悍ましき箱
1973年
世界的ボードゲーム『オセロ』が世界的発売された年。
熱き俳優ブルースリーが死んだ年
熱狂渦巻く世界の片隅で、その女は自由を謳歌していた
□ □ □
しゃっしゃっしゃっしゃっ
と、そんな音を奏でながら、薄暗い公園の中心で一人の男が紙に鉛筆を走らせていた
男は画家であった
それなりに人気があるものの、ある程度芸術に興味を持ってなければ名前を知ることもない
生活に何不自由ないほどの金は稼いでいるものの、決して金持ちとは言えない
その程度の画家
もっとも、画家にとってもそんな事はなんでもない些事であったし、そもそも『絵を売る』という発想自体、元々は持ち合わせていなかった。
そのアイデアは今は亡き妻のものだ
しゃっしゃっしゃっしゃっ
この絵は、
今描いているこの絵は亡き妻に捧げよう、と
画家はそんな似合わない事まで考えながら、素早く、それでいて丁寧に絵を出力する
丁寧に丁寧に、最大限の集中を持ってして
だからこそ、
「やぁ」
集中を乱すその声に、いつも以上に反応してしまった
「何してるの? 君」
声の主は女であった。この時代では珍しいスーツを着た女
女性が働くという概念すら乏しい世において、一目で異質とわかる存在であった
「失せろ、邪魔を、してくれるな」
唐突に場面に現れたその女を画家はなんでもない事のように一蹴した
「そういうなよ、コミュニケーション取ろうぜ、コミュニケーション」
「コミュニケーション?」
「聞き慣れないかな? まぁ仲良くしようぜって事だよ」
画家は初めて絵から目を離した
「失せろと言ったはずだ」
「失せてほしいならまずは質問に答えてよ。何してるの? 」
「見て分からないのか、絵を描いてるんだ」
「何の絵?」
画家は次第に自身の心が苛立っていくのをはっきりと感じた
「私の、妻の絵だ」
「ふーん。なんつーか、死体みたいに色白な奥さんだなぁ」
「死体だからな」
「あ、やっぱり?」
分かりきった事を何度も聞くその女に、画家は少しばかり声を荒げた
「だったらなんだっていうんだ。満足したならさっさと消えろ」
「奥さんが死んだのはいつ?」
「質問に答えれば消えると言っていなかったか?」
「言ってないよ。言ってたとしても無視するだけだけど」
「酷い言葉だな」
画家は察した
この女は自分が満足するまで決して帰らないだろうと
なぜ自分がこんな面倒なことに巻き込まれるのかと、画家は自身の不運を呪った
「死んだのはついさっきだよ」
「なんで死んだの?」
「私が首を絞めて殺したからだな」
「なんで殺したの?」
「妻の死体の絵が描きたかったからだ」
その会話の狂気に、常軌の逸し方に気づくものはこの場にいない
「死体は今どこにあるの?」
「この公園似合った開けた場所に置いて来た。月明かりがちょうど差し込むような場所で、妻の姿も美しく映えたよ」
「……馬鹿だ」
「? なんのことだ」
女は何やら考えるようにしてブツブツと呟き出した
「うーん、イカれてるのは別にいいんだけど求めているのは別の方面のイカれ方っつうか、シンプルに常識知らずというか、めんどくさい女に甘やかされて育った奴特有の無気力と芸術家としての純粋な狂気がある、まぁ、悪くはないか」
画家には女の支離滅裂な言葉の意味は伝わらなかったものの、見定める用なその視線に薄気味の悪いものを覚えた
「なんだ、お前? 何を言っている?」
女は画家の顔を見つめたあとニヤリと歪な笑みを浮かべた
「おめでとう、犯罪者。今から私が共犯者だ お前の手助けをしてやろう」
「…………」
「うん? 嬉しくて声も出ないのか? それともあまりの急展開に理解が追いつかなくて絶句したのか? 多分前者だな」
「いや、後者だ」
「そう言ってくれるな、このツンデレ」
「ツン……? なんだそれは馬鹿にしているのか?」
「いやいや、ツンデレは古事記にも載っている日本古来の属性だぜ。最上級の誉め言葉と言っても過言ではない」
「……」
画家は何となくだが、『絶対嘘だ』と思った
「だからさぁ、もっと喜べよ。この私が人を助けるなんて一月に一回ぐらいだぜ」
