072 - 新天地ヴェルデブール/エピローグ
脚を生やした薬草園は、西へと歩き続ける。
誰が誘導してくれたのか、住民の避難はとっくに済んでいるようだった。無人の大通りを突き進み、西門へ。
追跡者は残り少ない。
謎の黒装束が乱入してきたことで、多くの騎士が足止めされ、脱落していった。
しかしそれは逆に、残る追跡者たちが屈指の腕利きであることを意味する。
薬草園の脚に張りつき、上空からナイフや魔法をばらまいていると……最前線で足止めを担当していたシザーから連絡が入る。
『トビくん、申し訳ありません。ふたり抜けました』
「了解」
直後、おそらく風属性の魔法を用いて空中を駆け上がってくる人影をふたつ確認。
片方は見た顔だ。
赤錆のまとわりついた全身鎧。バチバチと雷を唸らせる剣を構え、凄まじいスピードで突っ込んでくる。
「たしか第三団長とか呼ばれてましたっけ」
「覚えてもらって光栄だ!」
ツルを収縮──空中でぐんと軌道を変えて、雷の剣閃を躱す。
鎧の横腹は俺が破壊したまま、直っていない。多節棍をしならせ剥き出しの脇腹へと打ち込むも、剣を握った右腕にガードされる。
さて、厄介な相手ではあるが──
「ここまでくれば、もう温存する必要もないな。メンデル、派手にやろうか」
──残るはたった数名。
対してこちらはフルメンバー生存。最悪、俺がスタミナ切れで脱落しても問題なさそうな戦況である。
こうなれば、俺は十分に有り余ったスタミナを、彼らの排除に全力でつぎ込んでいい。
俺の右腕から、ぶわりと大量のツルが這い出た。
「なっ……!?」
「捕まえろ」
格子状に展開される、メンデルのツル網。
それは空中に浮き上がった騎士団長ともうひとりを容易に囲い込む。一部が剣で切断されようとも、第二陣、第三陣と次々に、包囲網は波状に襲い来る。
「この、やめ……ッ! う、うおおおっ!?」
あっという間に、ツルでぐるぐる巻きにされた騎士団長が完成だ。
「死なないギリギリまで吸い上げてやれ。さて、その間に……」
……もうひとり。
ちゃっかりツルの包囲からも脱している、とんでもない腕利きがいる。
『トビくん、後ろ!』
「はいはい」
ウーリの合図と同時、背後から「しんッ」と静かに放たれる抜刀術を、俺は殺人彗星で受け止める。
遅れて振り向けば、そこには静かな表情で納刀を終えたおかっぱ頭の青年。
青年は空中をたんと蹴って薬草園の脚まで飛び退くと、その岩肌に手をかけボルダリング選手のように片手でぶら下がった。
見覚えのある顔だ。
「久しぶり、カナエくん」
「お久しぶりです、トビさん。ぜひ手合わせ願います」
カナエくん、彼はイナバの門下生のひとり。
シザーの兄弟子でもあるので、何度か顔を合わせたことがある。
彼はヴォーパルバニーのメンバーというわけではなく、そもそもVRゲーム界隈の人間でもない。現実世界での剣技研鑽に励む、リアルスポーツマンである。ちなみに同い年。
「デイブレやってたんだね」
「半分は趣味、半分は付き合いです。ゲームの話を聞いてあげないと、お館様が拗ねるので」
一番弟子に何をさせているんだ、あのシスコンは。
「……大変だね。まぁいい、やろうか」
「よろしくお願いします」
エネルギーをギリギリまで徴収した騎士団長を地面に降ろし、俺とカナエは勝負に臨む。
俺たちは同時に岩肌を蹴り──接敵と同時、己の得物を振り抜いた。
抜き放たれた刀身と棍がぶつかり合い、反動に合わせて退くと同時に空中を跳び上がる。
──空中戦。
ぶつかり、離れ、再び衝突。幾度も火花を散らす。
「アンタらの流派、全員強い!」
「嬉しいです」
剣の鋭さだけじゃない。抜刀後の隙もなく、とにかく手堅いのだ。抜刀術という一芸だけに頼らず、攻守に優れ、きわめて実践的。
「ですがこちらのMPも尽きてきました。これ以上の空中戦は続けられませんので、勝っても負けても次の一太刀を最後にさせて頂きます」
「ありがたい。こっちもスタミナ限界だ」
互いに頷いて同意し──
俺たちは最後の勝負に跳び出す。
鞘と柄の隙間にきらりと瞬く刀身。
抜刀の瞬間は、相変わらず目にも止まらぬ瞬発力だ。棍を防御に構えながら、刃を展開させた月人の処刑を振り抜いた。
