第四十三話:推し活・串カツ
女子高校生千明がさくらさんに駆け寄っていくのを見て、羅璃がニヤニヤしながら千明に話しかけた。
「で? 千明の推しは誰なんだよ? やっぱりサクラ?」
千明は頬を染めて頷いた。羅璃は、そんな千明を見て、満足げに俺の方を振り返った。
「なあ、千明、羅璃の推し活のことを教えてやるよ~
翔平?!羅璃の推しは誰だと思う?」
俺は一瞬言葉に詰まった。羅璃の推し? もしかして、俺…?
羅璃は俺の煩悩の具現化のはずだし、推しとかあるのか?
羅璃は、混乱している俺の様子を見て、フッと笑った。
「そんなの、しょーへーに決まってんだろ?」
羅璃の言葉に、千明は「え?」と声を上げた。
俺と羅璃を交互に見て、目を丸くする。
羅璃は、そんな千明に向かって、わざとらしい声で言った。
「こんな冴えないオッサン、千明は推せないだろ?」
「オッサンは無いだろ! せめてお兄さん…!」
俺は、思わずツッコミを入れた。羅璃は、俺の反応を楽しんでいるようだ。
「羅璃の推し活舐めんなヨ~
しょーへーはな…欲望含めたすべての煩悩を解脱しちゃって、正月に死ぬところだったんだぞ…
それを推し活…活力ぶっこんでここまで復活させたんだぞ。」
「え?俺死ぬところだったの?」初耳だ…
「生きたいって言うのは煩悩だぞしょーへー…逝きたいってのも煩悩だけどな」
「さっきライブで逝きかけたけどなー」回想する俺。
ニカリと笑う羅璃。
「そんな冗談いえるなら、今は大丈夫ってことだ…どう、千明。これがギャルの推し活ダゾ」
羅璃は、そう言って、俺の腕を軽く叩いた。
千明は、羅璃と俺のやり取りを見て、クスクスと笑い始めた。
天宮司夫妻も、呆れたような、しかしどこか微笑ましいような表情で、俺たちを見ていた。
俺は、羅璃の言葉に少し気恥ずかしさを感じながらも、千明に問いかけた。
「俺のことはさておき…千明ちゃんはどうして推し活にハマっているのかな?」
「私は…サクラさん含めて『白い堕天使』が好きです!ファッションも独特だし、音楽もノれてカッコいいし、観客のみんなとの一体感で響くしびれる感覚が大好きで、アガるしノれるし、嫌なことも忘れられちゃう」
羅璃は、少し考えるような仕草をした後、言った。
「羅璃もさっきしょーへー推し活してるって言ったけど~誰かを応援する推し活を否定はしないヨ。
だ・け・ど…行きすぎた行動は周囲に迷惑かけるし、後ろめたいと自身にも良くなくない?
社会性を失うほど孤立して周囲に迷惑かけてない…ってしょーへーも極端だったけど、千明はまだ高校生で親の庇護から抜けれてないんだろ?自活できてないのに好きなことだけ続けるのはダメな奴って…ここに連れてこられた理由ってわかってるんだろ?」
「そ、それは…」千明ちゃんは口ごもる。
羅璃の言葉は、核心を突いていた。俺自身、羅璃と出会う前は、社会から孤立し、他者への拒否と非接触の自尊心ばかりが肥大していた。羅璃が俺の煩悩を解消する過程で、俺は社会との繋がりを取り戻し、自分自身で行動することの大切さを学んだ。
羅璃の言う通り、推し活も、健全な範囲で楽しむ分には良いのだろう。
だが、それにのめり込みすぎて、周囲が見えなくなったり、自分自身の生活が疎かになったりするのは、やはり普通ではない。
それは、羅璃が言うところの「煩悩」の一種なのかもしれない。
俺は、羅璃の言葉を噛み締めながら、目の前の千明や、静かに座っている天宮司夫妻を見た。この場にいる全員が、羅璃によって、何かしらの影響を受けている。羅璃は、本当に不思議な存在だ。
「推すのは良いけど、ぶら下がっちゃダメなんじゃね?」
さくらさんに縋っていた千明ちゃんは|さくらさんから離れて羅璃の皮肉に反論した。
「羅璃さん、それは違います! 推しは献身で、依存なんかじゃありません!」
千明は熱弁する。
「推しがいるから、毎日頑張れるんです! 推しのためなら、どんなことでもできる! それって、誰かに依存してるのとは違うはずです!」
