第三十四話:デート・オア・デッド
土曜日。朝早くから、羅璃に叩き起こされた。
「しょーへー! 時間だぞ! デート、行くぞ!」
羅璃は、元気いっぱいに俺を引っ張る。まずは、予約した美容院だ。
「本日はどのようにいたしますか?」
美容師に尋ねられ、俺は思わず「おまかせ…」と言いかけた。
その瞬間、鏡に映った羅璃が、物凄い顔で俺を睨んでいるのが見えた。
まるで、「適当なことを言うな!」と言っているようだ。俺は、慌てて言い直した。
「あ、いや…! 実は、彼女の両親に挨拶することになりまして…
割と格式の高いご家庭なので、恥ずかしくないヘアスタイルをお願いできれば…」
俺は、状況を具体的に伝え、美容師に提案の幅を与えつつも、TPOを意識したヘアスタイルをリクエストした。羅璃は、鏡越しに、目立たないようにOKのサインを出している。ほっとした。
「へー、彼女さん、イケてるから、バランスとって色入れたりする?」
美容師は、付き添いで来ている羅璃の派手な外見を見て、俺たちを派手目のカップルだと勘違いしているようだった。
「えっ!?」
俺は、思わず声を上げてしまった。色!? 髪の毛に色を!?
「あー、彼女は…親戚の子で、明日挨拶するのは清楚系なんです…」
俺が、必死で説明すると、羅璃の顔が百面相のようにコロコロと変わった。
驚き、不満、そして、どこか面白がるような表情。
だが、羅璃は顔芸で「アイツはセイソじゃねぇ…」と言っている。
いや、天宮寺さんは、確かに普段は清楚な雰囲気を持っているのでウソではない。
そんなやりとりを美容師さんは「アラアラ」と笑いつつも、俺の希望を汲み取ってくれた。
「なるほどね! じゃあ、2ブロックはさすがに流行が過ぎて面白くもないから…
裾を短くするけど、上のボリュームは残すアンダーカットグラデーションって感じで、スッキリさせましょうか!」
「じゃあ、それで…」
俺は、美容師の提案に任せた。
50分後、俺は鏡に映った自分を見て、驚いた。
くせ毛のトップが、パーマをかけたわけでもないのに自然なボリュームを残しつつ、全体的にスッキリとした印象の男子が出来上がっていた。
昔の俺なら、こんなに髪型を気にすることさえなかっただろう。
「きゃー! しょーへー、いいじゃん!」
羅璃は、目を輝かせて大喜びだ。
「初めて会った時は、トイプードルみたいな頭だったからなー! な!」
羅璃は、俺の昔の髪型を揶揄う。
(そんなアフロみたいな頭だったかな…)
俺は、昔の自分を思い出そうとしたが、羅璃の言う「トイプードル」が全く想像できなかった。
「さ、次は服だー!」
羅璃は、俺の腕を引っ張って美容院を後にした。
渋谷の古着屋街にでも連れ出されるかと思っていたが、羅璃が向かったのは駅前のデパートだった。
「んー、ジャケットは一つ買おうぜ〜。今後も使えるし」
羅璃は、店内のスーツやカジュアルジャケットを見て吟味し始めた。
「シャツは、季節考えるとタートルネックのニットかなぁ。色が…白か、ダークグレーあたりで」
羅璃は、妙に真剣な顔で品定めをしている。
「ズボンは、無難にチノパンか…」
結局、デパートのメンズフロアだけで、俺の明日の衣装はほぼ揃ってしまった。
羅璃の的確なチョイスと、店員の適切なアドバイスのおかげで、午前中のうちに全ての買い物が終わってしまった。
「なんか、午前中でほぼ揃ってしまったんですが…」
俺が呆然と言うと、羅璃はニヤニヤしながら俺の腕を組んだ。
「さ、デートはこっからが本番だろ?!」
羅璃は、そう言って、俺をデパートの外へ連れ出した。羅璃との「デート」は、美容院と服選びだけでは終わらないらしい。
お昼を軽く済ませて、俺たちはカフェに入った。
羅璃が注文したのは、フルーツが山盛りの豪華なパフェだ。
俺は、目の前で嬉しそうにパフェを食べる羅璃を見て、本当に楽しそうだな、と思った。
パフェを食べ終えると、羅璃は俺をアクセサリーショップへと連れて行った。
「しょーへー、アクセサリーショップだぞ!