「割と普通だな」
「君はわかっていないようだから教えといてやるよ。いいか、このままでは君の『本当の目的』は決して果たせない」
「!」
「大丈夫大丈夫、信じるものは救われる。私のいう通りにすれば間違いはまずはないから」
「……何様だよ、お前は」
「うーん、それは私も気になっていたんだ。まぁ些事だよ、少なくとも君にとっては」
□ □ □
その10日後、同じ公園で死体が発見された
夏場だけあって、死体は腐食がかなり進み、ほとんどが白骨化してはいたものの、骨格などから女性と判明
その後、周囲で行方不明となっていた作家の女性の情報を入手した警察は、作家女史を被害者として捜査に乗り出した
しかし、警察の捜査が本格的に始まるよりも早く犯人は自首した
殺されていた女の夫
犯行動機は
『喧嘩した拍子に首を絞めて殺してしまった』
その後の聴取で聞き出せた
『殺した後しばらくは、家にあった紙芝居用の箱の中に隠していたが、世間にはもう隠し切れないだろうと思って公園に死体を置いて自首した』
という証言を元に彼の自宅を捜索したところ、腐敗した肉で汚れ、異臭を発する箱が発見された
証拠が発見されたことが決定的となり、男はすぐに逮捕され、この事件は終結となった
□ □ □
「何だかなぁ」
その学生は真昼の公園で、ただ考えていた
彼は別に、この場所で起きた事件の関係者だとか、学生探偵だとか、そういうわけではない
風の噂で事件の事を聞いて、なんとなく気になって野次馬根性で見に来ただけだ
しかし、そんな軽い気持ちで公園にやってきた彼を、女は舌なめずりして待っていた
「だーれだ」
学生の視界を、病的なほど真っ白な手が覆い隠した
「え? 」
「ヒント、初対面」
間違いなく初対面の相手にやっていいゲームでは無かったが、声の主はそんなことは関係なしとばかりにカウントダウンを開始した
「10、9、8、7、6」
「え、怖い、なんで数えおろし?」
「0になるまでに答えられなければ君の目を潰す。54321、0」
「は? いや、ちょっ待」
グニュ
声の主は躊躇なく学生の目に指を押し込んだ
「アァ⁉︎ 痛、え? は?」
「冗談だって、大袈裟だなぁ」
「いや冗談って、お前、はぁ?」
「眼球を少し押しただけだよ。潰してたら『グニュ』じゃすまないって」
学生は落ち着いて何度か瞬きすれば、確かにまだ光を認識できる
涙でぼやける視界の中、学生は凶悪な笑みを浮かべるスーツの女を認識した
「あぁぁ、ほ、ほんとに初対面! 誰だよお前!」
「おいおい、野暮なこと言うなよな。せっかくここまで固有名詞隠してんのに、ここで私が普通に名乗ったら萎えるじゃん? だから君も本名言わないでね。」
学生にはが何を言っているのか全くもって理解不能であったが、それ故に一つだけ理解した
自分が相対しているのは、言葉も通じない異常者だと
反射的に体が反転し、逃げ出そうとする
「はい、キックー」
その胴体に鋭いハイキックが突き刺さった
「っ……!」
息も出せないほどの激痛
なぜ蹴られたもわからない
あまりに理不尽
「端役のくせに、余計な手間をかけさせないで欲しいなぁ。まぁ逃げてもいいけどまた蹴り止めるだけだからやめといた方がいい。つぎは、もっと強く蹴るから」
「……一何様だよ、お前」
「その台詞この前も聞いたな。コピペか?」
「コピペ?」
「超便利かつ超初歩的な便利機能だよ。最高の賛辞だよ」
学生は何となくだが、『絶対嘘だ』と思った
「まぁ欲しかったのは凡人だし。そういう意味では君の反応は超理想的で大変ありがたい」
「凡っ……」
「じゃあ行こうか。短編らしく展開を超圧縮。プロローグが終わったら次は解答編、テンポ良くいこう」
「……行くって、どこに?」
学生には、逆らうだけの気力はもうなかった
預言者はその言葉に笑顔で返答した
「私の家」
□ □ □
「ハイついたー。場面が変わると余分な移動時間省略できていいよね」
「……」
案内されたのは真新しいマンションの一室