互いの隙に、同時に刺し合う刃。
「ぐっ……!」
棍で防御したはずが、わずかな隙間を縫って、その刀身は俺の右足を華麗に断つ。
すれ違いざま、腿から断ち切られた俺の片足がどこかへと飛んでいき──そして同時に、カナエの右腕も吹き飛んだ。
「さすが、トビさん……!」
肩口からばっさりと斬る。
これは俺は利き足を、カナエは利き腕を互いに失ったわけだが──
「これは俺の負けですね。お見事!」
──カナエの言葉と同時、残った片手で振るった多節棍の鞭撃が、その頭を撃ち抜いた。
カナエの身体が青い粒子となって消えていく。
良い勝負だった。
俺は撃ち込んだツルを収縮させ、薬草園の上へと跳び上がる。もう脱出が近い。
「お疲れ! 見て、西門開けてくれた」
「おお、本当だ。誰が?」
「さあ」
もう欠損に慣れすぎて、利き足を失っても心配さえしてくれない。ツルを使って切断面を縫い留め、ウーリから受け取ったポーションを飲み干しながら座り込む。
脱出ルートである西門を見れば、なぜか開け放たれていた。黒装束の増援や、住人の避難もそうだ。誰かが俺たちの逃亡をサポートしてくれているらしい。
「メニーナさんのご近所付き合いのおかげかな」
ウーリとそんなことを言っていると、脱出直前、遠くの建物の屋上が騒がしいことに気付く。
目を細めて何かと確かめれば、無数の住人たちがこちらへ手を振っていた。
「薬師商会! ウチの穀潰し共がすまなかった!」
「海賊退治までしてくれたんだってなぁ! 安心してくれ、アンタらの功績は俺たちが広める!」
「お花の飾り、大事にするねーっ!」
「守護者さま! 私たち、いつかあなたを追いかけて向かいますからーっ!」
「すげえなぁ、このゲーム……」
俺は彼らに答えるように手を振りながら、メニーナを呼んだ。塔の中からぱたぱたと急いでやってくる彼女もまた、隣に並んで住人たちに手を振り返す。
「み、皆さん! お元気でーっ!」
……スルーしちゃったけど「いつか向かいます」ってなんだ?
あいつら、移転先の宝島にまで押しかけて来る気じゃないだろうな。いやあ、まさかね。
やがてフルルとシザーも地上から上がってくると、俺たちはついに城門を抜けた。
王都を取り囲む背高い防壁を超えて、西に広がるのは一面の湿地帯。そのさらに向こうは大海へと続く。無骨な四つ足を生やした薬草園が、ゆっくりと地を踏みしめてマップを進んでいく。
ここまでくれば、もう追いかけてくるやつはひとりもいない。
「ウーリ、イベントは?」
「うん、しっかりクリア扱い。とんでもない経験値入ってる」
「マジか。なんかスキル取ろうかな」
「生産系取りなよ。いよいよトビくんがお望みのスローライフですよ」
そうだった。
これで、夜属性絡みのしがらみはすべてなくなったのだった。
宝島についたら何をしようか。
*
『──連続ログイン時間が6時間を超過しました。休息を強く推奨します』
その通知が飛び込んできたのは、逃亡成功からしばらく経った頃だった。
俺たち五人は互いに時間を決めて、交代制で休憩を取ることになる。この歩く薬草園の上で、誰もいない状態を作るのはさすがに怖い。
休憩ついでに食事、入浴なんかを終えて、そういうわけでド深夜の再ログイン。明日の講義が午後からでよかった、なんて考えながら目を開ければ──
──そこはすでに海の上だった。
「うわあ、海を歩いてる……」
寝室の窓から外を覗くと、水面の上を歩く薬草園。
塔の周りには、黒インクで描かれた〈ウィンディーネの遣い〉がふよふよと漂っている。〈絵画魔法〉で水面を固めて、その上をノームたちが操る薬草園が歩く……こうして見ると、精霊の力というのは無法だな。
ちなみにクランハウスのような休息エリアでログインしなおすと、四肢の欠損は回復するようだ。よかった、五体満足で宝島にいけて。
「あ、トビくん。休憩終わり?」
「お帰りになられましたか」
「お、お疲れ様です……からだ治ったんですね、よかった」
しばらくすれば、寝室にやってくるウーリとメニーナ、シザー。メニーナからはかすかな画材の匂い、ウーリの手には呑気に釣り竿が握られている。
お前、釣りしてたの?
