089 - 反転アンチほど怖いものはない
──ドル伯爵家。
王国に根ざす数多の貴族NPCのなかでも、その性根はチープな言い方をするなら「悪徳貴族」である。
聞いて思い浮かべるような悪いこと──たとえば商売敵の買収や暗殺、資料の捏造でっちあげ、汚いことはだいたいやっている。
王国騎士団に圧をかけたのもそうだ。グレゴール薬師商会の持つノックスリリィの量産技術は垂涎の的であり、騎士団が夜の魔法を危険視していたのは都合がよかった。少し背中を押すだけで、彼らの暴走は止まらなくなった。
ただ、そうしてはじめた接収作戦が失敗に終わったことだけが、彼らにとっての誤算だ。
「ああ、まったく忌々しい……!」
現在の当主、ブルブ・ドル。
歳は五十、ハゲ頭によく肥えた腹。これまた悪徳貴族らしいといえばらしいキャラクターデザインをしたその男は、きらびやかな自室にて不機嫌そうに煙を吹く。
国庫に莫大な税を納めていた薬師商会を追い出すことになってしまった騎士団は、上から大目玉を食らった。
そしてドル家もまた、騎士団を直接扇動したという証拠こそ残ってはいないものの、国から目をつけられることになってしまった。
取り返さなければ。
王からの信頼も、あの薬草園も。
だからブルブは "プレイヤー” を集めた。
招集条件に合致したものは計三名。自室に呼びつけたその三人を、ブルブはぎろりと睨むようにして言う。
「揃ったな、夜の魔法使いたちよ!」
──夜の魔法使い。
そう呼ばれた三名は、いずれも異形であった。
ひとりはコウモリのような翼を生やした黒ずくめ、ひとりは髪束が無数の蛇へと変わったメデューサ男。
そしてもうひとりは、宙に浮かんだ水の上に身体を滑らせる人魚。
彼らはいずれも夜の魔法を手に入れたプレイヤーたち。
それもトビのようなイレギュラーな方法ではなく、イリーガルクエストの受注によって犯罪功績を稼ぎ、正規の方法で月詠み関連のイベントをクリアした──正しく「夜の眷属」と呼んで差し支えない存在だ。
そんな彼らとドル家がなぜ繋がっているかといえば、それはドル家が夜の魔法使いをまったく恨んでいないからである。
世界が夜に包まれる──たいへん結構だ。
混沌の中にあればあるほど、汚れ仕事というのは捗りやすい。そんな思想だから、彼らの間にコネクションが発生するのは当然のことだった。
「いいか、竜が目覚めたという知らせがあった! それもやつらの逃げた先──バルマリン近海の孤島へと向かっている!」
「なるほど、そこに便乗しろと?」
人魚の相槌に、ブルブは頷く。
「竜種は文明を嫌う。必ずやトビを追跡するだろう。貴様らもそれを追い、やつらに鉄槌を下してこい!」
「はいはーい、了解です」
白髪の人魚。
へらへら笑いの軽薄そうなその女は、しかし腕だけは信頼できる。
ブルブの内心は、苛立ちと期待の入り混じった、なんとも複雑な感情だった。だが──
「竜避けの護符も貰ったし、これ以上の準備もいらないでしょう。それじゃあ皆さん、さっそく行きます?」
「いや、少し待たれよ人魚姫。なぜ貴様がリーダーのような顔をしている?」
「そ、そうだ……俺たちに序列なんてないはずだろ……」
──いきなり不穏な言い合いをはじめるPKたち。
このあたりから、ブルブの期待はうっすらと陰りはじめる。
「どう考えても司令塔は私であろう! 忌み花のトビ、彼の相手はこの魔王ムルシエラゴにこそふさわしい!」
魔王ロールプレイを堪能するつもりが、その呼び名を取られてしまったことでトビをライバル視している──そんな重度のなりきりプレイヤー、ムルシエラゴ。
近い未来、単身トビに挑んだ彼がまっさきに首を刎ねられ脱落することを、このときはまだ誰も知らない。
「ふ、ふざけんなよ……俺だってそのために来たんだ……トビも、ウリも、あの爛れたクランは俺が潰す……!」
ぼそぼそ喋る蛇髪の男。
挙動不審に伏せられる本人の目とは反対に、頭から生える無数の蛇が周囲を警戒している。
彼は "ガチ恋勢" である。日ノ宮ウリに傾倒し、勝手に失望し、ウリやトビらに憎悪を向ける──いわゆる反転アンチ。
ただ恨みを暴力としてぶつける、そのためだけにここにいる。
「……はあ。じゃあもう各々好きにやればいいんじゃない? RP狂いとガチ恋にオーダー任せんの不安だわあ」
呆れたような人魚の一声に、男ふたりはぎょろりと睨みを向ける──が、その言葉に異を唱えることは誰もしなかった。
彼らのあからさまな険悪っぷりは、耐えかねたブルブ・ドルが「いい加減にしろ」と怒鳴りつけるまで続いた。
*****
メニーナの用意してくれた足のおかげで砂浜に到着。