小綺麗で広いリビングの中央で、二人は向かい合って座っていた
「……いや、ここって確か」
「そう、画家夫妻の暮らしていたマンションの一室だよ。共犯としてそっちの方が都合が良かったからね。事件の一年前ぐらい前に買っておいたんだ。マンションごと」
「共……犯?」
「うんうん、そのリアクションも実に凡夫で素晴らしい」
頭のおかしい女だと思っていた。逆らわない方がいいと思った。だか、まさか本当に、人一人を殺した殺人の犯人だと言うのか。学生は思わず玄関に視線を送る
扉に鍵は掛かっていない。上手くいけば、今度こそ逃げられるかもしれない
「あぁ、違う違う。私があの奥さんを殺したわけじゃないよ。ちょっとその後を手伝っただけだしね」
「その、後?」
「そうそう、まずは疑問をまとめてみようか、私は君の疑問に答えるために接触したんだから」
「……じゃあまずは……」
言いたいことは沢山あったが、本当にそれだけなのであれば、むしろ早めに終わらせるのが賢い選択のように学生には思えた
「画家の証言『喧嘩した拍子に殺してしまった』。なぜ喧嘩したんだ?」
「ん〜、なんて言おうかな、そもそも喧嘩をしていない。あの証言は真っ赤な嘘だよ」
「……では、本当の動機は何だ?」
「それはシンプル。彼が画家だったからだ。画家は絵を描くお仕事だろう? だから絵を描く為に、妻を殺した」
「奥さんが絵を描く邪魔をしたってことか」
「まさか。もっとシンプルだよ。画家は、『妻の死体』を描く為に妻を自らの手で殺したんだよ」
「……理解できない。そんな、そんなことが、人が人を殺す理由になり得るのか?」
「かのアマデウス・モーツァルトは、彼の才能に嫉妬したアントニオ・サリエリに殺された。芸術は人を殺す理由足りえるよ」
「でもそれは、確か、」
「そう、真偽は不明。でもね、『多くの人が納得した』サリエルはモーツァルトを殺す理由があったんだってね。つまり、芸術ってのは感動を起こすもの故に、誰にも否定できないものなんだよ」
「……では、次の質問だ。なぜ、10日で彼は死体を公園に捨てて、自首したんだ? 世間に隠せなくなると思うタイミングはもっとあったんじゃないのか?」
「うーん。パス、次」
「え、いや、パスってどう言う意味だ?」
「そう言うのいいから、次の質問」
学生は納得のいかない顔をしつつも、仕方なく次の疑問を投げかける
「紙芝居用の箱ってなんだ?」
「え? 見たことない? 公園とかで冷蔵庫ぐらいの大きさの箱の上で紙芝居読み上げるやつ」
「いや、見たことあるけど、何でそんなものが画家の部屋にあったんだ?」
「奥さんの職業は覚えてる?」
「確か……作家、あぁ、もしかして」
「そう、二人は共同で紙芝居を作っていたんだ。妻が文を、夫が絵を、ってね。合作って奴だ。シンパシーを感じるだろ?」
「いや、そもそも紙芝居屋さんの箱って確かしたは箪笥型になってて人が入るスペースなんて」
「中のセパレートをくり抜けば入るだろ」
「セパ? あぁ仕切りのことか。いや、そんな労力を使ってまで紙芝居用の箱に入れる必要なんて無いだろう。それこそバラして冷蔵庫に入れておけば10日以上持つだろうに」
「それじゃあ困るんだよなぁ」
「?」
「ではここで、さっきパスした疑問の答え。なぜ10日なのか一週間でも一か月でも一生でもなく、10日。この答えはね、『絵を描くのに10日かかったから』だよ」
「……10日、死体、冷蔵庫ではダメな理由……まさか、いや、でもそんな」
「分かっちゃったみたいだね。ほら言ってみ? 多分あってるから」
「描きたかったのは、妻の死体じゃなくて、その後? 死体が骨になっていくのを、腐れ落ちるのをその『過程』を絵にしたのか」
ぞわり
と学生の首筋に冷たいものが走る
悍ましい、やめてくれ、そうであって欲しくない
そんな期待を、本当なけなしの期待を込めて預言者の方をすがるように見る
女は、歪に笑っていた
「だーいせーかーい。そう、みんな大好き『九相図』だ」
□ □ □
九相図
人間が死んで、腐って、骨になって、野に帰るまでを描いた作品
