第四十話:スプリングカム・イベントカム
春に向けて、俺は課題やレポートも、羅璃のスパルタ管理が無くとも何とかクリアできるようになった。以前の俺なら考えられないことだ。
まあ、ギャーすか言われなくても、羅璃がいるだけで緊張感があるのは良いことだ…いなくなったら…は考えない様にしようと思う。
学年末の単位は修得し終わったので、しばらくは、コンビニのバイトとサークル活動に集中することにした。
大学構内では天宮司さんには会えなくなっていたが…ミサト先輩から、ライブに向けてバンド練習に集中していると聞いた。彼女も自分の夢に向かって努力しているのだ。
俺のデザイン作業は一段落していたが、寺社杜さんの勧めもあって、パソコンを使ったグラフィック作業を手伝うことになった。
授業で必要な安いラップトップPCは持っていたが、グラフィックツールなど使ったこともなく、正直困惑した。
だが、寺社杜さんが、無料で使えるCGツールを教えてくれて、その使い方まで丁寧にレクチャーしてくれた。彼女は、いつも静かでミステリアスな雰囲気だが、教えるのはとても上手だ。
と言っても、初心者すぎる俺にできることは限られていた。
球体に百目の絵を描いて貼り付けたり、背景の羅生門の絵を切り抜いたり、色を調整したりといった、比較的機能を覚えずに済む簡単な作業がメインだ。
それでも、自分の描いた絵が、ゲームの中で動くと、とても新鮮で楽しかった。
羅璃が画面の中で跳ね回るのを見ると、自分が作ったものが、本当に「生きている」ような感覚になる。
羅璃は、出来上がるゲームをプレイしながら、文句を言う係だった。
「会長、これ、もっとこうしろよ!」
「あれが足りない! これ、できないの!?」
山本会長に、あーしろこーしろと好き放題言っていた。
会長は、羅璃の意見に怒りもせず、真剣に耳を傾け、取り入れられるものは取り入れたり、技術的な限界を説明したりしていた。
…その姿を見て、俺は少しだけ胸の奥がチクリとした。
(…嫉妬…か)
羅璃が、山本会長と楽しそうに話しているのを見ると、なぜか胸がざわつく。
それは、羅璃が俺の煩悩を解消する中で、俺の中に生まれた新しい感情だ。
羅璃が言っていた「貪」の煩悩。
それは、単なる欲望だけでなく、他者への執着や、独占欲のようなものにも繋がっているのかもしれない。
そして、俺は、その煩悩が嫉妬に関連することも、もう分かっていた。
だが、今はそこに縛られるべきではないことも、理解していた。
羅璃は、俺の煩悩を解消するためにいる。
そして、俺は、羅璃が俺に与えてくれた活力を使って、ゲーム制作という新しい目標に向かっているのだ。
羅璃の身体に残る最後の「貪」の模様。それは、まだ消えていない。
この嫉妬の感情も、その煩悩の一部なのだろうか。
そんなある日、いつものシフトでコンビニのバイトに入ると、ミサト先輩がカウンターから飛び出してきて、俺たちの目の前に立った。その手には、二枚のチケットが握られている。
「おーい、翔平! 羅璃ちゃん! ちょうど良かった!」
ミサト先輩は、満面の笑顔で俺たちにチケットを差し出した。
「これ、次のライブのチケット! いよいよなんだよ!」
「いよいよなんですね!」
俺は、チケットを受け取った。高橋先輩のバンド「白き堕天使達」のライブ。
あの、三軒茶屋のライブハウスでの熱狂が蘇る。
「うん! 今回はさ、サクラの件で翔平が本当に頑張ってくれたから、そのお礼も兼ねて招待だぜ!」
ミサト先輩は、そう言って、俺の肩をポンと叩いた。
恐縮する。
俺は、ただ羅璃に焚き付けられて、言われるがままに動いただけだ。
それに、羅璃がいなければ、そもそもこんなことにはならなかったはずだ。
だが、俺の隣にいた羅璃は、そんな俺の気持ちとは裏腹に、チケットを見て大喜びだ。
「やったー! ライブだライブ! マジ嬉しいんですけど!」
羅璃は、ぴょんぴょん跳ねて、ミサト先輩に詰め寄った。
「ねーねーミサトさん! あの曲、歌ってくれるの!? 羅璃と翔平の曲!」
羅璃は、目をキラキラさせて、あの歌詞の曲を期待している。
ミサト先輩は、羅璃の期待に、ニッと笑って頷いた。
「もちろん! 羅璃ちゃんに翔平、楽しみにしててね!」
羅璃は、さらに大はしゃぎだ。
そんな羅璃の姿を見て、俺は、自分の心の中に、今まで感じたことのない種類の感情が湧き上がっていることに気づいた。
こんなにイベントが楽しみに感じるのは、一体いつくらいだろうか?
サッカーに燃えていた小学生の頃も、勝つために気合は入れまくっていた。
練習も、試合も、全てが「勝つため」だった。
純粋に「楽しい」という感情よりも、「勝つ」という目標達成への執着が強かった気がする。
だが、今、俺が感じているのは、それとは違う。
ライブに行くことそのものが、純粋に楽しみなのだ。
ミサト先輩の歌を聴くこと。サクラのギターを聴くこと。
羅璃と二人で、あの熱狂の中に身を置くこと。
それは、勝敗とは関係なく、ただ、その場にいること自体が、喜びなのだ。
(…本当に…変わったな、俺…)
羅璃が俺に与えてくれた「活力」は、俺の人生に、新しい感情と、新しい楽しみ方をもたらした。ダルい、面倒だ、と思っていた俺が、今、心からイベントを楽しみにしている。
羅璃の身体に残る最後の「貪」の模様。
それは、まだ消えていない。だが、この「純粋な楽しみ」という感情も、その煩悩を解消する一歩なのだろうか。




