073 - 頂点捕食者は赤ちゃんがほしい
帰宅したその足で、俺はハードを起動する。
その日は、俺たちが宝島〈ヴェルデブール〉にやってきてはじめてのログインだった。
午前中は予想通りの爆睡、午後は眠たい目で講義をこなし、時刻はもう夕方である。他のメンバーはとっくにログインしている頃だろう。
ログインした途端、俺の視界に飛び込んでくるのはいつものクランハウス──
──ではなく、ただ白いだけの空間だった。
「……知ってるぞ、ここ」
何もない場所だ。
自分の足元さえ不確かな、影も映らない白い地面。
立ち上がろうとすれば、それもできない。背後から、柔らかく温かいものに抱きつかれている。
前と同じであれば、これは──そう考えたとき、俺の視界は「ぐるんっ」と回転した。
組み敷かれる。
気付けば周囲には無数のツルが侵蝕している。灰のツルと葉、黒い花、黄金色の脈。その中央で俺を押し倒すのは、人形のような顔をした大きな女だった。
「め、メンデル……どうした……?」
俺を見下ろすメンデルは、どこかむすっとした表情だ。しばらくの静寂ののち、無数のツルをしゅるしゅると俺の身体に這わせながら、彼女は不機嫌そうに口を開く。
『しょっぱい』
……しょっぱい?
何の話だ、塩? いや、さては海か?
よく考えれば……例の海賊退治では、メンデルに相当な無理をさせた。まさかそれで機嫌を損ねているのか。
「ご、ごめん……」
『…………』
「……どうしたら許してくれる?」
メンデルはじいと目を細めた。
顔と顔が近づいて、メンデルはぽそりと口を開く。
『赤ちゃんほしい』
……はい?
目を瞬かせると同時、システムメッセージが飛び込んだ。
『NPCから生殖機能利用の申請があります』
『ユーザーはあらゆる場合において、AI側からの性的アクションを拒否することができます』
『これによってAIの好感度が低下する・ゲームに不利な結果が生じることはありません』
『アクションを拒否しますか?』
「…………」
とんでもない申請が来た。
なんだこれは。テイムモンスターってこんなことできるのか? と思ったが、よく考えれば〈プレデター・グリーン〉とは本来そういうボスであったことを俺は思い出す。
俺たちは視線を交わす。
メンデルの吐息は、相変わらず薔薇のように甘ったるい芳香だ。
『アクションを拒否しますか?』
しつこく表示されるシステムメッセージを──俺は「No」とタップして跳ね除けた。
「おいで、メンデル」
『うん』
……爛れているのは今更だろう。
どこか艶めかしく這う無数のツルに呑まれ──メンデルの柔らかな身体が、覆い被さる。
*****
俺が本来のログイン地点、クランハウスに帰ってこれたのは、それからどれだけ経った頃だろう。一時間、いや二時間くらいか? 時間の感覚がない。
目を開ければ、ウーリとメニーナがこちらを覗き込んでいた。
「おお、トビくん起きた」
「よ、よかったぁ……目が覚めなかったらどうしようかと思っていたんですよ……」
「……おはよう。なんの話?」
よく分からないが、ふたりは安堵している様子だった。まさか、俺の意識があの白い空間に飛ばされている間、アバターはずっとここにログインしていた──ということなのだろうか。
「すごいよ、さっきまでツルだらけだったんだから。クランハウスも薬草園も」
「ええ……?」
「あ、あと数分反応がなかったら、運営さんに問い合わせしようってお話してて……」
……なんだそれは。
メンデル、お前なにをやったんだ?
そんなとき、部屋の入口からフルルがひょこっと顔を覗かせた。ログインしていたのか、テスト前のくせに。
「あ、トビくん起きました? あのう、外の子たちって放っておいてイイんですかね?」
本当にメンデルは何をしたの……!?