神聖な仏教画であり、煩悩を払う為に書かれたと言う
『大智度論』『摩訶止観』などでは以下のようなものである。
脹相 - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
壊相 - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
血塗相 - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
膿爛相 - 死体自体が腐敗により溶解する。
青瘀相 - 死体が青黒くなる。
噉相 - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
散相 - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
骨相 - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
焼相 - 骨が焼かれ灰だけになる。
(by wiki)
□ □ □
「真面目な論文とかでwikiから引用したらダメだぞ! 大抵下に引用した論文あるからそっちに飛ぶのがオススメ!」
「……」
「おや、ツッコミがない。けどコレで、紙芝居用の箱じゃ無いといけない理由も分かったかな? 九相図の中に、死体から蛆虫が湧くことが含まれるのなら、家の中では達成できないよねぇ」
「……そう、か。持ち出したのか、紙芝居用の箱に死体を詰めたまま、外に」
「蛆虫とかはわずかな隙間があれば湧き出すからねぇ。この時期に公園に一定時間止まってれば集まってくるだろ」
「一定時間、あぁ、つまり、子供達の、まえで」
「お、頭が回ってきたねぇ。そう、もっと言うなら自作の紙芝居なら、話をしながらの作業も不可能じゃ無いよね」
「っ! 子供に、紙芝居を聞かせながら、その後ろで妻の死体が腐っていくのをスケッチしていた、のか」
「悪趣味かなぁ」
「お前が、考えたのか」
「どう思う?」
「気持ち悪い。どう言う構造してるんだ? お前の脳は。どんな育成すればお前みたいなのが生まれるんだ?」
「親のせいでも体のせいでも無いよ。運が悪くてこうなったって感じかな」
「……なぁ、もういいだろう? なんのためにこんなことしてんだ。悪いことしたら謝るから、家に、帰してくれないか?」
「それは困るなぁ。私はここで誰かに事件の詳細を話さなくてはいけない。ここが、未来を変えるターニングポイントって奴だ。だからさぁ」
予言者はゆっくりと、包み込むように学生の頭を抱え込んだ
抱擁のようにも、首をへし折ろうとしてるようにも見える
「さぁ、次の疑問を投げかけろよ。もうパスはないからさ」
「何日も、同じ箱に死体を詰めて、腐らせて、読み聞かせを聞く子供達は気づかなかったのか?」
「その質問を待ってたよ。ちょっとこっちに来て」
予言者は心なしかウキウキしながら別の部屋に移動し、手招きする
「? 何があるって……これは、なるほど、そう言うことか」
「すごいでしょコレ」
「単純な物量、汚れたのならば取り換えればいい。確かに、単純だ」
学生が案内された一室は畳張りの和室であった
しかし、床の畳はほとんどその姿が見えない
冷蔵庫大の紙芝居用の箱が九つ
全く同じデザインのものが横向きに並べられていたからだ
「コレは、薄い油紙で覆って、匂いを消しているのか?」
「いやいや、ビニール袋を貼り合わせてでっかい袋にしてるんだよ。まだ普及し始めたばっかりだから馴染みは薄いかな?」
「塩化ビニール樹脂、そうか、プラスチックか」
「ビニール袋が普及し出したのは最近だからねぇ。大変だったよ、マジで」
よく見れば、九つの箱は全て汚れ方が違っていた
「そうか、段階的に入れ替えていけば、汚れ方も、変わるか」
「警察も抜けてるよなー。いや、目を逸らしたのかな? 栄養たっぷりの肉と水の塊を、夏場に10日もかけて発酵させて、『腐肉がこびりついた』なんで程度で済むはずがないのに」
