第三十三話:結婚詐欺・マジで食らうド
天宮寺さんから、まさかの「彼氏として親に紹介したい」
というトンデモ提案をされて以来、俺の脳味噌は完全にその件で占有されてしまった。
羅璃の猛抗議と、天宮寺さんの必死な懇願の狭間で、俺の思考は停止したままだった。
この、強引に決まった「天宮寺さん宅訪問(?)」は、俺の生活に大きな影響を及ぼした。
まず、サークル活動だ。
ゲームの企画会議中も、俺の頭の中は
「宮司」
「彼氏」
「結婚前提」
「関東大神宮」
といったワードがぐるぐる回っていて、全く身に入らなかった。
中村山くんがプログラミングの進捗を報告していても、寺社杜さんがキャラクターモデルのアイデアを話していても、半分上の空だ。
「あれ? 翔平、最近頑張り過ぎてオーバーヒートしてるんじゃないか?」
山本中会長が、心配そうに声をかけてきた。
「ラリちゃんがゲームの中で動くのは、翔平のデザインを寺社杜さんが3Dモデルに落とし込む作業があるから、しばらく時間が掛かるぞ。だから、慌てるな」
寺社杜さんも、俺を気遣ってくれた。皆、俺が最近、積極的にゲーム制作に取り組んでいるから、無理をしているのだろうと思ってくれているのだ。
「今日は、もう休んでも良いぞ? 無理はするな」
山本中会長の優しい言葉に、俺は恐縮するしかなかった。
事情を知らない彼らは、本当に俺を心配してくれている。
その優しさが、今の俺には余計に胸に突き刺さった。
コンビニのバイトも、同様だった。
流石に穴を開けるわけにはいかないと思い、重い足取りで行ったのだが、1時間もしないうちに店長に呼び出された。
「翔平君、顔色が悪いぞ。今日はもう帰りなさい。無理して何かあったら大変だからね」
店長も、俺の異変に気づいていたのだ。
結局、早々に追い返されてしまった。
バックヤードの扉から出ていく俺を、高橋先輩が、いつものようにニコニコしながら眺めていた。
彼女は、俺が何を考えているのか、全てお見通しなのだろうか…
羅璃は、こんな俺の様子を見ても、あまり変わらず元気だった。
ただ、いつもなら俺に過剰に干渉してくる羅璃が、この時はなぜか、少しだけ俺から距離を取っているようだった。俺の混乱を静かに見守っているのか、それとも、この状況を俺がどう乗り越えるか、楽しみにしているのか。
そして、週末の金曜日。
講義の後、俺がそそくさと帰ろうとすると、天宮寺さんが横に来た。
その顔は、やはりどこか緊張している。
「潟梨君! あの…決行日が、日曜日に決まりました」
天宮寺さんの言葉に、俺は思わず身体を硬くした。いよいよか。
「ただあの…休日はどうしても都合がつかないので、大変恐縮なのですが…社務所に来て欲しいと、父が…」
社務所。つまり、関東最大級の神社である関東大神宮で、宮司である天宮寺さんのお父さんに会う、ということだ。
「…翔平、そんな格好で行くつもり?」
俺の隣で、羅璃がニヤリと笑いながら突っ込んだ。
俺は、羅璃に選んでもらった古着のコーディネートを身につけていた。
以前の無気力な俺に比べれば、相当マシになった自覚はある。
だが、嘘でも「彼女の両親に挨拶」となれば、この格好は…
(…マズい…多分…)
俺の心の声を聞いたかのように、天宮寺さんが慌てて言った。
「ふ、服装は…なんでも…」
だが、彼女の声は、後半になるにつれて小さくなっていった。
…やはり、彼女も気にはしているのだ。
すると、羅璃が、ポンと手を叩いて、俺の肩を叩いた。
「大丈夫! 翔平! 幸い土曜日あるから!」
羅璃は、自信満々に胸を張った。
「羅璃が、きちんとしといてやるんで!」
そう言って、羅璃は、俺の服装を頭からつま先まで舐めるように見た。
羅璃のファッションセンスは、常人には理解不能なものがあるが、少なくとも、俺を小奇麗にしてくれたことは事実だ。
「あ、よ…よ、よろしく…」
天宮寺さんは、羅璃の積極的な介入に、少し困り顔をしていたが、断る理由もないのだろう。
羅璃は、俺の顔を見て、まるで獲物を見つけたかのように、ギラリと目を輝かせた。
「よっしゃ、気合い入れるかぁ〜!」
羅璃は、ハッスルするように腕まくりをした。
その姿に、俺は思わず「こりゃ逆らえない」という感情を抱いた。
だが、それは、以前のように諦めや無気力からくるものではない。
羅璃に任せれば、何か面白いことが起きる。
…そう思えるようになっていた。
「…分かった。よろしく頼む」
俺が、素直にそう言うと、羅璃は少し意外そうな顔をした。
そして、次の瞬間、満面の笑みで俺の肩をバシッと叩いた。
「任せろ!」
羅璃は、そう言って、得意げに胸を張った。
アパートに戻ると、羅璃は早速リビングの床にファッション雑誌を広げ始めた。
「さて、しょーへー。まずは、髪切ろうか?」
羅璃が、ヘアカタログのページをパラパラとめくりながら言った。
「え? 髪? この前、数年ぶりに切ったばっかだぞ?」
