第二十七話:さくら錯乱
夢に翻弄されて朝から疲れた状態で、大学に行った。
午前の講義。
いつものように窓際の奥の席に座る。
すると天宮司さくらさんが、俺たちの横に来て、会釈した。
昨日の気まずさから、どうすればいいのか分からなかったが、天宮司さんの顔には、穏やかな、しかし真剣な表情が浮かんでいる。
「…潟梨君…羅璃さん」
天宮司さんが、俺たちのすぐ隣の席に座った。
昨日のこともあって、少し気まずい。
「昨日は…ご迷惑をおかけしました。
私の心配が過ぎて…余計なことをしてしまったと…反省しています」
天宮司さんは、静かに、しかし明確に、謝罪の言葉を述べた。
大学のマドンナが、俺なんかに頭を下げるなんて。
驚いた。そして、彼女もまた、自分の感情によって動かされ、そしてその結果に責任を感じているのだと知った。
「あ…いえ…大丈夫です…天宮司さんが…俺の事を…心配してくれたからこその…行動だったことは…理解していますから…」
俺は、慌てて天宮司さんをフォローした。
自分の事を心配してくれたからこそ、羅璃を危険視し、あんな行動に出た。
それは、迷惑だったけれど、天宮司さんの優しさでもあったのだと、今は理解できる。
対人関係が苦手な俺が、天宮司さんの気持ちを理解し、言葉を返せている。
これも、羅璃が俺を変えてくれた成果だろうか。
天宮司さんは、俺の言葉に、微かに微笑んだ。そして、俺の顔色を見て、まだ心配そうな表情を浮かべた。
「ですが…やはり、ずいぶん消耗しているようです。羅璃さんの影響では…」
再び羅璃に視線が向かう。
俺は、この機会に、ずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。
サークルでの件で、俺と皆の羅璃の見え方が違うと分かった。
天宮司さんは、羅璃を「人ならざるもの」だと見抜いた。
では、天宮司さんには、羅璃がどう見えているのだろうか。
俺に見えている「鬼」の姿に近いのだろうか。
「あの…天宮司さんに…お聞きしたいんですけど…」
俺は、意を決して尋ねた。
「天宮司さんから見て…羅璃は…如何見えていますか…?」
俺の質問に、天宮司さんは目を細め、真剣な表情で答えた。
「…邪鬼」
はっきりと、単語一つで答えた。
邪鬼。邪悪な鬼。
やはり、俺に見えている「鬼」に近い。
邪かどうかはさておいて、少なくとも「人ではない」「鬼の類」として見えているという事実に、俺は…少しだけ安堵した。
俺の認識が、完全に間違っていたわけではないらしい。
天宮司さんのような特別な力を持つ人間にも、俺に見えている羅璃の「人ではない」側面が見えているのだ。
隣にいた羅璃が、天宮司さんの言葉を聞いて、ニヤリと笑った。
「へー! 邪鬼だって! ヤバ! てか、私の外見に文句あんのか? 天宮司さん!」
羅璃は、面白がるように天宮司さんに絡む。
外見に文句。羅璃は、自分が「邪鬼」と呼ばれることよりも、自分の見た目を否定されたかのように捉えたらしい。その感覚が、羅璃らしい。
しかし、天宮司さんの返答は、またしても意外だった。
「いいえ」
天宮司さんは、羅璃の挑発にも動じず、静かに言った。
そして、羅璃の赤い肌と、微かに残る模様を見た。
「あなたは…素敵な存在です」
「…………え?」
その言葉に、驚いたのは、羅璃だけでなく、俺もだった。
邪鬼、と分類しながら、素敵な存在? 天宮司さんは、羅璃という存在の、見た目の禍々しさや、潜在的な危険性だけでなく、何か別の側面も評価しているのだろうか。
羅璃が俺の無気力な人生を変え、俺に活力を与えてくれたこと。
羅璃の持つ、純粋な「活力」そのもの。
それを、天宮司さんは「素敵だ」と言ったのだろうか。
天宮司さんは、羅璃の驚きをよそに、俺を見た。
