第三十六話:神職共に寝食共に
「娘が、他人を褒めたり、話題にすることさえ無かったのだから…全く驚きだ」
宮司は、そう言って、俺とさくらさんを交互に見た。その眼差しは、先ほどまでの鋭い探るようなものではなく、どこか、穏やかなものへと変わっていた。
場の雰囲気が、ようやく和んだように見えた、その時だった。
「しかし、まあ、話には聞いていたが…憑物付きとはな…」
宮司の顔が、急に険しくなった。
その言葉に、俺とさくらさんは凍り付いた。憑物付き?
すると、控室の入り口の障子がスーッと開き、神職の袴姿の人物…禰宜と呼ばれる宮司に仕える神職が、なぜか羅璃を連れてきた。
「何しやがんでい~! ここの神職はラリってるのかぁ~!」
羅璃が、必死に吠える。だが、羅璃は身動きが取れないようだった。どうやら、太い注連縄で後ろ手に縛られているようだ。
「お連れしました」
禰宜が、淡々と宮司に報告する。
「連れられてないぞ! 誘拐だ! 拉致だ」と騒がしいラリ。
乱暴とまでも言わずとも有無を言わさない感じで連れてこられた羅璃は、縛られたまま、なおも騒いでいる。
その光景に、俺とさくらさんは、驚きのあまり言葉を失った。
「お父様! これはどういうことですか!?」
さくらさんが、宮司に詰め寄った。
宮司は、厳しい表情のまま、さくらさんを見て言った。
「さくら。お前が破邪のお札が欲しいなどというから、用意したが、何に使うか気になるではないか…だが、その人ならざるものに使ったが、役に立たなかったともいう…それは前代未聞」
宮司の言葉に、俺は驚愕した。あの時、さくらさんが羅璃に貼ったお札。あれは、宮司が用意したものだったのか。そして、羅璃に効かなかった…と。
「おまえがバンドとか音楽活動でうっぷんを晴らしていることは知っていたが、そのことはどうでもよい。だが、氏子総代のご息女に迷惑をかけたとなれば話は別だ。無視していれば諦めるかと思えば、よりにもよって憑物付きの男を連れ込むとは…」
宮司は、俺を睨みつけた。
「まあ、今日はその辺りの問題を一掃しようと思ったわけだ」
宮司の言葉は、俺とさくらさんに、あまりにも大きな衝撃を与えた。俺が「憑物付き」? そして、羅璃が「人ならざるもの」だと、この宮司は最初から知っていたのか。そして、今日、俺たちの「彼氏紹介」を利用して、羅璃を捕まえようとしていたのだ。
動けない羅璃は、「ふん」と鼻を鳴らして、そのまま床に胡坐を組んで座り込んだ。
「ずいぶんご立派な御父上だな」
羅璃が、宮司に嫌味を言う。さくらさんは、あまりのショックに、口を利けないでいる。俺も、この急転直下の状況に混乱していた。
(え? つまり、俺たちは担がれた上に、羅璃は捕まり、バンドの話も何も、全て茶番にされそうになっているのか!?)
宮司が、静かに俺に向き直った。
「ここは神域で、ノコノコやってきた魑魅魍魎憑きの青年よ。天照大御神の御威光にて浄化して進ぜよう」
宮司は、俺の体から羅璃を「浄化」しようとしているのか?
