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第十一話:イラストレーター・イラストーカー

 羅璃(ラリ)の「会いに行こ! その女の子に!」という言葉に、俺は動揺した。


 あの時の彼女に? 怖い。


 でも、羅璃(ラリ)の瞳は真っ直ぐで、俺の迷いを許さない光を宿していた。

 智絵も、羅璃(ラリ)の言葉にハッとした後、俺を見上げて、真剣な顔で頷いている。


 二人の視線に押され、俺は、重い口を開いた。



「…どうやって…」



 彼女の名前すら、すぐに思い出せなかった。

 卒業して以来、一度も連絡を取っていない。連絡先も知らない。



「名前わかんないの? じゃあ、卒業アルバム見ようぜ!」


 羅璃(ラリ)は即断即決だ。

 すぐに俺の部屋の本棚を探し、埃を被った高校の卒業アルバムを見つけ出した。

 ページをめくりながら、羅璃(ラリ)と智絵は興味津々で当時のクラス写真を見ている。

「うっわ、しょーへー超若い!」

「制服ダサっ!」

「この子可愛いね!」

 などと騒いでいる。


 俺は、彼女が写っているページを探した。

 クラス写真。隣の席。地味で、大人しくて、いつも絵を描いていた女の子。


「…いた」


 指差した先に写っていたのは、あの頃の彼女。

 名前を確認する。金山遥かなやまはるか


「金山遥、ね! よーし! 検索検索!」


 羅璃(ラリ)は勝手に俺のスマホを取り出して、すぐに「金山遥」で検索を始めた。

 しかし、すぐに羅璃(ラリ)の顔にイラつきが浮かぶ。


「うっわー、同姓同名多すぎ! これじゃわかんないじゃん! ストレス溜まるんですけど!」


 はスマホを放り出しそうになっている。

 智絵が、そんな羅璃(ラリ)を見て、ぽつりと提案した。


「あの…お兄ちゃんの部屋に、その人の絵とか…残ってないの?」


 絵。


 そうだ。

 初期の頃、彼女が手本として描いてくれたイラストが、スケッチブックの中にあったはずだ。



 俺は、部屋の隅に置かれた埃まみれのスケッチブックを取り出した。

 ページを開くと、懐かしい、あの頃の線が現れた。

 素朴だけど、温かみのある絵。彼女が、俺に見本として描いてくれたイラストだ。


「これ…彼女が描いたやつ」


 俺は、そのページを羅璃(ラリ)と智絵に見せた。

 智絵は「へー! なんか優しい絵だね!」と言った。



 智絵が、そのイラストをじっと見た後、閃いたように言った。


「これ…スキャンして、ネットで画像検索とかできないかな?

  もしかしたら、似たような絵をネットで公開してる人がいるかもしれないし…

 絵の雰囲気とか、特徴とかで、見つかるかも!」


 智絵の提案に、俺は驚いた。

 そんな方法があるのか。

 羅璃(ラリ)も「え! なにそれ、ハイテク! やってみよー!」と興味を示した。


 スマホのアプリから写真からスキャンするやつを選び、スキャンした後画像検索をかける。

 数分後…智絵が「あ…!」と声を上げた。


「見て! これ、似てる! この人の絵!」


 智絵が見せたスマホの画面には、絵本らしき表紙の画像と

 ハルカ(Haruka)という名前が表示されていた。

 絵のタッチが、あの頃の彼女の絵に、確かに似ている。


「絵本作家…ハルカ…?」


 羅璃(ラリ)は食いつくようにスマホの画面を見た。



「うっっっっっっわ! 絵本作家だって!

  すごいじゃんしょーへー!