俺は、一ヶ月ほど前に羅璃に強引に連れて行かれ、肩まで伸びていた髪をショートにしたばかりだった。
「だーかーらー、TPOってやつだよ! フォーマルな場にふさわしい清潔感と、信頼感! 彼氏として親に挨拶に行くんだぞ? どこからどう見ても、無気力ぼっちの貧乏大学生には見えちゃいけないんだよ!」
羅璃は、人差し指を突きつけて、熱弁を振るう。
「TPOとか、お前には言われたくないだろ!」
俺は、思わずツッコミを入れた。羅璃だって、へそ出し衣装に角に金髪と黒髪のストライプだ。
そんな彼女にTPOを語られても説得力がない。
「はい、コミュニケーション! そういう会話のキャッチボールだよ、しょーへー!」
羅璃は、俺のツッコミを軽く捌き、涼しい顔で言い放った。
(最近、説教くさいセリフが多いな、コイツ…)
俺は、羅璃の言葉に、瞬間どうツッコミを入れるべきか悩んだ。
「俺のオカンか?」は、たぶん羅璃をキレさせる。
「彼女か!」は、天宮寺さんの件もあるし、何より俺が照れ臭い。
言い淀んで黙り込む俺に、羅璃は顔を近づけてきた。
「…最初に言ったよねぇ~。羅璃は、しょーへーの活力だって」
羅璃は、改めて確認するように、真剣な目で俺を見つめた。
その眼差しは、いつも俺を焚き付け、導いてきた時のものと同じだった。
「ともかく、まずは髪の毛整えてから、コーディネートだ!」
羅璃は、再びヘアカタログに目を戻した。
「ちょっと高そうな美容院がいいな〜。しょーへー、ネットで探すぞ!」
羅璃は、俺のスマホを手に取り、検索を始めた。
土曜日にいきなり予約が取れる美容院なんかあるのか?
と半信半疑だったが、羅璃がいくつか候補を見つけ、意外にもすぐに予約も完了してしまった。
服装は、明日店に行って、直接あるものから組み合わせを選ぶ、ということになった。
楽しそうにヘアカタログのサイトを見ている羅璃の姿を見て、俺は思わず、独り言のようにボソッと呟いた。
「…コレが、最後の試練なのか…」
最近の羅璃は、無理強いしないのに、時に説教くさい話し方をする。
そして、こんな甲斐甲斐しい世話の焼き方。
まるで、息子を送り出す母親のように、俺の身の回りの世話を焼いている。
思わず「オカンか!」とツッコミたくなるその親身な姿は、羅璃が俺の煩悩を全て解消し、別れが近いと考えれば、全て合点が行く。
(羅璃が…いなくなるのか…?)
その考えが、俺の心を締め付けた。
別れが近いと知って、寂しさを感じている自分がいる。
それなのに、俺は、また自分のことだけを考えて、心を閉じてしまっていた。
羅璃が「活力」を与えてくれる存在だから、いなくなると困る、という利己的な感情。
これが、俺の「貪」の煩悩なのだろうか。
(ここで下を向いたら、また昔の無気力な自分に戻ってしまう。
でも、そうしたら、羅璃とまた一緒に居られるのかもしれない…)
俺の中で、新しい葛藤が生まれていた。
羅璃は、俺の沈黙と表情を見て、フッと笑った。
「…それ、新しい葛藤と煩悩だよね、しょーへー」
羅璃は、俺の心の内を見透かしたように言った。
「人は、成長して変わっていける。だけど、常に新しい問題に直面する。
そして、その度に、また成長していけるんだよ」
羅璃は、いつになく真剣な表情で、俺の目を見た。
「でも、そんな中で、無くしちゃいけない大切なモノがある。
しょーへーは、それを手に入れなきゃいけないんだ」
羅璃の言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。
無くしちゃいけない大切なモノ。
それは、羅璃が俺に与えてくれた「活力」であり、それによって得た「人との繋がり」であり、そして、俺自身が変わり始めた「希望」なのだろうか。
羅璃は、俺の顔を覗き込み、ニッと笑った。
「今は、しょーへーの為じゃなくて…天宮寺さんのためにやるんだろ? 迷っている時じゃないぞ!」
羅璃の言葉に、俺はハッとなった。
そうだ。今は、自分の感傷に浸っている場合じゃない。
天宮寺さんの困っている顔が目に浮かんだ。
「…じゃあ、明日は…」
俺は、意を決して、羅璃の顔を見た。
「デートだな」
俺の言葉に、羅璃は一瞬呆気にとられたような顔をした。
そして、次の瞬間、腹を抱えて爆笑し始めた。
「ぶはははははは! しょーへー、何言ってんの!? デートだってさ! ぶははははは!」
羅璃は、笑いすぎて床に転がり、涙を流している。
「いいね! しょーへーがどんなイケメンになるか、最初に翔平のカッコいい所を見るのは私だもんね! テンション上がるー!」
羅璃は、そう言って、満面の笑みで俺に飛びついてきた。
羅璃の陽気な笑い声が、俺の心の中に渦巻いていた葛藤を、少しだけ吹き飛ばしてくれた気がした。
ダルい。
だが、日曜日の「彼氏紹介」に向けて、俺は、羅璃と共に、新たな試練に立ち向かう決意を固めた。
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