第十五話:コンビニコンビ・バイトバンド
サークルでの一件から数日後。
俺は久しぶりにコンビニのバイトに出ることにした。
正月休みと、それに続く羅璃との「ラリった」日々で、すっかりシフトを休んでいた。
そろそろ行かないと、佐藤店長に何を言われるか分からない。
それに…少しだけ、働くという「生産的な」行為から逃げ続けるのも、違う気がし始めていた。
羅璃は、俺がバイトに行くと言うと、「私も行く! バイトしたい!」と言い出した。
当然断ったが、「なんで! 私、活力注入できるのに! しょーへー一人だとまた無気力になるじゃん!」と聞かない。
押し問答の末、羅璃もバイトについてくることになった。
約一週間ぶりのバイト。
コンビニの自動ドアをくぐると、佐藤店長がレジに立っていた。
いつものぼんやりした顔だが、俺と羅璃の姿を見ると、微かに目を見開いた。
「おやおや、潟梨くん。羅璃さんも。久しぶりですね。
おや…なんだか、雰囲気が変わりましたかな?」
佐藤店長は、俺たち二人をじっと見て、そう呟いた。
雰囲気? 羅璃の見た目の変化には触れないが、俺たちの周りに漂う空気が、以前とは違うことに気づいたらしい。
羅璃が現れてからの、様々な出来事を通して、俺自身も、無気力なだけではいられなくなっているのかもしれない。それは、他の人間にも伝わるくらいの変化なのだろうか。
「そーなんですよ店長! しょーへーもちょっとは人間らしくなってきたんです! てか店長! 私もここでバイトしたいです! 雇ってください!」
羅璃は、店の奥にいた高橋先輩にも聞こえるようなデカい声で、いきなり主張し始めた。高橋先輩も、羅璃の姿に驚いて、こちらを見ている。
「え、バイトですか? 羅璃さんが? 面白いけど…」
佐藤店長は困惑している。
無理もない。こんな奇抜な見た目の赤鬼ギャルを、コンビニの店員として雇うなんて、普通は考えられない。
「履歴書は? 羅璃さん」
だが、そこは冷静な大人。
佐藤店長が、基本的な手続きとして尋ねた。
「履歴書? なにそれ美味しいの?」
羅璃はキョトンとしている。
当たり前だ、煩悩が具現化した存在に、そんなものがあるわけがない。
「それでは…申し訳ありませんが、正式に雇うことは…」
佐藤店長が困った顔で首を横に振る。
羅璃は「えー! なんでだよー!」と不満そうだ。
すると、羅璃は俺の腕を掴んだ。
「じゃあ! しょーへーが私の身分証明します!
私、しょーへーの友達で、しょーへーと一緒に働きます!
だから、見習いでもいいから雇ってください!」
羅璃の無茶苦茶な提案に、俺は顔を覆いたくなった。
なんで俺が保証人みたいになってるんだよ。
佐藤店長は、羅璃の勢いと、俺の(渋々ながらも)隣に立っている様子を見て、しばらく考え込んだ後、溜息をついた。
「…うーん…分かりました。では、正式な採用は難しいですが…
潟梨くんが責任を持つというなら…見習い、という形でなら、様子を見ましょう」
まさかの展開だ。
佐藤店長、羅璃の勢いに負けたのか。
それとも、羅璃の持つ奇妙な魅力に、何か感じるところがあったのだろうか。
こうして、羅璃は俺のバイト先の見習いとして、コンビニに居座ることになった。
ダルい。
でも、羅璃が大人しくアパートにいるはずもないし、こうして俺の日常に介入してくる方が、羅璃も満足するのだろう。
その日のシフトは、高橋先輩と一緒だった。
羅璃は早速、高橋先輩に話しかけに行った。
「やっほー! 高橋先輩! 私、羅璃!