「コレが、お前が家に招いた理由か」
「うーん、それはそうだけど正確には理由の一つかな? もう一つある」
「もう一つ?」
「お? 聞きたい? じゃあまずそっちから終わらせようか」
「……」
学生はあまり聞きたいとも思えなかったが、多分自分の意見は考慮されないと思ったので、黙っていた
おそらく、正解である
「まずはコレかな? ちょっとした自慢」
そう言って予言者は紙芝居用の箱の上に乗って、器用に箱を渡り歩いて部屋の奥の押し入れから、数枚の画用紙を取り出した
「今回の報酬としてもらったんだよねぇ。いやぁいい買い物をしたよ」
褒め称えつつも予言者はそれを乱雑にばらり、と上から学生の足元へ放り落とす。不思議なことにひらひらと空を舞った画用紙は全て、全く重なることなく、学生を取り囲むように着地した
全て裏向きで、学生には表が見えない
「一、ニ、三、四………八枚。コレってもしかして」
「絵を描くこと自体が目的てあり、完成品には全く執着しない。いやぁ分かっていても気持ちの悪いあり方だねぇ」
「……コレを見ろって言うのか」
「いやいや違う違う。言ったろ『ちょっとした自慢』だって。別にみてもいいけど、しばらく網膜に焼きついて離れなくなるからおすすめはしないぜ」
「……」
好奇心を刺激する予言者の言葉に、思わず学生の手が伸びる
「………いや、やめておこう」
「ふーん。偉いじゃん。ヨカッタネ。見たらきっと人格が軽く変わってたぜ。」
学生は幾許か逡巡した後、再び質問を開始した
「……なぜ、絞殺だったんだ?」
「というと?」
「いや、九相図っていえば、病死とか自然死した死体を使うのが普通じゃないのか? 絞殺なんて面倒な事しなくても、夫婦なら毒殺とかやり方があったんじゃないか?」
「いやいや、むしろこの場合絞殺は最も綺麗に相手を殺せる手段だぜ」
「最も、綺麗に?」
「なぁ? なんで首を絞められると人は死ぬんだ?」
「そりゃ呼吸できなくなって、脳に血がいかなくなって、って感じだろう」
「その二つ、どっちが先だ?」
「? いや、それは、わからないけど」
「締める強さとかによって前後するが、大抵の場合、ほぼ同時。窒息と閉塞のダブル死因だ」
「いや、閉塞で鬱血したら、ほら、首から上の色が変わるんじゃないか?」
「そうチアノーゼ。まぁ死んだらそのうち普通に起きる現象だけど、スタート時から一部だけ色が違うってのは綺麗じゃないよな」
「いや、じゃあやっぱり絞殺は向かないんじゃないのか?」
「んー、だからさ、要するに閉塞よりも圧倒的に早く窒息で殺すことができればいいんだよ」
「そんなことが可能なのか? 水中、とか?」
「いや、水中だと肺に水入っちゃうじゃん。もっと単純な話。被害者が酸素を全て、本当に可能な限り全て吐き切ってから、首を絞めたんだよ」
「……は?」
学生の脳が理解を拒む。だっておかしい
「それじゃあ、被害者が、自ら望んで殺されたみたいじゃないか」
「だからさ、そう言ってんだよ。紙芝居と一緒。最初から、この作品は合作として書かれたんだよ」
「い、いや、おかしいだろ、それは、そうじゃなきゃこの事件の被害者はどこにいるってんだよ」
「いや、普通に奥さんだろ。共犯者と被害者が両立出来ないなんて法則はないだろう」
「いや、そんな、そんな人騒がせな」
「そう、人騒がせ、けど本来なら誰も不幸になることなんて無い無害な事件だったってことでもあるよ」
「……」
なら全部お前が悪いんじゃない? と言いたいのを学生はギリギリで堪えた
「じゃあ、次の質問行こうか」
「いや、もう質問はない。帰してくれ」
「いやいや、あるでしょ少なくともあと一つ」
「全然分からん」
「はぁ、コレだから凡人は。いいかい、こっちは君が探偵役だからそこまでレベルを下げてあげてんだ。犯人を推理する必要もなく、急いで推理しないと次の被害者が出るほど切迫もしていない。欲しい要素は全部答えてあげてるし、余分なヒントも十二分にあげてる。こんだけ低いハードルに設定してあげてんだから、多少君にも頑張って貰わないと困るよ」