  アンタに絵教えてた子、プロになってる!」



 羅璃(ラリ)は興奮している。

 そして、そのハルカさんのX(旧Twitter)アカウントを見つけ出した。

 プロフィールには、顔写真は載っていないが、活動拠点や連絡先らしきものが記載されている。



「ヤバい! ここに連絡先ある! DMしてみよ!」



 羅璃(ラリ)は勢いで、ハルカさんのアカウントにメッセージを送ってしまった。

「 高校の同級生の潟梨翔平です!連絡を取りたいんですけど!」


 という、あまりにもストレートすぎるメッセージだ。

 俺は慌てたが、羅璃(ラリ)はもう送信ボタンを押していた。


 正直、返事が来るとは思わなかった。


 しかし、翌日の午前中、ハルカさんから返信が来たのだ。

 驚いている様子だったが、メッセージのやり取りを重ねるうちに、

 羅璃(ラリ)が俺の無気力な現状や、過去の絵の挫折について

羅璃(ラリ)風にかなり誇張して)伝えたところ

 会ってみてもいい、ということになった。


 しかも、驚いたことに、ハルカさんは横須賀からそう遠くない鎌倉に住んでいるらしい。


 そして、その日の午後、俺は羅璃(ラリ)と一緒に、ハルカさんと会うことになった。

 指定されたのは、鎌倉の少しだけ観光地から離れた静かなカフェだった。


 約束の時間になり、カフェの扉を開けると、窓際の席に座っている女性が見えた。

 ショートカットの髪、落ち着いた服装。

 そして、その顔立ち。五年以上の歳月を経ていたが、間違いなく、あの頃の彼女だった。

 金山遥…ハルカさん。


「…あの…金山さん…?」


 俺が声をかけると、ハルカさんはゆっくりと顔を上げた。

 俺の顔を見て、少しだけ驚いたような、でも穏やかな表情を浮かべた。


「…潟梨(かたなし)君…? そして…羅璃(ラリ)さんですね」


 ハルカさんは羅璃(ラリ)の姿にも、驚きはしたが、電車や街の人々のように露骨に動揺する様子はなかった。

 絵本作家という仕事柄か、少し不思議なものにも慣れているのかもしれない。


 席に着き、簡単な挨拶を済ませた後、羅璃(ラリ)が単刀直入に話し始めた。

「ねーねー、ハルカさん! しょーへーってば、あの時のこと、超引きずってて、絵描くの辞めちゃったんですよー!」


 羅璃(ラリ)のデリカシーのない言葉に、俺は冷や汗をかいた。

 しかし、ハルカさんは、羅璃(ラリ)の言葉を静かに聞いていた。


 そして、俺は、意を決して、あの頃からずっと胸の中にあった言葉を口にした。


「…あの時は…本当に、ごめん」


 ハルカさんの目をまっすぐ見て、言った。



「俺が…お前のことを…傷つけてしまったって…ずっと後悔してたんだ…」



 俺の言葉を聞いて、ハルカさんは微かに微笑んだ。


「…潟梨君…そんな風に思ってたんだ」


 ハルカさんは、ゆっくりと話し始めた。


「あの時、泣いてしまったのは…潟梨君の絵が、あまりにも早く上手くなって、追いつけなくて…自分の努力の仕方が、間違っていたんじゃないかって…初めて気づかされて、それが悔しくて、情けなくて…」