幸いなことに、ドラゴンはまだ到着していない。
このわずかな時間でも、できることをする。
「トビくん、なにするの?」
「城壁を作る」
俺の言葉に、ウーリは「ああ」と納得した表情を浮かべ、メニーナは首を傾げる。
まあ説明するよりやるほうが早い──と、俺は波打ち際に足を沈め、塩水の中に手をつける。
「さあ、やるぞメンデル。育て、そして吸い上げろ」
──途端、メンデルは膨れ上がった。
俺の腕から砂浜の中へと根を張り、そのままエネルギーをたっぷり使い込んで成長を促す。
できるだけ高く、壁のようにせり上がっていく茨のカーテン。それは横方向へ、島の外周を包み込むように侵蝕を広げていく。
「す、すごい……メンデルちゃん……!」
「さすがにドラゴン相手に通用する気はしないけどな……それ以外のモブには有効だろ」
港のほうでは水晶ゾンビのようなやつらが上陸してきているらしいし、そうしたモブモンスターの侵攻フェーズが今後もないとは限らない。そいつらを阻めるだけで上出来だ。
「トビくん、スタミナ大丈夫なの?」
「海水からある程度は補給できるようになった。あとは岩塩と肉と飴!」
インベントリからありったけの食料を解放し、メンデルの足しにする。これでもギリギリ赤字ラインだが、ぶっ倒れるほどじゃない。
ウーリが声を上げたのはそのときだ。
「……あっ! トビくん、高温感知!」
「来るか?」
「うん、来る! っていうか、これはさっそく──全員退避っ!」
ウーリの合図に、俺はメニーナを引っ掴んでそのまま転がる。転がるように身を伏せる。
そしてその直後──
──俺たちの頭上を、青白い光線が貫いた。
「うおっ……!?」
「きゃっ!?」
絞るような甲高い発射音を立てて放たれたビームは、メンデルの城壁をいとも簡単に貫いた。
光線に触れた部分は、途端にきらきらとした水晶と化し──そしてその瞬間、水晶の壁を「ぱりんっ!」と突き破って竜は現れる。
『試練型ボス〈水晶竜クアルアーラ〉が確認されました』
「……出たな、イベントボス」
「うわあ、きらきら」
「き、綺麗……」
大きく翼を広げる深青色の飛竜に、雨のように降り注ぐ水晶のかけら。女子ふたりは感嘆のため息を吐く。
「言ってる場合じゃないぞ。メニーナさん、お願いします」
「そ、そうでした……! 皆さん、行きましょう!」
俺たちは一斉にアスタークに飛び乗り、そのまま騎獣は駆け出した。
砂を蹴ってあっという間に距離を離した俺たちを──竜の目がぎょろりと睨み、やつは翼をはためかせる。
「ヘイトは取れてるっぽいな」
「うはは! かっこいいな〜ドラゴン! まあ念のため、もう一撃入れておこうか」
変なところでタゲ外れても嫌だし──とウーリは弓を構えた。
つがえた矢が轟と音を立てて後ろに放たれ、クアルアーラの側頭部を小さくかすめる。まばらに生えた水晶が砕かれ、竜は気分を損ねたように咆哮する。
「ちっ、躱された……けど、第一形態は思ったより硬くないね」
「そうだな。ちなみに何形態あると思う?」
「ムーンビーストが三フェイズ構成だったから、そのくらいだろうね」
同感だ、と俺は頷く。
そのくらいのレベル感のボスだと思う。
逃げる俺たちを執拗に追跡してくるクアルアーラ。ここまでは狙い通りだ。
そのうちやつは青白い魔力を漂わせ、周囲に無数の結晶弾を生み出す。タカツキの報告にあった飛び道具だろう。ならば俺も──
「撃て、メンデル」
──塩結晶の弾丸掃射。
腕に咲かせた花から連射される結晶弾が、クアルアーラの放つ結晶弾を相殺する。さっき海から塩を吸い上げたおかげで、使える弾丸は潤沢だ。
「いいねえトビくん! 調子いい! それってどう対策したらいいんだ……?」
「おい、今考えるな」
俺じゃなくてボスの対策をしてくれ。
「まあまあ、わかってるって。都市計画予定地からは十分に離れた。そろそろやろう」
「オーケー。気付いたことは?」
「下降時は攻撃あり、上昇時は攻撃なし。休みがほしいときは高度を上げて上昇動作を釣って」
「なるほど、了解」
誘導は上手くいった、あとは正面から倒すのみ。
メニーナに合図をすれば、アスタークが巨大な砂の竜巻を生み出す。俺はグライダーを構え──竜巻に乗るようにして、大きく飛んだ。
「お、おお……本当に浮いた!」
ごう──とつむじ風に巻き込まれ、途端に吹き上げられる身体。
大きく高度を増し、追ってくるクアルアーラを俺は見下ろした。
現状、ヘイトを取っているのはウーリ。隙は十分。こちらに目を向けない飛竜へと降下するように──
「エンチャント・ノクス」
──俺は殺人彗星を振り下ろす。




