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第六話:電車で子煩悩、暴言暴力ボボボンノー

 母親からの電話で、正月くらい実家に帰ってこいと言われた。



 神奈川(かながわ)県の横須賀(よこすか)


 今の俺がいる世田谷からだと、電車を乗り継いで二時間以上かかる。


 世田谷~下高井戸~新宿~品川~横須賀中央…。


 乗り換えがとにかく多い。

 それが面倒で、俺はめったに実家に帰らなかった。



 これまでも、年末年始は、適当な理由をつけて東京に残るのが常だった。


 でも、今年は違った。

 羅璃(ラリ)がいる。この赤鬼ギャルと二人きりで東京にいるのは、正直もう限界かもしれない。

 騒がしいし、何を仕出かすか分からない。

 コンビニでの騒動も、原宿での視線も、もうお腹いっぱいだ。


 …実家なら、この羅璃(ラリ)という存在を、家族にどう説明するかという新たな問題は発生するが、少なくとも、ずっと二人きりよりはマシだろう。

 大体、他人の家族が揃っている状態に割り込むなんてそうそう出来るものじゃないし。

 それに、遠距離移動は羅璃(ラリ)も少しは疲れるかもしれない。

 そうすれば、少しは大人しくなるかも…なんて、甘い考えだったかもしれないが。



「分かったよ、母さん。今から帰る」


 ダルさを押し殺して、電話口でそう答えた。



 母親は喜んでいたが、俺の心は重かった。

 ダルい。実家までの移動も、実家での滞在も、そして何より、羅璃(ラリ)をどうするかという問題も、全部がダルい。



 電話を切ると、羅璃(ラリ)が不思議そうに俺を見ていた。


「なーに? 誰? 彼女? マジ? 超ウケるんですけど!」

「違う! 母親だ。実家に帰れって言われた」

「実家? はぁ? なんか面白くなさそー。行きたくなーい」


 羅璃(ラリ)は早くもゴネ始めた。予想通りだ。


「よかった、じゃあお前一人で留守番な…そうだな。この際しばらく帰省するか」

「えー! なんで! 羅璃(ラリ)一人でも全然平気…じゃない羅璃(ラリ)も行く!」

「えええぇ…今さっき行きたくないって言ったじゃん!」

「しょーへーには煩悩に向き合ってもらわないとね~」


 俺は仕方なしに羅璃(ラリ)の手を掴み、財布を持って、アパートを出た。

 羅璃(ラリ)はブーブー言いながらも、渋々ついてくる。

 ほんと、どっちなんだよ…優柔不断も煩悩か?


 駅につき、電車に乗る。

 正月休みということもあり、電車内は普段より混雑していた。

 家族連れが多く、キャリーケースを持った人も目立つ。


 世田谷から下高井戸で乗り換え、新宿で乗り換え、品川でさらに乗り換え…。

 羅璃(ラリ)は初めのうちは窓の外を興味深そうに見ていたが、乗り換えの度に人が増え、騒がしくなるにつれて、つまらなそうな顔になっていった。


 電車内は、子供たちの声や、大人の話し声で賑わっていた。



 そんな中、近くの席で、小さな子供がぐずり始めた。

 初めは小さな泣き声だったが、だんだん大きくなる。

 母親があやそうとしているが、なかなか泣き止まない。



 すると、少し離れた席に座っていた初老の男性が、舌打ちをして、忌々しげに子供の母親に怒鳴った。


「おい! うるせえ! ガキを黙らせろ! 静かにしろ!」


 その声に、電車内の空気が一気に凍りついた。

 子供はさらに怖がって、余計に泣き出してしまった。

 母親はオロオロしている。


 車内の誰もが、その男性を睨んだり、見て見ぬふりをしたりしている。



 ダルい。面倒だ。関わりたくない。

 俺の中の無気力が(ささや)く。

 いつもの俺なら、きっと目を逸らして、早くこの車両から降りたい、と思っただろう。


 しかし、隣にいた羅璃(ラリ)が、俺の腕を掴んで立ち上がった。

 その赤い瞳に、強い怒りの光が宿っている。

 全身の禍々しい模様が、さっきよりも濃く見えた気がした。


「あんた、何キレてんの!?」


 羅璃(ラリ)が、その男性に向かってデカい声で言い放った。


「ハァ?子どもが泣くのってフツーじゃん!てかオッサン、生まれた瞬間からオッサンだったワケ?

あんたも昔はガキだったっしょーが!鼻垂れ音小便小僧ウケる〜」


 羅璃(ラリ)の挑発的な言葉に、男性の顔がさらに歪んだ。


「ああん? 生意気なクソガキがいるな! 言わすぞコラ!」


 男性が席を立ち、羅璃(ラリ)に詰め寄ろうとする。

 羅璃(ラリ)は一歩も引かない。

 そして、その手を握り締めているのが分かった。


 このままでは、羅璃(ラリ)は本当にこの男性に殴りかかるかもしれない。

 羅璃(ラリ)の力は分からないが、俺を別途から引きずり出すくらいの力はある。

 殴れば男性はただでは済まないだろう。

 そして、警察沙汰になり、さらに面倒なことになる…。


「…オッケ〜☆買ったるわその勝負!」


 羅璃(ラリ)が男性に殴りかかろうと腕を振り上げた、その瞬間だった。


 俺は、考えるよりも早く、羅璃(ラリ)と男性の間に割って入った。

 そして、羅璃(ラリ)の拳が俺の顔面をぶち抜いた。


 ゴンッ!