この高さから?
「それでは、私も休憩をいただきますね」
「ああ、うん。お疲れ。もう遅いし寝ちゃってもいいぞ」
シザーが交代でログアウトしていく。
ちなみにフルルもとっくにログアウト済み……というか、ごねるアイツを全員で追い出して寝かせた。未成年は寝る時間だ。
俺はベッドに腰掛け、するとウーリとメニーナは横に座った。
「相変わらず近いなぁ」
「なんだよ、邪険にするなよう幸せ者め」
「い、嫌でしたか……?」
……嫌では、ないです。
それにしても静かな場所だ。
目を閉じれば、海鳥と波の音だけが窓の外から聞こえてくる。
最初はどうなることかとひやひやしたが……案外、これも良い選択だったかもしれないな、と俺は思った。
それからシザーが戻ってきたのは、薬草園がちょうど〈無法者の海岸〉を抜けた頃。
俺たちは海上都市バルマリンの周辺海域とやらに到着し、例の海賊鍵を使用する。
解放した宝島の位置はログ上に方向表示され、薬草園はその方向へとゆったりした足取りで向かった。
「あ! 見えた!」
真っ先に気付いたのはウーリ。
前方には、たしかにちいさな孤島のシルエットが見えてくる。
海賊鍵のフレーバーから見るに、最低でも二十年の間、ここには誰も来ていない。汚れも漂着物もない、驚くほどに真っ白い砂浜に、丘のようにうっすらと傾斜のある地形、小規模ながら植物が群生している。
横手には、海賊が使っていたのであろう木造の停泊施設が突き出ている。
「砂浜、汚したくないですね……少し迂回して、左の崖側から登りましょうか」
メニーナの発想は相変わらず環境的だ。
薬草園は器用に方向を変え、砂浜のない崖際から孤島へと這い上がった。少し進み、高台上の開けた場所にやってくる。
「このあたりいいんじゃない? 見晴らしもいいし、平らだし」
「砂浜や停泊所へのアクセスもよさそうですね」
「そ、そうしましょうか。ノームちゃん、着陸をお願いします。地下室は、地面に埋まる感じで……」
メニーナの腕の中に抱えられたノームたちが頷けば、薬草園は見事指示通りに着陸した。
高過ぎず、低過ぎず、薬草園は元よりそこにあったかのように孤島の真ん中に馴染んでいる。違和感は土の色が少し違うくらいだろうか。
『〈宝島-V2066.98.401〉が占有されました』
『管理者には「街作り設定」権限および島への命名権が与えられます』
……命名権?
「まずい、ネーミング担当のフルルがいない」
「そんな担当ないよ。せっかくだから、今度こそトビくんがつければ?」
まぁ、それでもいいか。
俺は少し考えて──名前を入力する。
『〈宝島-V2066.98.401〉の名称が変更されました』
『ようこそ〈ヴェルデブール〉へ』
緑の避難所、なんて安直な造語だが──
さあ、新天地での生活がはじまる。




