第三十七話:バック・トゥ・バック・日常
天宮寺さんの家庭(社務所)訪問は、羅璃の思わぬ介入と宮司の誤解により波乱の展開を迎えた。
最終的には羅璃の逆転と翔平の真剣な訴えによって、宮司から解放され事態は収束に向かった…勝手に帰ってきてしまったが…
社務所を後にして、羅璃と共に帰る道すがら、俺は羅璃に話しかけた。
「羅璃、ありがとう」
「何だよしょーへー、改まって」
羅璃は、いつものようにケラケラと笑いながら言う。
「今日は…感動した」
俺は、本当にそう思った。宮司の圧倒的な威圧感と、羅璃を「浄化」しようとした時の恐怖。
あの状況で、羅璃は、俺の想像を遥かに超える行動で、事態を収拾してくれた。
「羅璃が何者なのか、気にしても仕方ないって俺は思ったんだ。
ありのままの羅璃を受け入れようと」
羅璃は、少し目を細めて、俺の言葉を聞いている。
「出会った時、羅璃は俺の中から出て来たって言ってたよね。
確かに、羅璃を縛ると言った文様は、僕の煩悩だったのかもしれない」
羅璃の身体に刻まれていた文様。
そして、俺の煩悩が解消されるたびに、それが薄れていく現象。
羅璃の言葉は、その整合性を保っている。
「でも、今日の大見得を見た時思ったんだ。
俺はそんな知識持ち合わせてないし、圧倒的に知識も判断材料も、羅璃には敵わない」
宮司の繰り出した神術。
そして、それをあっさり無効化し、さらに論破してみせた羅璃の知識と力。
そんなもの…。
「そんなモノは俺の中には無かったなら、羅璃は何処から来たのか…っていう疑問が、今日、ものすごく強くなったんだ…羅璃は」
俺がそう言い切るより早く、羅璃は、俺の口を指で抑えた。
「しょーへー、乙女の秘密と年齢は聞いちゃダメだぞ?」
羅璃は、悪戯っぽくそう言って、俺をぷっと笑った。
俺も、思わず吹き出して、笑い返した。
そう、何度も反芻して疑問に思った内容だが、結局羅璃は羅璃に帰結する。
笑いながら、俺たちはアパートに戻った。
部屋でくつろいでいると、突然、羅璃が俺の前に仁王立ちになった。
いつになく真剣な表情だ。
「何だ?」
俺が尋ねると、羅璃は、力強く言い放った。
「さくらは落ちたな」
「え?」
俺は、羅璃の言葉の意味が分からず、間抜けな声を出した。
「さくらは落ちたな」
羅璃は、もう一度、繰り返す。
「いや、今聞いたけど…」
俺は、困惑しながら答えた。
「だから、さくらは落ちた」
「いや、まだ桜の季節は先だぞ?」
俺は、何となく察しつつもわざととぼけてみせる。羅璃は、フッとニヤリとした。
「この朴念仁が」
羅璃は、小さく呟いて、その話は切り上げた。
羅璃が何を言いたかったのか、俺に何となくわかったものの、意識から追い出した。
ただ、宮司さんのショックぶりを思うと、さくらさんのことはさておき、宮司さんのことの方が心配だなとは思った。
そんな色々考えている俺を、羅璃は微笑ましそうに見つめていた。
「ところで、サークル活動はどうすんだ?」
羅璃が、突然、本題を切り出した。
その言葉に、俺の顔はみるみる青ざめていく。
そうだ、この一週間、天宮司さんの件に脳味噌を占領されて、バイトもサークルも放ったらかしだった。そういえば、大学のレポートもいくつか提出期限が迫っていたはずだ。
「全く全然煩悩消化してないじゃん!」
羅璃が、大声で笑い出した。
「そんなせっかくカッコいい見た目になったのに、情けない顔で『助けて』みたいな目で見るな」
羅璃は、そう言って、俺の眉間に指を突きつけてきた。
「羅璃は耳無しネコ型ロボットじゃないぞ。未来じゃなくて、今を生きる鬼可愛いギャルだからな!」
羅璃は、そう言って笑いながら突き放す。
羅璃は、俺の自立を促しているのだ。
仕方がない。羅璃の言う通りだ。
俺は、まず手始めに、一番溜まっている大学のレポートから着手することにした。
羅璃が「未来じゃなくて、今を生きる」と言った言葉が、妙に心に残った。
羅璃が俺の元から去る日が来るとしても、俺は、今を、そして未来を、羅璃が与えてくれた活力と共に生きていかなければならない。
翌日、ヘロヘロになりながらも、俺は溜まっていたレポートをいくつか提出し、久しぶりにサークルに顔を出した。