「ちょ、ちょっと待ってください! ラリは俺の大切な…身内…いや、パートナーなんです! そんな魑魅魍魎や妖怪悪霊の類ではありません!」
俺は、必死に叫んだ。羅璃は、俺の煩悩から生まれた存在。妖怪でも悪霊でもない。
「ラリは言いました! 俺から生まれた煩悩の塊だって…浄化とか…だってもうすぐすべての煩悩が浄化されて、彼女は解放されるって…だから大丈夫なんです!」
俺は、羅璃が消えてしまうかもしれないという恐怖に、叫ぶように訴えた。
だが、宮司は聞かない。
「そうやって君は、その悪鬼に憑りつかれているのを勘違いしている。洗脳というやつだな。
良いものはそもそも、目に見えるほどの力をもって具現化することなどない。
万物に宿り、静かに人々の生活に根差して支えるだけなのだ。
言葉や存在をもって導くようなことはしない。そんな危険なものを、野放しにはできない…」
宮司の言葉は、俺の核心を突いてきた。
羅璃の存在そのものを否定する言葉だ。
「娘から君の話を聞いたとき、かなり驚いたんだよ…その娘との縁が、今日ここへ導いた。
全く素晴らしい…そしてもう逃げることは叶わない」
立ち上がった宮司が、静かに懐から大量のお札を取り出した。そのお札が、まるで生きているかのように、次々と流れ出る。
「古より来たりし神々の力よ、今ここに集え。八百万の御魂よ、悪しきものを封じ給え。――光輪天照、浄焔の剣よ、顕現せよ!」
宮司が祝詞を唱えると、大量のお札が竜巻のように螺旋を描いて立ち上り、座り込んでいる羅璃に襲い掛かった。
「やめろ!」
俺は、羅璃を庇おうと止めに掛かるが、背後から禰宜に羽交い絞めにされ、取り押さえられてしまう。
「お父様! やめてください!」
さくらさんも、宮司に縋りつくが、全く効果がない。札の竜巻は、羅璃を飲み込むように収束し、眩い光の柱となった。
「ラリィィィィィィィィィィ!!!」
俺の絶叫が、社務室に響き渡る。光の柱が終息すると、そこには大量のお札が散らばるばかりで、羅璃の姿はどこにもない。
俺は、禰宜の腕を振りほどき、羅璃がいた場所へ駆け寄った。散らばったお札を必死で漁るが、羅璃の姿は、影も形もない。
「こんなことって…酷すぎる!!」
俺の心の中で、怒り、悲しみ、喪失感…ありとあらゆる感情が爆発した。
そうだ、羅璃が言っていた。
俺が無くしてしまった煩悩が、今、まさに戻ってきている。
羅璃の「受け入れなければいけない」というセリフが、頭の中でこだまする。
「…けるなよ…ざけんなよ!!」
俺は、咆哮した。
「羅璃は、周囲に対して何もしていない!
羅璃は俺に憑いていたのかもしれない。
だが、悪いことなんか一つもしてない!
今日だってさくらさんのためだって言って、昨日一日、俺がアンタの前に立って恥ずかしくないようにって、服も選んでくれた!
色々アドバイスをくれた!
さっきアンタが娘のいいところを見てくれたって褒めてくれたのも、羅璃がいてくれたからなんだ! なんなんだ畜生!!」
俺は、感情を爆発させ、宮司に食ってかかった。
さくらさんも、俺の激しい感情に同情したような顔をしている。
「お父様、あんまりです…!」
だが、宮司は、冷徹な表情のまま、言い放った。
「悪鬼羅刹の類でなく、邪気もなければ、破邪封印などされない。封印されたということは、魑魅魍魎の類だったという事の証明だ…」
宮司の言葉が、俺の耳に届いた、その時だった。
「ほんと、困るよねぇ~」
突然、耳元で、羅璃の声が聞こえた。
「え?」
宮司の顔が「え?」という表情になり、目を丸くする。
俺も驚いて宮司の顔を見た。さくらさんも、驚きのあまり固まっている。
羅璃は、ごく普通に、宮司のすぐ横に立っていた。
…まるで、最初からそこにいたかのように。
「えーっと、何だっけ? 邪気が無ければ封印されないんだっけ?