「…潟梨君には…羅璃さんは…どのように見えているのですか?」
天宮司さんが、俺に尋ねた。
俺の「認知」が、他の皆とは違う。
天宮司さんにも、俺に見えている羅璃の姿を知りたいのだろう。
俺は、カバンからスケッチブックを取り出した。
昨夜、徹夜で描き上げたラフスケッチのファイルから、一枚の絵を選んで、天宮司さんに見せる。
それは、俺が、羅璃を見ながら今俺が認識する似顔絵だった。
キャラクターとしての羅璃を描くにあたり、ベースとなる羅璃をモデルに描いた絵である。写真は見た人が感じた通りに現像されているようだったが、絵は俺の主観だけを通して結像しているので、シンプルな分認識の疎外が入りづらいはず…と考えたのだ。
額から突き出す二本の角、赤褐色の肌の色。体に残る文様…
天宮司さんは、俺の描いた絵をじっと見た。そして…
「…なるほど…」
天宮司さんは、静かに頷いた。
俺の描いた「鬼」の羅璃のデザインを見て、何かを理解したようだった。
俺に見えている羅璃の姿が、天宮司さんにも、ある程度理解できたのだろう。
そして、天宮司さんは、突然、カバンから何かを取り出した。
白い紙に、何かの文字が書かれている。札だ。神道の御札のようなもの。
「天津祝詞の音をもって、罪穢を祓い清めん——
祓え給え!清め給え!守り給え!幸え給え!」
天宮司さんは、御札を羅璃の額に貼り付け、静かに、しかし力強い声で呪文を唱え始めた。
「ちょっ…!?」
羅璃が、突然のことに驚いて固まる。
俺も、何が始まったのか分からず、戸惑う。邪気を祓う儀式?
しかし…何も起きない。
御札は、羅璃の額に貼り付いたままだが、羅璃の身体に何かの変化が起きる様子はない。羅璃の身体に残った微かな模様も、そのままだった。
「…あら?」
天宮司さんが、微かに首を傾げた。
羅璃は、額の御札を剥がし、怒った顔で天宮司さんを睨んだ。
「ちょ! 天宮司さん! いきなり御札貼り付けて! ウケるんですけど…さすがに失礼すぎひん?!」
羅璃はちょっとだけキレている。
無理もない。俺も、突然何を始めるんだと困惑した。
天宮司さんは、羅璃の怒りにも動じず、剥がされた御札を見て、ポツリと言った。
悪びれた様子はない。
「…邪鬼の類ならば…この邪気を祓う御札が…効くはずなのですが…」
天宮司さんは、納得いかない様子で、御札を見つめている。
「…反応しなかった…ということは…邪鬼では…ない…? ですね」
天宮司さんの言葉に、羅璃はさらにムッとした顔をした。
邪鬼ではない、と言われたのに、どこか不満そうだ。
羅璃は、自分が「邪鬼」と分類されたこと自体を、否定されたと感じたのだろうか。
「じゃあ、なんなんだよ!? 私のこと、邪鬼じゃないとか言って! 失礼なことばっかして!」
羅璃は、完全に天宮司さんにキレている。
そして、ニヤリと、あることを思いついたような笑みを浮かべた。それは、天宮司さんとの「同盟」に関わることだ。
「天宮司さん…同盟、如何したんですか?」
羅璃は、わざと挑発するように尋ねた。天宮司さんの顔に、微かに緊張が走る。
「…もし、このまま失礼な事続けるなら…おめーがメタルバンドやってる事…バラすぞ!」
羅璃は、天宮司さんの秘密を暴露するという、最大の切り札を出した。その言葉に、天宮司さんの顔色が変わる。
「っ…羅璃さん…!」
天宮司さんは、羅璃を咎めるような声を出したが、羅璃は止まらない。
羅璃と天宮司さんの間の、張り詰めた空気。そして、羅璃の秘密の暴露という言葉に、周りの学生たちがざわつき始める。
「おい! また君たちか! 静かにしろと言っただろう!」
講義中の教授の声が、怒鳴り声となって響き渡る。
「講義を妨害するな! 三人とも! 今すぐ出て行きなさい!」
またしても、三人で講義室から追い出された。
