第十七話:バンドレイド・バンドエイド
羅璃に連れられ、古着屋の衣装に着替えて美容院で髪型変えた後、その足で俺は羅璃を伴ってコンビニのバイトに入った。
見習いとして働くことになった羅璃は、意外とバイトを楽しんでいるようだった。
デカい声で接客したり、商品の陳列に勝手に手を加えたりと、相変わらず騒がしいが、佐藤店長は溜息をつきながらも、もう何も言わない。
羅璃の持つ、場を掻き乱すけれど、なぜか憎めない雰囲気にチャラにされているのかもしれない。
その日のシフトも、高橋先輩と一緒だった。
そして、高橋先輩は、俺の姿を見た途端、目を丸くして固まった。
「…え…潟梨くん…!?」
高橋先輩の声が、驚きに震えている。その視線は、俺の新しい服と髪型に釘付けだ。
「…うわ…マジで…え…!?」
高橋先輩は、俺の全身をまじまじと見て、感銘を受けたような、信じられないような表情をしている。
いつものサバサバした高橋先輩からは想像できない、完全に動揺した様子だ。
「…ずいぶん…変わったね…」
高橋先輩が、絞り出すように言った。
その言葉には、素直な驚きと、そして、何か別の感情が混じっているように聞こえた。
隣にいた羅璃が、得意げに胸を張った。
「でしょー! 高橋先輩! マジ別人でしょ? 超イケてるでしょ?」
羅璃は、高橋先輩に詰め寄る。高橋先輩は、まだ俺から目が離せないでいる。
「あ、あの…うん…すごい…どうしたの? 急に…」
高橋先輩は混乱している。
無理もない。普段スウェットとTシャツで、髪もボサボサだった俺が、いきなりそれなりに整った格好をしているのだから。
羅璃は、ニッと笑った。
「いやー、それがさ! せっかく高橋先輩のバンドのライブ見に行くのに、いつものしょーへーのくそダサいカッコじゃ、話になんないなーって思って!
だから、私が手伝って、コーディネートしてあげたんです!」
羅璃は、高橋先輩に事の顛末を説明した。
もちろん、かなり羅璃風の言い方だ。
高橋先輩は、羅璃の説明を聞いて、初めは「コーディネート?」
と首を傾げていたが、やがて、ふっと吹き出した。
「ふっ…くく…あはははははは!」
高橋先輩は、声を上げて笑い始めた。
羅璃の説明と、俺の新しい格好が、ツボに入ったらしい。
「そっか…羅璃ちゃんと…わざわざ…」
高橋先輩は、笑いながら俺を見た。その目には、さっきまでの驚きに加えて、温かい光が宿っている。
「潟梨くん…ありがとう」
高橋先輩は、真剣な声で、俺に感謝を伝えた。
「私のライブのために…そんなことまでしてくれたなんて…すごく嬉しい」
感謝される。
面と向かって、感謝の言葉を言われる。
しかも、ちょっと憧れの高橋先輩に。
俺は、どう反応すればいいのか分からなかった。
感謝なんて、ほとんどされたことがない。
何か良いことをした覚えもない。
ただ、羅璃に言われるがままに、服を着替えて、髪を切っただけなのに。
顔が熱くなるのを感じた。照れる。
なんて返せばいいんだ? 「いや、別に…」とか?
(…感謝…される…)
ダルい、という感情とは違う、心の奥が、じんわりと温かくなるような、不思議な感覚。自分がやったことが、他人に喜ばれて、感謝される。
それは、今まで俺が知らなかった種類の「繋がり」だった。
その、俺が感謝を受け止め、少しだけ心が動いた、その瞬間だった。
羅璃が、俺の隣で、ニヤリと笑った。その笑みは、俺の心の中の変化を全て見透かしているような、確信に満ちた笑みだ。
羅璃の身体に残った文様が…また、ほんの少しだけ、薄くなった気がした。
感謝されることへの戸惑い。
それを受け止めたこと。
他人からの肯定的な評価を受け入れ、それに対してポジティブな感情を持てたこと。
それは、俺の「対人関係への苦手意識」や、「自己肯定感の低さ」といった煩悩に、微かな変化をもたらしたのだろう。
感謝されることに慣れていない、という事実そのものが、俺の中にあった「無知」や「無関心」の証だったのかもしれない。
高橋先輩は、俺の戸惑いをよそに、話し続けた。
「羅璃ちゃん、今日の髪型可愛いね」などと話しかけている。
羅璃は「えへへー! マジっすか!? 超嬉しいんですけど!」と喜んでいる。
「私のことは美里って呼んでくれていいよ!高橋美里、友達はみんな美里って!」
「わーい美里センパイってかっこいい名前~」
二人は、すっかり打ち解けているようだった。そうか、高橋先輩って美里さんっていうのか…
休憩時間、三人でバックヤードにいる時だった。
羅璃が、高橋先輩に話しかけた。
「ねーねー美里センパイ! バンドのライブ楽しみですね!」
高橋先輩は、俺の顔を見て、ニッと笑った。
先ほどの感謝…は、先輩ならではの気遣いなのかとも思わなくもないが…
素直に受け取って置けるくらいの心の余裕が俺にもできている。
…が、やっぱり少し気恥ずかしい。思わず何か言わなければと思って出た言葉…
「…あの…高橋先輩は…どうして、バンドをやろうと思ったんですか?」
ふと、俺は気になっていたことを尋ねた。
夢を追いかけて、努力している高橋先輩。
その原動力は、一体何なのだろうか。
今まで、他人の夢や、努力することに、これほど興味を持ったことはなかった。
無関心だった。どうでもいい、と思っていた。
高橋先輩は、俺の質問に少し驚いた顔をした。
俺が、そんな個人的なことに興味を示すとは思っていなかったのだろう。
でも、すぐに表情を和らげて、話し始めた。
「うーん、なんでだろうね? きっかけはね、高校の時に、あるバンドの追っかけをしてたんだ」
高橋先輩は、少し懐かしそうに語った。
「最初はギターボーカルの人の路上ライブだったんだけどね…ちょっと良いなって思ったの。
通学路だったから、同じ時間帯で同じように遭遇することも多かったんだけど…
ある日チケット渡されて…一度バンドフルメンバーの演奏聞いてよって誘われたの」
羅璃は興味津々「そんでそんで?!ボーカルの人の家に押し掛けたとか?
