第一話:九十九回目の茶番劇
「スカーレット・ヴァン・ロックフォード公爵令嬢! 貴様が、この清らかなエララを夜な夜な虐げ、その心を深く傷つけた罪、断じて許すことはできん!」
ああ、またか。
シャンデリアの光が降り注ぐ、王宮の大広間。私の婚約者であるアルフレッド王子の甲高い声を聞きながら、私は内心、深いため息をついた。これで、九十九回目。寸分違わぬ台詞、寸分違わぬ芝居がかった身振り。
彼の腕の中では、聖女のように清らかな容姿の男爵令嬢エララが、か弱く震えている。その潤んだ瞳が、ちらりと私を見て、勝ち誇ったように細められるのを、私は見逃さない。彼女のその演技も、もう九十九回も見せられては、食傷気味を通り越して滑稽ですらあった。
周囲の貴族たちは、判で押したように私に侮蔑の視線を向け、エララには同情の眼差しを送る。
最初の頃は、私も必死だった。
無実を叫び、泣き、喚き、アルフレッドに縋り付いた。けれど、全ては無駄だった。十回目くらいまでは、絶望のあまり自ら命を絶ったこともあった。三十回目を超えたあたりからは、どうにかこの運命から逃れようと、国外逃亡を試みたり、エララを物理的に排除しようとしたりもした。
だが、どんな行動を取ろうと、どんな未来を選ぼうと、必ずこの断罪の瞬間から一週間後、私は謎の胸の痛みに襲われ、意識を失う。そして、気づけばこのパーティーの一週間前に、ベッドの上で目覚めているのだ。
九十九回。
同じ時を繰り返す地獄の中で、私の心はとっくの昔に摩耗しきっていた。情熱も、悲しみも、怒りさえも、今はもうない。ただ、終わらない演劇を、舞台袖から眺めているような、そんな冷めた諦観だけが、私を支配していた。
「スカーレット! 何か言うことはないのか!」
アルフレッドが、私の沈黙に苛立ったように声を荒らげる。
私は、ゆっくりと顔を上げた。そして、カーテシーにも満たないほど、ほんの少しだけ、首を傾けてみせた。
「ございませんわ。ただ、一つだけよろしいでしょうか、殿下」
「……なんだ」
「その茶番、いつまで続けられるおつもりですの?」
私の言葉に、広間は水を打ったように静まり返る。アルフレッドも、エララも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で私を見ていた。
「ちゃ、茶番だと……!?」
「ええ。皆様、お上手な役者様ばかりで、感服いたします。ですが、申し訳ありませんけれど、この演目はもう見飽きてしまいまして」
私は、ふわりと笑ってみせた。心の底から湧き出た、虚無の笑みを。
もう、どうでもよかった。
どうせまた、一週間後には全てがリセットされるのだ。ならば、最後に一度くらい、この役者たちの度肝を抜いてやるのも一興だろう。
私がそう思った、まさにその時。
視界の隅に、いつもと違う光景が映った。
広間の壁際に立つ、一人の青年。隣国、シルヴァランドの第二王子、セオドア殿下。彼は、これまでの九十八回、いつもただ静かに、この茶番劇を無表情に眺めているだけの、背景のような存在だった。
けれど、今の彼は違った。
私の言葉を聞いた彼の、氷のように冷たいアクアマリンの瞳が、ほんのわずかに、興味深そうに細められたのだ。
その、初めて見る「変化」。
それが何を意味するのか、考える間もなかった。
断罪は滞りなく進み、私は衛兵に連れられて、幽閉先の塔へと向かう。石の階段を上りながら、私はぼんやりと考えていた。
(百回目……もし、次があるのなら)
もう、逃げるのはやめよう。ただ受け入れるのも、もう飽きた。
次こそは。この終わらないループを、この手で、完璧に終わらせてみせる。
冷たい石の部屋で、一人きり。窓から射し込む月明かりを眺めながら、その時を待つ。そして、七日目の夜。約束されたように、心臓を抉るような、鋭い痛みが私を襲った。
(ああ、また……)
薄れゆく意識の中で、私は誓いを立てる。
アルフレッドも、エララも、どうでもいい。けれど、このループに巻き込まれているであろう、罪のない人々。私の両親、使用人たち、そして……なぜか、あの冷たい瞳の隣国の王子。
次こそは、誰も不幸にならない、完璧なハッピーエンドを。
私が、この手で、作り上げてみせる。
激しい光に包まれ、私の九十九回目の人生は、静かに幕を閉じた。
◇◇◇
そして、目覚める。
見慣れた自室の天蓋。体に纏わりつく、上質なシルクのシーツの感触。
(……百回目)
ゆっくりと体を起こす。絶望も、悲しみもない。心にあるのは、これから始まる「最後の戦い」への、静かな覚悟だけだった。
私はベッドから降りると、ためらうことなく机に向かった。そして、一枚の羊皮紙に、ペンを走らせる。
今までのループで断片的に得た情報。アルフレッドの不自然なまでの私への敵意。エララの背後にいる、貴族派閥の動き。そして、国の財政に巣食う、見えない闇。全てが、この断罪劇へと繋がっているのだ。
今までは、自分の運命を変えることだけに必死だった。けれど、今回は違う。物語の、根幹から覆す。
そのためには、情報が足りない。そして、協力者が必要だ。
私の脳裏に、あの氷のようなアクアマリンの瞳が浮かんだ。
隣国の王子、セオドア・フォン・シルヴァランド。
いつも、全てを見透かすような瞳で、傍観者に徹していた彼。彼だけが、この茶番の外側にいる人間だ。
(あなたなら、気づいているはず。この国の歪みに)
百回目の断罪パーティーまで、あと一週間。
私の、本当の戦いが、今、始まる。
最初の標的は、婚約者の心変わりでも、聖女気取りのヒロインでもない。
この国を蝕む、見えない敵だ。
私はペンを置き、静かに立ち上がった。まずは、セオドア殿下と「偶然」接触するための、完璧なシナリオを考えなければ。