「何様だよ、本当に」
学生はかなりウンザリしていたが、流石に今の物言いには苛ついたようで、ゆっくりと、頭の中で要素を整理し、違和感を探っていく。
「……骨……死体……警察……10日間? 数? 箱の数は、八……いや、九か……床の絵も、八……いや、九相図?」
学生は天啓を得たかのように、それでいて何かに怯えるように、最後の疑問を口にした
「九相図の本質は肉体の不浄、無常を知るためのもの。であれば、『肉が腐り、骨が野に帰るまで』を描写すべきだ」
「そだねぇ。なのに骨は『発見された』」
「九相図じゃない? いや、さっきお前は確かに『九相図』だと言った。なら九枚目はどこにある?」
「あー、やっとかぁ。うんじゃぁとりあえずここ出ようか」
「ここにはないって事か? どこに行くんだ?」
「さっきの公園」
□ □ □
「安定の道のりスキップ〜。バラエティのコメンテーターになった気分。あのジャンプしたら別の場所にいるやつ」
「分からん」
「いいとも終わった時どう思った?」
「まずいいともが分からん」
「そのうちお昼になったら必ずテレビ点ける時代が来るよ」
「はぁ」
学生はよく分からない話は無視することにした。おそらくこの数十分で彼女のスルースキルは格段の成長を遂げている
別に、だからどうとかいう話はないのだけれど
「この公園に来たって事は、画家はここに絵を隠したって事でいいんですか?」
「まさか、ここには何もないよ。木に括り付けられた糸も、何かを隠せそうな虚もない。舞台装置としての機能を最低限しか持たない背景だよ」
「いや、それじゃあなんでここに連れてきたんだよ。背景っていうなら、ここに誰か……それこそ、画家本人が来るとかするのか?」
「いやいや、流石に画家が脱獄できるほど、この時代の警察は無能じゃないよ。脱獄させることも出来なくはないけど、それじゃあわざわざ刑務所に入れた意味がないしね」
「刑務所に『入れた』? その言い草はまるで……」
「ねぇ」
学生の疑問の声を断ち切るように、予言者よく通るその声を公園に響かせた
「共犯者ってさ、どこから共犯者になれるんだと思う?」
予言者は懐から一冊の手帳を取り出し、パラパラと速読していく
「それは?」
「事件簿……いや、犯罪録? 私が『共犯者』になった事件の記録だよ」
「!」
学生は目の前にいる相手の危険度をまだ見誤っていた
画家と予言者は、何らかの固人的な関係があったと思っていた。普通はそう考える
ここまでのことをして、赤の他人の事件に首を突っ込んだだけなんて、思えない
しかし、違っていた。遊び気分なのだ。どこまでいっても
おそらく、予言者は画家と学生に対して大きな違いを感じていない。凡人も狂人も天才も、十把一絡げにしか見ていない
どこから干渉するのか、まったくもって分からない
「だからさ、共犯って難しいと思うんだよ」
その内心を知ってか知らずか
予言者は平坦に話し続ける
「だって今のところ、私ってほぼ『教唆犯』って感じじゃない? 箱を家に持って帰ったのは証拠隠滅かもしれないけど、わざわざ一つ残して、そもそも証拠を隠そうと言う意思すらなかったしグレーゾーン。これじゃあ共犯者になれない」
「共犯者にこだわる必要はないのでは?」
「いやいや、必要あるからやってんだよ。って言う訳でさぁ私は共犯者として、必ず何か『犯罪行為』をやることを己に課している訳よ」
だとすれば、今回の事件でも何かしらの犯罪行為に手を染めたと言うことだろうか。だとすればそれは何だ?学生の頭の中で疑問符が飛び交う
「あぁ、いや、考えても無駄だよ。私の犯行時刻は、今からだから」
「今、から?」
学生の背筋を虫が這うような恐怖がじわじわと登っていく
もしや、自分は殺されるためにこの公園に来たのではないか?
そんな妄想が学生の中で鎌首をもたげる
事件の詳細を知ってしまった自分を、殺す
無論、教えたのは予言者である。酷いマッチポンプだが、そんな理不尽を平気で押し付けてくる精神性が、預言者にはある
凡人を探していたのは、死んでも問題がなさそうだから?