ダルい。本当に、ダルいにもほどがある。二日連続で、講義室から追い出されるなんて。
全て、羅璃と天宮司さんのせ…いや、俺も、止めることができなかった。
講義室の外に出されて、天宮司さんは、昨日以上の憤慨した様子だった。
顔は真っ赤だ。羅璃に秘密を暴露されかけ、神職としてのプライドを傷つけられたのだろう。
「羅璃さん! あなたという存在は…!」
天宮司さんが、羅璃を睨みつける。羅璃は、そんな天宮司さんを見て、ニヤニヤしている。
天宮司さんは、何かを言いかけたが、ふと、言葉を止めた。そして、羅璃を、まるで初めて見るかのように、じっと見つめた。御札が効かなかったこと。羅璃の言動。そして、羅璃という存在の本質。それら全てを結びつけたかのように。
そして、天宮司さんの顔に、驚き、そして…何か、深い納得のような表情が浮かんだ。
「…見破りました」
天宮司さんが、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。その視線は、羅璃に注がれている。
「あなたの正体…」
天宮司さんの言葉に、俺は固まった。羅璃の正体? 神職である天宮司さんが、羅璃の本質を見抜いたのか?
「…あなたは…」
一瞬の間。羅璃も、どこか真剣な表情で天宮司さんを見つめている。
「…無邪鬼ですね!」
天宮司さんの言葉に、俺は目を丸くした。無邪鬼? 邪鬼…ではなく?
すると、羅璃が、その言葉を聞いて、ふっと、張り詰めていた空気を破るように、笑った。
「…なんだ…バレたか」
あっさりと、羅璃は認めた。まるで、隠していた秘密を暴露された、というより、ようやく自分の正しさを理解された、というような口ぶりだ。
「…え!?」
驚いたのは、俺だけではない。天宮司さんも、羅璃のあっさりとした認め方に、目を丸くして固まっている。無邪鬼。それが、羅璃の正体?
俺は、さらに混乱した。無邪鬼? 邪鬼じゃない? でも、人ではない。そして、その姿は見る人によって違う。一体、羅璃は…
羅璃は、そんな俺たちの様子を見て、笑った。
「あはははは! ヤバ! 二人とも超ウケるんですけど!」
無邪鬼。無邪気な鬼。羅璃の、あの屈託のない、無邪気な言動。そして、人をからかったり、場を掻き乱したりする、鬼のような行動。羅璃という存在そのものを、正確に表している言葉なのかもしれない。
何故か、天宮司さんは、羅璃が「無邪鬼」であることを認めたことに、慌てているようだった。神職として、「無邪鬼」という存在は、邪鬼とは違う、何か別の厄介さがあるのだろうか。
「…な、なにがおかしいのですか!」
天宮司さんが、顔を赤くして羅璃に言い返す。
羅璃は、天宮司さんの慌てぶりを見て、さらに笑っている。
「いーや! 何でもないでーす! 無邪鬼ちゃんは、今日のところは勘弁して差し上げまーす!」
羅璃は、天宮司さんに「無邪鬼ちゃん」と自分を呼び、完全にからかっている。
天宮司さんは、羅璃の挑発に、もう何も言えなくなっている。そして、観念したように、溜息をついた。
「…もう…今日のところは…勘弁して差し上げます…あっ」
そう言って、羅璃とのセリフ被りに気づいた天宮司さんは、まだ少し顔を赤くしたまま、足早にその場を去って行った。
俺は、一人取り残された羅璃と、そして、自分自身の中に生まれた混乱と向き合った。
無邪鬼。
羅璃の正体。
それは、俺の「ラリった世界」の核心に関わる言葉だろう。
そして、その言葉が、俺の心に、新たな問いを投げかけていた。
羅璃という「無邪鬼」と共に、俺はどこへ向かうのだろうか。
ダルい。でも、無邪鬼。その響きに、どこか、羅璃という存在の、魅力の根源を見たような気がした。
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