 彼女は、自分の感情を、正直に語ってくれた。

 それは、俺が想像していた以上に、彼女自身の中での葛藤だった。


「それに…私…潟梨君のことが…好きだったから」


 ハルカさんの言葉に、俺はハッとした。

 薄々、そうかもしれないと思ったこともあった。


 でも、認めたくなかった。

 気づかないふりをしていた。

 穏やかな時間を守りたかったのかもしれない。


 そしてそれが、彼女を傷つけた原因の一つだったのかもしれない。


「だから…潟梨君が、私より絵が上手くなるのが…怖かったの」


 ハルカさんは、少し寂しそうに続けた。


「私が、絵を教えてあげることで、潟梨君との間に繋がりができたと思っていたから…

 もし、技術で追い抜かれたら、その繋がりがなくなってしまうんじゃないかって…

 私が、潟梨君にとって、絵を教えてくれる『優位な存在』でなくなったら…

 もう、私が要らない存在に…私を見てもらえなくなるんじゃないかって…」


 彼女は、自分の絵の技術を、俺との間の「絆」だと思い込んでいたのだ。

 そして、その優位性が崩れることを、自分の存在そのものを否定されるかのように恐れた。


 それは…羅璃(ラリ)が言っていた「慢」(傲慢や劣等感)や、「見」(誤ったものの見方)といった煩悩に繋がるのかもしれない。


「だから…私、怖くなって…あんなひどいことを言ってしまったの…

 本当は、潟梨君を追い詰めるつもりなんて、なかったんだ…ごめんなさい」


 ハルカさんは、俺に頭を下げた。

 驚いたのは、俺の方だった。謝られるようなことをした覚えはない。

 傷つけたのは、俺の方だと思っていたから。


「…でも…あの時は…あの後すぐには謝る勇気がなかったの。

 自分の気持ちを整理することも、ちゃんと伝えることも、できなかった」


 ハルカさんは、数年の歳月を経て、あの時のことを、全て正直に話してくれた。


「でも…もしかしたら、いつか…こうやって、あの時のことを話せる日が来るかもしれないって…思って…また、絵を描き始めたの」



 ハルカさんの言葉に、俺は目を見開いた。



「今度は…技術じゃなくて…絵で、何を伝えたいのか…

 それを考えるようにしたの。

 そうしたら…また、絵を描くのが楽しくなって…それで…絵本作家に、なったの」



 ハルカさんは、穏やかな笑顔で、自分のこれまでの道のりを語ってくれた。

 彼女もまた、あの時の挫折を乗り越えて、自分の「煩悩」と向き合い、絵を描くことを続けていたのだ。


 ハルカさんの話を聞きながら、俺の心の中で、何かが溶けていくのを感じた。


 あの時の出来事は、俺が一方的に彼女を傷つけ、彼女に絵を描くことを辞めさせてしまったのだと思っていた。

 だから、絵を描くことが、誰かを傷つける行為のように思えて、怖くなった。



 でも、違った。

 あれは、俺とハルカさんの間に生まれた、お互いの誤解やすれ違い、そして、それぞれの心の中にあった「煩悩」が引き起こしたことだったんだ。


 ハルカさんの、嫉妬、不安、そして、自分の価値を他者との比較でしか測れない「見」。

 そして、俺の、他者を深く理解しようとしない「無知」、そして、他者を傷つけることへの「恐れ」と、それから逃げた「現実逃避」。


「…誤解が生む…煩悩…」


 俺は、ハルカさんの言葉を反芻した。

 猜疑、嫉妬…そういう、心の中の暗い感情が、人と人の繋がりを歪ませ、自分自身を縛りつけてしまう鎖になる。


 俺は、あの時、ハルカさんの真意を理解しようとせず、勝手に「自分が彼女を傷つけた」と決めつけ、絵を描くこと、そして他人と深く関わることから逃げ出した。


 それが、俺自身を無気力という名の鎖で縛りつけた原因の一つだったんだ。



 羅璃(ラリ)は、静かに俺たちの話を聞いていた。



 そして、俺がハルカさんの話を聞き終え、過去の出来事に対する誤解が解け、心の鎖が解け始めた、その瞬間だった。



 羅璃(ラリ)が、またしても「きゃあああああああああああ!!!」

 と、カフェの中に響き渡る大声で叫んだ。


「えっ!?」


 俺とハルカさんは、羅璃(ラリ)の突然の絶叫に驚いて羅璃(ラリ)を見た。

 羅璃(ラリ)は、自分の身体を見て、信じられないといった表情で固まっている。


「うっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっわアアアアアアアアアアアア!!!!!!!ラリってボンノー!!!!!!!!」


 羅璃(ラリ)の赤い肌に刻まれた禍々しい模様が…今度は、羅璃(ラリ)の身体から、一気に消え失せていた。

 まるで、羅璃(ラリ)の特に顔を中心にを覆っていた呪縛が、一気に解き放たれたようだ。

 ごまかし:こめかみ

 ねたみ:目の周囲

 有身見(事故執着):首筋

 (無知):腹

 …赤い肌は、慣れた今となっては美しくさえ見える。

 前進を這いずり絡みつくような禍々しい文様は、かなり減ったといえる。


 カフェにいた他の客が、羅璃(ラリ)の絶叫と、その身体の変化に驚愕して固まっている。

 ハルカさんも、羅璃(ラリ)の劇的な変化に目を見開いて、言葉を失っている。


(…消えた…!)