「いいところに来たな、翔平!」
山本中会長が、嬉しそうに声をかけてきた。
中村くんのPC画面を見ると、そこにはなんと羅璃が映って動いている。
羅璃は大興奮で、コントローラーを握り操作する。
4頭身になった羅璃のキャラクターが、少しぎこちない感じで歩き回っていた。
中村山くんが説明してくれた。
ゲームエンジンを使用して、既存のライブラリを上手く流用すると、全て基礎から作らずとも、組み合わせて作れるらしい。
寺社杜さんは、ポリゴンというツールを使って、羅璃の3Dモデルを作ってくれていたのだ。
(本当はポリゴンは3Dを表現する単位の話で3Dツールで作る…らしい)
画面の中の羅璃は、自分がデザインしたキャラクターなので、寺社杜さんもかなり嬉しそうだ。
俺は、焦りを感じた。敵のキャラクターを考える…という課題、俺だけ、まだ何もできていない。
天宮寺さんを助けるためとはいえ、サークル活動にも影響が出てしまったことを実感する。
だが、問題はそれだけではなさそうだ。
ゲーム内のグラフィックリソースをどうするかという問題。
要は背景とか、これから出てくる敵もそうだけど、寺社杜さん一人で捌けるものではないという問題に、サークルメンバーが頭を抱えている。
つまり、問題は人手不足ということに収束しそうだ。
羅璃が、サンプルを操作しながら、ポロっと言った。
「これ、背景どこまで進んでも同じでつまんない」
羅璃の、容赦ない指摘に、サークルメンバーは苦笑いする。
今はゲームの背景が初期設定で移動の対象になる白い箱が並んでいるが確かに変化は少ない。
「だったら、広くするの止めて、敵から来てもらえばいいじゃん…」
その一言に、山本中会長が納得したような顔をしてメモを取り始めた。
「なるほど! 確かに3Dアクションゲームというワードに囚われ過ぎて、マップを広くしようと考えていたが、それよりは狭くしてでも、内容を充実させていければ…!」
山本中会長は、俺の方を向いた。
「潟梨君、君は背景も描けるのかい?」
「え…そんな難しいモノでなければ、多分…」
俺は、とっさに答えた。
ゲームの内容が、どんどん具体的になっていく。
俺の役割も、明確になってきた。
羅璃がニヤニヤしながら、俺の腕を小突いてくる。
「よかったじゃん、しょーへー。また活躍できるぞ…」
羅璃の言葉を聞きながら、不思議な感覚に戸惑った。
やることが増えて「ダルい」と思う気持ちが、全く湧いてこないのだ。
むしろ、これから始まる作業に、少しワクワクしている自分に気が付いた。
羅璃は、俺の表情の変化を見て、フッと笑った。
「人間の本能で大切なものは、『他人に必要とされたい』という承認欲求なのよ」
羅璃は、突然、哲学的なことを言い始めた。
「社会動物として人間は一人で生きていくことは難しいよね…
つまり、根源的に生き残るためには、社会において役に立つ能力、貢献できないと厳しい…ってこと」
羅璃は、さらに続ける。
「最近のネットでは、能力を持たず努力も放棄して、貪に根差した『ただ承認を求める』煩悩が蔓延しているが、本来は違うんだよね…
『働かざる者食うべからず』…は昔からある言葉だが、本質だぞ」
羅璃は、少し得意げに胸を張った。
「頼られることは、とても大切なことなのだ。それに応えられることは、煩悩解消になる…と」
羅璃の言葉に、俺は納得した。
なるほど、自分の出来ることを頑張ることで貢献できるというのは、理想だな。
サークルメンバーと話し合い、ステージの内容を詰めていく。
結果、格闘ゲームのように、ある程度カメラの方向が決まっているが、奥行きがありそうに見える一枚絵を描き割りにして、背景と世界観をデザインするという形に決まった。
俺の担当は、その背景画だ。
必要とされること、そしてそれに応えること。
羅璃が俺に与えてくれた「活力」が、今、具体的な形となって、俺の生活を動かし始めている。その感覚を噛みしめながら、俺は自宅に戻った。
怠惰
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