羅璃に、お礼を兼ねて小物買ってくれるんだろ?」
羅璃が、キラキラした目で俺を見た。
お礼か…。
確かに。
ここまで世話を焼いてもらったのだから、何かお礼をするのは当然だ。
「しょーへーの選んだものなら何でも嬉しいから、選んで!」
羅璃にそう言われ、俺はショーケースに並んだアクセサリーを前に、真剣に悩んだ。
羅璃が喜ぶもの。
羅璃に似合うもの。
羅璃に伝えたい気持ちを込めたもの。
悩んだ末、俺は、月と星をあしらった小さなイヤリングを選んだ。
羅璃の目の色にも似た、深い赤のストーンが埋め込まれている。
その後、俺たちは少し高いレストランで夕食を済ませた。
洒落た内装と、落ち着いた雰囲気の店だ。
食事を終え、デザートが運ばれてきた時、俺は、羅璃に選んだプレゼントを渡した。
「これ…羅璃に」
羅璃は、包みを受け取ると、目を輝かせて開けた。
中から出てきたイヤリングを見て、羅璃は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「わー! 可愛い! ありがとう、しょーへー! 大事に使うね!」
羅璃は、すぐに片方のイヤリングを耳につけた。
「ねぇ、しょーへー。何でこれを選んだの?」
羅璃が、無邪気に尋ねてきた。俺は、言葉に詰まった。
なぜこれを選んだのか。
そんなこと、言葉にするのは、ものすごく恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じた。
俺は、ごまかすように、窓の外を見た。
街の明かりが灯り始め、夕焼け空に、星が瞬き始めている。
徐々に暗くなる空と、きらめく夜景。その光景が、俺の背中を押した。
「…あのさ…」
俺は、意を決して、話し始めた。
「夜景って、いろんな光が差して、とても綺麗に見えるだろ?」
羅璃は、俺の言葉に、窓の外に目を向けた。
「でも…僕の人生は…羅璃に会うまでは、何の光も差さない、漆黒の闇だったんだ」
俺は、自分の過去を振り返る。無気力で、何も興味を持てず、ただ惰性で生きていた日々。
「そこに、羅璃という、最初は小さな点とも言える光が差したんだ」
羅璃が、クレープを俺に差し出し、俺の生活に無理やり介入してきた、あの日のこと。
「夜空に浮かぶ、遠い星みたいに…最初は、遠すぎて、手が届かないと思って、ただ眺めているだけだったけど…」
俺は、羅璃が俺の煩悩を解消していく中で、少しずつ、彼女の存在を意識していった過程を語った。
「今は…月の様に、僕の周りが明るく見えるくらいに…照らしてくれている」
羅璃が俺に与えてくれた活力と、それによって俺が手に入れたもの。
ゲーム制作への熱意、サークルの仲間、高橋先輩の温かさ、そして、天宮寺さんの問題に自分から向き合おうとしていること。
「羅璃が、僕を静かに照らしてくれたおかげで…今の僕がいる。だから…かな…」
そこまで言って、俺は、もう限界だった。
全身の血が、頭に上っていくように熱くなった。
恥ずかしくて、死にたくなるほど赤面した。顔を上げることができない。
「あは…あははは…ハハ…」
羅璃の、乾いた笑い声が聞こえてきた。俺は、恐る恐る顔を上げた。
羅璃は、泣きながら、笑っていた。
その瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれている。
「…うれしいよ、しょーへー…」
羅璃は、涙声で、しかし満面の笑みで言った。
「私ね…翔平の前に現れたとき…本当に伸るか反るかだったんだ…」
羅璃の言葉に、俺は息をのんだ。伸るか反るか?
「あまりに深い闇で…煩悩という形で生きていくために必要なモノまですべて…
除夜の鐘で吐き出されてしまった私は…翔平にその生きる希望を渡せないと…
繋がりが切れてしまうと…本当にお陀仏だったんだよ?」
羅璃の、その言葉は、俺には信じられないものだった。
羅璃が、消滅の危機に瀕していた? そして、俺が、彼女の生きる希望だった?
「だから…頑張ったんだ…鬼だけどね」
羅璃は、そう言って、涙を拭った。
「私に刻まれた文様は、煩悩が見える形で私を縛っていた。
貪がまだ残っているけど、消えた分は翔平に返還されたんだ。
無くなった訳じゃない。
煩悩は捨てたり無くすものじゃないんだ…
受け入れて対処して、正しく向き合うことが大切なんだよ?」
羅璃は、自分の役割と、煩悩の本当の意味を、俺に教えてくれた。
煩悩は消えるのではなく、羅璃から俺へと「返還」され、俺がそれを受け入れて対処していくのだと。
俺は、羅璃の言葉に、ただ胸がいっぱいになった。
「…ありがとう、羅璃」
俺は、それだけ言うのが精一杯だった。
羅璃は、ナプキンで盛大に鼻をかむと、ケロッとした顔で言った。
「よし! じゃあ、明日が本番だし、帰りますか!」
羅璃は、立ち上がると、俺の腕を引っ張って店を出た。
その切り替えの早さに、俺は思わず笑ってしまった。
(こいつ、本当に鬼なのか…?)
羅璃の身体に刻まれていた煩悩の模様が、また一つ、スッと消えていくのを感じた。
羅璃との出会いが、俺の人生に光を灯し、そして、彼女自身の存在をも救っていた。
俺は、羅璃と共に、新たな試練へと向かっていく。
そして、まだ残る「貪」の煩悩。
それは、羅璃が俺に語った「無くしちゃいけない大切なモノ」と、深く関わっているような気がした。
羞恥・自己否定(無価値観)・受容一方(依存姿勢)
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