第十三話:サークルクルクルラリパッパ
サークル棟に着き、電子文化研究会の部室の前に来た。
扉の向こうからは、複数の話し声が聞こえる。
山本中会長、寺社杜さん、中村山くんの声だ。
俺が部室の扉の前で立ち止まっていると、羅璃は我慢しきれない様子で俺を急かす。
「何してんのしょーへー! 早く開けようよ! ゲーム! ゲーム!」
「わかったよ…」
俺は覚悟を決めて、部室のドアを開けた。
「おっすー! 電子文化研究会様ごきげんよー! 羅璃様のお通りだー!」
羅璃は、部室に入るなり、いつものデカい声で挨拶した。
部室にいたメンバーたちが、羅璃のデカい声と、角と肌が薄いピンクに斑模様、そしてファッションがギャル…な赤鬼娘の姿に、一斉に振り向いた。
そして、彼らの顔から、一斉に表情が消えた。
「…え?」
「…誰…だ?」
山本中会長が、信じられないといった顔で羅璃を見つめている。
山本中悟。
このサークルの会長で、見た目は普通だが、どこか掴みどころがなく、オカルト好きが高じて時々突拍子もないことを言い出す男だ。
普段は冷静沈着な彼が、完全に固まっている。
中村山くんは口をポカンと開けて、羅璃と俺を交互に見ている。
中村山健太。
いつも陽気でお調子者、人懐っこいが、その実、面倒くさがりで流されやすい。
俺と同じ講義をいくつか取っていて、そこに俺が惰性で参加しているのを見て、サークルに誘ってきた張本人だ。
寺社杜さんは、目を丸くして、羅璃の全身…特に、肌に残る微かな模様を、何かを探るように観察している。
寺社杜陽子。
明るく陽気で憎めないキャラ、どこかミステリアスな雰囲気を持つサブカル女子だ。
彼らが羅璃を見るのは、これが初めてだ。当然、こんな反応になる。俺も、初めて羅璃を見た時は、これ以上の反応をしたかもしれない。
羅璃は、彼らの反応など気にも留めず、自信満々に自己紹介した。
「どーもどーも! 私、羅璃! この潟梨翔平…
しょーへーの活力でーす! 今日からしょーへーの煩悩解放のために、ここで一緒に活動してあげまーす!」
「彼女…じゃなくて活力…?ボインじゃなくて 煩悩…?」
山本中会長が、困惑した声で呟いた。その視線は、羅璃に向けられているのに、どこか遠くを見ているようにも見える。
オカルト好きの彼にとって、羅璃の存在は、理解不能な、しかし非常に興味を引かれるものなのだろう。
「そうそう! しょーへーってば超無気力でしょ?
ダルいダルいって言って、何もやろうとしない!
だから私が活力を与えてあげてるんだ!」
羅璃はそう言いながら、俺を指差した。
サークルメンバーたちの視線が、一斉に俺に集まる。
ダルい。
俺がこのサークルでどういう立ち位置なのか、羅璃はよく分かっているらしい。
この電子文化研究会は、表向きはコンピューターを使ったコンテンツ制作を目指す、という名目らしいが、実態はただのゲームサークルだ。
日がな一日、皆で集まってゲームをプレイして過ごす。何の生産性もない。
そんな中でも、俺は最も無気力で生産性のない存在だった。
中村山くんに誘われるがまま参加して、特にやりたいこともないまま、ただ暇つぶしにゲームをしていた。
ソロゲーならアパートでもできるが、一人だとすぐにモチベーションが保てなくなる。
ここにいれば、皆がゲームをやっているという「惰性」が続くから、所属を続けていた。
メンバーからは、完全に「無気力君」と認識されていた。
山本中会長なんて、俺のことを「死んでないゾンビ」と称したこともある。
そんな俺の立ち位置をどう思うか分からなかったが、羅璃は中村山君を捕まえて、ゲームをセットさせている。
まもなく、皆が揃っていつものレースゲーム大会が始まった。
「あ、ちょっとソコでそのアイテム使うかね…」
「あーミスった!」
「よっしゃゴール!」
「またビリかよ…」
惰性でやり続けたカートレースゲーム。ジュース買う係決めとか、雑多な賭けもじゃんけんの代わりに儀式の様に続けてきた。
今回は羅璃にコントローラを譲って、傍からプレイの光景を眺める。
日本の老舗メーカーのゲームは良く出来ているなと…ぼんやり思う。
「ねーねー! このサークル、本当は何やってんの?こんな風に ゲームばっかしてんの?
もっと生産性のあることとかやらないわけ?」
羅璃は、突然部室の中を見回しながら、爆弾発言をブッ込んできた。
山本中会長はそのストレートな物言いに、少しだけ顔色を変えた。
ゲーム画面の中の山本中会長のカートが谷間に落ちて行ってた…
「あ、いや…表向きは、コンピューターを用いたコンテンツ制作を…目指して、いるんだが…」
コントローラーを置いた山本中会長は、少し歯切れ悪く答える。
その口ぶりから、羅璃の言葉が核心を突いているのが分かった。
コンテンツ制作。
それが、このサークルの本来の目的であり、そして…山本中会長の、密かな「悲願」なのだ。
「目指してるだけでやってないんじゃ意味ないじゃん!
