第十六話:ファッションパッション
大学での授業の合間、羅璃と一緒に学食でご飯を食べていた。
羅璃は、俺の学食のメニューに興味津々で、「うっわ、これ安いのに美味しそうじゃん!」と俺のトレイから勝手に唐揚げを一つ摘んだ。
ダルい。
人のもの勝手に取るなよ。
「ねーねー、学食って毎日メニュー違うの? 明日は何があるかな?」
羅璃は、学食という場所自体を楽しんでいるようだった。
俺は、味がどうこうより、ただ腹を満たせればいい、という考えだったので、羅璃のように食事自体に興味を持つことはなかった。
食堂でもふりかけだけ持ち込んで白飯で済ますことさえあった。
これも、羅璃が言うところの「食欲」という煩悩を、俺が軽視していたということなのだろうか。
羅璃とそんな他愛もないやり取りをしていると、近くを通りかかった人物に気づいた。
天宮司さくらさんだ。
学食には、いつも一人で来ていることが多い。
今日も、トレイを持って席を探しているようだ。羅璃も、天宮司さんの存在に気づいたらしい。
一瞬、羅璃の顔に緊張の色が走ったが、天宮司さんはただ普通に、少し離れた席に座った。
何も起きない。羅璃の身体の文様が消えることもない。
羅璃は、警戒を解いたのか、「なーんだ」という顔をして、再び唐揚げを頬張った。
天宮司さんは、座った席から、俺と羅璃の方をちらりと見た。
そして、微かに、本当に微かにだが、口元に笑みを浮かべたように見えた。
「…上手くやっているみたいね」
声に出して言ったわけではないだろう。
でも、視線と表情で、そう言われたような気がした。
俺と羅璃が、食卓を囲んで一緒に食事をしている。
その様子を見て、天宮司さんは何かを感じ取ったのだろうか。
羅璃の本質を認識できる天宮司さんだからこそ、羅璃が俺に与えている影響や、俺たちの間の奇妙な繋がりを理解しているのかもしれない。
意味深な言葉だけを残し(たように感じさせ)、天宮司さんは静かに食事を始めた。
ダルい。
あの人は、一体俺たちの何を「上手くやっている」と言ったのだろうか。
講義が終わり、俺と羅璃はサークル棟へ向かった。
部室に着くと、山本中会長、中村山くん、寺社杜さんが集まっていた。
どうやら、ゲーム制作について話し合っているらしい。
「あ、来た来た! 潟梨と羅璃ちゃん!」
中村山くんが、俺たちに気づいて声を上げた。
「あのさ、今どんなゲーム作るか、皆でアイデア出し合ってたんだけど、全然まとまらないんだよ」
山本中会長が、困った顔で言った。
「企画の段階で皆意見バラバラでさー。山本中会長はシミュレーションゲームとか言ってるし、寺社杜さんは独特の世界観のやつがいいって言うし、俺は単純に面白いアクションゲームがいいし…」
中村山くんが、それぞれの意見を説明する。
皆、ゲーム制作に対する熱意は持っている。
でも、その方向性が全く違うらしい。
「…それで、潟梨にも意見を聞こうと思ってたんだ」
山本中会長が、俺に話を振った。俺に意見?
ゲームについて、俺に何か言えることなんてあるだろうか。
「どんなゲーム…か」
俺は考えた。皆が熱く語っている、作りたいゲームについて。
でも、正直、あまりピンと来なかった。
俺がゲームをやるのは、暇つぶし。皆がやっているから、惰性で。
自分で「作りたい」という積極性が、俺にはない。
だから、皆がどんなゲームを作りたいのか、その熱意を、どこか他人事のように感じてしまう。
(…これも、無知、無関心、そして…惰性という煩悩、なんだろうな…)
自分の心の中にある、ゲーム制作への熱意の欠如を自覚する。
それは、かつて絵を描くことに対して持っていた情熱とは違う種類のものだ。
「すいません、絵を描くことはできますが、何かゲームを作るとか意識したことが無くて…」
サークルメンバーからは少し失望した雰囲気がでてくる…空気が少し重くなってきた、その時。
羅璃が、パンっと手を叩いた。
「そうだ! ゲーム制作もいいけど、気分転換しない!?
ねー、もうすぐ高橋先輩のライブでしょ?
ライブに行くなら、やっぱ、ちょっとはイケてる格好していかないとさ!」
羅璃は、無理やり話題を変えてきた。
そして、コンビニバイトの高橋先輩との会話で出た、ファッションを変えるという話を蒸し返す。
「よし! 今日は服買いに行こうぜ!
しょーへーの無気力感を払拭する、超絶イケてる服を見つけよう!」
羅璃は意気揚々と言った。
サークルメンバーたちは、突然の羅璃の提案に目を丸くしている。
ゲーム制作の議論はどこへやら、羅璃は完全にファッションの方に舵を切った。
抵抗する間もなく、俺は羅璃に引きずられるように、大学を出て、街へ向かった。
サークルメンバーたちは、呆然と俺たちを見送っていた。
ダルい。
でも、羅璃の勢いには逆らえない。
羅璃が俺を連れて行ったのは、古着屋だった。
色々な服がごちゃごちゃと置いてあって、独特の匂いがする。
羅璃は、宝探しでもするかのように、服の間を縫って、俺に似合いそうな服を次々と見繕っていく。
「しょーへーの懐にやさしいコーディネートしないとね~」
「あ! これ、しょーへーに似合いそうじゃん! 着てみて着てみて!」
「これもいいかも! ちょっと個性的な感じ!」
羅璃が持ってくる服は、どれもこれも、俺が普段着ているスウェットやTシャツとはかけ離れたものばかりだ。派手だったり、個性的だったり。
俺は、そういう服に全く慣れていないので、どれを着ればいいのか分からない。
(…似合うのか? 俺が、こんな服を…?)
