第三話:財布拾ってボンノー・財布返してカイホー
街を練り歩きながら、ギャル赤鬼の羅璃は俺の財布からまた勝手にお金を取り出し、
「次はあれ食べるー!」と叫びながら、次の店へと俺を引っ張っていく。
俺の煩悩解放大作戦は、こうして、クレープの甘酸っぱい味覚と、赤鬼ギャルの狂喜乱舞から始まった。
街を練り歩く羅璃は、本当に楽しそうだった。
きらびやかなショーウィンドウ、道行く人々、街の喧騒…俺が今まで意識的にシャットアウトしてきた全てに、羅璃は目を輝かせ、大声で反応した。
その度に俺の横顔に突き刺さる周囲の視線が痛い。
「ねーねーしょーへー! 次どこ行こっか!? なんか面白いとこないの!?」
「面白いとこって言われても…」
俺の日常に「面白い」なんて言葉は存在しない。
あるのは「ダルい」か「まあ、どうでもいい」かの二択だけだ。
「はぁ? 何それ! つまんねー! そうだ! じゃあアンタのバイト先行こ!」
「は? バイト先?」
羅璃の突拍子もない提案に、俺は思わず立ち止まった。
コンビニバイトなんて、人にわざわざ見せに行くような場所じゃない。
ましてや、こんな目立つ格好の羅璃を連れて行くなんて、自殺行為だ。
「そうそう! バイト! なんか、アンタが社会と関わってる貴重な場所でしょ?
私がもっと活気注入してあげる!」
「活気とかいらないです! ていうか、絶対ダメです! 周りに迷惑かかるよ!」
「いーじゃん! ちょっとくらい!
だって私、アンタの活力なんだよ?
アンタがバイトで無気力なの、私の存在意義に関わるし!」
羅璃は有無を言わさず俺の手を掴み、俺のバイト先のコンビニがある方向へとスタスタと歩き出した。
抵抗しても無駄だと悟り、俺は覚悟を決めるしかなかった。
最悪だ。佐藤店長と高橋先輩に、なんて説明すればいいんだ…いや、説明なんて不可能だ。
コンビニに着くと、自動ドアが開いた瞬間に店内の視線が俺たち、主に羅璃に集まった。
レジにいた高橋先輩が、目を丸くして固まっているのが見えた。
「やっほー! しょーへーのバイト先だー!」
羅璃はそんな視線を全く気にせず、元気よく店内に踏み込んだ。
その声のデカさに、店内にいた客数人がさらに驚いて羅璃を見る。
「い、いらっしゃいませ…って、潟梨くん!? その、隣の方は…?」
高橋先輩が、震える声で俺に尋ねてきた。
普段はサバサバしている先輩が、明らかに動揺している。
そりゃそうだ、俺だって動揺してる。
「あー…その…えっと…」
どう説明したらいいんだ? 友達? いや違う。
家族? 似てない。知り合い? 厄介すぎる。
俺が言葉に詰まっていると、羅璃がニコニコと高橋先輩に話しかけた。
「どーもー! 私、羅璃! しょーへーの、えーっと…『活力』です!」
活力、です!? ますます意味不明な自己紹介を聞いて、高橋先輩の目がさらに丸くなった。
「活力…ですか…?」
「そうそう! このしょーへー、超無気力でしょ?
だから私が活力を与えてあげてるんだ!
バイトももっとテキパキやんなきゃダメじゃん? 私が指導してあげるよ!」
羅璃はそう言うと、レジの横をすり抜け、バックヤードの方へ行こうとする。
「ちょ! 何してんだよ! 勝手に入るな!」
俺は慌てて羅璃の腕を掴んだ。店長に見つかったら大目玉だ。
「えー! いーじゃん別に! バックヤードとか見たーい!」
羅璃と俺が揉み合っていると、奥から佐藤店長が出てきた。
いつものぼんやりした顔だが、羅璃の姿を見ると、その顔にも驚愕の色が浮かんだ。
「おやおや、潟梨くん。そのお隣の、珍しいお客様は…」
「店長! すいません、この人は…」
「あ、店長さんですか! 羅璃です! しょーへーの活力です!
