第十九話:ゴスロリ巫女と赤鬼娘
ライブの興奮冷めやらぬまま、俺と羅璃は三軒茶屋のライブハウスを後にした。
耳の奥ではまだ轟音が響いているような、身体中にビリビリとした振動が残っているような感覚だ。
圧倒された。でも、どこか、心地よかった。
観客の熱狂、ミサト先輩の歌声、そして…サクラのギター。
あの場の全てが、俺の中に何かを刻みつけた。
ライブハウスの狭い入り口から外に出ると、夜の冷たい空気が肌を刺す。
周囲には、ライブ帰りらしき若者たちがまだ多く、興奮した様子で感想を言い合っている。
俺も、羅璃も、言葉少なだった。頭の中が、今日の出来事でいっぱいだ。
すると、後ろから声を掛けられた。
「…潟梨君」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、そこに立っていたのは…思わず息を飲んだ。
衣装もメイクもそのままの、天宮司さくらさんだ。
白いゴシックロリータファッションに、切れ長のアイメイクと黒いリップ。
普段の、大学のマドンナとしての姿とは全く違う、まさに「白き堕天使達」のギタリスト「サクラ」の姿だ。その姿は、羅璃のほとんど人間になった(でも角と赤い瞳は健在の)羅璃姿にも負けず劣らず、夜の街中で異彩を放っている。
羅璃の赤い肌と、さくらの白い衣装のコントラストが、鮮烈だ。
周囲の視線が、一斉にさくらさんに集まる。さすがにあの格好では、ただ歩いているだけでも周囲をざわつかせてしまうだろう。
さくらさんは、振り向く俺たちに微かに会釈した。そして、まっすぐに俺の目を見て、言った。
「…明日…講義のあと…話しましょう」
それだけ言うと、さくらさんは、周囲のざわめきを気にする様子もなく、踵を返し、人混みの中に消えていった。まるで、幻を見たかのような、あっけない立ち去り方だった。
「…え? なに? 今の…」
呆然とする俺の隣で、羅璃が目を輝かせた。
「うっっっっっわあ! マジか! 天宮司さん、ヤバい人だった! しかも、明日話すって! 面白くなってきたねー!」
羅璃は上機嫌だ。
天宮司さんが「人ならざるもの」を見抜く力を持っていること、そしてバンドマンという意外な一面を持っていること。その全てが、羅璃にとっては面白いイベントらしい。
「面白くなってきたね、じゃねぇよ…」
俺は頭を抱えた。
明日、天宮司さんと話す?
何を?
羅璃のことか?
ライブハウスでの天宮司さんに気づいたこと? どうすればいいんだ…。
混乱で、頭の中がぐちゃぐちゃになった。
ダルい。本当に、ダルすぎる。
そして、翌日。ダルい気持ちを抱えながら大学に行った。
講義中も、頭の中は明日のことと、天宮司さんのことでいっぱいだった。
羅璃は相変わらず隣で好き勝手やっている。
講義が終わり、学生たちがぞろぞろと教室から出て行く中、出口で天宮司さんが待っていた。
白いブラウスに落ち着いた色のスカート。いつもの、大学のマドンナとしての姿だ。
昨夜の白いゴスロリ衣装が、まるで夢だったかのようだ。
「潟梨君」
天宮司さんが、俺に声を掛けてきた。羅璃は、天宮司さんの姿を見て、少しだけ身構えているのが分かった。
「あの…話したいことがあるのだけど…少し、落ち着ける場所でお願いできますか?」
天宮司さんは、周囲の学生に聞こえないように、小さな声で言った。
落ち着ける場所? 二人で話せる場所?
一人暮らしのアパートに天宮司さんを連れて行くわけにはいかないし、カフェも人がいる。
大学構内で、落ち着いて話せる場所…
(…サークルの部屋…か?)
