第十一話:王都への帰還、そして新たな戦端
セオドア殿下のラトクリフ来訪は、戦局を大きく動かした。
彼の公的な支援表明は、侍従長ヘムロック伯爵が流した悪意ある噂を吹き飛ばし、ラトクリフの孤立を解いた。それどころか、「隣国の王太子が投資する、未来ある土地」として、他の領地の商人たちからも、再び注目を集めるようになったのだ。
南部の経済は、着実に、力強く、再生の道を歩み始めていた。
しかし、老獪な毒蛇が、それで牙を収めるはずがなかった。
「スカーレット、王都へ戻れとの、国王陛下からの勅命だ」
父からの緊急書簡を受け取ったのは、セオドア殿下が帰国して、数週間後のことだった。書簡には、父の切迫した筆跡で、こうも書き加えられていた。
『――侍従長の差し金だ。「南部問題と、隣国の過剰な内政干渉に関する王室会議」を開くと称して、お前を王都に呼び戻し、公の場で断罪するつもりらしい。気をつけろ』
やはり、来たか。
ヘムロック伯爵は、経済戦争での敗北を認め、戦いの舞台を、自らが完全に掌握する王都の宮廷へと、引き戻すことにしたのだ。陰謀と権謀術数が渦巻く、彼の本拠地へ。
出発の前夜、ラトクリフの町の人々が、私のためにささやかな送別の宴を開いてくれた。
「スカーレット様、どうかご無事で」
「あんた様は、俺たちの希望だ。王都の偉いさんなんかに、負けねぇでくだせぇ」
「必ず、戻ってきてください。俺たち、ずっと待ってますから」
パン屋の主人が、町の皆を代表して、手作りの木彫りの髪飾りをくれた。不器用だが、温かい心がこもった贈り物。私は、涙をこらえながら、それを受け取った。
「ええ、必ず戻ります」
彼らの純粋な想いが、私の胸に温かい鎧を着せてくれる。私は、もはや一人ではない。守るべきものが、ここにある。
王都への帰途、私は護衛の騎士たちとは別に、一台の馬車の中で、秘密の会談に臨んでいた。相手はもちろん、私の唯一の共犯者だ。
「随分と、大掛かりな歓迎準備をしてくれているようだね、ヘムロックは」
セオドア殿下は、護衛騎士に変装し、私の旅路に合流してくれていた。その手には、王室会議の議題と、出席者のリストが握られている。リストには、ヘムロック派の貴族の名前がずらりと並んでいた。完全に、アウェーの戦いだ。
「まるで、魔王が待ち受ける城に乗り込むようなものですわね」
「だが、魔王の城には、必ずどこかに隠し通路があるものだ」
私たちは、馬車に揺られながら、来るべき舌戦のための戦略を練った。ヘムロックが用意した議題の、裏をかく反論。彼が突きつけてくるであろう偽りの証拠を、論破するための、本物のデータ。そして、会議に出席する、数少ない中立派の貴族たちを、いかにして我々の側に引き込むか。
「……殿下。一つ、お伺いしても?」
「なんだ」
「あなたは、なぜ、そこまでして、わたくしに手を貸してくださるのですか。隣国の王子として、この国の混乱を静観し、漁夫の利を得るという選択肢もあったはずです」
それは、ずっと心のどこかにあった疑問だった。
彼は、馬車の窓の外に流れる景色を眺めながら、静かに答えた。
「……俺の母は、この国の出身だった。政略結婚でシルヴァランドに嫁いだが、故郷のことを、いつも憂いていた。腐敗し、傾いていくこの国を……」
初めて聞く、彼の個人的な話。
「俺は、母の悲しむ顔を見たくなかった。ただ、それだけだ。だが、一人ではどうすることもできずにいた。……君が現れるまでは」
彼は、私へと向き直った。そのアクアマリンの瞳には、いつもの皮肉な光ではなく、真摯で、熱い光が宿っていた。
「君は、俺の希望だ、スカーレット。この国を、そして、俺の母の故郷を救うことができる、唯一の希望なんだ」
その真っ直ぐな言葉に、私の胸は、これまで感じたことのない種類の熱を帯びた。ループからの脱出という目的だけでなく、この人の想いにも、応えたい。心の底から、そう思った。
数日後、私たちは王都に到着した。
ラトクリフの土埃とは違う、華やかだが、どこか息苦しい空気。ロックフォード公爵邸に戻った私を迎えた父は、私の顔を見て、驚いたように目を見開いた。
「……スカーレット。お前、良い顔つきになったな。まるで、戦場から生きて還ってきた、将軍のようだ」
その言葉に、私は静かに微笑んだ。
そう、戦いはまだ終わっていない。むしろ、ここからが本番だ。
王室会議が開かれる、その日。
私は、ラトクリフの民がくれた木彫りの髪飾りを、一房の髪に留めた。そして、父と、そして護衛に変装したセオドア殿下と共に、馬車に乗り込む。
向かうは、王宮。
侍従長ヘムロックという名の、巨大な敵が待ち受ける、新たな戦場へ。
馬車が、王宮の門をくぐる。
私の百回目の人生における、最大で、そして最後の戦いの幕が、今、上がろうとしていた。