自分の外見に対する無頓着さ、そして、どう見られているのか分からないことへの不安。
これも、羅璃が言うところの「劣等感」や、「無知、無関心」なのかもしれない。
何をどう選べばいいのか、全く決めきれない。
結局、羅璃に「これにしなよ!」と半ば強引に勧められた、少しだけデザイン性のあるパーカーと、ジーンズを選んだ。
今までの俺からしたら、かなり挑戦的なチョイスだ。
着替えるために試着室に入った。
鏡に映った自分の姿を見て、少し驚いた。
普段着ているダルダルな服とは違い、体にフィットするデザインのパーカーと、シルエットが綺麗なジーンズ。
それだけで、なんだか少しだけ、いつもよりまともに見える。
(…全然違う…)
自分が今まで、どれだけ自分の外見に無頓着だったのかを、改めて実感した。
ほんの少し、服を変えただけなのに、こんなにも印象が変わるのか。
鏡に映った、いつもより少しだけシャキッとした自分を見て、何故か、ほんの少しだけ…感動した。
自分が、自分自身の外見に、これほど無関心だったこと。
そして、ほんの少し手をかけるだけで、変わることができるということ。
それは、まるで、羅璃に教えてもらった「世界に色がある」ということと同じくらい、新鮮な驚きだった。
羅璃は、試着室から出てきた俺を見て、「うっっっっわあ! 超イケてるんですけど! マジ別人じゃん!」と騒いでいる。
次に、羅璃は俺を美容院に連れて行った。
髪型なんて、今まで伸ばしっぱなしだったのに。
羅璃に「もっさりしすぎ! 絶対切った方がいい!」と言われ、無理やり連れて行かれた。
美容院の椅子に座り、鏡に映った自分の顔を見る。
見慣れた、ダルそうな顔だ。
美容師さんに「どんな感じにしますか?」と聞かれても、何も思いつかない。
全て羅璃と美容師さんにお任せするしかなかった。
髪を切られ、整えられ、鏡に映る自分が、少しずつ変わっていく。
そして、完成した自分の姿を鏡で見た時…また、少し感動した。
さっきの服の時と同じだ。
今まで、髪型なんてどうでもいいと思っていた。
でも、ちゃんと整えてもらうだけで、顔の印象が全然違う。
無頓着だった自分。そして、少し手をかけるだけで変われる自分。
それは、小さなことかもしれないけれど、俺の中の、自己肯定感の低さや、自分への無関心という煩悩に、微かな変化をもたらす出来事だった。
羅璃は、俺の新しい髪型を見て、「うっし! 超絶イケメンじゃん! これでライブもバッチリだね!」と喜んでいる。
「なあ、なんでサークルであの時話を切り上げて唐突にファッションとか…」
羅璃のノリと勢いで、あの場から連れ出されて見た目の変化を成し遂げた俺だが、腑に落ちない点を尋ねた。
羅璃は、フンと鼻を鳴らして言う
「だってしょーへーあの場に居ても答え見つけられなかったでしょ?」
ギクリとする俺…胸の奥がキューっと閉まる感覚が思い出される。
「あーやっぱり、ストレス強く受けているよね…煩悩ってさ、百八個とかウソだよね…」
「どういう…こと」
「私を縛る文様の話したじゃん…残っているのは大きいのは3つって…翔平は頑張って様々な煩悩に向き合って受け入れたんだと思うよ…」
羅璃は、邪気が薄れた女の子らしい柔らかい笑顔になって言う。
「私も解放されて奇麗になって嬉しいんだ!もうすぐ自由なんだって…
でも、ちょっと寂しいかなって…」
やられた…正月早々に部屋に表れた羅璃は、超絶迷惑鬼娘でその裸を見ても、文様…呪印の禍々しさもあったのか1ミリも異性としての感情を持てなかった。
だがどうだ?服を着ていても(と、言ってもこの寒空に相変わらずの露出度だが)そんな笑顔で寂しいとか言われれば、堕ちない男は居まい…心臓がときめく…マジか、俺。
「お、お前もか、変わったよな… 羅璃」
口に出来た言葉がそれだけだった。
羅璃は、すこし驚いた顔をしてから、いつものように元気な笑顔になって
「しょーへー 羅璃のこと見てくれてんじゃん!やっほーじゃあ帰ろうぜ!」
煩悩で繋がった 羅璃との縁は、俺の中で少しだけ変化した気がした。
「羅璃はねー、そんなに一気に全部変わらなくてもいいんだって思ったんだ…
だから、少しゆっくりしてもいいんじゃない?、人は変化に敏感なんだよ?
気持ちを変えるのはなかなか難しいんだ~だから、女の子はおしゃれするんだよ?」
「話の流れが良く分からないけど…つまり形から入って変わる方法ってこと?」
ウザがらみしてくる羅璃の話はどこか上の空で聞いてダルって思っていた。
それでも抵抗するまでもなく何となく従っていた俺だけど…ちゃんと話が聞けているのかな?
「ふふ、分かってきたじゃんしょーへー!人の話を聞いて意図を理解する、理解しようとするって他人に寄り添うことなんだよね。
「瞋」の煩悩は、そういった他人との絡みを否定する煩悩だけど、ちゃんと向き合えてね」
そういって少し得意そうに語る羅璃。
胸のはだけた部分から見えていた文様がまた少し消えてくように見えた。
俺はこの日、未だ向き合えない問題と、様相を変えることで得られるものがあること、他人への嫉妬ではなく寄り添う気持ちを持つことで解放される煩悩があることを知った。
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