サークルの部室なら、鍵がかかるし、他のメンバーがいなければ、ある程度プライベートな空間を確保できる。
「…サークルの部屋なら…」
俺がそう提案すると、天宮司さんは「分かりました」と静かに頷いた。
羅璃を伴い、サークル棟へ向かう。部室に着くと、山本中会長と中村山くんがゲームをしていた。寺社杜さんの姿は見えない。
「あ、潟梨と羅璃ちゃん! どうしたの? 羅璃ちゃん、もう部室慣れた?」
中村山くんが、俺たちを見て声を上げた。羅璃は「慣れた慣れた! 超楽しい!」と答えている。
「あの…山本中会長、中村山くん…ちょっとお願いがあるんですけど…」
俺は、意を決して二人に話しかけた。
ここで話をするには、二人に一旦部屋を出てもらう必要がある。
ダルい。こんなお願いをするなんて、普段の俺なら絶対にしないことだ。
対人関係への苦手意識が、俺の心を縛りつけようとする。
「…少しの間でいいので…部屋から出てもらえませんか? 話がしたい人がいるんです…」
俺がそう言うと、山本中会長と中村山くんは、顔を見合わせた。
そして、俺の隣に立つ羅璃と、その後ろにいる天宮司さんの姿に気づいた。
「え…天宮司さん…?」
「うわ! マドンナじゃん! なんで潟梨と一緒に!?」
二人は驚いている。無理もない。
普段、俺が天宮司さんと話している姿など、誰も見たことがないはずだ。
山本中会長は、俺の真剣な表情を見て、何かを察したようだった。
「…分かった。中村山、悪いが少し席を外そう」
山本中会長は、ゲームを中断し、立ち上がった。
中村山くんは「えー! マドンナとなんか話すの!? 何何、面白そうじゃん!」と興味津々だったが、山本中会長に促されて、渋々といった様子で部室を出て行った。
部室には、俺と羅璃、そして天宮司さんの三人だけが残された。扉を閉め、鍵をかける。部屋の空気は、さっきまでの賑やかさから一転、張り詰めたものになった。
天宮司さんは、いつもの穏やかな雰囲気はそのままに、真っ直ぐ俺を見た。
「…ライブハウスに…来ていたのですね」
さくらさんの言葉に、俺はドキッとした。当然、知っているだろうと思っていたが、改めて言われると緊張する。
「…はい」
「それに…羅璃さんと、一緒だった」
天宮司さんの視線が、羅璃に向けられる。羅璃は、天宮司さんを見つめ返している。
「昨夜の件は…秘密にしておいてほしいのです」
天宮司さんは、静かに言った。バンド活動をしていること。白いゴスロリ衣装でライブハウスに立っていたこと。大学のマドンナとしての彼女のイメージとは、かけ離れた一面だ。神主の家系にとって、もしかしたら隠しておきたいことなのかもしれない。
「神職である私が…人前で、ああいう姿を見せることは…家系的にも、少々問題がありまして」
天宮司さんの言葉に、俺は頷いた。大学のマドンナの頼み。
ましてや、そんな秘密を打ち明けられて、それを断る理由はない。これは、俺の「他人との交渉」という煩悩と向き合う機会だ。
「分かりました。誰にも言いません」
俺がそう言うと、天宮司さんは、微かに安堵したような表情を見せた。
しかし、話はそれだけでは終わらなかった。天宮司さんの視線が、羅璃に向けられると、再び真剣な色になった。
「…ですが…羅璃さんの存在に関しては…やはり…看過できません」
天宮司さんの言葉に、羅璃の顔色が変わった。
「羅璃さん。あなたは…人ならざるものです。その存在は…人の世に、混乱や災いをもたらす可能性を…否定できません」
天宮司さんの声には、神主としての、羅璃という存在に対する、強い警戒心と、排除するべき対象かもしれないという考えが滲み出ていた。
「私の家系は…代々、人の世ならざるものを…封じ、あるいは…」
天宮司さんの言葉を聞いて、羅璃が露骨にうへぇという嫌な顔をした。
そして、ニヤリと笑った。
「へー! 私のこと、封じちゃうとか、滅ぼしちゃうとか言うわけ? やれるもんならやってみなよ!」
羅璃は、天宮司さんを挑発した。さっきまでビビっていたのが嘘のようだ。羅璃の、危険を面白がるような、無邪気で悪意のあるような態度に、俺はヒヤリとした。これが、羅璃の「煩悩」の側面なのか。
天宮司さんの顔に、微かに怒りの色が浮かんだ。
「挑発しても無駄です。もし、貴女が人の世に害を成すならば…天宮司の名に懸けて、必ずや封滅させてみせましょう」
天宮司さんの言葉には、揺るぎない決意が込められていた。羅璃と天宮司さん。どちらも、人間ではない、あるいは人間離れした力を持つ存在。その二人が対峙している。その間にいる俺は、ただの人間だ。