「何の話だよ…家じゃなくてライブの話だろ…」と冷静に突っ込む俺…
「そのバンドのライブに初めて行った時…もう、衝撃で。
学校の嫌なこととか、全部忘れさせてくれるくらい、めちゃくちゃ感動したんだ。
ライブハウスの空気とか、音とか、観客の熱気とか…なんか、世界が全部変わったみたいで」
世界が、変わった。
高橋先輩の言葉が、俺の中に響いた。
羅璃が現れてから、俺の世界も、少しずつ、でも確実に変わってきている。
羅璃が、俺のくすんだ世界に色を塗ってくれた。
「それでね、そのバンドに憧れて、私も楽器…ギターをやってみようと思って。
最初は全然上手く弾けなくて、大変だったけど…
でも、ライブで感じたあの感動を、自分でも表現してみたいって思ったら、頑張れたんだよね」
努力。
高橋先輩は、努力できる人だ。
俺は、努力から逃げてきた人間だ。サッカー、絵…どちらも、努力の壁にぶつかって、諦めてしまった。
「それで、ライブハウスに通ってるうちに、そこで知り合った仲間と、『じゃあ、自分たちでもバンド組んでみるか!』ってなって。それが今のバンドなんだ」
高橋先輩は、笑顔で言った。
その笑顔は、バンド活動が本当に好きなんだということが伝わってくる、輝いた笑顔だった。
「大学出て、みんな就職するんだけど、私は今はバンドに打ち込みたくて。
だから、こうやってバイトしながら、細々とだけど活動してるんだ」
就職せずに、バンドに打ち込む。
それは、俺には考えられない生き方だった。
安定とか、将来とか、そういうものを無視して、自分の「好き」を追いかける。
「…すごいですね…」
俺は、素直にそう言った。
これまでの無関心な態度からは想像もできない、俺自身の言葉だった。
高橋先輩の、夢を追いかける姿に、心から感銘を受けていた。
高橋先輩は、俺の言葉を聞いて、目を丸くした。
「え…潟梨くんに…そんなこと言われるなんて…びっくり。
いつも、なんか何も興味なさそうにしてるから」
高橋先輩は、俺が自分のことに興味を持ってくれたことが、本当に嬉しい、という顔をしていた。
そして、羅璃にも視線を向けた。
「羅璃ちゃんも、初めて会った時はびっくりしたけど…
なんか、すごく明るくて、元気で…今は知り合えて嬉しい。
二人とも、私のライブ、楽しんでくれたら嬉しいな! 来週、頑張るから!」
高橋先輩は、そう言って、俺と羅璃に笑顔を向けた。
隣で、羅璃が俺を見て…またしてもニヤリと笑った。
その笑みは、俺の「無関心」という煩悩が、また少し解消されたことを知っている、というような、全て見通しているような笑みだった。
羅璃の身体に残った微かな文様が、また、ほんの少しだけ薄くなったような気がした。
誑
有身見
昏沈(沈滞)
嫉…
「ひゃっほーラリってボンノー!!うん! 絶対行くし、超楽しみにしてるよ! ね、しょーへー!」
羅璃は、文様が消えて元気よく答えた。
そして、俺に同意を求めてくる。
高橋先輩の夢。
バンドへの情熱。努力。
それらを目の当たりにして、俺の中に生まれた、微かな興味と、尊敬の念。
そして、羅璃と高橋先輩の、変化と挑戦を肯定する迫力。
「ああ、そうだね…」
俺は、羅璃の問いかけにそれだけ答えた。
自分の外見が変わったこと。
他人に感謝されたこと。
羅璃の身体の文様が薄くなったこと。
そして、ライブという、まだ見ぬイベント。
(63/108)