名の、偽りの秩序を、根底から破壊いたしましたから!」
もはや、隠すものはない。私は、ヘムロックを真っ直ぐに見据え、最後のカードを切った。
「このラトクリフの裏帳簿には、あなたの名前も、はっきりと記されておりますわよ? この二十年間、あなたが南部の富を、どれだけ吸い上げてこられたのか、その全てが、ここに!」
「なっ……!」
初めて、ヘムロックの穏やかな仮面が、剥がれ落ちた。その顔には、焦りと、隠しきれない怒りが浮かんでいる。
議場が、騒然となる。中立派の貴族たちは、私とヘムロックの間で、視線を行き来させ、どちらが真実を語っているのか、測りかねている。国王もまた、苦悩の表情で、両者の言い分を聞いていた。
まさに、その時だった。
今まで壁際に控えていた、一人の護衛騎士が、静かに、しかし、堂々とした足取りで、玉座へと進み出た。そして、国王の前で恭しく片膝をつくと、その顔を上げた。
「陛下。この度の協定に関し、シルヴァランド国王として、正式な見解を申し上げたく、罷り越しました」
その声に、誰もが息を呑んだ。護衛の兜の下から現れたのは、隣国の王子、セオドア殿下の、美しい顔だったのだ。
「我が父、シルヴァランド国王は、スカーレット嬢の類稀なる手腕と、民を想う清廉な心に、深く感銘を受けております。今回の協定は、両国の末永い友好と、共なる繁栄の、第一歩となるもの。これを妨げようとする者は、即ち、我がシルヴァランド王国への、明確な敵対行為と見なしましょう」
彼の言葉は、もはや単なる援護射撃ではなかった。それは、隣国からの、明確な「最後通牒」だった。
セオドア殿下は、立ち上がると、私の隣に立った。そして、私の手を、力強く握る。
「スカーレット嬢は、この国の宝だ。その宝を、私利私欲のために貶めようとする者がいるのなら、俺が、全力で彼女を守る」
その声は、私だけに向けられた、誓いの言葉でもあった。
全てのカードは、開かれた。
国王陛下は、ゆっくりと席を立った。その顔は、長年の側近への裏切りに対する、深い悲しみと、そして、王としての冷徹な怒りに満ちていた。
彼は、議場にいる全ての人間を、一人一人、見渡した後、その視線を、一点に定めた。
「……侍従長、ヘムロック」
王の、静かで、しかし、大地を揺るがすほどの重みを持つ声が、響き渡る。
私の百回目の人生の、判決が、今、下されようとしていた。