俺たちは塔を駆け降りた。
知らない間に色々あったというのは本当らしく、階段にはメンデルの灰色の葉がいくつかちぎれ落ちている。
そして一階の玄関口を抜ければ薬草園。
そこに広がっているのは、植えられていた薬草たちが足を生やして土から這い出し、ぴょこぴょこと小躍りしている光景だった。
「……なにこれ?」
「だから聞いたじゃないですか、放っといてイイんですかって」
手のひらサイズで駆け回っている小型もいれば、わさわさとした巨大な頭をもたげている低木っぽい大型もいる。
どれも見覚えのある品種で、植えられていた薬草がどういうわけか自立した──というのは間違いないらしい。
いつか湿地帯で採取した、綺麗な青い花の薬草がこちらを窺うようにぱたぱたとやってきて、俺を見上げては満足したように仲間の元へと帰っていった。
……メンデルが何かしたことはたしかだ。というか、あいつが「生殖機能利用」とやらを実行したことはシステムログからして間違いないのだ。つまり……
「俺とメンデルの赤ちゃんってこと……?」
「トビくん、何言ってんの?」
「いや、それが……」
ウーリたちに、一連の流れを説明する。
俺がメンデルを受け入れたことには誰も何も言わず、彼女たちは驚くほどすんなり状況を飲み込んだ。
「つまり……トビくんとメンデルの赤ちゃんってこと!?」
そう言ってるだろ。
「まあ、元からそういう能力は備わってたからな……俺が使ってこなかっただけで」
「つ、使わなかったというのは、どうして……?」
「敵を寄生させても、言うことを聞いてくれないんだよ」
子供を植え付けても、メンデルからは独立した敵キャラクターとして出てくる上、スタミナ消費がとんでもなく大きい。今まではまともに使えなかった能力だ。
だが、なぜ今になって子供たちの制御ができるようになったのか。
「進化じゃない?」
とウーリが言う。
「進化?」
「テイムモンスターって、プレイヤーの経験値を使って勝手に進化するんだってさ。オオカミとかコウモリとか、報告あったと思うよ」
経験値を蓄積か。
たしかにムーンビーストから各地のボスラッシュ、クックノールに騎士団戦──ここ最近は随分と濃密だったな。ウーリが「スキルメニューから確認できるらしいよ」と調べてくれたので、言う通りにする。
『テイムモンスター:エーペックス・プレデター・グリーン』
「し、しっかり進化してる……」
それもすごい名前になっている。頂点捕食者って。
経験値の方を確認すれば、クックノール戦と騎士団戦で大量獲得した経験値がごっそりと持っていかれていた。
騎士団と戦った価値、ありました。
……まぁしかし、進化の結果、それが薬草園の植物たちに影響を及ぼしたのは一体どういうことなのか──という俺の疑問にはフルルが答えた。
「え? だってトビくん、薬草植えるときにメンデルちゃん使って急成長させてたじゃないですか。立派な苗床でしょう」
「……たしかに」
お前は本当に賢いな。
寄ってきた背の高い薬草とフルルを一緒に撫でる。遠くではチビ薬草たちとノームが追いかけっこに興じていた。仲良くなったらしい。
「これは、使えるかもなぁ……」
「戦闘に?」
「いや、他の分野でも。医療とか」
「い、医療ですか?」
メニーナの疑問に頷いて答える。
「俺はたまに、メンデルに傷口を縫い合わせてもらったり、欠損した四肢を補ってもらったりするんだけどさ。NPC相手の治療に使えるかもなって」
「い、いいですね、それ……!」
現時点では、切り離したメンデルのツルはやがて動かなくなってしまうが……子供の産み付けと寄生を安全にこなせれば、これが他人にも使えるようになる。
特に「ツルが筋繊維のように振る舞う」という特性は、世界観に見合わぬクオリティの義体開発に繋がるだろう。
さて、異変の正体については確認できたので、これでよし。
現状、無人島生活は意外にも困ったことがない。
せいぜいクランハウスの水道周りがダメになっていることくらいか。それもメニーナの水魔法があるので、差し迫った危機ではない。
「ファストトラベル使えば、王都にだって買い物いけちゃいますもんねえ」
フルルは呆れたように言う。
そう、俺たちクランは王都から逃れたとはいえ、プレイヤー単位では出入り自由だ。
こうなると、王都から追い出されたことによる不自由はほとんどない。むしろ俺たちのノックスリリィ売り上げから税金を取れない王国のほうが困るんじゃないかという気がしてくる。
あの事業、たしかクラン収益一位とかだったはずなので、実は相当な財源だぞ。
……なんて考えていたそのとき、俺の身体は転倒した。
「あっ」
「えっ?」
突然の昏倒に驚く女子たち見下ろされながら、俺の身体は玄関前に転がる。
うん、これには心当たりがある。
スタミナ切れだ。
「スタミナ問題は解決したと思ったが……まあ、補給なしでこの数は持たないよな」
「さすがに疲れちゃうかあ、子作りは」
うん、そうなんだけどさ。
言葉選びがよくないよ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「はい、スタミナポーション飲みましょうねえ」
フルルにポーションを飲ませてもらいながら、ゲージを回復させる。なんとも情けない。
今回の成長は、たしかに便利な手札になりうるが──スタミナ問題の解決手段がもうひとつ欲しいところだな。
「トビくん、シザーがログインしてきたら探索いこうよ」
「いいよ、何するの?」
「宝探し!」
ああ、そうだった。
そういえば、この島はただの無人島ではない、海賊たちの隠した宝島なのだった。
俺たちは宝島の探検に出掛ける。