ふふん…つまり、羅璃は悪霊の類ではないと、証明されましたね」
羅璃は、ニヤリと笑いながら、宮司の顔を覗き込んだ。
「バカな!」
宮司が、驚愕に目を見開く。
「羅璃!!!」
俺は、感極まって、羅璃の名前を叫んだ。
「羅璃さん!」
さくらさんも、目に涙を浮かべている。羅璃は、俺の叫び声に、満面の笑みを浮かべた。
「いやぁ〜ここまで神術を使う人間って居るんだね。ラリさんびっくりだよー」
羅璃は、ケラケラと笑い出した。
宮司は、開いた口が塞がらないのをそのまま絵にしたような顔で、全く立ち直れていない。
「まあ、あんたのお嬢様も同じ事して同じ顔してたけど、ちゃんとラリの事認めてくれたんだよね」
羅璃は、宮司に話しかける。
その声には、先ほどまでのふざけた調子ではなく、静かな怒りが込められているように、俺には感じられた。
いつだったか、実家に行く時に迷惑な乗客にキレた時は、怒りというよりは挑発だった気がする。
本気でキレると、こんな感じなのか…。
羅璃は、続ける。
「そして、さくらは翔平の今を見て、ちゃんと理解して、だからこうしてあんたの前に連れて来た。
ところがアンタは、主観と偏見を変えずに、一方的にこんな暴挙に出た。
当てが外れた今の気分は如何ですか?」
羅璃の言葉は、まるで鋭い刃物のようだった。
宮司は、その場に座り込みそうなほど打ちのめされている。
「オメーは自慢の娘とか言ってたけど、言いなりに飼い慣らすのが親としての教育か?
自由を求めてやった音楽の道は黙認してやってたみたいなこと言った様だが、他人から指摘受けたら自分の恥だと感じて即禁止か?
ラリが鬼だったら即滅殺か?
さっき自分で神の多様性説いてたよな?
神は万物に宿るだっけか?
お前は自慢の娘が連れて来た男をちゃんと見たのか?
名前、間違えて言ってたな。
名前の大切さを偉大なる神主宮司様なら分かっているよな?
どんだけ下に見ているんだ? 娘も翔平も、自分の位に長く居過ぎて見えてないなら、とんだ傲慢だなぁ。
慢・疑・見…随分とご立派な根本煩悩抱えている様で…」
羅璃の、矢継ぎ早の正論と、核心を突く言葉に、宮司は顔を真っ青にしてその場に座り込んだ。あまりにも正論を、自己の否定の後に叩き込まれると、こうなるのか。
俺は、羅璃の言葉に、胸のつかえが取れるような感覚を覚えた。
羅璃は、俺が宮司に言いたかったことを、全て言ってくれた。
そして、彼女の存在を否定されたことに対する、俺自身の怒りも、羅璃が代弁してくれた。
俺は、深く頭を下げ、宮司に語りかけた。
「あの、すいません」
俺は、改めてさくらさんの父である宮司に、真剣な思いを伝えた。
「さくらさんは本当に素敵な女性で、その、俺には勿体ない方です。
そんなさくらさんが、バンドは真剣に取り組んでいて、仲間も、そして支持してくれるファンもいる活動を、どうか認めて欲しいんです」
俺は、コンサートでの感動を思い出し、言葉を続けた。
「俺もそのコンサートに行きました。無気力で、自分から何もしたくないと生きてきた俺が、音楽で殴られたのは初めてでした。
お嬢さんはステージで輝いていました。友達いないなんて、とんでもない。みんなに愛されています」
俺は、宮司の目を真っ直ぐ見つめた。
「どうか、娘さんのやる事を認めてあげてください。その事をお願いしに来ました」
宮司は、俺の言葉に、顔を伏せたまま何も言わない。
「ちょっと驚きましたが、羅璃も無事でしたので、今日は帰ります。失礼しました」
俺は、そう言って、さくらさんと羅璃に目配せをした。
羅璃は、フッと笑い、さくらさんは俺の言葉に、目に涙を浮かべながら頷いた。
羅璃は、宮司に向かって手をヒラヒラと振った。
「じゃあ、後はさくらにお願いするわ。ね、さくら?」
さくらさんは父親である宮司に寄り添いながら頷く。
羅璃は、俺と共に、社務所を後にした。
切り替えの速い羅璃に、俺は思わず笑ってしまった。
羅璃の背中に刻まれた「貪」の文様が、さらに薄くなったように見えた。
羅璃は、俺の「傲慢」や「劣等感」を打ち破り、自分自身と向き合う大切さを教えてくれた。
そして、宮司の「傲慢」な煩悩をも露呈させ、彼自身がそれに向き合うきっかけを作ったのだ。
羞恥心萎縮・自己卑下(慢の裏)・貪(執着…貪の一部)
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