千明の言葉に、俺は反論した。
「でも、制御できないのは依存だろ? 周りに迷惑をかけたり、自分を犠牲にしたりする行動は、もはや献身とは言えないんじゃないか?」
俺の言葉に、羅璃が「ほらな」と言わんばかりにニヤリとした。
「否定は固執を生む。許容して大人の余裕を見せろ、オッサン」
羅璃は、わざわざ俺を「オッサン」呼ばわりして、俺の顔を伺う。俺は、わざとらしくため息をついた。
「いや、悪かった…千明ちゃん。推し活自体を否定するつもりはないんだ…」
千明が語った魂が震える…の効果は正にさっきライブで味わったばかりだ。気持ちは分かる。
「何かに夢中になれるって良いことだよ…俺はこの前まで周囲のものが何も見えてなかったから」
羅璃は、今度はさくらさんの方を向いた。
「サクラはそこのところどうなんだ?」
突然話を振られたさくらさんは、「え、私は…」と戸惑った様子を見せた。
だが、母親の穏やかな視線に促され、ゆっくりと話し始めた。
「私の過去は…本当に厳格な父と、それを陰ながら支える優しい母の元で育ちました」
宮司さんは少しだけ照れ臭そうに鼻を触る。
「愛を感じつつも、厳しい躾のある家庭だと感じていました。小さい頃はそれでもそこまで気にしていなかった…というか、親の期待に応えるのが娘としての責務だと感じていましたし。
だけど、小学校の卒業間際の思春期に入ったころには、少しだけ疑問に思う様になっていました」
さくらさんは、ちらりと宮司の方を見たが、宮司は静かに俯いている。
「父は神道、宮司としての責務を強く感じて行動にも表れていました。
神頼みの人の悩みを解決してあげていて、八百万の神に依存するのではなく、感謝を伝えてそれに恥じない生き方を説き、存在するかもわからない悪霊といった概念を形式、儀式だけで祓うにとどまらず、親身になって相談に乗り助けている姿は今でも尊敬しています。
ですが、それゆえに不正や誤魔化し、娯楽などの誘惑に対してとても厳しかったのです。学校の友人とゲームや漫画の話はできず、ネットのアクセスも厳しく制限を受けて、私は友達が作りづらくなっていきました」
さくらさんが大学構内でマドンナという扱いを受けて、持て囃されつつも孤高の人だった理由が見えてくる。
「そんな中で、唯一の心の解放が、音楽でした。中学生で路上ライブで衝撃を受けてから密かにバンドに興味を持ち始めて…高校でミサトさんに出会って、初めてバンドを組んだんです…ギターお小遣い貯めて買い、物凄く練習しました…父は部屋には立ち入ることはしませんでしたので知らなかったと思いますが…」
さくらさんの母上はニコニコしている。…おそらく知っていたのだろう。
さくらさんの表情が、少しずつ和らいでいく。
「最初は、ゴスロリの衣装を着るのも、ステージに立つことも、すごく抵抗があったんです。でも、一度やってみたら、それが私にとっての解放だと気づきました。音楽とゴスロリは、私の心を縛っていたものから、私を自由にしてくれたんです」
さくらさんの言葉に、千明は再び目を輝かせた。
「そうなんです! そういうところが好きなんです、おねー様!」
千明は、自分が感じている推しへの感情と、さくらさんの経験が重なることに喜びを感じているようだ。だが、羅璃は、そんな千明の様子を見て、容赦なく指摘した。
「おいおい、千明。サクラは、宮司の娘としての責任を両立させながら、バンド活動という自分の夢を努力で掴んだんだぞ。そして、それが解放に繋がった」
羅璃は、厳しい口調で続けた。
「お前は、さくらの『解放』だけを投影して、自分を顧みないで推しにのめり込んでるだけじゃないのか? サクラは、努力と葛藤の末に、今の『白き堕天使』のサクラになったんだ。お前は、まだその過程の、ほんの表面しか見てない」
羅璃の言葉に、千明の顔色が変わった。さくらさんも、千明を見つめる。
羅璃は、推し活の「依存」という煩悩を、真正面から千明に突きつけたのだ。