 俺は、羅璃(ラリ)の身体の変化に、呆然とした。


 こんなに一気に…!


 羅璃(ラリ)の身体の模様は、羅璃(ラリ)が言う「煩悩」の具現化。

 そして、今、これほどまでに模様が消えたのは…



 羅璃(ラリ)が俺を見た。その瞳は、驚きと、そして、達成感に満ちていた。


「…翔平…」


 羅璃(ラリ)が、掠れた声で俺の名前を呼んだ。

 その声は、いつもの騒がしさがなく、どこか神聖な響きすらあった。


「しょーへーが…過去のトラウマと、他人を傷つけることへの恐れ、そして、その根っこにあった誤解が生んだ『猜疑』や『嫉妬』、そして『現実逃避』っていう、深くて、根強い煩悩に…真正面から向き合って…そして、受け止めたからだ…!」


 羅璃(ラリ)は、自分の綺麗になった肌を、ゆっくりと撫でた。


「それが…私の身体を縛っていた、たくさんの呪印を…一気に消し去ったんだ…!」


 羅璃(ラリ)の言葉を聞きながら、俺はハルカさんを見た。

 ハルカさんは、羅璃(ラリ)と俺を交互に見て、まだ状況が掴めていないようだったが、羅璃(ラリ)の言葉から、俺の「煩悩」が羅璃(ラリ)の身体の変化に関係していることだけは理解したらしい。


 過去のトラウマ。


 他人を傷つけることへの恐れ。



 これら、俺の心の中に深く根を張っていた負の感情や、そこから生まれた行動が、羅璃(ラリ)の身体を縛る鎖だった。


 そして、今日、ハルカさんと話し、真実を知り、自分の誤解や、彼女の気持ちを受け止めたことで、その鎖が、一気に解き放たれたのだ。


「向き合うこと…」


 羅璃(ラリ)が言っていた言葉を思い出す。

 辛くても、逃げずに、ちゃんと向き合うこと。

 あの時の痛みから目を逸らさず、ハルカさんの言葉に耳を傾けたからこそ、俺は、自分の心の中にある鎖の正体を知ることができた。


「…誤解も…煩悩なんだな…」


 猜疑や嫉妬といった、心の中のわだかまりや、他人に対する歪んだ見方も、羅璃(ラリ)の言う煩悩の一部。そして、それは、他人を傷つけるだけでなく、自分自身をも縛りつけてしまう。


 羅璃(ラリ)の身体は、かなりの部分で人間のものだ。

 初めてアパートであった時の邪悪な雰囲気はかなりなくなっている。



 羅璃(ラリ)が「自由」になる時は、もうすぐそこまで来ている。

 そして、その時…羅璃(ラリ)は一体どうなってしまうのか?

 俺が煩悩を吐き出して彼女を呪いの様に縛っている…このままでは

 消えてしまう…と。

 では、全ての煩悩が昇華されたら…やはり彼女は消えてしまうのではないか?


 羅璃(ラリ)の嬉しそうな顔を見ていると、その考えが頭をよぎり、胸の奥が締め付けられるような気がした。


 羅璃(ラリ)は、俺の心配をよそに、「やったー! 私、もっと綺麗になるぞー!」

 と喜んでいる。ハルカさんは、静かに羅璃(ラリ)の身体の変化を見つめている。


 俺の無気力な日常は、羅璃(ラリ)という存在によって、そして、過去のトラウマと向き合うことによって、完全に「ラリった世界」へと変貌した。



 そして、その世界で、俺は、自分の心の鎖を、一つずつ解き放っていく。



 羅璃(ラリ)の身体の模様が全て消えるまで。

 俺が、本当に「生きる」ということを取り戻すまで。


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