思わず、一歩
無意識のうちに、学生は一歩後ろに下がった
その下顎に固いつま先がめり込んむ
「ガッ!」
「いや、逃げたら蹴るって言ったじゃん。何で逃げんの?」
顎を蹴られて脳が震えたのか、学生は通常の平衡感覚を失って地面に叩きつけられた
その学生の後頭部を踏み躙るように踏みつける。磔にする
「まぁ、このままでいっか。じゃ、犯罪行為、しちゃおっかな?」
「待っ……」
学生の制止も聞かず、生死も問わず
『カチリ』と、スイッチの音は鳴り響いた
□ □ □
キャンプファイヤーに特別な意味はない
ただの炎でしかなく、別段綺麗でも、見ていて楽しいわけでもない
絶対に花火で遊んだ方が楽しい
しかし一方で、キャンプファイヤーは根強い人気を誇る
大勢でキャンプの計画を立てれば必ず案として出されるし、修学旅行に組み込む学校も一定数存在する。
なぜ?
なぜ人間はただでかい火に惹かれる?
人によっては毎日見るであろう物に、なぜ?
答えは、圧倒されるから
広大な自然の風景に、意味理由もなく涙を流すように
ただ、自分の命を脅かす存在が、強大なものとして存在している事実が、人の思考を奪い、それを感動と錯覚させる
故に、その『火柱』を見た時、学生はおよそ10秒の間、全く思考を働かせることができず、ただ唖然としたのも、仕方のないことである
「………………………え?」
薄い太陽の光に照らされた空間は、今は紅一色に染まっていた
轟轟と炉のように燃える炎が、太陽よりも強く周りを照らしている
空にあった白雲は、薄黒い煙によって塗りつぶされていた
どこか遠くの方で、悲鳴と叫び声が聞こえる
「は?」
「うん、我ながらよく燃やせたね、マシュマロでも焼きに行こうかな?」
「……は?」
「そこからじゃ見にくいだろうし、立ってよく見てみなよ」
予言者は学生の頭をぐりぐりと踏み躙るのをやめて、立つように促す。学生は呆然としながらも、どこが燃えているのかを確認した
「あ……そこは確か学校? いや………」
何の感情もなく、ただ唖然呆然として、学生は最後の真相を口にした。
「墓地だ」
□ □ □
「燃えている」
刑務所の一角、格子のつけられた窓から、画家は燃えたぎる炎を見た
方角的にも、距離的にも、間違いなくあそこは、画家の妻が眠るであろう墓地である
「う、うふふ。あはは」
思わず、画家の口から笑い声が溢れる
手は自然と頬に当てられ、心臓はうるさいほどに拍動していた
あそこで、燃えている、妻の骨が
「あ、はは」
ガリ、と
そんな音を立てながら、画家は自分の指に噛み付いた
そのまま、強く、万力のような力を歯に込める
今度は、プシリと血の吹き出す音がした
その後にミシリと骨の軋み歪む音がした
そしてそのまま画家は自分の指をぐしゃりと噛みちぎった
その間も、画家の視線は一切逸れることは無かった。ひたすらに、炎と煙と赤色のみの視界
画家は、その光景を目に焼き付けながら噛みちぎった指の断面を、赤々シイ肉と骨を、真っ白な刑務所の壁に叩きつけた
そのまま、ガリガリと骨とコンクリートが擦れ合う音を立てながら刑務所の壁に、一本の線を描く
画家は、絵を描いていた
刑務所には、筆もインクもない
だから、画家はそれらを作り出すことにしたのだ
筆は指
インクは血液
キャンバスは壁
そんな狂気に画家は全く躊躇しない
彼はその為だけに妻を殺して、その為だけに刑務所に入ったのだから
画家の脳内は、喜びと感謝でいっぱいだった
人生において最高の絵が描けることによる歓喜
そしてそれを描くに至る、過程の全てへの圧倒的な感謝
予言者に、この体に、親に、才能に、脳髄に、兄弟に、娘に、挫折に、努力に、無常に、絵を買った人に、自分に、価値観に、偉大な先達たちに、使ってきた道具たちに、そして妻に
画家は心から感謝した
画家の目から涙が溢れる
痛みによるものではない
頭の中で滝のように生成されるアドレナリンが、とうの昔に痛みを消し去っていた
きっと、この涙は画家の心に残った、ほんの少しの、『普通』の残滓だ
『あのね、私、あなたに絵を描いて欲しいの』
『私ね、愛してるの。あなた絵を』