 鈍い音とともに、俺はバランスを崩し、電車内に倒れ込んだ。顔面に熱い痛みが走る。


「…しょーへー!?」


 羅璃(ラリ)が驚いた声を出した。

 男性も、まさか俺が間に割って入ってくるとは思わなかったのか、動きが止まっている。


 痛い。顔面がじんじんする。

 でも、それ以上に、自分がやった行動に、俺自身が一番驚いていた。


 なんで、こんなこと…面倒に巻き込まれるのが一番嫌な俺が…

 なんで間に割って入って、殴られたんだ?


 倒れたまま、俺は羅璃(ラリ)と、そして男性を見た。


 羅璃(ラリ)の赤い瞳には、驚きと、そして困惑が浮かんでいる。

 男性は、怒りの表情のまま、俺を睨みつけている。


「…はぁ…」


 俺は溜息をついた。顔の痛みを感じながら、ぼんやりと考える。

 怒り。暴力。羅璃(ラリ)が言っていた「煩悩」の一つだ。

 そして、この男性は、その怒りと暴力という煩悩に、完全に囚われている。


「…暴力は…ダメだろ…」


 掠れた声で、俺は言った。

 男性に向けてでもあり、そして、羅璃(ラリ)に向けてでもあった。

 羅璃(ラリ)は、まさに「怒り」の権化のような存在だ。


「怒りは…最大の煩悩の一つなんだ。

 それに、力に任せて他人を殴るとか…一番ダメなやつだ」


 俺は、ダルい身体を起こそうとする羅璃(ラリ)の動きを、片手で制した。


「こんなこと…俺だって、さすがに知ってる」


 俺は、ダルい身体に鞭打って、ゆっくりと立ち上がった。

 顔が痛む。羅璃(ラリ)は、俺が殴られたことと、俺の言葉に、完全に意表を突かれたような顔をしている。


 男性は、何も言わなかった。

 俺を睨みつけていた目から、怒りの色が消え、代わりに戸惑いや、少しの気まずさのようなものが浮かんでいる。

 そして、やがて、彼は何も言わずに、次の駅で足早に電車を降りていった。


 男性が降りて行った後、電車内には静寂が訪れた。

 子供の泣き声も止まっている。

 そして、その静寂を破るように、どこからともなく、控えめな拍手が聞こえ始めた。


 パチパチ…という拍手は、徐々に大きくなり、車内全体に広がっていく。


 俺に向けられた拍手だ。

 ダルい。

 でも、どこか、こそばゆいような、不思議な感覚だった。


 羅璃(ラリ)が、俺の腕を掴んで立ち上がらせてくれた。


「…しょーへー…お前…なんで…」


 羅璃(ラリ)の声は、いつもの騒がしさがなく、戸惑いがちに響いた。

 そして、俺は羅璃(ラリ)の顔を見て…ハッとした。


 羅璃(ラリ)の赤い顔に刻まれた禍々しい模様が…また、大きく消えている。


 特に、顔の輪郭や首筋、肩にかけての模様が、ごっそりと無くなっている。

 「なんで」と語った口の中で鋭い犬歯が見えなくなっていた。


 羅璃(ラリ)の肌の色が、人間の肌の色に、少し近づいていた。

 そして、彼女の表情も、さっきまでの怒り狂ったようなものから、驚きと…そして、微かに穏やかなものに変わっていた。


「おおう!やったなしょーへー!」

 さっきまでの怒りでの興奮、俺が殴られた後の驚嘆の感情がもう切り替わっている

「うーラリってラリってボンノー!」

 また不思議な踊りを踊っている…電車の中だからか少し控えめだけど。


「やるなしょーへー(じん)忿(ふん)辺りが消えたのかな…?」



 怒りと暴力。

 俺が直接向き合った、そして跳ね返した煩悩。

 それが、こんなにも羅璃(ラリ)の身体を変化させたのか。


「…ダルい」


 俺は顔の痛む箇所を押さえながら、もう一度呟いた。

 でも、その声には、さっきまでのダルさだけでなく、何か別の感情が混ざっていた気がする。


 羅璃(ラリ)は、消えた模様を自分の手で触りながら、信じられない、という顔で俺を見ていた。


 俺の無気力な日常は、羅璃(ラリ)が現れたことで完全に「ラリった世界」になった。

 そして、そのラリった世界で、俺は避け続けていた他人の問題に関わり、暴力に立ち向かい、顔を殴られた。


 これは、ダルさを引き起こす煩悩だけじゃなく

「怒り」や「暴力」という、もっと根深い煩悩にも、俺が向き合っているということなのか。


 羅璃(ラリ)の顔に浮かんだ、微かな穏やかさを見ていると、この珍道中も、全く無意味ではないのかもしれない、なんて、またしても微かに思ってしまう自分がいた。


 しかし、顔面の痛みは、現実だった。

 ダルい。痛い…そしてとにかくダルい。


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