しょーへーと一緒にバイトすることになった見習いです! よろしくお願いしまーす!」
高橋先輩は、人当たりの良い人で、すぐに羅璃と話し始めた。
羅璃の遠慮のない質問攻めに、高橋先輩は笑いながら答えている。
そして、いつの間にか、二人はすっかり「女子話」で盛り上がっていた。
恋愛の話や、好きなものの話、流行りのことなど、俺には全く分からない話題で楽しそうに話している。
「えー! 高橋先輩、バンドやってるんですか!? マジカッコいいんですけど!」
羅璃の声が聞こえてきた。
高橋先輩は、バンド活動をしているらしい。
俺は知らなかった。いつもサバサバしていて、バイトをテキパキこなしている先輩、という認識しかなかった。
「うん、まあね。趣味でやってるんだけど。このバイトも、その資金稼ぎみたいなもんだし」
高橋先輩は、少し照れながら答えた。
バンドの資金稼ぎのために、コンビニでバイトしているのか。
夢を追いかけている。自分のやりたいことのために、地道に努力している。
その事実を知って、俺は…少しだけ、感動した。
いや、感動というほど大げさではないが、心の奥が、じんわりと温かくなるような感覚だった。
(…かっこいいな…)
素直に、そう思った。
自分のやりたいことなんて何もなく、ただ惰性で日々を過ごしている俺とは大違いだ。
夢を持って、それに向かって努力している先輩の姿は、俺には眩しく見えた。
羅璃と高橋先輩の会話を聞きながら、俺は、自分の心の中で、何かが動いているのを感じた。
無関心。
他人のことなんてどうでもいい、と思っていた俺が、他人の夢や努力に、興味を持ち、そして、素直に「かっこいい」と思えている。
これは、羅璃が言っていた「無知、無関心」や、「批判的な心」といった煩悩が、少しだけ解消されたということなのだろうか。
高橋先輩が、俺の視線に気づいたらしい。
「…潟梨くん? どうしたの?」
高橋先輩が怪訝そうな顔で尋ねてきた。俺は、思わず口を開いた。
「…高橋先輩…かっこいいですね」
俺の言葉を聞いて、高橋先輩は目を丸くした。
「え…? 潟梨くんに…そんなこと言われるなんて…びっくり」
高橋先輩は、俺の突然の褒め言葉に驚いている。
無理もない。
普段の俺なら、そんなことを言うはずがないからだ。
羅璃が現れてから、俺は自分でも気づかないうちに、少しずつ変わってきているのだろう。
隣で、羅璃が俺を見て…ニヤリと笑った。
その笑みは、「ほーらね、しょーへーも変わってきてるでしょ?」
と言っているように見えた。
羅璃の身体に残った微かな模様が、また少しだけ薄くなったような気がした。
高橋先輩は、まだ少し驚いているようだったが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻った。
「ありがとう、潟梨くん! そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいな!」
そして、高橋先輩は、少し考えてから言った。
「あのね、今度、私たちのバンドのライブがあるんだけど…もしよかったら、潟梨くんも、羅璃さんと一緒に、見に来てくれないかな?」
ライブのお誘いだ。
ダルい。
普段の俺なら、絶対に行かない。
人混みだし、知らないバンドだし、何より面倒だ。
でも…夢を追いかけて、努力している先輩のライブ。
それを、見てみたい、と思った。
「…行く」
俺は、なぜか即答していた。
高橋先輩は、俺の返事にさらに驚いている。
羅璃は「やったー!」と飛び上がらんばかりに喜んでいる。
「ホント!? 嬉しいな! じゃあ、チケット!」
高橋先輩は、財布からチケットを取り出し、俺に渡そうとした。
「あ、お金…」
俺は慌てて財布を取り出す。
確か、まだ羅璃が勝手に使った残りが少しだけあったはずだ。
言われた金額を払い、チケットを受け取る。
バンド名と、ライブハウスの名前、そして日付が書かれている。
チケットを手に、俺は戸惑っていた。
なぜ、俺はライブに行くことになったんだ?
なぜ、チケットまで買ってしまったんだ?
惰性で生きているはずの俺が、他人の夢を追いかける姿に興味を持ち、そして、自分の意思で(半ば勢いとはいえ)行動を起こし、お金まで払ってしまった。
羅璃は俺のチケットを見て、「うっし! 絶対行こうぜしょーへー!」
とさらに盛り上がっている。
羅璃の瞳は、新しい「イベント」への期待に輝いていた。
俺の無気力な日常は、コンビニバイトという慣れ親しんだ場所で、新たな展開を迎えた。
夢を追いかける他者への興味、そして、自ら行動を起こすこと。
これらは、俺の中にまだ残る、より根深い煩悩…無関心、他者への壁、変化への恐れ…と向き合うことなのかもしれない。
慳:手のひら×2
懈怠(怠け):背中(肩甲骨)
不正知:足首
見取見:額
(45/108)