しょーへーがいつもお世話になってますー!」
羅璃は俺の手を振りほどき、佐藤店長に笑顔で自己紹介した。
佐藤店長は「活力…ですか」と呟き、完全に混乱している。
高橋先輩もレジから離れられず、ただ成り行きを見守っている。
「ねー店長! しょーへーがもっとちゃんと働くように、私、ここで一緒にバイトしてあげましょうか? 時給いくら? 私、超働くよ! 超目立つし、お店の宣伝になるんじゃん!?」
羅璃はとんでもないことを言い出した。
赤鬼ギャルがコンビニ店員? 客が逃げるわ!
…というか、すでに店内は誰も居なくなっていた。
…まあ、トラブルに巻き込まれそうと思ったら逃げるよな。
「いやいや! 結構です羅璃さん!
潟梨くんは真面目にやってくれてますから!」
佐藤店長が慌てて羅璃を止めようとする。
俺と同じように、現実離れした存在に戸惑っている。
この状況、本当にダルいし、穴があったら入りたい気分だ。
でも、同時に、普段感情の薄い佐藤店長や、クールな高橋先輩が、こんなにも動揺しているのを見るのは、どこか非日常的で…
(…なんか、面白い、のか?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
もちろん、すぐに打ち消したが。
でも、羅璃が引き起こす騒動は、確かに俺の感情を揺さぶってくる。
ダルさ、恥ずかしさ、戸惑い、そして…ほんの少しの、好奇心?
その時だった。羅璃がバックヤードの方に一歩踏み出した拍子に、陳列棚の隙間から何かを見つけたようだった。
「あ! なーにこれ?」
羅璃が屈んで、何かを拾い上げた。
それを見た俺は、思わず息を飲んだ。
それは、二つ折りの財布だった。くすんだピンク色で、年季が入っている。
どこかで見おぼえがある様な…
「うっわ! 財布じゃん! ラッキー! しょーへーのよりいっぱい入ってるじゃん! 頂き!」
羅璃はそう言うと、無邪気に財布を自分の懐に入れようとした。
その、全く悪びれない様子に、俺の中に今までになかった強い反発が生まれた。
「ちょ、待て! 何やってんだよ!」
俺は羅璃の手を掴んだ。
犯罪だ。落とし物をネコババなんて、いくらこいつが赤鬼でもダメだろ。
ダルいとか煩悩とか、そんなレベルの話じゃない。
「はぁ? なに? いーじゃん別に! こんなとこに落ちてんだから、誰も拾わないでしょ?」
「ダメに決まってんだろ! 落とし物だぞ! 誰かの大事なモンだ!」
俺は羅璃から無理やり財布を取り返した。
その時、コンビニの入り口ですれ違った人の顔が浮かんだ。
確か、初老の女性だった。俺がシフトの時もよく買いに来てくれている所謂常連だ。
彼女は俺と羅璃が店に入ろうとした時、ちょうど出て行くところで、羅璃の姿を見て目を丸くして驚いていた。
「…さっき出て行った、いつものおばあさんが落としたんじゃないか?」
俺は財布を握りしめたまま、高橋先輩に尋ねた。
「あ…そういえば、潟梨くんたちが入ってくる直前に、お一人いらっしゃいましたね、よく利用してくれるお客様。ちょうど、そのくらいの年代の女性が…」
高橋先輩はそう言いながら、棚のあたりを確認する。
「直前の棚卸しの時には、ここに財布は落ちていませんでした。
その方しかいらっしゃらなかったのなら…多分、そのお客様の物で間違いないと思います」
高橋先輩の言葉に、俺は確信した。やっぱりそうだ。
念のため店長にお願いして監視カメラで確認してもらった。
ちょっと見づらかったがかろうじて財布らしきものがおばあさんのバックから
落ちたように見えた。
俺は改めて羅璃に向き合う。
「これをネコババするとか、煩悩とか以前の問題だよ…。返えそう」
俺は財布をポケットに入れると、羅璃を置いて店を出ようとした。
羅璃は「えー! つまんねー!」とブーイングしている。
佐藤店長と高橋先輩は、俺の意外な行動に驚いた顔をしている。
コンビニの入り口を出ると、ちょうど探していたらしい例の婦人が、不安そうに辺りを見回しながら戻ってきているところだった。
「あの、これ…落としましたか?」
俺は財布を見せながら声をかけた。