『ねぇ、この絵、売ってみない? あなたの絵、きっとみんなに認めてもらえるわ』
『私ね、あなたの絵だけじゃなくて、あなたも好きなの』
『私の絵を描いてくれるの? あなたが? 本当に?』
『私の死体が描きたいの? 嬉しい? とっても嬉しいわ』
画家は、美しいもの以外は描かないと誓っていた
人間なんて描くつもりは無かった
妻の知り合いは口を揃えて言った
『あの人、とっても優しくていい人だけど旦那さんが変わり者でね』
画家はそれを聞くたびに、『馬鹿な』と心の中で吐き捨てた
誰からも嫌われず、誰からも愛されず、ただ『いい人』とだけ表される
画家以外、誰も妻の異常を分からなかった
彼女の両親さえも
画家だけは、彼女のことを理解していた
そして、他ならぬ画家自身の手で、その妻を殺したのだ
画家の瞳から涙がこぼれ落ちる
果たして画家は、その涙を指で掬い上げ、絵の上から滲ませて、絵の一部とした
「いらないんだよ、そういうの」
その涙は、画家にとってみればなんでも無い、ただの水だ
インクを薄めたり、ぼかしをかけるぐらいしか使い道のない
なんの意味もない、ただの液体だった
「いらないんだよ、ほんとうに」
呟くように、再確認するように、画家は呟く
「愛とか、恋とか、友情とか、倫理とか」
画家の指からの出血はすでに治りつつあった
傷口をひたすらに圧迫したのが幸いしたのだろう
しかし、画家は再び、傷口を削り取るようにして、指を噛みちぎった
そしてあろうことか、その隣の指も同じく噛みちぎる
「あとは、命とか。そんなものを捨てられないで、そんなちっぽけな塵にこだわって、作品を汚すなんて、その程度の重りで、自由に描けなくなるなんて」
「甘えるにも、程があんだろ」
妥協は、ない
本当に、あるのはただ、歓喜と感謝だけ
「あはは、あはははは」
狂人は部屋を歪な赤黒色で染めながら、歪に笑った
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「要するに、逆転の発想ってやつだ。死体を隠せるのは、否、隠しながら絵を描くのは10日が限界だった。けど10キログラム近い成人の骨が完全に燃焼するのは時間がかかる。火葬場の炉でも骨は残るしね。だから、骨壷ごとそれが入る箱ごと、この街のどこからでも見えるように、燃やした」
「いや、いやいやいや。ダメだろ、それは」
「何で?」
「何で? 何でって何で? 何でやっていいと思ったの?」
「あぁ、火災の心配はいらないよ、今日は無風だし、空気も乾燥していない。墓地の周りは開けた道があるし、燃え広がらないように計算して火を付けた。ほらここからもう火が見えないでしょ?」
「……どうして? あんなに、燃えていたのに」
「あんなに燃えていたからだろ。炎を炎で消化する。馬鹿みたいに聞こえるけど、要するに可燃物が無くなって酸素濃度も薄まれば、何もせずとも火はおさまるんだよ」
「いや、それでも、あそこには他の人のお墓だってあったはずじゃないのか? 他の人の骨壺も、あったんじゃ」
「? それがどうした? 死体ですらない骨なんて物でしかないだろ」
学生と女の間では、認識が違いすぎる。そもそもの話、あまりに価値観が違いすぎる。学生はこの瞬間、同じ人間として理解することを完全に諦めた。女はそもそも自分以外の人間を同じ生き物だと認識していなかった。人間と非人間の質疑応答は続く
「そもそもどうやって、どうやって火をつけたんだ?」
「死体が腐り切るまでの10日間、私は暇してたわけじゃないよ。墓石に火薬仕込んだり、土に脂を練り込んだり、ガソリンで濡らした土をビニールでまとめて要所に置いたり。できる限りのことはやったよ」
「怖くないのか? もうすぐそこまで警察が来ているかもしれないのに」
「それはないよ。信頼できる『掃除屋』に証拠は消してもらったから。ガス管の破裂とかで落ち着くんじゃない? まぁ墓地の下にガスが通っているかは知らないけど」
「最後に、もう一つだけ、いや、もう一度だけ質問させて欲しい。なぜ私なんだ? 」
「平凡な方が読者の共感を得られやすいだろう? あとは……見た目が可愛かったからかな?」