「…あの、天宮司さん」
俺は、意を決して、天宮司さんに話しかけた。このままでは、羅璃が天宮司さんに危険視され続ける。俺は、羅璃が「死霊の類」ではないと信じている。少なくとも、俺にとっては、人生を変えてくれた恩人(?)だ。
「羅璃は…羅璃は、別に…悪い奴じゃないんです」
俺は、羅璃が俺の無気力を変えようとしていること、煩悩を解放することで羅璃の模様が消えること、そして、それによって俺自身が変わってきたこと。コンビニでのこと、実家でのこと、ハルカさんとの再会…全てを、正直に話した。天宮司さんは、俺の話を、じっと、静かに聞いていた。羅璃も、俺の隣で、黙って話を聞いている。
俺の話を聞き終えた天宮司さんは、長い溜息をついた。そして、非常に難しい顔をした。
「…にわかには…信じられません」
当然だろう。俺の話は、あまりにも非現実的だ。
「ですが…貴方の話を聞く限り…羅璃さんが、少なくとも現時点では…積極的に人に害を成しているようには…見えない」
天宮司さんは、そう言った。そして、羅璃を見た。羅璃の身体に残る、ごく微かな模様。天宮司さんには、その模様が、俺の煩悩と関係していることも、分かっているのだろうか。
「分かりました。条件を提示します」
天宮司さんは、俺を見た。
「私が、ライブハウスでのあなたの秘密を誰にも言わない。その代わり…羅璃さんは、私に、そして他の誰にも、積極的に干渉せず…問題を起こさないでください」
それは、天宮司さんからの「譲歩」だった。
羅璃の存在を認められないけれど、俺の秘密を守る代わりに、羅璃に「不干渉」を求める。そして、もし羅璃が問題を起こせば、容赦しない、という条件付きだ。
神職である天宮司さんにとって、羅璃のような存在を放置すること、そして自分の秘密を守ること。それは、家系の教えや、自身の信念に反することかもしれない。
でも、彼女は、不本意でも自分の秘密以上に俺の秘密を守ることを選んだ。一見取引に見えるが少なからず俺の話を聞いて一時的かもしれないまでも信用してくれたと思う。
「…いいですよ~そんなの簡単ラリパッパ~」
羅璃が、意外にも素直に、しかしニヤリと笑って答えた。
「私、問題とか起こしませんよー! 大丈夫! 私が興味あるのは、しょーへーの煩悩だけですから!」
羅璃はそう言ったが、天宮司さんは羅璃の言葉を完全に信用したわけではないだろう。
「…では、約束です。もし、羅璃さんが問題を起こすようなことがあれば…その時は、容赦しません。必ずや、封滅させてみせます」
天宮司さんは、改めて強い口調で釘を刺した。そして、俺を見た。
「潟梨君。羅璃さんのことは…あなたが責任を持ってください」
重い責任を背負わされた気がした。ダルい。でも、俺は、羅璃の責任を負うことに同意した。それは、俺が羅璃という存在を受け入れ、彼女と共に生きることを選んだ、ということだ。
天宮司さんは、立ち上がり、一礼すると、部室を出て行った。その表情は、まだ少し険しかった。羅璃は、天宮司さんが完全に部室を出た後、「ふー」と息を吐いた。
「あー、マジで疲れたー! なんか、重たい空気だったねー!」
羅璃は、緊張感から解放されて、またいつもの調子に戻った。
「にしても、面白かったね! 天宮司さん! まさかバンドマンだったなんて! しかも私を封滅するとか言ってて! ヤバ!」
羅璃は、天宮司さんとのやり取りを楽しんでいたようだ。
その時、俺は気づいた。羅璃の身体に残っていた、微かな模様が…また、少しだけ薄くなっている。天宮司さんとの交渉。自分の言葉で、羅璃を弁護し、秘密を守る約束をし、譲歩を引き出したこと。
困難な状況から逃げ出さずに、他人と向き合い、話し合い、妥協点を見つけ出したこと。それは、俺の「対人関係への苦手意識」や、「交渉することへの抵抗」、「決断することへの迷い」といった煩悩を、少しだけ解消したのだろう。そして、天宮司さんの秘密を守るという「責任」を引き受けたことも。
「…消えたな」
俺が呟くと、羅璃は自分の身体を見て、飛び上がって喜んだ。
「やったー! マジ!? また消えた! すごい! しょーへー! アンタ、交渉とかするの、めっちゃ苦手だったのに、頑張ったね!」
羅璃は、俺の頑張りを素直に褒める。羅璃の喜びを見ていると、さっきまでのダルさや緊張が、少しだけ和らいだ気がした。
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