女性は俺の財布を見て、目を見開いた後、安堵の表情を浮かべた。
「あ! ああ、これだわ! 良かった…! 大変、ありがとうございます…!」
女性は何度も頭を下げて、財布を受け取った。
本当に困っていたのだろう。羅璃に引きずられてダルい気分だったはずなのに、財布を無事に返せたことに、妙な達成感と、そして…ほんの少しだけ、清々しい気持ちになった。
その時だった。隣にいた羅璃が、またしても奇声を上げた。
「きゃあああああ!!!!! マジで!?!?」
女性に別れを告げ、羅璃を見ると、彼女は自分の全身…特に腕や足の目立つ文様を見て、さっき以上の興奮状態になっていた。
「うっっっっっっわ! すごい! すごい消えてる! さっきより断然多い! こんな一気に! ヤバイんですけど!!!」
羅璃の言う通りだった。
羅璃の身体の文様が、さっきクレープの時とは比べ物にならないほど、広範囲にわたって薄くなり、肌色に戻り始めていた。
腕や脚だけでなく、首筋のあたりまで、明らかに文様が薄くなっているのが見て取れる。
「ひゃほー!!うーっ…ラリってボンノー!!」
またしても変な踊りをしている…
「な…!?」
俺は驚愕した。
クレープの時も驚いたが、今回は量が尋常じゃない。
ほんの少し清々しい気持ちになっただけで、こんなに文様が消えるのか?
「やったー! やったよしょーへー! 私の肌! 見て見て! どんどん綺麗になってる!!!」
羅璃は飛び上がって喜んでいた。
その喜びは、さっき以上に純粋で、力強かった。
「…なんで、こんなに…」
俺が呆然と呟くと、羅璃は興奮気味に答えた。
「当たり前じゃん! 今回のはデカかったもん!
落とし物見つけてネコババしようとする『邪な煩悩』を私が拾い上げたのに、アンタがそれを否定して、ちゃんと持ち主を探して返した! しかも、見ず知らずの他人のために、めんどくさいことに関わった!」
羅璃は俺の目をまっすぐに見た。
「ねえ、しょーへー。
以前のアンタだったら、財布が落ちていても、きっと見て見ぬふりしたでしょ?
関わったら面倒だって思って、無視したでしょ?」
羅璃の言葉に、俺は何も言い返せなかった。
図星だった。間違いなく、以前の無気力な俺なら、見て見ぬふりをしていただろう。
誰かの財布が落ちていようが、自分には関係ない、ダルい、と。
「そう! アンタはね、単にネコババっていう悪い『我欲』『煩悩』を否定しただけじゃない。
他人のために、自分の無気力や面倒くささを…
慳(物惜しみ・ネコババ)
邪見(他人への不信)
心不定(自分の判断がぐらつく)
疑(他人や行為の善意を疑う)
それら乗り越えて、『前向きに関わる』ことを選んだんだ!」
羅璃は俺の腕を掴んだ。
「それが、一番デカかったんだよ!
無視してた世界に、他人に、ちゃんと向き合って、良いことをするって決めた!
それは、アンタの根っこの部分にある『無気力』っていう、最大の煩悩に対する、最初の、そして最高の『向き合い方』だったんだから!」
羅璃はそう言って、満面の笑みを浮かべた。
彼女の赤い肌の一部が、痣が無くなり美しい滑らかな肌に変わっているのを見ると、羅璃の言葉の重みが伝わってくる気がした。
煩悩を解放するというのは、単に悪いことをしない、というだけじゃない。
自分が避けてきた世界に、人に関わり、前に進むこと。
無気力だった俺にとって、それは何よりも難しく、そして重要なことだったのかもしれない。
羅璃は俺の戸惑いをよそに、「さてと、次はどこ行くー!?」と次のターゲットを探し始めた。
俺の世界は、落とし物の財布一つで、また大きく揺さぶられた。
そして、羅璃の身体の文様が消えるたびに、俺の心の中にも、今までなかった感情や、世界への関心が、ほんの少しずつ芽生えているのを自覚し始めていた。
ダルい。この状況は、本当にダルい。
でも、消えた文様と、少しだけ軽くなった(気がする)自分の心を見ていると、この「ラリった世界」も、もしかしたら…なんて、微かに思ってしまう自分がいた。
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