なんでやらないわけ? めんどくさいから? それとも、能力がないから?」
羅璃の容赦ない追及に、山本中会長はさらにタジタジになっている。
寺社杜さんは「いやー、羅璃ちゃんストレートすぎ!」と笑っている。
中村山くんは、じっと山本中会長を見つめている。
「いや、その…メンバーは、企画の山本中、プログラムの中村山、グラフィックの寺社杜と、一応揃ってはいるんだ。だが…その…」
山本中会長は、言葉を濁す。
だが、その様子から、彼らが実はゲームを作ろうと画策していたことが、羅璃の質問攻めによって明らかになった。
「でも、やっぱ皆…基本面倒くさがりなんだよなー。特に、こいつがいると…」
中村山くんが、ちらりと俺を見た。
メンバーたちは、俺の無気力さが伝播して、サークル全体の惰性に拍車をかけていることを、薄々感じていたらしい。
それは、俺自身も自覚していたことだ。
「あー! なるほど! しょーへーの無気力オーラが、みんなに感染しちゃってるわけね! ヤバ!」
羅璃は納得したように叫んだ。そして、メンバーたちを見た。
「ねーねー、アンタたち! しょーへーのこと、どうせゲームしかできない無気力な奴だって思ってるんでしょ?」
サークルメンバーたちは、羅璃の言葉にドキッとした顔をした。
完全に図星だ。彼らは、俺がコンテンツ制作になど全く貢献できない人間だと思っていた。
羅璃は、そんな彼らの反応を見て、ニヤリと笑った。
「甘い! 甘すぎる! しょーへーはね、アンタたちが知らないだけで、絵が描けるんだよ! しかも、超上手いんだから!」
羅璃の言葉に、サークルメンバーたちの顔から、驚愕の表情が広がった。
「…え?」
「…絵…?」
「マジで!?」
山本中会長も、中村山くんも、寺社杜さんも、完全に意表を突かれたらしい。
彼らは、俺が絵を描けるなんて、考えもしなかっただろう。
羅璃は、俺の過去を知っている。
智絵から聞いた話や、俺が自分で話したこと。
そして、ハルカさんと会ったこと。
その全てを知った上で、今、この場で、俺の隠していた…
いや、逃げていた才能を、白日の下に晒したのだ。
「そうだよ! 高校で絵を始めて、将来は漫画家かアニメーターになろうかなーとか思ってたんだから! ね! しょーへー!」
羅璃は俺に同意を求めるように見てくる。
ダルい。
顔を背けたい。でも…
(…絵…俺が、絵を…)
ハルカさんと話したことが、頭の中で蘇る。
絵を描くことの楽しさ。
そして、そこから逃げ出した理由。
山本中会長が、羅璃と俺を交互に見て、真剣な顔になった。
彼の瞳には、サークルの本来の目的である「コンテンツ制作」への、諦めきれない光が宿っている。
「…潟梨…お前…本当に絵が描けるのか?」
山本中会長が、俺に尋ねた。
その声には、期待のような響きが混じっている。
プログラムの中村山くん、グラフィック担当の寺社杜さん。
企画の山本中会長。そして、絵が描ける俺。
「…少しだけ、な」
俺は、素直に答えた。
認めるのは、勇気がいることだった。
逃げてきた過去と、再び向き合うことになる。
室内にあった期限切れの校内イベントのチラシの裏に、シャーペンだけで簡単な絵を描いた。
高校のあの事件以降止めてしまっていたが、意外とちゃんと描けた。
そのチラシ裏の絵を見て、サークルメンバーたちの間に、ざわめきが広がった。
そして…山本中会長が、ゆっくりと立ち上がった。
「…なら…ゲーム…作ってみないか?」
その言葉に、部室の空気が変わった。
皆の顔に、惰性とは違う、新しい光が宿ったように見えた。
羅璃は、そんな彼らの様子を見て、ニッと笑った。
羅璃の身体に残った微かな模様は、まだ消えていない。
それは、俺がまだ向き合わなければならない、人間関係における「関わりへの恐れ」や、「生産性への苦手意識」、そして「自分の才能を活かすことへの躊躇」といった煩悩だろう。
このサークルという場所で、俺の「無気力」と「生産性のなさ」という、最大の煩悩の一つに、真正面から向き合うことになる。
そして、それは、かつて諦めた「絵を描く」という道と、再び繋がるかもしれない。
ダルい。
本当にダルい展開だ。
でも、羅璃が俺をこの場所に連れてきて、俺の過去を明らかにし、サークルメンバーたちを巻き込んだことで、このサークルは、そして俺の大学生活は、惰性で過ごしていただけの時間から、「ラリった世界」へと変貌しようとしていた。
中心に居るのは、この赤鬼ギャルの羅璃だ。
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